慶長八年十二月五日(西暦1604年1月6日) 諫早
「ようやく着いたな」
数ヶ月ぶりに踏む日本の土は硬く、そして懐かしい匂いがした。
長大な航海を終えた純正を、黒田官兵衛他の臣下が出迎える。
「お待ち申し上げておりました。早速ですが、例の件、滞りなく」
息つく間もなく、官兵衛は本題に入る。
港は純正の帰還を祝う民でごった返しているが、一行はすぐに城へと入った。
「ケープタウンからの書状、拝読しました。殿下のお考え、寸分の違いなく心得ております。すでにジョホール、アチェの両国使節からはとくと考えを聞き、ポルトガルのマラッカ総督府へは早舟を送っておきました」
官兵衛は淡々と告げる。
純正は帰路の航路上でマラッカに立ち寄り、マラッカの総督と面談して乗艦させていた。
つまり、これから日本・ポルトガル・ジョホール・アチェの四者会談が始まるのである。
官兵衛の言葉には、万事手筈通りに進んでいる絶対の自信が満ちていた。
「いかがだ」
「はっ。ジョホールにつきましては他と比べて、王権が定まっております。ゆえに実利を旨とする気風もあり、我らが示す『儲け話』の旨味を心得た様子。冊封を願い出ている手前、異存はございませぬでしょう」
純正はうなずく。
ジョホールの反応は想定通りであった。
「さらば障りとなるはアチェよな」
「御意。かの国は国内が一枚岩ではございませぬ。王権が弱く地方の宗教導師の力が強うございますゆえ、彼の者らは異教徒と歩みと整えるを良しとしてきませぬ。されば香辛料貿易の独占を強く求めるに相違ございません。使節も、我らの考えを前にして顔を曇らせておりました」
官兵衛の分析はケープタウンで純正が予測したとおりであったが、どうでもいい。
「ふん、いずれにせよ、詮無き事よ」
純正的にはジョホールとアチェの言い分を聞く気など、全くないのだ。
聞くフリだけである。
親身に真剣に聞いたうえで、できぬ、と。
理詰めで話を進めて納得しなければ、仕方がない。
アチェが国内の事情を理由に反対したところで、それは彼らの問題に過ぎなかった。
「話の席は設ける。然れど説くためにあらず。定まりし事柄を伝える席ぞ。オレの示す未来を解せぬ者、受け入れられぬ者は、致し方ない。……いずれ、滅びるであろうな」
翌日、諫早城の大広間には異様な緊張が満ちていた。
上座に座る純正の前には、3つの勢力の代表者が並んでいる。
純正と共に来日したポルトガル領マラッカ総督のディオゴ・デ・メンドンサは、純正から向かって左側。右手に期待と不安をないまぜにした表情のジョホール王国使節。
そして、硬い表情を崩さないまま、うつむき加減のアチェ王国使節がいた。
純正は一同をゆっくりと見渡し、静かに口を開く。
「まず、ジョホールとアチェ、両国の長年にわたる苦衷、しかと聞き届けた。祖先の土地を異教徒に奪われ、その返還を願う気持ち、分からぬでもない」
純正は、親身に語りかけるような口調で始めた。
その言葉に、両国の使節はわずかに顔を上げる。
自分たちの訴えが、純正に届いたのだと期待したのだ。
「されど」
純正は言葉を続ける。
「過ぎた世の仕儀を論じても、互いの言い分がぶつかるだけであろう。ポルトガルにはポルトガルの言い分がある。これでは水掛け論に終わり、未来永劫血が流れ続けるだけだ。オレが望むのは、さような不毛な争いではない」
純正は言葉を区切り、まっすぐに三者を見据えた。
「オレは、過去を問うのではなく、未来を語りたい。マラッカ海峡に関わる全ての者が、争わず共に栄える道をこそ、示したいのだ」
ジョホールとアチェの言い分への、明らかなる拒絶であった。
マラッカ返還の要求を議論の前提としない、明確な意思表示である。
アチェの使節の顔がこわばったが、純正は構わずに自身の構想を語り始めた。
・マラッカ海峡全体で1つの経済圏を創設する。
・日本、ポルトガル、ジョホール、アチェが役割を分担する。
・帝国の航路と交易網が秩序と安全を保障する。
誰もが損をせず、以前より利益を得る仕組みを語ったのだ。壮大な構想を聞いて、ジョホールの使節はごくりと喉を鳴らした。
実利を重んじる彼らは、その提案に強い魅力を感じたのである。マラッカの独占は叶わないが、さらに大きな富と安定が手に入る。ポルトガル総督は事前に話を聞いていたので、再確認しつつ静かにうなずいた。
問題はアチェの立場である。
「陛下の深遠なるお考え、恐れ入ります。しかし、我らが国では……」
「何であろうか」
純正の静かな問いに、アチェの使節は意を決して顔を上げた。
状況が芳しくないのを理解したようだ。床に額をこすりつけんばかりに頭を下げ、声を絞り出して言う。
「恐れながら申し上げます。陛下の仰せの新しき仕組み、まことに壮大にございます。しかしながら我がアチェの民は、異教徒と富を分かち合うことを良しとはしないでしょう。……それを受け入れれば、国が乱れる元となりかねません」
使者の言葉の裏には、国内の強硬な宗教勢力の存在があった。
苦しい内情が必死の形相に表れている。
個人的には純正の提案に魅力を感じているのかもしれない。
「ふむ……。されど……のう、使節殿、それは貴国の内なる政の話であろう。それを持ち出されても、オレにはどうにできぬぞ」
純正の声は氷のように冷たく聞こえた。
が、事実である。
外交の場で国の内情の話をして、考慮してくれと言われても、分かったとはなりづらい。
「メンドンサ殿、ポルトガルはいかがか?」
「はっ。陛下の深遠なるご構想は、マラッカ海峡に恒久の平和と、交易による未曾有の繁栄をもたらすものと確信しております。我らポルトガルは、新しき秩序の担い手として全面的に協力する所存にございます」
突然名を呼ばれたディオゴ・デ・メンドンサは、恭しく頭を下げて答えた。
よどみない賛辞と協力の約束。
会談が始まる前から、日本とポルトガルの間ではすでに合意が形成されていたのである。
アチェの使節の顔からさらに血の気が引いていく。
ジョホールの使節を見るが、協力するはずの男は見向きもしない。
当然である。
利益を享受できるとふんで協力したのだ。
紛争の絶えない両国が、利害が一致しないのに協力するわけがない。
「我らジョホールも、陛下の御心に全面的に従います。新しき海の秩序のため、いかなる役割も果たす所存にございます」
使節は前のめりになってそう述べて、改めて純正に臣下の礼をとったのである。
これで、アチェは完全に孤立した。
日本、ポルトガル、ジョホール。
マラッカ海峡を囲む主要な3勢力が、新たな秩序の構築に合意したのだ。
アチェ単独で、軍事的にも経済的にも対抗できるはずがない。
「……さて、使節殿。返答やいかに。即答できぬのならばそれでも構わぬ。我らは我らで動くゆえ、お好きになさるがよい」
放置するが、敵対するなら容赦はしないと暗に示したのだ。
「陛下」
「何じゃ」
「バンテン王国より、右宰相のプラタマ殿がお越しになっておられます」
「? バンテン王国? 話は済んだのではないか、官兵衛」
突然のプラタマの来訪に驚く純正であったが、官兵衛に聞くと察しがついた。目で合図を送ると、官兵衛はうなずく。
「お通ししろ。ああそうだ、この際だ。マタラム王国の大使とゴワ王国の大使、それからブルネイ王国の大使も呼ぶが良い」
純正の命に官兵衛は静かに一礼して広間から退出した。
孤立しているアチェの使節は、事態の急変に全くついていけていない。
なぜ、このタイミングでバンテン王国が?
なぜ、他の国々まで?
混乱をよそに、広間の大きな扉が再び開かれた。
現れたのは、バンテン王国の右宰相、プラタマである。
「バンテン王国右宰相、プラタマにございます。大日本帝国皇帝陛下に、謹んでお目通りを願います」
プラタマは深々と頭を下げた。
その態度は、アチェやジョホールの使節とは明らかに違う。
国家の代表としての、誇りと自信に満ちていた。
「うむ、面を上げよ。して、宰相殿、何の用かな」
純正は、全てを知ったうえであえて尋ねた。プラタマは顔を上げ、まっすぐに純正を見据える。
「はっ。先だっての冊封のお申し出、謹んでお受けいたしたく、ご挨拶に参りました。加えて新たにマラッカの海に貿易の仕組みをお作りになるとか。できましたら、我がズンダ海峡にもご配慮いただきたく、お願い申し上げます」
「相分かった、子細は後ほど伝えるゆえ、そちらでゆるりとご覧になるがよい」
純正はバンテン王国の要望を受け入れ、わざとアチェ王国の使節の前で、冊封下に組み入れる意向を示したのだ。他の冊封国の大使を呼んで同席させるのも、国家間の情勢を、改めて知らしめるためである。
広間は、さながら南海諸国の王が一堂に会したかのような壮観な光景となった。
この場の異様な雰囲気を、孤立したアチェの使節だけがただ眺める状態なのである。
プラタマの言葉に続いて、マタラム、ゴワ、ブルネイの各大使も次々と進み出た。
「陛下、我がマタラム王国も、帝国の示す新しき秩序に加わる栄誉を賜りたく存じます」
「ゴワ王国も同じにございます。海の民として、この歴史的な転換に乗り遅れるわけにはまいりませぬ」
「ブルネイもまた、陛下の冊封国として、その繁栄の一助となれますよう」
南海の有力国が、雪崩を打って純正の構想に賛同を表明する。
マラッカ海峡の、というよりも、帝国の意図には逆らわないとの意志表示であった。
「……さて、使節殿。後はお任せする」
純正の笑顔が使節の心に突き刺さった。
次回予告 第924話 『大陸の泥沼』
長い航海から帰国した純正は、マラッカ海峡の新たな秩序を築くため、ポルトガル、ジョホール、アチェとの四者会談に臨む。
純正が提示した壮大な経済圏構想に、実利を重んじるジョホールとポルトガルは賛同。
一方、国内の宗教勢力を理由に難色を示すアチェは孤立する。
さらに純正は、バンテンなど他の南海諸国も自陣営に取り込んでいる事実を見せつけ、アチェに最終決断を迫るのだった。
次回、南海の問題に一区切りつけた純正は、火山の冬で疲弊する大陸に目を向ける。大陸3分割計画を推進してきたが、今後もその方針を続けるのかどうか……。

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