第460話 『問責と仕切り直し』

 慶応四年十二月二十日(1869年2月1日) 江戸城

「? 然様さようか。余が聞いた話とは随分違うようだが……」
 
 慶喜の額から冷や汗がしたたり落ちた。

「余が聞いた話では、守護職屋敷の放火と升屋の刃傷沙汰は犯人を取り押さえたと聞き及ぶ。然りながらそれは丹後守、いや六衛督ろくえのかみ(純顕)と左衛門佐さえもんのすけ(次郎)の功と言うではないか。加えて長州との間にしこりを残し、藩主ともども国許に帰っておるそうだの。洛中すべてに電信をはわせ、ああく灯なる明かりで夜を照らすなど、民の暮らしが良くなるは望むが、これではまるで大村が主で徳川が従ではないか」

 慶喜は深く頭を下げる。

 家茂は若く、英明であった。

 幕府を中心に据えつつも、朝廷との融和を図って国政を導いていく協調路線である。

 それが数回にわたる上洛と、畿内を中心にした江戸と京都の二重政治に表れていた。

 しかし、経済・軍事・技術のすべてにおいて幕府を上回る大村藩が存在する事実は、幕府中心の体制が果たして現実的なのか?

 諸外国とのやりとりや紛争の解決、戦争勝利から万博派遣など、大村藩の功績をあげればきりがない。

 若年ながらも家茂はすべてを見てきたのだ。

「将軍家の御名を損なうつもりなど毛頭ございませぬ。すべては御所の安寧と、朝廷の御心を鎮めるために……」

 家茂は慌てる様子も見せず、静かに首を振った。

「余は責めているのではない。民が頼る先を見誤れば、やがて政の形が揺らぐのだと申しておるまでだ。中納言、余はそなたを信じている。ゆえにこそ案じて口にしたのだ。大村は決して悪ではない。功はあっても罪はないのだ。如何いかがであろう中納言、より深く胸襟を開いて、左衛門佐と話をしてみては」

「は……」




 胸襟を開いて、ではないが、もう何回も議論を交わし、考えは分かっている。

 次郎の目的は幕府の弱体化であり、徳川を一大名にして議会政治を執り行い、まったく新しい政権をつくろうと考えているのだ。

 誰が認める?

 旗本八万騎に譜代と御三家御三きょう、誰がそれを認めるのだ?

 確かに軍事・技術・経済すべてにおいて群を抜いておる。

 ならばそれゆえに徳川に取って代わるつもりなのか?

 いやいや然様なやすき考えではあるまい。

 ……いずれにしても専横に過ぎたは真の事。

 この先は都度上様に電信にて知らせを送るといたそう。

 なに、やつが議会政治を旨とするならば、徳川恩顧の大名数しれず。

 過半数をもって議事を進めれば何の障りもないではないか。

 六衛府と弾正台はしてやられたが、幕府の要職に純顕と次郎をつければよい。




「然らばこのさきは上様に逐一報せを送りまする。また、六衛督と左衛門佐ともよくよく話合いましょう。然りながら、一つお尋ねしたき儀がございます」

「何じゃ」

「上様のお考えや如何いかに?」

「それは先の世の徳川……公儀としての徳川の事か?」

「然に候」

「……成るならば、良きに計らい為すべきを為せ。成らぬなら是非もなし。徳川の失を最も少なくし、世のため人のために為せ」

「はは……」




 ■慶応五年二月一日(1869年3月13日) 京都 大村藩邸

「次郎、ご苦労であった。如何であったか。電信ではひとまずは事なきを得たとあったが」

「は、長州も薩摩も、グラバーとの取引はいったん白紙に戻し、留め置いております」

「然様か」

 純顕は笑顔で次郎に問い、答えを聞いてさらに微笑む。

 しかし、安心した様子ではなく冷静な表情をしていた。

 藩主として、事態がそれほど単純でないのは理解している。

「うむ。大手柄だ。お主の働きなくしてこの猶予は生まれなかったであろう。然れど火種が消えたわけではあるまい?」

 純顕は次郎が差し出した茶を静かに一口すする。

 落ち着いた所作が、逆に場の緊張感を高めた。

「仰せの通りにございます。長州も薩摩も、武をもっての討幕を止めたわけではありませぬ。中納言様(慶喜)が薩長さっちょうを目の敵にしているのもまた事実。加えて、事あるときは味方する、との言質を取られてしまいました」

「……然様か。致し方あるまい」

「は……。ひとまず、仕切り直しにございましょうか」

 ひとまず、薩長により武力蜂起の芽をつみ、幕府からの嫌疑の危険も取り除いたのである。

「うむ、議会にて未だ落居(解決)しておらぬ議題は山ほどある。解いていかねばなるまい」




 ■数日後 二条城 貴族院

「では各々方に問いたい。以前より落居(解決)しておらなかった題目の一つ、貴族院会議議場の場所と、議長の選出でござる」




 ?

 どういう風の吹き回しだ?

 これは以前に多数決で二条城に決まったはずではないか。

 議長にしてもそうだ。

 いったい何を考えている?




「先の議決にて二条城と決まり、それがしが議長の職を拝命しておるわけでござるが、任(任期)も決まっておりませぬ。議場につきましては、日本公論会の意見の方が公明正大だと考えるに至りました」

 議場内は、水を打ったように静まり返る。

 慶喜の発言が、そこにいるすべての者の思考を停止させたのだ。

 ……そう見えた。

 しかし慶喜は事前に根回しをして、公儀政体党はもちろん、無党派の議員にも意向を伝えていたのである。

 次郎は壇上で静かにほほえむ慶喜の顔を見つめたが、その表情からは真意を読み取れない。

 議場を二条城と定め、自らが議長に就任したのは、他ならぬ慶喜自身が主導した結果である。それを、今になって自ら覆そうとしているのだ。

 江戸で何があったのか。

 将軍家茂との会見があり、一連の京都における不始末とその収拾までのいきさつを聞かれたと、断片的ながら隠密方からの電信で知っている。

 いずれにせよ日本公論会にとっては朗報であった。




「では決を取りたいと存ずる」




 議長慶喜の発議による議場の場所は、多数決で次郎が提案した東本願寺に決定した。

 さらに、新任の議長は次郎である。




「ついては左衛門佐殿(次郎)、貴殿と六衛督殿(純顕)を招いて夕餉ゆうげでもいかがかと存ずるが、いかに?」

 議会の終了後、慶喜は唐突に次郎に告げた。

「は……。光栄の至りにございます。屋敷に戻り次第主に伝え、お返事仕りまする」

「うむ、よろしく頼む」




 殿は断らんだろうが、さて……。




 次回予告 第461話 (仮)『懐柔かいじゅう

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