第899話 『飢える帝国』

 慶長六年九月(1601年10月)肥前県諫早 政府庁舎

 秋の収穫が終わった。

 しかし残念ながら純正の1年前の予言は的中し、破滅的な結果がもたらされたのである。

 南米ペルーのワイナプチナ火山が噴き上げた『見えざる灰』は、容赦なく日本列島にも降り注ぎ、夏の間に太陽の光を奪い続けた。

 日本全土を襲った記録的な冷害は、稲作に壊滅的な打撃を与えたのだ。

 農水省がまとめた最終的な収穫高は、平年の五割減の惨憺さんたんたる状況である。

 特に北日本の被害は甚大で、場所によっては八割以上が実りのない皮ばかりの『しいな』と化した。

 追い打ちをかける形でいもち病が蔓延まんえんした田畑も数知れない。

 戦国の世であれば、数十万の餓死者と大規模な一揆いっきが国を傾けていたであろう、未曾有の大凶作であった。

 しかし帝国の首都である諫早に悲壮感はない。

 そこを支配していたのは、むしろ冷徹なまでの緊張感であった。

 巨大な機構である国家が、想定された危機に対し計画通りに稼働している。その事実だけが独特の空気を生み出していたのだ。

 帝国食糧安全保障会議。

 壁一面には日本全土の地図が掲げられ、無数の駒と付箋が貼られていた。食糧の備蓄量、輸送状況、そして配給対象人口が刻一刻と更新されている。

「陸奥県、津軽郡より報告。備蓄米の第一次配給は完了しました」

 通信官の声が室内に響く。

れど思うたより酷き不作にて、十二月には再び米蔵が空になる見込みにございます。重ねて配り分けをお頼み申します」

 内務大臣の太田小兵太利行は、地図から目を離さずに報告を制した。

「それは相成らぬ」

 冷徹に響く声に場の空気が引き締まった。

「津軽郡には既に次なる便が向かっておる。然れど中身は米にあらず。サフルより運び来たりし麦と、寒さに耐ゆる芋じゃ。米は病める者、老いたる者、幼き者を先とせよ。達者なる者どもには鉄道建設の労働を申し付けよ」

 冷徹に突き放す言葉であった。

 だが、その真意を理解できない閣僚はこの場にはいない。

 大凶作は民から食糧と仕事(収入源)の両方を奪った。

 国家が単に貨幣を配っても、市場に食糧がなければ激しいインフレを引き起こすだけで、救済にはならないのである。

 だからこそ、政府は仕事と食糧をセットで与えた。

 鉄道敷設工事とは、生活の糧を失った全ての民に与えられる、新たな仕事なのである。

 そして労働の対価として支払われたのは貨幣ではなく、南半球から運ばれた食糧であった。

 働けば家族ごと食糧を得て生き延びられる。

 情けではなくシステムで民を救う、『餓死者を出さない』強い意志の表れであった。

「まるで戦よの」

 その声に全ての閣僚が顔を上げた。

「兵糧を運び道を普請し、民を動かす。相手が敵兵か飢えかの違いのみで、やっておる事は全く同じ。いや、敵の顔が見えぬ分、戦より厄介か」

 信長は地図の上で動く無数の駒を眺めながら、どこか面白そうに続ける。

「然れど見事なものよ。この飢饉ききん、もし天下統一の前に起きておれば、日ノ本は再び百年の戦乱に戻っておったやもしれん。それを、机上の差配一つでこれだけの民を食わせようとしておる。(あの男の真の恐ろしさは、鉄砲や船ではない。この仕組みそのものよ)」

 信長の言葉は、全ての閣僚の思いを代弁していた。
 
 彼らは今、歴史上前例のない飢饉との戦いを巨大なシステム『国家』を用いて遂行している。

 未曾有の天災は、この国の真価を否応なく証明しようとしていた。

 利行はすぐに視線を地図に戻す。感傷に浸る時間は存在しない。次々に報告が入ってくるのだ。

「羽前庄内の郡より申し上げ候。蔵米配り分けの仕組みは滞りなく進んでおります。然れど来年の作付けにつき、百姓どもより米作への執心強く、芋類への作替えに反発の声が上がっておるとの由。代官より強いて為さしめる(強制執行の)お許しを願い奉る、と」

「許す」

 利行は即答した。迷いは一切ない。

「非常の御触れの下、作付けを決める権は我らが握るものなり。これは昨年申し渡し済みの儀である。逆らう者どもには、来年の蔵米配り分けの優遇を止めると申し伝えよ。それでもなお従わぬ者は名前と耕作地を書き記して知らせるのじゃ。お上の方針に従えぬ者に、土地を耕す資格などあるものか」

 厳しい言葉であったが、私情から発してはいない。

 来年、そして再来年の火山の冬を乗り越えるための、計算され尽くした判断であった。

 米に偏重した農業構造は、気候変動下ではあまりに脆弱なのだ。

 寒冷地でも安定した収穫が見込める作物への転換は、この国の生命線を維持するために絶対不可欠な農業革命だったのである。

「加えて、庄内の郡にて百姓を離れる者ども(離農者)の行き先も、併せて示すのじゃ」

 利行は補足する。

「奥羽の山々を越える新たな鉄道普請が、来たる春より本腰を入れて始まる。人夫どもには新しき宿舎と、一家郎党分の食い扶持を現物にて与えるものなり。土地に縛られる暮らしのみが道にあらず。新しき働きと褒美の形を、政府が保証すると明らかに申し伝えよ」

 これは単純な減反政策ではない。

 専業農家へ戻れる道を残しつつ、選択肢を増やしたのである。

 大飢饉は、まず農民から生活の糧を奪った。

 そして、農民を相手に商売してきた商人や職人もまた、連鎖的に立ち行かなくなる。

 政府は旧来の仕事では生きていけなくなった全ての民を、新たなインフラ建設の労働力として吸収していく。

 それは社会の混乱を防ぐと同時に、日本の近代化を加速させる、純正が描いた壮大な計画の一部に過ぎなかった。
 
「承知いたしました。直ちに代官へ下知いたします」

 通信官が敬礼し、足早に部屋を出ていく。

 一昨年来日したフレデリックの技術供与によって電信が実用化した。海底ケーブルはまだ時間を要するが、中継地に人を置かなくても遠距離通信が可能となったのだ。

 海路は船による郵便での情報のやりとりであるが、ひっきりなしに諫早通信所へ電信が届く。

 通信所と諫早城(政庁)の間では多くの伝令たちが馬を駆って情報を運ぶのだ。

 蒸気自動車は実用化されてはいたが、時と場合によっては馬のほうが速い。

 電信文には各地方の備蓄米の残量、配給を待つ民の数、次の輸送船団の到着時刻などを、誰もが一目で把握できるよう端的に記されていた。

 閣僚たちはその紙を勢いよく受け取ると、巨大な地図に顔を寄せ、指と駒で激しく議論を戦わせ続ける。


 議題は、九州から日本海側への食糧輸送ルートの最適化だ。

「敦賀の津の荷揚げが限りに近づいておるぞ! 太平洋側の廻船の一部を舞鶴の津へ廻らせよ!」

 利行が地図上の駒を動かし、決断を促す。

「大臣、それでは間に合いません!」

 別の閣僚が鋭く反論した。

「舞鶴より京へ鉄道にて運ぶは焼け石に水でございます。障り(問題)の根は津(港)にあらず、内陸へ送る貨車の数が足らぬのです! 今しばらく東海道の鉄道の往来を全て止め、全て兵糧の運びに回すべきにございます! 畿内の騒乱を鎮めるが何より肝要かと!」

 怒号にも似た声が飛び交い、下された決定は即座に新たな書式に書き起こされ、次の伝令に託されていく。


「内務大臣、見事な差配よ。そなたらがこの日ノ本の戦を支えておれば、殿下も安心して次の手を打てよう」

 信長なりの労いであった。

 会議室の緊張は、絶えず続く。


 次回予告 第900話 (仮)『黄金の国の飢餓』

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