姜維信繁

北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第614話 条件を出せる立場と出せない立場(1574/10/26)

天正三年十月十二日(1574/10/26) 交渉2日目 茂木城 北条氏と里見氏の間の和睦は、北条氏が里見氏に対して安房・上総・下総(千葉氏の佐倉城以東)の領有を認める事で成立した。もっとも下総に関しては書面上だけの事である。 それは氏政もわ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第54話 『幕閣と御三家と四賢侯と、諸々を使って高野長英恩赦大作戦』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 水戸藩邸「ふふふ。そう畏まらずとも良い。礼をわきまえ接する者は、貴賤きせんを問わずに話を聞き、よいと思えば取り入れる。それがわしの流儀であり、いまのこの世に要るものだと考えておる」水戸藩...
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第53話 『高野長英と徳川斉昭』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 <次郎左衛門> 9月26日に大村を出発して、俺たちが江戸についたのは11月11日だ。   俺の上京、じゃなかった江戸参府の同行には目的があった。それは長英さん(高野長英)の見舞いに行くこ...
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第613話 もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし(1574/10/25)

天正三年十月十一日(1574/10/25) 茂木城『もし戦わんとするならば、朝敵たるを覚悟すべし』 そういう空気が一瞬にして漂ったのだろう。   和睦の成立・不成立に関係なく、和議は進行することとなった。「まず、和議を行う上での最も重し題目...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第612話 難航、講和会議(1574/10/25)

天正三年十月十一日(1574/10/25) 北条勢は常陸方面軍と下野方面軍とに分かれ、同時に北上していた。 佐竹と宇都宮は同盟を結んでいたが、宇都宮は宿敵である那須家と北の蘆名、そして南の結城に包囲されており、連携がとれずに各個撃破され続け...
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第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』(1842/10/31)

天保十三年九月二十八日(1842/10/31) <次郎左衛門> 俺は今回の江戸参府に同行したが、その前に、やるべきことがあった。『根回し』だ。 史実では高島秋帆先生が今年の五月に告発され、十月には外国人との交友の罪で投獄された。それを防ぐの...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第611話 小田原評定ならぬ小田原決定(1574/9/29) 

天正三年九月十五日(1574/9/29) 小田原城小田原城は、戦国時代最大級の全長9kmにおよぶ総構えが有名だが、この時にはまだ完成していない。秀吉が行った天正十八年(1590)の小田原侵攻に備えるために構築されたのだ。上杉謙信の小田原城包...
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第51話 『開明塾の授業と3度目の参勤交代』(1842/9/15) 

天保十三年八月十一日(1842/9/15) 大村藩 開明塾「いや、だいたいって言っても、みんな10代で元服するだろ? 寺子屋はざっくり12~3歳で卒業するから、その後は仕事をしながら勉強って形にならないか?」 次郎は当然そうだろうと考えてい...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第610話 駿河~伊豆大島~安房航路(1574/9/24)

天正三年九月十日(1574/9/24)  七月の里見義弘による発議のあと、後方支援を受けられると分かった里見軍は、下総の北条勢の城へ襲いかかった。 もともと下総は、千葉氏を中心として他の国人衆がまとまっていたのだが、そこに先代の里見義尭が勢...
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第50話 『医学方の設立と天保十三年のオランダ風説書』(1842/3/16)

天保十三年二月五日(1842/3/16) <長与俊達>その男(一之進)の怪しげな術(緊急気管切開術)により一命をとりとめた殿(純顕すみあき)は、呼吸が回復した後に箝口かんこう令を敷いた。殿にとってみればその妖術も、命を救ってくれた神のような...
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第609話 加賀と越中西部の自治について言問を行う(1574/9/17)

天正三年九月三日(1574/9/17) 5月に行われた合議において、越中の旧本願寺勢力の所領である礪波となみ郡については、当初畠山義慶よしのりの管轄下に置くのが良いのではないかとされたが、義慶は辞退した。 家臣からは要望があったようだが、足...
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第49話 『長与俊達と尾上一之進。西洋医学は大村から花開く』

天保十三年一月二十五日(1842/3/6) 砂鉄と鉄鉱石をどう調達するのかに関しては協議を続けるとして、再度入念に領内を調査することとなった。 次郎が帰宅した際にお里が領内の他の候補地を教えてくれた事と、編纂へんさん途中の大村郷村記を再度見...
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第608話 織田海軍と小佐々海軍(1574/9/16)

天正三年九月二日(1574/9/16)志摩国 小佐々海軍連合艦隊は、深沢勝行大将の指揮の下、航行訓練もかねて8月3日に佐世保湊を出港した。   六分儀を製作し、誤差の少ない時計を完成させたとしても、まだ完全な日本近海の海図はない。 したがっ...
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第48話 『耐火レンガの確保と高炉ならびに反射炉の試作炉製造へ』

天保十三年一月十五日(1842/2/24) |玖島《くしま》城「おお次郎か。こたびはいかがした?」 第11代大村藩主、大村純顕は相変わらずにこやかな顔で挨拶をする。「は。こたびは鉄を産する高炉と、その鉄をより強きものにする反射炉の建造にかか...
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第47話 『渡辺崋山は自刃し、江川英龍は韮山で西洋銃を鋳造する』(1841/12/22)

天保十二年十一月十日(1841/12/22) 次郎と昭三郎が大村藩久原で西洋式軍備の調練を行った五月に、高島秋帆も江戸の西にある徳丸原で、門弟百数十人とともに演習を行った。   これにより幕閣の欧米に対する危機感は高まるのだ。 すでにこの時...
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第607話 連合艦隊司令長官 深沢勝行(1574/8/18)

天正三年八月二日(1574/8/18)小佐々城新たに編成された第四、第五艦隊の陣容は以下のとおりである。■第4艦隊(呉) 連合艦隊司令長官 深沢勝行大将 第4艦隊司令長官 佐々清左衛門加雲中将第41戦列戦隊(41bd) 74門戦列艦 富士(...
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第46話 『雷汞(らいこう)の生産成功と銃の進化』

天保十二年五月一日(1841/6/19) 精錬方研究所 ちょうど調練の観閲が終わるタイミングで信之介が報告にきたものだから、次郎はすぐに純|顕《あき》に退座する旨を伝え、研究所に急いでやってきた。「さすがだな信之介、信じていたぞ(2年遅れだ...
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第606話 新型戦列艦の就役と艦隊編成(1574/8/17)

天正三年八月一日(1574/8/17)小佐々城 一室 小佐々家は本家と中浦小佐々家、そして松島小佐々家の三家がある。 純正が本家の家督を継ぐ前から分かれてはいたのだが、11年前の永禄六年、葛の峠の戦いで本家の世継ぎと分家の当主二人が全て討死...
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第605話 対北条戦略と対明経済戦略

天正三年七月二十五日(1574/8/11) 日ノ本大同盟合議所「皆様、よろしいでしょうか?」 発言したのは里見家家老、正木左近大夫さこんのたいふ(従五位、左近衛将監さこんえのしょうげん)頼忠である。 大同盟合議所では、加盟している大名家の名...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第45話 『江戸参府と洋式調練ならびに秋帆の徳丸原演習』(1841/6/19)

天保十二年五月一日(1841/6/19) |玖島《くしま》城南 久原調練場 天保十一年度の参勤交代を終え、大村純|顕《あき》は藩に戻ってきていた。今回の参府には次郎は願い出て同行はしていない。 もともと大村藩は他藩に比べて長崎警護の任で江戸...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第44話 『高島秋帆、西洋軍備についての意見を上書』(1840/10/5)

天保十一年九月十日(1840/10/5) ~前略~ 唐国に而しかしてエゲレス人に無理非道之事共有之候所のことともにありのそうろうところよりエゲレス国より唐国へ師を出し、エゲレス国は勿論、カアプデホプ(アフリカ州之内)及び印度エゲレス国之領地...
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第604話 ガレオン船によるセブ-小笠原-アカプルコ貿易

天正三年七月十八日(1574/8/4) そのころ、北関東の下野と常陸においては、北条が攻勢を強めていた。 結城氏はすでに降伏して北条の軍門に降っており、常陸の佐竹と下野の宇都宮は同盟を組んでいたものの、北の那須家と組んだ北条に圧倒されていた...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第43話 『和蘭(オランダ)風説書』(1840/6/26)

天保十一年五月二十七日(1840/6/26) オランダ風説書とは、鎖国中の幕府が長崎のオランダ商館長に命じて年に1回提出させたものである。   当初はカトリック国であるスペインやポルトガルの情勢を知るためのものだった。 商館長が作成したもの...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第603話 石山本願寺包囲戦(1574/5/21)

天正三年五月一日(1574/5/21) 純久からの連絡を受けた純正の行動は早かった。   三好の淡路水軍を用いて木津川口を封鎖し、海上からの補給路を断ったのだ。摂津の三好軍も動員して北側を封鎖し、南側は織田領で逃げ場はない。 京都の独立旅団...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第602話 東西本願寺と加賀、紀伊の服属(1574/5/11)

天正三年四月二十一日(1574/5/11) 太田和利三郎(治部少輔)政直や日高甲斐守喜、伊集院掃部助忠棟をはじめとした小佐々家外務省の渉外担当官は、多くを語らず、ただ聞かれた事のみを答えた。 これは可、これは非という形の説明に終始したのだ。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第42話 『藩校五教館への蘭学導入と私塾の命名』(1840/4/18)

天保十一年三月十六日(1840/4/18)  次郎は昨日、純顕あきから五教館の科目として蘭学らんがくが導入された事を知らされた。立石昭三郎兼近は驚いていたようだが、藩の役に立てるのならと二つ返事で了承したようだ。 昭三郎は次郎と同じ郷村給人...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第41話 『藩校五教館の改革と私学校設立の願い』(1840/3/15)

天保十一年二月十二日(1840/3/15) <次郎左衛門> よし、ここまでの事を整理してみよう。石けんや椎茸しいたけの採算なんかは別だ。 ・硝石丘法にて製造開始。3年後を目処に各村の山奥に設置。 ・椎茸は栽培中。原木栽培のため収穫には約2年...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第601話 本願寺、割れる? 大激論の末に

天正三年二月十三日(1574/3/6) 近江 比叡山延暦寺 越前の朝倉義景を滅ぼす前、元亀二年十一月に、信長は勅書に基づいて畿内の反織田勢力に和睦の条件を通達していた。 信長も各勢力が素直に応じるとは思ってはいなかったが、朝倉攻めのためには...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第600話 戦争と平和(1574/2/17)

天正三年一月二十六日(1574/2/17) 摂津 石山本願寺「なんと! そのような事できようはずがない」 本願寺顕如は七里頼周の報告を聞き、鼻で笑うかのように言い放った。「されど従わねば、われらは小佐々の敵となりますぞ」「わかっておる。され...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第40話 『捕鯨砲の開発と洋式捕鯨船の建造に向けて』(1840/2/17)

遡ってビンタの翌日 次郎邸「いい? 納豆菌は超強力なんだから! 当日食べたら接近禁止だからね!」「あ、……うん」 次郎はお里の剣幕に驚き、昨日ひっぱたかれたほっぺたをなでる。「里やん、そんな怒らんでも……」 一之進が横からフォローする。「あ...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第599話 加賀一向宗、騒乱の幕引き(1574/2/10)

天正三年一月十九日(1574/2/10) 加賀「では三河守殿、どうあっても織田家との|諍《いさか》、弓を伏せて越前討ち入りを取りやめる気にはなりませぬか」 太田和利三郎政直はもう二刻(4時間)も話し込んでいる。それでも七里三河守|頼周《らい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第39話 『アヘン戦争と国内事情』(1840/1/16) 

天保十年十二月十二日(1840/1/16)  この時、イギリスは産業革命による資本の蓄積や南北戦争の戦費調達のために、銀の国外流出を抑えなければならない状態であった。 そのような状態にも拘かかわらず中国からは茶や陶磁器、絹を大量に輸入してい...
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第38話 『椎茸の種駒製造からほだ木まで』(1840/1/2)

天保十年十一月二十八日(1840/1/2) 玖島くしま城下 次郎邸とお里邸「えーっとまず、菌糸を手に入れなくちゃいけないけど、ホームセンターはないよね。ハイハイ……」 お里は次郎から頼まれていた椎茸しいたけ栽培のための準備に余念がない。まず...
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第598話 バッタ型脱進機と壱式時計の完成。加賀侵攻の是非に関する合議

天正二年九月十日(1573/10/5) 肥前諫早城 時計製作研究所織田主導の真の平等合議同盟というべき条件を書き連ねた条約締結に向け、光秀と虎盛が各国を回っている頃、肥前諫早城下にある時計製作研究所では一人の男が奮闘していた。3年前の元亀元...
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第597話 馬場信春の秘策と三十年後、五十年後を見据えて

天正二年九月十日(1573/10/5) 安芸日野山城 吉川元春居城「殿、武田大膳大夫様が郎党、曽根九朗右衛門尉様がお見えにございます」「うむ、通すが良い」 日野山城は中世山城でありながら、堀切や竪堀といった一般的な防御施設が見あたらない。地...
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第37話 『鯨組の復活とペニシリン』(1839/11/26)

天保十年十月二一日(1839/11/26) 肥前彼杵そのぎ郡 江島村『深澤』ではなく『益富』と掲げられた屋敷では、見かけでは20歳になるかならないかという男が、他の男衆に声をかけながら作業を行っていた。「御免候、こちらに深澤太郎殿はおられる...
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第596話 尾甲同盟と加賀紀伊討ち入りの策

天正二年八月十九日(1573/9/15) 甲斐 躑躅ヶ崎館 信長は加賀・紀伊侵攻作戦の合議対策をするための策を練るとともに、必須条件である甲斐の武田家との通商・安保同盟を結ぶために光秀を武田家に送った。「はじめて御意を得ます。織田兵部卿様が...
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第36話 『唐津一揆の結末と捕鯨。深澤家鯨組の復活』(1839/11/03)

天保十年九月二八日(1839/11/03) 佐賀城「その後、唐津の件はいかがあいなった?」「は、やはり佐渡守様(唐津藩主小笠原長和ながよし)の説得には応じず、一揆勢は御公儀の沙汰を待つとの事でございます。しかして唐津藩は藩兵二百五十人余りを...
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第35話 『耐火レンガと佐賀藩・唐津百姓一揆』(1839/09/26)

天保十年八月十九日(1839/09/26) 波佐見 奥村|嘉十《かじゅう》は近隣の炭焼き職人の中でも、良質の炭をつくるという職人を集めて話をしていた。「今日集まってもらったのは、御家老様からの命により、木炭に代わる石炭の純なるものを造るため...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第595話 織田家の技術革新と加賀・紀伊問題 

天正二年六月二十八日(1573/07/26) 志摩国答志郡とうしぐん 船津村「ふふふ、壮観よの、嘉隆。あの一番大きな船はいかほどあるのだ?」「は、大型の安宅船程はございましょうか。他の船は小早と関船の中ほどにございます。しめて十隻にあいなり...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第34話 『まじで何が売れるだろう? 高炉の件は鍛冶屋と波佐見の窯焼き職人&炭焼き職人に任せようかな』(1839/08/20)

天保十年七月十二日(1839/08/20) 玖島城下 次郎邸 <太田和次郎> 次郎邸、といっても新築ではない。 本邸と、お里用の小さな部屋(家)が隣同士になるような土地と屋敷を購入して、あくまで隣の女主人のような形にしたのだ。 同じ屋根の下...
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第594話 一貫四百五十匁(約12ポンド)一貫斎砲と五馬力蒸気機関

天正二年五月二十三日(1573/6/22) 肥前 川の近く 某所 ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……。 水車を動力とした大型切削機械が二つ並んでいる。 ぐわんぐわんぐわん……。どがしゃんどがしゃんどがしゃん……。「先...
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第33回 『藩政改革と新たな商品開発。精錬方も』(1839/06/12)

天保十年五月二日(1839/06/12) 肥前 玖島くしま城 次郎左衛門 断った。 ありがたく拝命いたします、と言った直後の居室での会合で、俺は即断った。「殿、それがしはまだ家督も継いでおらぬ十七の若輩者。また、継いだとて郷村給人にございま...
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第593話 女真派遣団の帰国と蝦夷地開拓

天正二年四月十二日(1573/5/23) 諫早城 二年前の夏に始まった蝦夷地の開拓と入植は順調に進んでいた。 蝦夷地交易を独占的に任せている太田和屋弥次郎の交易船の運航とあわせて、人員の輸送も行われたのだ。 まずは大首長チパパタインの勢力圏...
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第32回 『何がどう転んで御家老様に?』(1839/06/12)

天保十年五月二日(1839/06/12) 肥前 太田和村 約四ヶ月の江戸滞在期間中は、渡辺崋山や高野長英にも面会をして、江川英龍と同じような話をした。 しかし時既に遅しで、高野長英はすでに幕政を批判した『|戊戌《ぼじゅつ》夢物語』を出版して...
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第592話 一挺のフリントロック銃が欧州を変える

1573年4月3日 ネーデルランド ダダン、ダダン、ダダンダダンダダン。ダダン、ダダン、ダダンダダンダダン。(スネアドラムの音) ga vooruit(前へすすめ!) 一列目の横隊の兵は銃を両手で持ち、銃口を前に向けて進み、二列目以降は左肩...
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第31話 『江川英龍の知己を得、鳥居耀蔵を排除しよう』

天正九年十一月十七日(1839/1/2)  ……と次郎左衛門は言ったものの、排除など簡単にできるはずがない。 鳥居耀蔵は今はまだその職にいない。 水野忠邦が重用した幕閣だからだ。そうなると、現実的にできることは、揚げ足を取られないような言動...
内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え

第591話 北方探険艦隊の帰還と暗躍・北条氏政(1573/3/31)

天正二年二月十八日(1573/3/31) 肥前 諫早「よう戻ってきたな三郎右衛門に清右衛門。大義であった」 北方探険艦隊司令の伊能三郎右衛門忠孝と副将の間宮清右衛門森蔵である。 2人は探検艦隊を率いて北海道を西岸から北上し、樺太を発見後に東...
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第30話 『人生初の参勤交代』(1838/12/29)

天正九年十一月十三日(1838/12/29) <次郎左衛門> 4月にいきなり参勤交代への同行を命じられた俺は、条件を出した。 臣下の身分で主君に条件など、というのが普通かもしれないが、こればかりは願い出るしかなかったのだ。 その条件とは俺を...
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第590話 信長の悪あがきと純正の妥協

天正二年 一月十七日(1573/02/19) 近江国蒲生郡  日ノ本大同盟合議所「拒否権の儀、ならびにその他の題目についてもおおよそ得心しておる。然れど一つだけ、一つだけ発議いたしたい」「なんでござろう」 信長は拒否権にしばりをつけられ、あ...