第898話 『見えざる灰』

 慶長五年九月十五日(1600年10月21日) 肥前県諫早 帝国政府庁舎

 純正が館山で東日本の新たな秩序の礎を築いている頃、首都諫早では、緊張感の中で国家の全ての機能がフル稼働していた。

 帝国食糧安全保障会議。

 そこでは、帝国の存亡を左右する見えざる敵との戦いが繰り広げられている。

「第二次中南米方面緊急援助船団の編成状況を報告せよ」

 内務大臣・太田小兵太利行の低い声が、室内に響く。

 小兵太の前には帝国全土の地図と、太平洋航路を記した巨大な海図があった。

「はっ。ハワイ総督府にて中を継ぎ、輸送船三十隻による船団の編成が完了。積荷は、サフル地方(オーストラリア大陸)にて収穫された小麦五万石、および保存加工された芋類三万石。加えて、医療品、衣類、仮設住居用の資材を満載しております」

「うむ、続けよ」

「半月後の出港の後、アカプルコに到着。その後半数はテノチティトランへ向かい、残りはそのままリマへ向かいます」

 報告したのは、国交省の若き官僚である。

 彼のよどみない口調は、この数か月間、同様の報告を昼夜を問わず繰り返してきた事実を物語っていた。

 会議室に集結しているのは帝国の根幹を支える省庁の長たちである。

 末席には信長の姿があったが、ただ腕を組み、黙って議論の行方を見守っていた。


 この未曾有の事態が始まったのは、半年近く前である。

 全ては慶長五年三月(1600年4月)、一本の急報から始まった。

 その日、太平洋航路における蒸気通信船が、予定を数日も早めて諫早の港に滑り込んだのである。

 船が運んできたのは、ポリネシア総督府、すなわちハワイから発せられた緊急報告であった。


 ――発 ハワイ総督府 宛 帝国内務省

 急電 慶長五年一月五日 南米ペルウにて山より大いに火出でて煙たちけり

 天を衝く勢いにて諸村灰塵かいじんに帰しけり

 逃れけり民いわく 日輪数日闇に閉ざされり 噴き出でし煙天をおおい

 その害こうむる事はなはだ大なり 詳細不明――

(慶長五年二月十九日、南米のペルーで天を衝くほどの規模の大噴火あり。現地より避難してきた者の話によれば、複数の村が灰に埋まり、太陽は数日にわたり闇に閉ざされたとのこと。噴煙は未だ天を覆い、その影響は未知数)


 報告を受けた閣議は、当初、これを南米大陸の一地方で起きた大規模な自然災害としか捉えていなかった。

 戦国時代の一官吏、奉行の認識では当然だろう。

 しかし彼らはともに帝国を築き上げ、現代の感覚を40年近く受け継いだ、いわば純正ナイズされた人材ではないのだろうか?

 最初に口を開いたのは、財務大臣の太田屋弥市である。

 純正が統治する国土が肥前国と呼ばれるはるか以前から、帝国の財政をゼロから築き上げた、最も冷静かつ現実的な実務家だ。

「ペルウの件、真に気の毒な事。然れど帝国が直に口入れ(介入・援助)いたすは構えて(慎重に)処さねばなりませぬ。今、我らは帝国となり、旧大日本国の開発、全国鉄道網の敷設と、未来百年の礎を築くべき最も重き刻」

 要するに国家財政を揺るがすほどの規模の財政出動は慎重になるべきで、優先順位を考えなければならないと言いたいのだ。

 その言葉に、陸軍大臣の波多隆が重々しくうなずいた。

然様さよう。太田屋殿の仰せの通り。加えて我らがインカとアステカを大いに助ければ、それは世界に如何いかに映るか。『帝国は、あらゆる有り様に武力と国力で介入する』、然様な悪しき前例となりはしませんか。力を用うるは、より構えて(慎重に考えて)しかるべきにございましょう。我らは世界の警保ではございません」

 波多隆が武力と、と発言したのは、彼が話を混同しているからではない。陸軍大臣として、この時代の大規模支援の本質を正確に見抜いているからであった。

 地球の裏側まで国家として大規模な支援をするには、海賊や旧敵対勢力から輸送船団を守るための海軍による大規模な護衛が不可欠となる。

 また、災害で混乱した現地で、略奪や暴動から支援物資を守り確実に配給するためには、陸軍部隊を派遣しての治安維持活動も必須だったからだ。

 つまり、人道支援の名目であってもその実行には必然的に軍事力の行使が伴う。

 そしてその軍事行動は、敵対勢力から見れば「災害に乗じた覇権拡大」として、新たな戦争の口実を与えかねない危険な挑発行為に他ならなかった。

 波多隆は、軍事的・地政学的リスクを誰よりも早く指摘したのである。


 その空気を静かな一言が切り裂いた。

「お主らの懸念はもっともである。いずれを最も尊ぶか、序列と力のあり方。――平時であれば、その判は非の打ち所なしであろう」

 純正はゆっくりと立ち上がると、壁に掲げられた世界地図の前に立った。

「然れど、元より考えるべき事が違う」

 閣僚たちの視線が、一斉に純正の背中に突き刺さった。

「これはペルウ一国の災いではない。全世界を襲う、数年続く『火山の冬』の始まりなのだ。半年後には、我らの足元、この日本でも米が実らぬようになる」

 純正の一言が、閣僚たちの思考を停止させた。

 彼らが積み上げた、いかに合理的でいかに正しい現状分析も、前提が覆されてしまえば砂上の楼閣に過ぎない。

 40年間で彼らが学んだこと。

 それは純正の常識を超えた未来予測だけは、一度として外れていない事実である。

 純正は、ゆっくりと閣僚たちに振り向いた。

「インカならびにアステカへの助けは、慈善の行いではない。これから飢える世界の中で、唯一『食糧を配れる者』となるための、帝国の存亡を賭けた先手なのだ。ただで食糧を配るのではない。我らの新たな戦よ」

 災害に関して言えば、純正は天正地震や豊予地震などを見事に言い当て、その準備と都市計画、災害における救助と復興支援に最善が尽くされた。

 その先見の明によって、どれだけの人の命と国富が守られたか、計り知れないのである。

 もはや、反論できる者はいない。

 今回、純正は食糧を戦略物資として活用した新しい形の国家間闘争を提唱したのだ。

 飢饉ききん国には食糧を高値で売りつけて国力を削ぎ、同盟国は救済して忠誠を得る。

 売りつけると言えば語弊があるが、不作の際に米の価格が上がるのは日常茶飯事であった。

 人道支援の名目で国益最大化と新世界秩序創造を同時に達成し、帝国の権威を世界に証明する構想である。


 その日のうちに、純正の名において帝国全土に3つの大命が下された。(現代文)

 一、『国家非常事態宣言』の発令。帝国は、食糧安全保障における最高レベルの警戒態勢に入る。

 二、『帝国食糧安全保障会議』の設置。財務、内務、農林、国交大臣の他、関係閣僚で構成され、帝国内の全ての食糧の生産、備蓄、輸送、配給を一元管理する。

 三、『インカ・アステカ緊急救援本部』の設置。同盟国である両帝国の救済を、帝国の最重要課題と位置づける。


 純正の先見の明によって、大日本帝国は世界中のどの国よりも早く、半年後に訪れる未曾有の危機に対する迎撃態勢を整え始めたのであった。


 ※肥前国~大日本帝国は、19世紀程度の技術力のため、用語が近代的なものを含みます。
 
 次回予告 第899話 (仮)『飢える帝国』

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