第112話 『お茶の仕入れ先の拡大と製茶の機械化』(1849/5/22)

 嘉永二年|閏《うるう》四月一日(1849/5/22) <次郎左衛門>

 さて、目的のお茶3万5千斤を調達するためには、効率よく産地を回らなくちゃいけない。近場では間違いなく嬉野茶なんだけど、実は生産量的には福岡の八女茶の方が多い(ようだ)。

 去年の段階から九州各地へ使者を送って、今年の新茶の仕入れを約束していたのだ。俺は九州各地を回れば簡単に手に入ると思っていたんだけど、|予《・》|想《・》|し《・》|て《・》|い《・》|た《・》予想外な事が発生した。

 なんと八女茶だけで3万5千斤を調達できたのだ。

 それもそのはず、長崎からの茶の輸出量は安政六年(1859)では21万5千斤。そして、明確な時期を特定するのは難しいけど、幕末から明治初期にかけて、八女茶は年間100万斤を販売している(たという)。

 もちろん長崎だけだ。

 別の資料で見ると、翌安政七年(1860年)の長崎からの輸出量は14.6倍に跳ね上がって324万3千300斤になり、明治五年(1572年)の413万8千斤のピークまで、増減はあるけれど200万斤以上で推移する。

 ところが、何が理由かはわからないけど、明治五年(1572年)の段階の八女茶を含む福岡産茶の生産量は、九州七県の278万7千600斤中のたったの25万1,157斤(9%)なんだ。

 なんらかの理由で生産量が激減した? 害虫や冷害とかなら福岡以外も影響を受けるはずだ。

 ちなみにお茶の収穫は30~40年可能だけど、苗木を育てるのに2~3年はかかる。苗を植えてからでも最低5~8年はかかるんだ。今みたいに苗の状態で売ってるなんて事はない。茶葉農家が育てているだけだ。
 
 要するに新しく茶畑を広げて収穫を増やすためには、最低7~8年かかる。
 
 そうなるとある仮説が見えてくる。

 嘉永六年(1853年)にペリーがやって来て、翌安政元年(1854年)に開国した。正式に長崎が開港するのは安政六年(1859年)だから、ここから1年で14.6倍になるのは不自然だ。

 お慶ちゃんが駆けずり回った(回るはずだった)年は安政三年(1856年)。余剰のお茶が九州全体でやっと1万斤。全部はありえないけど、仮に半分としても数千斤は八女茶があるはず。

 でもわずか3年後(1859)に(余剰分の1万斤の)21.5倍の21万5千斤なんて、物理的に無理。

 八女茶100万斤というのが俺の記憶違い、もしくは150年以上前の文献が桁を間違っていたとして10万斤。そうなると10倍から20倍になる。それでもその短期間で、茶を植えてから育てるのは無理だ。

 いずれにしても、安政六年(1859年)の長崎からのお茶の輸出は21万5千斤。明治四年(1572)の比率で9%で考えても2万斤近くある。
 
 100万斤輸出していたのなら、9%ではないだろう。文献の通り40%とすれば安政六年(1859年)で8万6千斤。だから100万斤販売しているのは、それ以降のどっかの年度だろうと考えられる。

 以上の事から結果的に導き出せるのは、すでに八女茶は相応の生産量があり、国内向けに出荷されていたという事実だ。だから俺は、その国内向けの消費をがっつり輸出に向けるために買いだめを行った。

 地元の農家と直接交渉もしたし、トラブルになりそうなら、ちゃんと問屋や地元の商人を介して買う。今の国内相場は売値で日干し製茶10貫で銀30匁、煎茶が235匁だ。

 日干し茶1斤で約81文、煎茶1斤で632文の計算。貿易では1万斤で2千両の売価だったようだから、1斤あたり0.2両。つまり2千142文で売れてる。要するに1斤あたり1,510文の利益。

 これ、煎茶ね。安く見積もってもこの利益。お慶ちゃんと折半でも755文だ。1万斤で755万文で714両。3万5千斤だから、今回の利益は2千499両。

 100万斤、つまり八女茶の販売を独占できたら7万1,400両の利益になる。
 
 ぐふ、ぐふ、ぐふふふふふふ……。笑いが止まらん。
 
 こっから先、倍々ゲームで、ひょっとしたら幕府より金持ちになるぜ。

 売値で仕入れてもこの値段。ちなみに日向と丹波の日干し茶と、山城の煎茶が基準(嘉永二年・1849年)。この山城の煎茶の値段は嘉永元年から嘉永六年まで続く。

 嘉永五年の茶商、山本屋嘉兵衛の茶価引き札によると、御薄茶の上極揃で1斤が銀27匁とある。嘉永年間に貨幣の改鋳は行われていないからレートの違いはない。

 と言う事は超極上茶だから、無視していい。儲けにならない。

 お慶ちゃんが史実で残した文書がある。

『当時ノ製茶タルヤ、|只其《ただその》内国日用二供スルノミ故ニー村数斤ー郡数百斤ヲ得ルニ過キス、漸クニシテ壱万斤ノ高二達セリ、当時一万斤ヲ|蒐集《しゅうしゅう》セシハ実二当今ノ数十万斤ヲ購求スルヨリ難カリシナリ』

 要するに国内消費の日用品としてしか生産していないので、量がかなり少ない、と書いている。でも、|余《・》|剰《・》|分《・》だから少ないという事ともとれる。

 余剰分だから一ヶ村につき数斤で、郡で数百斤を得るにすぎない、ということ。じゃないと1859年以降のデータと整合性がとれない。

 それに大村藩でも日用品としてのお茶なら、4千500斤くらいは年貢で納めているぞ。余剰ならもっと多い。年貢として納められるなら、金になるはずだ。

 ああ、それが日干し茶なのか。

 まあいい、八女茶の運搬に関しては島原藩にも協力してもらって、運搬船造るぞっ!

 前略

 お慶ちゃんへ、次から上限なしで注文受け付けしていーよ!

 早々 

 閏四月十二日

 次郎左衛門

 ……増産の為には機械化しないといけない。

「お里~」

「なーに?」

「お茶の増産もやってくれてるだろ?」

「うん」

「あれさ、作付面積を広げるのもそうなんだけど、機械化ってできるかな?」

「うーん……理屈ではできると思うけど、どうやって機械動かすの? 今開発中の蒸気機関? あんなでっかいの茶畑に移動するだけ大変だし、無理だよ。それよりも今やってるの手摘みでしょ? |鋏《はさみ》摘みにすれば多分……10倍くらい速く摘めるよ。そーすればお茶の木がカマボコみたいになるから、風や雪の被害も受けにくいし、肥料もやりやすいよ」

「そうなんだ! じゃあそれ、やってくれる?」

「もうやってるよ~」

「え! ?」

「あたしが新しく植えた茶畑は全部そうしてる。昔からあるやつは仕方ないけど、やっと倍に増えたくらい。これからもっと増やせるよ。次郎ちゃんは機械化をお願いしまーす」

「う、うん。さっすがぁ~」

 まじ、さすがお里であった。

 次回 第113話 (仮)『イギリス軍艦マリナー号、浦賀、下田に来航。……史実と違う! ?』

 -研究経過-
 
 ■精|煉《れん》方
  ※理化学・工学研究所
  ・電信機の距離延長研究と絶縁方法研究。
  ・電力、発電、蓄電、アーク灯……水力発電。
  ・ソルベイ法におけるアンモニアの取得方法について研究。
  ・ゴムの性質改善による品質向上。ゴーグルの製作。
  ・造船所(ハルデス他)建設地の造成。
  ・写真機の研究開発。
  ・魚油の硬化、けん化の研究。
  ・2,400石級の輸送船製造(帆船)。
  ・プレス機の開発と改良。

  ※大砲鋳造方
  ・褐色火薬の研究開発と生産。
  ・既存砲の品質安定とペクサン砲と新型弾の研究開発。
 
  ※蒸気機関製造方(動力系)
  ・蒸気機関の改良と艦艇用の製造。小型化と各種工作機械・動力機械としての運用研究開発。
   
 ■五教館大学
  ・石油精製方法、焼き玉エンジンの研究開発。
  ・缶詰製造法の機械化。
 
 ■医学方
  ・下水道の設計と工事を行い、公衆衛生を向上させる。
 
 ■産物方
  ・石炭、油田の調査。
  ・松代藩に人を派遣し、採掘の準備に入る。(越後は価格交渉、相良油田はさらに調査)
  ・3万5千斤の仕入れ達成。残りは国内販売して、茶の増産と仕入れ先の全国的な確保。茶畑における改善はお里が既に実践済み。製茶工場と、全体的な機械化が課題。
  ・クロモジの生産高と価格の把握。
  ・洋傘の開発研究。

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