第892話 『是非もなし』 

 慶長五年四月二十三日(西暦1600年6月4日) 大阪政庁

 近江から昼夜を問わずに駆け続けた信則と氏郷は、ようやく大阪政庁に到着した。

 和議への最後の望みをつなぐため、彼らは疲労した体にむち打ってここまで来たのである。

 肥前国の役人に案内された一室の障子が開かれたとき、信則は息をのんだ。何と部屋の中央には、白装束をまとった叔父・浅井長政が、天下人・純正と対峙たいじしていたのである。

「叔父上……」

 信則の口からか細い声が漏れる。

 長政は静かに振り返るが、その目に驚きはない。

「左衛門か。無事であったか」

 信則は、長政のその姿と部屋に満ちる張り詰めた空気から、自分たちが最も恐れていた事態が進行していたことを悟った。

 はやる心を抑え、純正の前に進み出て深々と頭を下げる。

「織田左衛門信則にござる。此度こたびの兄・三郎の暴挙、誠に申し訳ござりませぬ。兄に代わり、伏しておび申し上げます。何卒なにとぞ戦をお止めいただき、和議の道を……」

「左衛門か、久しいな」

 純正は笑みを浮かべているが、明らかに個人的な再会に対しての笑みであり、信則の目的に対してではない。


「兄に代わり、のう……。義兄上(長政)といいお主といい、まったく」

 ため息にも似た純正の反応に、信則が必死に訴えている。

 ――まさにその最中だった。

 よろいの擦れる音をさせた武者が、慌ただしく広間の入り口にひざまずいた。その顔には硝煙の匂いと、戦の興奮がまだ残っている。

「申し上げます! 洛中らくちゅうへ攻め入りし織田の軍勢、我が軍、これをことごとく討ち滅ぼしましてございます!」

 広間の空気が凍り付いた。

 信則の言葉は途切れ、その顔から急速に血の気が引いていく。氏郷は唇を固く結び、長政は静かに目を閉じた。

 和議の道が完全に断たれたのだ。

 さらに報告は続く。

「敵将、柴田三左衛門勝政、丹羽五郎左衛門長重討死うちじに! 総大将織田信秀はからめて(捕縛して)大阪へ押し運びたり(護送中)にございます!」

 全てが、終わった。

 信則は、その場に崩れ落ちそうになるのをかろうじてこらえた。


 ■数刻(一刻は2時間)前 京近郊の戦場

 緒戦の勝利に油断した織田軍は、突如として眼前に現れた肥前国本隊の威容にのまれていた。

 眼前には自分たちとは全く違う様相の軍勢があったのである。

 統一された洋式軍服に身を包み、後装式銃を肩に担いだ歩兵たちが、隊列を組むでもなく密集もせずに配されている。

 その後方には鉄製の野砲が規則正しく配置され、砲兵たちが機械的な動作で装填そうてんの準備を進めていた。

 これまでの関所の守備隊とは全く異質である。

「者ども、臆するな! 肥前の本隊とて、我らの敵ではないわ!」

 柴田勝政が豪そうを掲げてえる。丹羽長重もまた、冷静に自軍の部隊を立て直そうと指示を飛ばしていた。

 しかし、肥前軍は個々の武勇に応じない。前線から轟音ごうおんが鳴り響き、大砲の斉射が織田軍を粉砕した。

 砲撃をかいくぐった者たちも、整然と繰り出される銃撃の連続に死体の山となっていく。

 火縄銃でもライフル銃でもない。

 管撃ち式ですらない。

 紙薬莢やっきょうの後装式最新鋭銃なのだ。

 その動きには一切の無駄がなく、織田兵は進んでは倒れ、また進んでは倒れていく。

 柴田勝政は、その非情な機構の中心へ馬を駆った。

 その武勇は旧時代の戦であれば戦局を覆し得たかもしれない。

 だが、彼は近づくことすら許されず、無惨にも体には数条の銃弾が撃ち込まれていく。

 丹羽長重は部隊の再編を試みるが、側面に移動してきた部隊に指揮系統を寸断され、奮戦の末に命を落とした。

 個の力がシステムの力に打ち砕かれていく。

 信秀は最後まであらがったものの数の力で押しつぶされ、馬から引きずり降ろされて捕縛された。


 ■数日後 大阪城大広間

 信則、氏郷、そして徳川家と北条家の代表者が呼び出されていた。

 長政以下の浅井家中も列席している。

 やがて現れた純正は、玉座に就くと静かに、しかし有無を言わせぬ口調で裁定を下し始めた。

 信秀の処遇は京の六条河原における斬首ざんしゅ

 見せしめとしての死だった。

 筆頭家老の武井十左衛門も、主君と並んで斬首である。

 続いて、織田家、浅井家、徳川家、北条家への処遇が告げられた。

「織田家は信則が継ぐ事を許す。されどその所領は越前国織田荘十一ヶ村、二百五十二石のみとする」


 ・浅井家は近江国浅井郡丁野村550石。

 ・徳川は三河国加茂郡松平郷256石もしくは碧海へきかい郡安城村762石。

 ・北条は伊豆国田方郡11か村1,278石(旧来の家臣解雇)もしくは備中国荏原荘600石(旧来の家臣随行可)。

 いずれも領有すれども統治せず。


 その石高はもはや大名とは呼べず、小豪族以下の規模であった。

「なお、その統治は肥前国が行う。信則は土地の主として、毎年百三十貫文の俸給を受けるものとする」

 それは、武家としての死の宣告に等しかった。

 領民を治めることも、家臣を抱えることも許されず、ただ先祖伝来の土地の名義と、生活を保障する金銭だけが与えられる。

 純正は、織田家から武力と権威の全てを奪い去った。浅井家、徳川家もまた、同様の厳しい処遇を受けたのである。

 古いしがらみや既得権益を完全に破壊し、中央集権的な国家を建設する。そのための、冷徹で合理的な裁定だった。

 全ては純正が目指す中央集権的国家をつくるためである。


 広間から人々が退出した後、信則は一人、その場に立ち尽くしていた。氏郷が静かにその隣に寄り添う。

「左衛門様……」

「忠三郎(氏郷)……終わったのだな。全て」

 信則の声はうつろだった。

「はい。終わりました。れど左衛門様のお命は、加えて織田の名は、残されました。これからが我らの真の戦にございます」

 氏郷の瞳にはまだ光があった。遠く離れても主君を守り、新たな形で織田家を支えていく。それが彼に残された道なのである。


 旧時代の終わり。

 そして、純正による徹底した新秩序の構築が始まったことを、大阪城の静寂が物語っていた。


 次回予告 第893話 (仮)『覚醒』

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