正元四年一月二十一日(257/2/21?) 方保田東原の宮処
修一たちとSPROのメンバーは、結局前回と同じ方法で弥馬壱国へ向かうことになった。
車を使って行けば一日で行けると喜んだ一行だったが、すぐにぬか喜びに終わる。
なぜか?
道路がないのだ。
宮処の中や周辺の幹線道路なら、まだ可能性はあったかもしれない。現に石室の入り口は狭かったが、拡張して車両も外に出せたのだ。
しかし、調べてみたら少し進めば獣道に毛が生えた程度で、現代人の感覚からすると、とても道路とは言えない。
路地である。
小道である。
成人男女が手を広げて通れるほどの広さしかない。バイクは通行できても車は無理だ。軽自動車でも同じである。
詳細な検証の後、平野部の道幅が広い場所では1日に約1km、山間部の道幅が狭い急峻な地形では1日に約20mの道路しか作れない結果が出た。
特殊車両や重機も一緒に来ていたが、手間暇かけて道路を作るより、そのまま歩いて行った方がどう考えても早い。
「せんせー」
「ん? 何だ、どうした?」
比古那がいきなり修一に尋ねた。
「こんな状況で言うのもなんだけどさ、杉さんたちってすごいよね。ガントラックだっけ? あんなの日本にあるなんてさ。だって機関銃だよ?」
比古那は目を輝かせるわけでもなく、単純な質問を投げかけてきた。
「まあ、そうだな。警察だって(多分)機関銃は持っていないからね。自衛隊の装備だ。SPRO自体が極秘組織って改めて分かった。正直なところ、手榴弾やバズーカがあってもおかしくないんじゃないか」
もし、この状況が左翼(?)の人たちにバレたら、国民の血税を使ってあーだこーだと議論になるかもしれないが、修一たちにとってはどうでも良かった。
自分たちの身を守ってくれる、大切な仲間たちなのだ。
「ねえ先生」
槍太が輿に横たわりながら声をあげた。
「弥馬壱国に着いたら、まず何をすればいいと思う?」
修一は槍太の質問にしばらく考え込んだ。
確かに前回は壱与と一緒に、学生たちと弥生の時代を平和に過ごしていたが、今回は状況が違う。|狗奴《くな》国との戦いが目前に迫っているのだ。
「まずは、ミユマ将軍に会って状況を確認しないとな。前回の狗奴国の侵攻の規模や戦術。それを知らないと対策のしようがない」
修一の言葉に、イサクがうなずく。
「そうだ。将軍は日向の国境で小さな戦いを続けているとの知らせだが、本格的な戦いはこれからだ」
「秋の収穫が終われば狙ってくるだろうな……いや、早ければ春先か」
尊が地図を広げながら言った。
「食料が豊富な秋に戦を仕掛けてくるのは、古今東西の常とう手段。それは春も同じだ。でも、せめて秋であってほしい」
輿を担ぐ兵士たちの足音が山道にひびき、前を行く壱与の輿が、木々の間から時折姿を見せる。修一は彼女の輿を見つめながら、これから始まる戦いに思いをはせていた。
SPROの特殊部隊は、三手に分かれて移動している。一隊は輿の護衛、もう一隊は前衛として道を開き、最後の一隊は後衛として荷物と機材を運んでいるのだ。
「先生、あれを見てください」
尊が指さす先には、遠くの木々の間から見える有明海が広がっていた。
■方保田東原の宮処
「おおお! 壱与様! ご無事で何よりでございます!」
将軍彌勇馬と難升米、その他にも多数の宮廷の臣下たちが出迎えてくれたのだ。
「ミユマ殿! ナシメ爺!」
輿からふわりと降り立った壱与の胸の奥では喜びが弾け、安堵がそっと息に混じった。
ナシメは日弥呼(卑弥呼)にも仕えた老臣で、魏にも派遣されている。
二人の臣下へと歩み寄る壱与のその姿には、飾らぬ気品があった。弥馬壱国の女王としての威厳が、言葉よりも先にそこに立っている。
修一は少し離れた場所からその様子を見守っていた。
ミユマは安堵していたが、そのまなざしには何か暗い影が宿っているようにも見える。おそらく、狗奴国との戦況が関係しているのだ。
「壱与様、まずは無事のご帰還、およろこび申し上げます。しかし、大変申し上げにくいのですが……」
ミユマは言葉を詰まらせた。
「日向の国境での戦いは、わが軍に分があるとは言えぬ状況でございます」
壱与の表情が引き締まる。
修一は思わず彼女の横顔に目を止めた。さっきまで再会の喜びにあふれていた顔から笑顔が消える。
「詳しい状況を説明してください」
狗奴国との戦況は予断をゆるさず、昨年の侵攻も弥馬壱国とほぼ同数の兵力であった。
現状は国境で小競り合いが続いており、次回の侵攻にはさらなる大兵力が考えられる。
「各地域からの報告によると、狗奴国の兵力は昨年よりも膨れ上がっているようです」
ミユマは額に浮かぶ汗を拭いながら続けた。
「さらに、彼らは大陸からの新しい武器を手に入れたようです。鉄の剣と、我らの弓よりも遠くまで届く弩という武器です」
修一は思わず顔をしかめた。
弩とは、クロスボウと同類の強力な射撃武器である。古代中国で発達した武器で、通常の弓矢よりも威力が高く、射程も長い。
「大陸とは……呉の国ですね?」
「は……それだけではございません」
ナシメが一歩前に出て、冷静に告げた。
「狗奴国の日出流王は、大陸の騎馬の技術も手に入れたとのうわさです。馬に乗って戦う兵士たちを、国境付近の斥候が目撃しています」
壱与の表情が一層厳しさを増した。騎馬戦術は日本にはまだ存在しない。それを手に入れた狗奴国は、圧倒的な機動力を得たのだ。
「ミユマ殿、わが国の兵力は?」
「現在、動員可能な兵は一万二千。これに加えて同盟国からの援軍を期待できるのは、せいぜい三千程度でございます」
これは予想以上に深刻な状況だ。
兵力が仮に同等だとしても、狗奴国は新しい武器と戦術を手に入れている。優位に立たれたのは否めない。
何もしなければ、弥馬壱国は壊滅的な打撃を受ける。
「騎馬なら騎馬に対する策を講じればいいだけじゃないか? 弩はクロスボウ、つまり弓でしょう? それなら、こっちも連弩を作ればいい」
一同が目を向けたのは、SPROの実行部隊リーダーの杉である。
「杉さん、できるんですか?」
「杉殿、可能ならば教えてほしいぞよ」
修一と壱与が続けて杉に聞いた。
軍事の専門家はどう解決策を見い出すのか。
杉はしばらく黙って考え込んでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……やれる。だが、条件があります。現地の素材と技術で作るしかない。現代の工場みたいにはいかないが、弥馬壱国の工匠たちと協力すれば、十分に作れるはずです」
「どの程度の数を用意できるのですか?」
ミユマが身を乗り出した。
「まずは試作からです。弩の機構は複雑だが、青銅や鉄の加工技術があるのでしょう? 鹿やイノシシの腱を弦に使えば、強度も出せる。木材は樫やクスノキで十分だ。最初の一挺が完成すれば、あとは同じ型で量産できると思います」
壱与が静かにうなずく。
「必要なものはすべてそろえましょう。工匠たちも動員します」
「ありがとうございます。あと、矢じりは鉄で作ってほしいですね。狗奴国の新しい馬鎧や武具に対抗するには、鉄の貫通力が必要です」
狗奴国(鹿児島県・宮崎県)では鉄の鉱山は見つかっていない。
鉄の武器を輸入しているか、鉄を輸入して製造しているのだ。
難升米がすぐに動き出した。
「工房を整えます。材料と職人の手配もすぐに」
「それと……」
杉が続ける。
「騎馬対策も考えないといけない。騎兵は平地でこそ強いが、地形を生かせば防げる。川や谷には逆茂木を仕掛け馬の進軍を妨げる。それに弩の射程を生かして遠距離から狙撃すれば、騎兵の突撃も怖くはない」
「菊池川の浅瀬と、不呼国(熊本県人吉市周辺)と対蘇国(宮崎県西臼杵郡周辺)の峠道に逆茂木を設置しましょう。偵察隊も増やします」
ミユマが地図を広げた。
修一はそのやりとりを聞きながら、未来人として何ができるかを考えていた。現代の知識をどこまで応用できるのか、どこまで現地の人々と協力できるのか――秋まで七ヶ月しかない。
「それじゃあ秋までに、連弩をできるだけ多く。工房の改善や、材料の調達方法も見直そう。オレたちも手伝うよ」
「あの……鉄は阿蘇のリモナイトですよね。青銅は? 銅とスズは鉱山があるんでしょうか?」
修一の言葉に、今度はSPROの地質学者が聞いてきた。
それを聞いた難升米が答える。
「青銅の鋳造はやっていますが、原料となる銅とスズは弥馬壱国では採れません。そのため、中土(中国大陸)や三韓(馬韓・辰韓・弁韓)より輸入しております」
「なるほど……では、銅は福岡県の香春岳や企救郡(烏奴国・支惟国・巴利国)にあります。スズは大分県の南海部郡(呼邑国)にありますから、そこで採掘すれば輸入しなくて済みますよ」
すごい!
修一は素直にそう思った。
自分だけ、増えても大学生の六人だけだと思っていたが、SPROチームは現代の科学技術の粋を集めたメンバーがそろっている。
これならば……。
修一は期待を込めて銅とスズの産地を説明し、そのたびに難升米や他の大臣が目を白黒させていた。
狗奴国がいつ攻めてくるか分からない。
修一たちは持てるすべてを使って防衛に臨むのであった。
次回予告 第53話 (仮)『鉱山と武器と防衛戦術』

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