第53話 『銅と錫』

 正元四年一月二十四日(257/2/24⇔2025/1/7/09:00)方保田東原《かとうだひがしばる》の宮処《みやこ》

「香春岳への調査隊、本日出立します!」

 宮処の広場では、三十名ほどの調査隊が出発の準備を整えていた。

 何人もの人夫が荷物を背負い、弥馬壱国の兵士たちは槍を携えて周囲を警戒している。その中心にいるのは、修一とSPROの地質学者・佐伯だった。

 日本列島にはまだ馬も牛もいない。

 移動用なら馬だが、荷物を運ばせるなら牛がいい。

 持久力もあり、牽引力も強い。

 急がないなら、坂道や悪路に強い牛が有利だ。

 修一は以前滞在していた際に、牛馬の重要性を説いて輸入するように頼んでいた。海上輸送に関しては、協力して大型の構造船をつくり、なんとかなったのだ。

 しかし、まだ最初の出産もしていないのだ。

 少なくとも数年はかかるだろう。

「先生、これを」

 修一は佐伯から手渡された地図を広げた。そこには現代の地形図と照らし合わせた詳細な経路が記されている。

「香春町までの道のりは、およそ三日。そのまま向かえますが、途中、先生が推定された弥馬壱国の同盟国はありません。香春町は、ちょうど烏奴国、支惟国、巴利国に囲まれた場所です」

「うーん」

 佐伯の説明に、修一は思わず考え込んだ。

 三国との関係は良好とはいえ、大規模な調査隊が国境付近に長期間滞在して、しかも採掘をするとなれば、何らかの説明が必要になるだろう。

 変な誤解を生みかねない。

「イサク、三国との交渉は?」

「壱与様が使者を立てている。滞在と採掘に問題はなかろう」

 修一は安堵の表情を浮かべた。

 さすが壱与だ。

「槍太、そっちはどうだ?」

 輿の準備を手伝っていた槍太が振り向いた。

「バッチリだぜ、せんせ……。うーん、やっぱり二十歳のせんせはしっくりこないなあ。あ、まあ、連弩の試作はほぼ終わってるよ。杉さんと職人たちで量産体制を整えてる」

 以前の槍太に完全に戻っている。

 一見おちゃらけて軽薄そうだが、やるときはやる男だ。

 拉致から救出直後のオドオドした雰囲気は微塵も感じられない。

 修一は空を見上げた。

 朝日が昇り、出発の時が迫っている。壱与の姿はまだ見えないが、きっとすぐに見送りに来るはずだ。

「シュウ」

 修一は、宮処の中庭から聞こえた声に振り向いた。

 壱与が、イツヒメを伴って歩み寄ってくる。朝露に濡れた草の香りが、風に乗って漂ってきた。

「無理はせぬように。これを」

 修一が渡されたのは小さな玉である。明らかに壱与の私物であり、修一への信頼の証だった。

 彼女の目には心配そうな色が浮かんでいたが、それを見て修一は思わず微笑む。

「大丈夫だよ。槍太たちも一緒だし、護衛もしっかりしてる」

 修一の言葉に壱与はゆっくりとうなずく。少しだけ安心したようだ。

「ここは私が守るゆえ、シュウは鉱山のことを頼む」

 壱与の凛とした声に、修一は改めて彼女の強さを感じた。

 弥馬壱国の女王として、戦いの備えを整えなければならない重圧の中でも、毅然とした態度を崩さない。

「調査隊の皆、この旅の成功は我が国の未来を左右します。どうか気をつけて行ってきてください」

 兵士たちは一斉に膝をつき、『はっ!』と力強く応えた。

「修一殿、これをどうぞ」

 ミユマが短剣を差し出した。

「自分の身は自分で守れるように。香春岳への道のりは安全とは言えません」

 修一は短剣を受け取り、腰に差した。

 かつての考古学者の自分からは想像もできなかった姿だが、今は壱与と弥馬壱国を守るため、必要ならば武器を取らなければならないのだ。

「では出立する!」

 イサクの声が響き、調査隊が動き出す。

 遠ざかる宮処を背に、調査隊は香春岳へと向かっていった。

 香春岳への旅の途中、イサクが先導して小さな村々を通過し、時には川を渡り、山道を抜けた。

 修一は旅の間、佐伯から地質学の基礎を学んでいる。

「鉄は阿蘇のリモナイトが有名ですが、狗奴国との戦いに備えるなら、青銅の方が大量生産に向いています。鋳造技術は既に確立されているでしょうから」

 佐伯は手元の地図を指さしながら説明を続けた。

「香春岳は現代でも銅の産出で知られています。古くから採掘されていた形跡もあり、弥生時代には既に露天掘りが行われていた可能性が高いですね」

「弥馬壱国が青銅器を使っているのに、なぜ自前で生産していないんでしょう?」

「おそらく鉱脈の存在を知らなかったか、採掘技術が十分でなかったのでしょう。弥生時代の交易ルートで、銅やスズは朝鮮半島から輸入されていたという記録があります」

 三日目の昼過ぎ、一行は香春岳の麓に到着した。

 雄大な山容が空に向かって聳え立っている。

「ここから先は徒歩です」

イサクが隊列を整え、山への道を指示した。修一と佐伯は先頭に立ち、山を登り始める。

 登山中、佐伯は時折立ち止まり、岩の色や形状を観察していた。時には小さな機械を取り出し、測定を行う。

「見てください。あの岩肌の変色具合を」

 修一は指差された方向を見つめた。確かに、岩の表面が一部青緑色に変色している。

「銅鉱石の酸化でしょうね。これだけ表面に出ているということは、地中にかなりの鉱脈が眠っているはずです」

 その言葉に、槍太が興奮した様子で駆け寄ってきた。

「せんせ! あっちにも同じような色の岩があるよ!」

 修一は槍太の発見に頷きながら、周囲を見渡した。香春岳の斜面には、同様の変色が点々と見られる。これは予想以上の収穫だった。

「イサクさん、ここに陣を張りましょう。明日から本格的な調査を始めます」

 佐伯の発言でイサクは即座に部下たちに指示を出し、キャンプの設営が始まった。

 夕暮れが迫る中、修一は壱与から託された玉を握りしめる。

 この発見が、弥馬壱国の未来を左右するかもしれない。そう思うと、胸が高鳴るのを感じたのだ。

 夜陰が深まり、キャンプの明かりが香春岳の麓を照らし始める。

 修一は佐伯と共に、明日からの調査計画を練っていた。地図の上に印をつけながら、採掘可能な地点を確認していく。

「ここと、ここですね」

 佐伯が指さす場所には、青緑色の変色が特に顕著な箇所が記されていた。

「露頭が見られる場所から掘り進めれば、効率的に採掘できるはずです」

 槍太が興奮気味に割り込んできた。

「せんせ! イサクが言うには、この辺りには昔から伝わる山の神様がいるらしいよ」

 修一は思わず眉をひそめた。

 確かに、弥生時代の人々にとって、鉱山は神聖な場所だったはずだ。採掘を始める前に、何らかの儀式が必要かもしれない。

「そうか……」

 修一は壱与から託された玉を見つめた。

 その透き通った色合いは、月明かりに柔らかく輝いている。

「明日、まず山の神様に挨拶をしてからにしよう」

 修一は無神論者ではあったが、科学技術が発展していない時代、不可思議なことはすべて神仏の影響だと思われていたのだ。

 験を担ぐのも悪くない。

 夜風が吹き抜け、キャンプの火が揺らめいた。明日からの調査に向けて、修一の心は期待と緊張で満ちていく。

 朝、修一はイサクに頼んで道案内の男から麓の村の巫女を呼んでもらい、山の神への挨拶をした。

 さて、いよいよ本格的な調査・採掘である。

「ここです! 典型的な銅鉱床の露頭があります」

 崖のような岩場に、緑青色の鉱脈が露出していた。佐伯は分析キットを取り出し、岩石サンプルを調べ始める。

「純度は……驚くほど高い! これだけ露出していれば、弥生時代の技術でも十分に採掘可能です」

「素晴らしい!」

 修一は喜びを抑えきれず、イサクに報告した。

「イサク! 銅鉱脈を発見した。弥馬壱国で青銅を作れるぞ!」

 イサクも大いに喜び、兵士たちに命じて周辺の警備を固めさせた。

「すぐに採掘の準備を始めよう。壱与様もお喜びになるに違いない」

 その後、佐伯は岩壁を注意深く調べ、複数の採掘候補地を特定する。

 また、現地の兵士たちに簡単な採掘方法を教えた。

 石鏃を使った掘削や、松脂と薪を使って岩を熱し、冷水をかけて割る方法など、弥生時代でも実践可能な技術である。

「香春岳の南東斜面にも鉱脈があるはずです。明日はそちらも調査しましょう」

 香春岳での一週間の調査で、複数の銅鉱脈を特定することに成功した修一たち。十分な量の銅鉱石を採取し、弥馬壱国へと運び出す準備が整った。

「次は南海部郡へ向かいましょう。スズの鉱脈を確保できれば、青銅器の生産が可能になります」

 修一の提案に、調査隊の半数が香春岳に残って採掘を続け、残りは南海部郡へ向かうことになった。

「先生、南海部郡までの経路はこうなります」

 佐伯が地図を広げ、指でなぞった。巴利国の沿岸から、海路で豊後水道に沿って南下する道筋が示されている。

「呼邑国の領域になりますが……」

 修一は頷きながら、地図を見つめた。

 香春岳での成功に気を良くしているものの、新たな懸念が胸をよぎる。異国の地での採掘となれば、当然その国との交渉が必要になってくる。

「イサク、呼邑国との関係は?」

「幸い、呼邑国とは友好的な関係を保っています。ただし……」

イサクは言葉を選びながら続けた。

「最近、狗奴国の使者が呼邑国を訪れているとの情報があります」

 槍太が思わず声を上げた。

「マジかよ! 狗奴国のヤツら、もしかしてオレたちと同じこと考えてるんじゃ……」

 修一も同様に懸念していた。

 狗奴国もまた、武器製造のための原料を探しているのかもしれない。時間との戦いになりそうだ。

「急ぐ必要がありますね」

 佐伯が言った。

 香春岳に残る調査隊のリーダーに最後の指示を出し、南海部郡への旅支度を始める。

 荷物を纏める中、修一は壱与の玉を握りしめた。弥馬壱国の未来は、この旅にかかっている。そう思うと、握る手に力が入ったのだろう。

 一方、方保田東原の宮処では、壱与と比古那が周辺国との外交活動に奔走していた。

 次回予告 第54話 (仮)『外交と武器と防衛戦略』

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