第912話 『黄昏の聖職者』

 慶長七年十月二十一日(西暦1602年12月4日) リスボン

 特別法廷に第3回公判の幕が上がった。

 法廷周囲には重警備体制が敷かれて、王室保安局員が常時巡回して緊張感が漂っている。

 傍聴席にはポルトガルの貴族や商人、都市参事会の代表が静かに並び、遠目に教皇庁関係者の姿もあった。街路には人々の列が絶え間なく続いて王都の民の関心の高さを示している。

 フレデリックは事前に結果を知らされていたので、技術関係者を残して帰国していた。

「これより第3回公判を開始する。今回より証言台に実行犯を招致し、事実の確認を行う」

 裁判長席で淡々と語るアルメイダの開廷宣言が静寂を切り裂く。

 先に立った実行犯の1人は、生気のない目で傍聴席をちらりと見つめた。

 減刑を条件に証言者としての出廷を受け入れたのである。

「暗殺計画は枢機卿の直接の命令でした。計画の内容は枢機卿から定期的に伝えられました」

 証言を終えた実行犯のこわばった顔を見て、検察官は追及を止めなかった。

「誰も自白を強要したわけではない。自発的な証言を出す以上、詳細な経緯を問う」

 実行犯は震える声で語る。

「車軸の細工の話も枢機卿自身から指示されたのです。工房でヤスリを使って作業をして、出来を報告しました」

 アルメイダは静かにうなずいた。

 尋問は2名、3名と続いたが、全員が枢機卿の名を明言したのである。

 被告席ではの枢機卿が苦悶の表情を浮かべていた。威厳が失われて肩が落ちたまま動かない。

 王室保安局員が指示のあった日時や場所、道具の受け渡し時の状況証拠を示した。

 前回の科学的実証に加え、今回は人的証言が完璧に重なる。

 これまで『神の代理』と主張してきた枢機卿は沈黙を続けるしかなかった。

「これまでの証拠と証言により、本法廷は未曾有の犯罪行為を認定する。被告は在来法廷では絞首刑に処されるべきであるが、これまでの国家的貢献を勘案し、一等を減じてセントヘレナ島への流刑とし、終身禁固刑を宣告する」

 法廷に低いざわめきが広がる。

 枢機卿はただ呆然と天井を見つめたまま、微動だにしない。

 重い扉が開かれ、護送車が到着した。王室保安局員が警戒態勢で被告人を連行する。傍聴席の民衆の中には涙ぐむ商人、口元に笑みにも似た表情を浮かべる若い貴族も見受けられた。

 裁判が終わってから日を追うごとに、判決の報せは欧州各地へと運ばれていく。

 イタリア各都市では、商人たちの間に静かな安堵の空気が漂った。

 ヴェネツィアの評議会で一人の議員がつぶやく。

「ポルトガルはもはや教会の鎖を断った――次はどこが動くのか」

 取引のためにリスボンを訪れていた他国商人たちも、本国にいち早く新しいポルトガルの政治形態の動向を伝える文を送ったのだ。

 ■イタリア ローマ
 
 教皇庁では枢機卿失脚の衝撃が冷めやらない。

 枢機卿の失脚とポルトガル政府による終身禁固刑の報について、各会議室で司祭や高位聖職者たちが集まっては激しい口調で意見を戦わせていた。

「セバスティアン1世とその廷臣どもは神に背いた反逆者として、直ちに破門すべきです!」

 怒声が飛ぶ一方で、現実の制約が冷ややかに突きつけられる。

「今の教皇庁にいったい何が出来るというのです? スペインも神聖ローマ帝国も、軍事支援どころか自国の火消しに追われて余裕がないのですぞ」

 現場の高官たちはうなだれ、長年誇ってきた聖座の威信喪失を実感していた。

「それでも……非難声明と破門しか、我々には手立てがないのです」

 枢機卿団の長老が呟いた。

 祈るしかないだけの時代が、唐突にやって来たのである。

 ■マドリード スペイン王宮

 広大な会議室で、筆頭廷臣がやり場のない憤りに唇をかみしめていた。

「ローマから要請があってたとしても、我が国は動けない。……フランス国境では内政の不安、アメリカ大陸ではインカ・アステカの残党の叛乱。日本との交渉は遅々として進んでおらんし、海軍の再建もできてはいるが、財政を逼迫している」

 大臣たちは重苦しい空気のなか、黙ってうつむいている。

「ポルトガルがここまで明確に反教皇へ踏み切った以上、余計な火種を抱えるわけにはいかない」

 冷静な経済官僚が小さく呟いた。

「とにかく、余の国であるこのスペインで騒ぎが広まるのはまかりならん。教会関係者にはしっかりと信徒をつなぎとめておくように、厳しく通達せよ」

 フェリペ3世は宣言した。

 ■パリ フランス宮廷

 セーヌ河畔の宮廷では、アンリ4世が側近から判決の報告を受けていた。

 妹の夫、つまりセバスティアンが強硬に『破門されるならプロテスタントに改宗する』と表明したことも報告されている。

「破門で脅しても効果はなかろう。あの男は英明だ。……ナントの勅令で信仰に寛容を認めた我が国は、この件に深入りしない。内乱の危険を避けるためだ」

 アンリ4世は静かに命じた。

「いまフランスに必要なのは安定と成長だ。教皇庁とは距離を置け。オランダとポルトガルに使者を送って事の顛末をさらに詳しく聞くのだ」

 実際には顛末よりも、それをなし得た科学的技術に関心があった。

 ■ロンドン イングランド宮廷

 王宮の執務室ではエリザベス女王の側近が淡々と報告を持ち込む。

「ポルトガルでの裁判結果が各国紙に掲載されています」

 エリザベスは唇の端だけで微笑んだ。

「カトリック世界に動揺が走っておるな。英国教会の独立が時代に合っていたということだ。むしろ我が国への好影響になろう」

 侍従たちも表情を変えず、事務的に記録をしていた。

 ■ウィーン 神聖ローマ帝国宮廷

「教皇庁の要請も理解はするが、東の国境の防衛で手一杯だ。教会の威信よりも領土が重要。現実を見よ」

 重臣たちがオスマン帝国との戦争と財政難について、ただでさえ混乱した議題に頭を悩ませていた。ポルトガル問題について問われた皇帝は無言で机の上の書類をめくった。

「理解はできる。力にもなりたい。しかし、それがために国を滅ぼしてはならん。わが帝国は異教徒との戦いでそれどころではないのだ」

 助言役の司祭も、これに強く反論できなかった。

 各カトリック国にも通告と圧力が送られたが、いずれも自国問題や対外戦争のため事実上無視される。

 スペイン、神聖ローマ帝国、フランスどこも身動きが取れない。教会の伝統的権威はヨーロッパ全域で侵食されつつあった。

 次回予告 第913話 (仮)『2度目のリスボンとフレデリックの東方紀行』

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