第465話 『慶喜、諸侯を巡る』

 慶応五(明治二)年三月一日(1869年4月12日) 京都 仙台藩邸

 慶喜は、東北の諸藩は会津、仙台、庄内、米沢の四藩が味方につけばまとまると考えていた。外様が多いが譜代も多い。大藩である仙台の威光は大きく、日本海側の諸藩も、仙台が味方につけば寝返る可能性が高いと考えたのである。

「中納言様におかれましてはわざわざのご訪問、ありがたく存じます」

 入室して下座に座った慶邦が挨拶をすると、慶喜が答える。

「中将殿、面を上げられよ」

「は」

 慶邦はゆっくりと顔を上げた。

「恐悦至極に存じます。さればこたびは、いかなるご用向きにございましょうか」

「うむ。単刀直入に申す。議会に上程される二つの法案、中将殿も聞き及んでおろう」

 慶喜はさっそく本題を切り出した。慶邦は静かにうなずく。

「にわかには信じ難き旨にございますが、御料所を議会の差配下に置く儀は……」

 言葉を濁す慶邦に対し、慶喜は畳み掛ける。

「太田和左衛門佐の狙いは、徳川から実権を奪い、日本を意のままに差配する事にある。かの法が通れば、幕府の統治能力は失われ、国政はたちまち乱れよう。その機に乗じ薩長さっちょうが何をたくらむか。考えずとも分かるはずじゃ」

 慶喜の言葉は、秩序の崩壊と内乱の到来を強く示唆していた。

 しかし慶邦はすぐには同調の色を見せない。慎重に言葉を選ぶ。

「中納言様のご懸念、分からぬでもございませぬ。さりながら左衛門佐殿とは懇意ではございませぬが、さように短慮な男ではございますまい」

 慶邦の反論は、慶喜の想定内であった。

 予測どおりの言葉に口の端を上げる。

「しかり。短慮ではなかろう。左衛門佐は稀代きだいの人物である。それは余も認めておる。されど人物評など些事である。障りとなるのは左衛門佐の意図がどうであれ、あの法がもたらす果(結果)じゃ」

 慶喜は身を乗り出した。

「中将殿。今日『御料所は公儀の物ゆえ』との理屈で、議会が徳川の財の源を奪うとする。その前例が一度できてしまえば、明日はいかがなろうか。『そもそも諸大名の所領も、元は朝廷より預かった公の土地である』との理屈で、所領が奪われぬと誰が保ち得る(保証できる)のだ」

「中納言様、いま、徳川の財の源……と、仰せになりましたか?」

 慶邦の問いに慶喜は一瞬たりとも動じなかった。

 鋭い指摘に対して全く動じずに、力強く自信に満ちた返答をする。

「いかにも。そう申した」

 慶喜は言い放った。

「中将殿。二百五十年の長きにわたり、そこにいかなる違いがあったか。徳川の安寧あんねいこそが日の本の安寧。徳川の財こそが、安寧を支えてきた礎じゃ。公儀と徳川家を分かち、一体であったものを切り離す。それこそが左衛門佐の策の恐ろしさよ」

「……それはすなわち、御料所は公の物ではなく、徳川将軍家の私財と仰せなのでしょうか。公儀と徳川を分かちとは、いったいいかなる意味にございましょうや。ならばなにゆえに貴族院の考えを奏上なされたのでございますか」

 慶邦は顔には出さないが、少なからずあきれていた。

 要するに徳川は日本であり、徳川の安寧が日本の安寧である。

 すなわち、捉え方によっては財産と政権に固執しているとも解釈できるのだ。




 慶喜の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。

 確かに慶邦の問いは議論の核心を突いている。

 しかし慶喜は、真正面から受け止めるつもりなどなかった。

「中将殿。それは学者の申す理屈じゃ」

 慶喜は、慶邦の言葉をあえて取るに足らないとして重要視しない。

 徳川が国を治め、国が徳川を支える自明の理こそが、日の本の形であった。

 250年の泰平がその証拠であり、慶喜はそう断じたのである。

「その自明の理に、疑いの刃を突き立てたのが左衛門佐よ。『公』なる美しき衣をまとい、我らが築き上げた世の柱を内から食い破ろうとしておる」

 貴族院の設立すら、徳川の揺るぎない幹があってこその枝葉に過ぎないのだ。

 枝葉で幹を断つ行為など、断じて許容できない。

 慶喜の主張は、もはや議論ではなく、武家社会の存続を賭けた宣言であった。

「加えて中将殿、左衛門佐はこたびは公儀御料所を議会の差配内にと申しておるが、真にこの先、大名の所領も朝廷の物と言わぬと断じ得ようか? ……いかに?」

「……それはただ今はそれがしには判ぜませぬ。……中納言様の深慮、しかと胸に刻みました。それがし、よくよく吟味の上答えを出しましょう。日本の・・・ために、力の限りを尽くす所存にございます」

「うむ。心強いぞ、中将殿。貴殿には、会津、米沢、庄内と共に、奥羽の諸藩を取りまとめる役を頼みたい」

「……は」




 慶邦は慶喜の最後の言葉が気にかかったが、心の奥にしまった。




 ■土佐 高知城

 前藩主山内容堂は、隠居のため土佐に滞在していた。

 貴族院議員には現藩主の豊範が就任していたが、藩政にはいまだ影響力を保っていたのである。豊範の意見は容堂の意見ではなかったが、容堂の意見は豊範の意見となっていた。

「少将様におかれましては、御機嫌麗しく、恐悦至極に存じ奉ります」

「勝、安房守殿……であったかな。象二郎から聞いておる。まあ、さように固くならずに面をあげられよ。して、こたびは何用でおいでになったのだ」

 さすがに臣下や龍馬たちとの謁見ではない。

 鯨海酔侯と呼ばれた容堂も、幕臣の勝の前ではシラフである。

 勝としては嫌な役回りであったが、幕臣である以上断るわけには行かなかった。




 あー嫌だ嫌だ嫌だ。

 幕臣ってだけでおいらは命に従ってはいるが、上様はともかく、あいつの家臣じゃない。

 二百五十年の礎?

 徳川の政だ、徳川の財だって言ってる折で終わってんのさ。

 上様あっての徳川だ。

 あのお方に何かあれば、もう徳川の先はなかろうよ。




「ほう。左衛門佐の件か。幕府の財を議会に差し出せとは、彼の者も大層な事を考えるものよな」

 容堂は、感心とあきれが混在した複雑な表情を浮かべた。その反応に対して勝は顔を上げ、落ち着いた口調で話を続ける。

「然に候。されど、もはや大層事では済みませぬ。左衛門佐殿の言い分にも一理ございます。さればただ今の仕組みのままではいずれ立ち行かなくなると、それがしもかねてより考えておりました」

「ほう。ならば安房守殿も彼の者に与するのか」

 容堂の目に探るような光が宿る。

「いえ……さような事は」

 勝はあまりに急進的すぎると言っているのだ。

 例えて言えば、250年の年月をかけて築き上げた大船を、荒海の上でいきなり解体するに等しいと言えば分かりやすいだろうか。

 乗組員、つまり幕臣や諸大名、ひいては日本の行く末が危ういと伝えているのだ。

 しかし勝の本音ではない。

 幕臣としては幕府の存続を願っている。

 否定はしない。

 しかし、そのために内乱が起き、諸外国に付け入る隙を与えてはならないのだ。

 幕臣でありながら、幕府よりも日本の将来を考えている。

 ただし、立場上慶喜の命にしたがって大名を説得しなければならない。

 いつ罷免されてもおかしくない軍艦奉行の立場で何ができるのか?

 そう思いつつ容堂を前に話をしているのである。

「公の財政を幕府でなく議会が差配する。聞こえは良いやもしれませぬが、現実にはいかがなものでしょうか。各藩が己の都合ばかりを声高に叫び、何一つ決まらなくなるのが関の山。その隙を、薩摩や長州の者らが見逃すはずもございません。彼の者らが望むは論議ではなく、戦でございますゆえ」

「何一つ決まらぬとは? それを決めるのがよくよく論議した上の多数による決ではないのか? それがために政党があるのではないのか?」

 容堂の発言は核心を突いていた。

 議会政治の理想を説かれれば、勝に反論の言葉はない。単純に『そうはならぬ』と否定しては、ただ現状維持に固執する守旧派と見なされるだけだ。

「……少将様の仰せ、全くもってごもっともでございます」

 勝は一度、容堂の言葉を正面から受け止めた。

「されど、それはあくまで理屈の上での話。今の議会に、その重責を担うだけの力が果たして備わっておりますかどうか」

 その声は静かで落ち着いているが、確信にはほど遠い。

 慶喜の理屈を頭の中で無理やり納得させているからだ。

「今の議会は、いわば生まれたばかりの赤子にございます。多くの議員は、いまだ自藩の利しか見えておりませぬ。国の財政なる最も煩わしく利と害の絡む事を、その赤子の手に委ねてしまえばいかがなるか。己が取り分を巡って醜い争いを始め、国をまとめるどころか、かえって分裂の火種をまき散らす事になりかねませぬ」

 勝の言葉は、理想論ではなく現実を見据えていた。

 彼は徳川の権威を振りかざす慶喜とは対照的である。ただ、未熟な議会がもたらすであろう混乱の先にある、内乱の影を容堂に示唆したのである。

「されば」

 容堂は少し語気を強めていった。

「さればこそ政党があるのではないのか? 例えば公儀政体党が甲と言い、それに同じる者が半数以上いれば可決となるのであろう? いなければ否決。至極易き理ではないか。何を議論がもたつくだの決められんだの言うておるのだ?」

 勝は内心で舌を巻いた。この男の思考は、常に現実を見据えている。

「仰せのとおり、数の理は真に明快にございます」

 勝は、容堂の言葉を真正面から受け止めた。

「されど、某が恐れますのは数の理そのものではございませぬ。理が国の根を揺るがす儀に向けられた時の、その果てにございます」

 勝の口調は静かであった。

「仮に、かの法案が可決されたといたします。徳川家と恩顧の諸藩が、これを黙って受け入れますでしょうか。二百五十年の礎を、議会の多数決だけで明け渡すとは、某には到底思えませぬ。数の理で負けた者が、力に訴えぬ保証はいずこにもありませぬ」

「これは異な事を……貴族院を設ける儀は中納言様直々に奏上し、天子様より宣旨を賜ったと聞き及んでおる。さらばなにゆえ奏上なされたのだ。中納言様はさような事も考えずに奏上なされたのか?」

 容堂はまた、別の考えが頭にあった。




 ん?

 さらば今国許に戻って貴族院に参じておらぬ薩長は、天子様の宣旨を蔑ろにする朝敵ではないか。

 天子様の御宸襟ごしんきんを推し量るなどできぬが、慶喜がこれを使えばそれこそ大乱になりかねん。

 急ぎ知らせねば。




 容堂の言葉は、勝の弁舌の行き先を完全に塞いでいた。

 上役である慶喜の奏上に疑問を呈されては、幕臣として返す言葉がない。

 慶喜の真意がどこにあろうと、その矛盾をここで認めるわけにはいかなかった。勝はしばらく押し黙ったが、やがて静かに口を開く。

「……真に少将様の仰せの通りにございます。天子様の御許しを得た仕組みに、我らが異を唱える事などできませぬ」

 勝は一度、その矛盾を飲み込んだ。

 その上で、全く別の角度から論点をずらす。

「されど、中納言様が奏上なされた折と今とでは、あまりに有り様が違いまする。議会はまだ発足したばかりであり、その営みに誰もが不慣れにございます。さような未熟な状態で、国家財政の根に関わる題目を扱うのは、時期尚早と考えまする」

「……ならば何のための貴族院ぞ。国家の大事を論ず事能わずして、何ゆえに京に集まり何を論じておるのか。……もう良い安房守殿、委細承った。いかにいたすか吟味いたして答えを出すといたそう」




 勝の会談は、正直失敗であった。

 気乗りのしない会談のために、その心は複雑である。




 ――発 土佐少将 宛 太田和左衛門佐

 かねてより貴族院を離れし薩長なれど、貴族院は天子様の宣旨のもとに設けた官府に候。

 それに参ぜぬは朝敵の汚名を着せられてもおかしくない仕儀にて、貴殿よりお知らせいただくよう願い候。

 我もいたずらに戦の名目とならぬよう、薩長ともに知らせ置き候。――




 次回予告 第466話 (仮)『委員会の設置』

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