慶応三年八月二十一日(1867年9月18日)
史実における徳川慶勝は、激動の幕末において、藩祖以来の伝統を重んじつつも、時代の変化を見通す柔軟な思考力を持っていた。
将軍徳川慶喜とは母方の従兄弟にあたる関係で、隠居謹慎中には、当時最新技術であった写真に深く傾倒している。
倒幕運動のなかでの鳥羽・伏見の戦いから江戸城の無血開城。
とかく西郷隆盛や勝海舟がクローズアップされるが、慶勝が諸藩に対して新政府への恭順を促した事実は、あまり表に出ていない。
マクドナルドとシーモアの期待に満ちた視線が慶勝に注がれている。両名とも、日本が提示する条件次第ではカナダの未来が大きく変わる可能性を理解していた。
慶勝は落ち着いた声で条件を述べ始める。
「第一に、技術供与は段階的に行います。我が国の技術者による現地指導が不可欠であり、一度に全ての技術を移転するわけではありません」
マクドナルドが深くうなずいた。技術の段階的移転は合理的であり、カナダ側としても受け入れやすい条件である。
日本側は事前の打ち合わせどおりに進む交渉に、次郎が『うんうん』とうなずいている。
「第二に、発見された資源に関しては、我が国にも優先的な取引権を認めていただくことです。ただし、独占権ではなく、優先権です」
シーモアが興味深そうに身を乗り出す。
「優先権とは、具体的にはどの程度でしょうか?」
「例えば金鉱が発見された場合、同条件であれば日本との取引を優先していただく。価格や条件で他国が上回る場合は、その限りではありません」
次郎の説明に、ヴァン・ホーンがほっとした表情を見せた。独占権ではなく優先権であれば、カナダの主権を損なう心配はない。
彼は鉄道関連の技術者だが、将来は実業家として活躍する。その経営者目線と政治的な目線からの考えであった。
「第三に、この技術協力は民間企業間の契約として進めます」
「民間企業間? それはどういう意味でしょうか?」
慶勝はマクドナルドの反応を受けて、次郎に目を向けて発言を促す。
「我が大村藩が設立する貿易会社と、カナダの企業との間での技術移転契約です。政府間の正式な協定ではなく、商業的な取引として進めます」
次郎の提案に、会議室の空気が変わった。この方法であれば、イギリス本国への説明も容易になる。
マクドナルドが思案する表情を見せる。民間契約であれば、自治領としての権限内で処理できる可能性が高い。
また、国内に目を向ければ、現状では北海道開発名目で集まった資金はアラスカの開発に使われている。
実際の北海道と樺太の開発は大村藩と松前藩が担っており、大浦屋や小曽根屋が加わっていた。
カナダとの貿易会社も大村藩主体ではあるが、幕府と諸藩の出資比率や利益関係は今後の課題となるだろう。
だが、それは日本国内の問題である。
カナダとブリティッシュ・コロンビアには関係がない。
「その場合、技術者の派遣や大規模な設備導入も民間契約の範囲内で可能でしょうか?」
「可能です。ただし、規模が大きくなる場合は、段階的に進める必要があります」
マクドナルドの問いに次郎が答えると、シーモアが実務的な質問を投げかける。
「契約期間はどの程度を想定されていますか?」
「初期契約は5年間。その後、双方の合意により延長可能とします。ただし重要な技術は、第三国への再供与を禁止する条項を含めます」
次郎の説明にカナダ側の三名が顔を見合わせる。
提示された条件は合理的であり、得られる利益を考えれば極めて魅力的な内容だった。
マクドナルドが決断を前にして、険しい表情を見せる。
「我々としては、基本的に受け入れ可能な条件です。ただし、一点確認したいのですが」
「なんでしょうか?」
「万が一、イギリス本国がこの契約に異議を唱えた場合、貴国はどう対応するのでしょうか?」
次郎と慶勝が視線を交わす。この質問こそ、カナダ側(カナダ側で統一)が最も懸念していた点だった。
「基本的には民間契約ですから、政府が直接介入する根拠は薄いでしょう。ただし、万全を期すため、契約内容はあらかじめイギリス政府にも説明しておいたほうがいいですね」
「事前説明ですか?」
慶勝の提案に、シーモアが疑問を呈した。下手な行動をすればイギリス帝国内でのカナダの立場が悪くなるのでは? と考えたのだ。
「はい。我々からも、この契約がイギリスの国益に合致すると説明します。カナダの経済発展は結果的にイギリス帝国全体の利益になるからです」
慶勝が答え、次郎が補足する。
「また、発見された資源は北米市場だけでなく、欧州市場への供給も可能になります。イギリスにとっても悪い話ではないはずです」
やはり日本側は、我々はイギリスの一部であり、本国の影響下にあると考えているのだろうか?
だとすれば、なぜ本国ではなく、直接我々と会談しているのか?
日本がイギリスと断交しているのは知っている。
その現状は英日の協定内容から明らかだが、本国は国交と通商を求めており、日本も拒否してはいない。
今後の独立(もしくはカナダの主権拡張)を視野に入れれば、日本の協力が必要不可欠だ。
マクドナルドは日本の本意を知っておかなければならない、と考えた。
「1つ、質問してもよろしいでしょうか?」
「なんでしょう」
「本質的な質問になるのですが、貴国は我々を、我々の今後をどうお考えでしょうか。イギリス本国……イギリスと我々の関係を、です」
イギリス本国を、あえてイギリスと言い換えて、マクドナルドは慶勝に聞いた。
会議室に重い沈黙が流れる。
マクドナルドの質問は、この会談の根本に関わる重要な問題を提起していた。
慶勝と次郎が視線を交わす。
想定外の質問であり、小声で協議をしている。その内容は通訳を介しては伝わらない。
「率直に申し上げれば、我々は貴国を将来の独立国家として見ております」
しばらくして慶勝が慎重に言葉を選びながら答えると、マクドナルドとシーモアの表情が一変した。内心では喜びをかみしめてガッツポーズをしているのだ。
「現在の政治体制がどうであれ、これほど広大な領土を持つ地域が、永続的に他国の統治下にとどまるとは考えにくいでしょう。我が国自身も、長い間鎖国政策を取っていましたが、時代の流れには逆らえませんでした。同じく、植民地体制も永久には続かないと考えます」
マクドナルドの心中に複雑な感情が渦巻いている。
日本が自分たちの独立を前提として話を進めている事実への驚きと、同時に深い感謝の念が湧き上がっていた。
「では、イギリス本国との関係については?」
シーモアの質問に、次郎が明確に答える。
「我々は対立を求めているわけではありません。しかし、我が国とイギリスの関係が改善されたとしても、それが貴国の自立を阻害する理由にはならないでしょう。その逆もしかりです」
『その逆も』のほうが、心なしか強く聞こえた。
慶勝が政治的な観点を加える。
「むしろ、自立したカナダが存在すれば、北米大陸の政治バランスがより安定するかもしれません。アメリカ一国による大陸支配を防ぐ効果も期待できます」
カナダの国力が増大すれば、それは確実にアメリカを牽制する。
この発言に、マクドナルドが深くうなずいた。
「貴国の見識に敬服いたしました。我々も、将来的な自立を視野に入れた政策を検討しております」
シーモアが実務的な懸念を表明する。
「しかし現実問題として、本国から経済的・軍事的支援がなければ、自立は困難です」
「その点こそ、我々の技術協力が意味を持つのです」
次郎の言葉には力がこもっていた。
「豊富な地下資源が発見されれば、経済的自立の基盤が確立されます。鉄道網が整備されれば、国土統一と防衛力の向上が可能になります」
シーモアが感慨深げに語る。
「ブリティッシュ・コロンビアとしても、カナダ本土との結びつきを強化して、より大きな自治権を獲得したいと考えております」
「仮に我々が独立への道を歩み始めた場合、貴国はどういった支援を提供していただけるでしょうか?」
国家の舵取りをする首相としては、重要な事項である。
空手形では対外政策を実施できないのだ。
「技術的支援、経済的協力、そして国際的な承認です。我が国自身も開国して間もないですが、その知見の共有は可能です」
マクドナルドが最も重要な質問を投げかけると、慶勝が即座に答えた。
日本は開国して間もなく、その日本が国際情勢の中に身をおいて承認を語るなど時期尚早かもしれない。
しかし、事実として列強は日本との関わりあいを深く求めていたのだ。
会議室の雰囲気が一転している。技術協力の話から、カナダの将来に関する根本的な議論へと発展していた。
マクドナルドが深い感動を込めて語る。
「貴国のような考えを持つ国との友好関係こそ、我々は求めていたのです。イギリス本国との関係を維持しながらも、より多様な国際関係を築くことが重要だと考えております」
慶勝が最終的な方針を示す。
「我々は貴国の選択を尊重します。植民地としてとどまるも、自治権を拡大するも、完全に独立するも、それは貴国民が決めることです。ただし、どんな道を選ばれても、日本との友好関係は継続していきたいと考えております」
慶勝は『貴国』といった。
それが全てを表している。
マクドナルドとシーモアの顔が明るくなった。
「そのお言葉をいただければ、我々も安心して将来の計画を立てられます」
この会談により、日本とカナダの関係は単なる技術協力を超えた、政治的・戦略的パートナーシップへと発展する基盤が築かれた。
お里の前世の知識に基づく地質情報の提供が、カナダの政治的野心を刺激し、日本にとって極めて有利な関係を構築することに成功したのである。
マクドナルドが最後に確認する。
「では、この協定に関してはいつ頃正式な調印が可能でしょうか?」
「基本合意は本日成立したと考えております。詳細な条文作成には1週間程度必要ですが、来月初旬には正式調印が可能です」
慶勝の回答に、カナダ側の三名が満足げな表情を見せる。
歴史的な会談は、両国の未来を大きく変える合意で幕を閉じた。
次回予告 第423話 (仮)『パリからの帰国と国内情勢』

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