第387話 『ぶち切れる』

 慶応二年十一月三日(1866年12月9日) バタヴィア

「では各々方、はばかりながらそれがし、太田和蔵人次郎左衛門が、議事を進めたく存じます」

 次郎の隣には、大村藩の名代である甲吉郎純武が控えている。

 幕府と加賀藩を除く各藩の名代と艦長(責任者)が、一堂に会してバタヴィア政庁の一室に集まっていた。

「議題は二つ。まず、これよりサラワク王国に向かい、加賀藩の皆様とお会いし、先方に感謝の意を表明する儀。されどおそらくイギリスの外交官もおりましょう。対応をいかにするか」

 全員が次郎の顔を見つめ、真剣な表情を浮かべている。

「加えて今後の航海の儀。加賀藩をいかが致すべきか。また、申し上げにくい儀なれど、御公儀ならびにわが家中、長州・佐賀・島津家中以外の船をいかがいたすか」

 二つ目の議題において、該当する藩の面々がさらに深刻な表情を浮かべたのは言うまでもない。

「まず、イギリスが出てきたとして、引き渡しは特段障りなく行われるかと存じます。されどその後、イギリスは何らかを求めてくるかと」

 次郎は、イギリスがどんな要求をしてくるのか、全員に問いかけた。

 会議室の空気が一層重くなっていく。

 長い航海の疲れと遭難の現実が、全員の心に重くのしかかっていたのだ。

 しばらくの沈黙の後、勝海舟が静かに口を開いた。

「イギリスはまず、自国の人道的な対応をたたえ、艦と乗員の引渡しに異議は唱えますまい。されど、その後には必ずや国交の回復や補給地の利用、あるいは通商の再開を持ち出してくるであろう。面子の回復を図るはずと存ずる」

 次郎はふむ、ふむ、とうなずいている。

 勝の意見は次郎の意見と一致していたのだ。

 まず間違いないだろう。

 それぞれの名代も同様にうなずいているが、本質を理解している者は果たしてどれほどいるのだろうか。

 外交の経験もなく、知識も乏しい。

 ただの代表にすぎないのだ。

 その中で一人、純武だけが発言する。

「安房守殿のご意見、まことにごもっとも。さればいかほどの事をなせばよいとお考えか。それがしは、せっかくオランダの総督がいらっしゃるのだから、過去の事例をもとに、いかなる行いがもっとも適しておるか聞くのも一つの手かと存ずるが、いかに」

(ふふふ、さすが甲吉郎様)

 次郎は純武の意見に満足そうにうなずいた。

 その表情には、主君の嫡男である純武の成長を喜ぶ家臣としての誇りが表れている。

「マイエル総督、過去にイギリスとの間で同様の事例はございましたか?」

 マイエルはしばらく考え込む様子を見せた後、ゆっくりと口を開いた。

「はい。1824年のロンドン条約の際、わが国はイギリスと東インドにおける権益に関して交渉しました。その経験を踏まえてお話しいたしますと……」

 マイエルの説明が始まると、会議室の雰囲気が一変した。各藩の名代たちは、真剣な表情でその話に耳を傾ける。

「まず、イギリスは必ず見返りを求める国です」

 マイエルの声が静かに響き渡った。

 1824年に締結されたロンドン条約、いわゆるえいらん協定は、マラッカ海峡を境にした勢力圏の明確な分割であった。

 マレー半島はイギリスの支配下にあり、スマトラやジャワ島はオランダの領域である。その後、イギリスとオランダは互いの利権を尊重しながらも、アジアにおける覇権を巡る緊張関係は続いていったのだ。

「イギリスは恩義に対する見返りとして、補給地の利用や通商の再開、さらには国交の再調整を求めるでしょう」

 次郎はオランダ語が英語ほど得意ではなかったが、この時点ではほとんど通訳を介さずに意思疎通ができていた。

 他の面々は、その都度内容を名代に伝えている。

「表向きには人道的な立場を主張しながら、裏では通商条約の見直しや軍港としての便宜供与を求める。特に近年ではシンガポールやマラッカを掌握し、東アジア航路の重要な地点を支配下に置いています。彼らの要求は、決して一度限りではありません」

 マイエルの言葉は、ただの警告ではなかった。

 イギリスがこの地域で展開してきた外交手法は、インドの藩王国との軍事保護条約や、現地の支配者を介した間接統治に明確に表れている。

 その本質は、武力と条約を巧みに使い分け、相手の弱点を見抜いて譲歩を引き出すことにあった。

 唯一の例外は日本である。

 日本は生麦事件を契機にイギリスの野望を打ち砕き、日英戦争を経てその権威を失墜させ、最終的に断交に至ったのだ。

 ただ、どんな過去の経緯があったとしても、人道的な対応には誠意を持って取り組む必要がある。

 ……もしイギリスが本当に人道的な立場から行動を起こしているのならば、であるが。

「イギリスの要求に対して、我々がどれだけ冷静かつ巧妙に対応できるかが重要です。過去の事例を考慮すると、彼らはまず表面的には礼儀正しさを示しながら、徐々に本音を明らかにしてくるでしょう。例えば、今回のケースでは補給地の提供がその一例です。すべてがこちらの譲歩を引き出すための戦略的な布石と言えます」

 マイエルの説明に対して、各藩の名代たちは深くうなずいた。

 欧州列強の思惑が交錯するこの時代において、外交は単なる言葉のやりとりにとどまらない。

「ありがとうございます、総督」

 次郎が感謝の言葉を伝えると、マイエルは笑顔で応じた。

「では各々方、それがしも同じ考えにござる。イギリスはわが国との国交や通商の回復、さらには先の戦争で拿捕だほした艦船の返還や名誉の回復などを提案してくるでしょう。それに対してはいかにすべきでしょうか?」




 意見が出ない。

 ざっくりとした基本的な指針が決定しただけだ。

 ここまでは良いが、ここからはダメだといった具合に、明確に判断するのが難しいのだろう。

「では、それがしから。国交の儀は、どれほど譲っても和親条約までとする。通商の儀は、これを行わない。あくまでも薪水給与令を障りなく行うためのものとする」

 また、と次郎は言葉を続けた。

「かかった費用の儀は、求めがあるならば全額支払う。無論、前田家中が出す事にはなりますが、これはご異存ございませんでしょうか」

 またも、うなずくだけである。

「今一つ、こたびのフランス渡航の儀において、インドやアフリカでの補給を申し出てくる恐れもありましょう。それがしといたしましては、この儀は要らぬ申し出と存じますが、いかに?」

 要するに、イギリスがフランスまでの寄港地を手配する代わりに、国交の正常化や貿易の再開、さらには条約の再締結を提案してくるだろうというのだ。

 日本がそれを受け入れれば、完全にではないにせよ、ほぼイギリスの条件を受け入れることになる。

 それは日本にとって避けなければならない。

 第一、補給地の問題を事前に解決した上での航海なのだ。

 航海の技術があるのなら、イギリスの支援は必要ない。

 能力があるならば、だ。




「う、ごほん。それがしは、全てではなくとも、一つ二つ求めに応じても良いのではないかと存ずるが、いかに? 港が増えれば心安んじて航海できよう?」

 仙台藩の伊達茂村である。

 艦長の三浦乾也は、静かに横で話を聞いていた。

「さ、さよう、それがしもそれに、同じまする。港は多いに越したことはない。方々、そうではございませぬか?」

 福井藩主松平茂昭。

「かようなことが二度とないよう、それがよいか」

 宇和島藩の伊達宗孝も続いた。

 しかし、そうだそうだ、との大きな賛同の声はあがらない。

「では美作守様(伊達茂村・仙台藩)、越前守様(松平茂昭・福井藩)、若狭守様(伊達宗孝・宇和島藩)、御三方はさようにお考えでございますね。土佐守様(山内豊範・土佐藩)はいかがでしょうか?」

 幕府・大村・長州・佐賀・薩摩を除く五藩の中で、最後の藩である。

「いや、それは……確かに心安んじて航海できるのが一番良い……が……」




「待てっ次郎! 堪えよ――」

「あーもう! ! せからしかってなあ! わいたちゃ我がんことしか考えとらんとや? 何かそら(りゃ)! そいけんおいは嫌やったっさ! そいば無理やりねじ込んできたくせにさ! できんとやったら最初っから来んなさ! どがんすっとや! 国んめんつとわがえんめんつと! どっちが大事かとや! くそ腹んたつ!」

(あーもう面倒くさい! お前ら自分のことしか考えてねえのか? なんだそりゃ! だからオレは嫌だったんだよ! それを無理やりねじ込んできたくせに! できねえんだったら、最初っから来るなよ! どうすんだよ! 国の面子と自分の家の面子と! どっちが大事なんだよ! クソむかつく!)

 隣で純武が頭を抱えている……。

 佐賀藩名代である鍋島直彬(なおよし)と中牟田倉之助は、『くっくっく』と笑いをこらえていた。




 次回予告 第388話 『結局、とサラワク王国』

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