天保十年七月十二日(1839/08/20) 玖島城下 次郎邸 <太田和次郎>
次郎邸、といっても新築ではない。
本邸と、お里用の小さな部屋(家)が隣同士になるような土地と屋敷を購入して、あくまで隣の女主人のような形にしたのだ。
同じ屋根の下でなくても、敷地が同じなのはよろしくない。
自領ならいいが、アンチのお膝元である。重箱の隅をつつくような批判を避けるためだ。信之介と一之進は俺の屋敷の別棟に住んで貰っている。
さて、何が売れるのか?
現代人(前世)の俺たちがなくて困っているものを探そう。
水洗トイレ、ウォシュレット、トイレットペーパー、ティッシュペーパ、鉛筆、シャーペン、万年筆、靴、服、暖房、冷房、風呂、シャワー、マッチ、電池、発電……。
数え上げれば切りがないけど、マッチはどうだ?
そこそこ手軽に作れて安いなら売れるんじゃね? 富裕層は使用人がやるから売れないかもしれないけど、庶民向けだよな……。
「信之介、マッチってつくれる?」
「マッチ? 作れるけど、必要なのはマッチ棒の方に塩素酸カリウム・硫黄・ニカワ・ガラス粉・松脂(まつやに)・珪藻土・顔料・染料。箱の側面、あのこすりつける方ね。それに赤燐・硫化アンチモン・塩化ビニルエマルジョンがいる」
「それ手軽につくれるの?」
「誰でも手軽に、という訳ではないな。原料はわかっているけど成分比率は研究しないとわかんないし、塩素酸カリウムなんて塩化カリウムの濃厚(飽和)水溶液を電気分解しなくちゃいけない。電気がいる。ああ……前に話したソルベー法と同じというか、要するに化学実験の装置みたいなもんが要るな」
「まじかあ……。うーん」
「次郎、俺思うんだけどさ、石けんで結構な利益でてんだろ? タラレバかもしらんけど、5万両から最大見積もりで、藩で20万両くらいにはなる見込みって言ってたじゃないか。それならそこまで焦んなくてもよくないか?」
「そう思うか?」
一之進とお里の顔も見る。
「ある程度の利益が見込めるんだから、その資金をもとに、新しく事業を始めたらいいと思うぞ。すぐに儲からなくても、投資だよ。2~3年から5年くらいで利益になるものとかな。視点を変えないと、俺たちが知ってる知識だけでそう簡単には儲からねえって」
「そうかあ……」
確かにそうかもしれない。少し焦ったかな?
家老になったばかりで気負い過ぎていたのかもしれないが、前から考えていた山林資源や農業資源、そして漁業資源を加工する事を考えようかな。
「わかった。じゃあ順番としては、まず高炉と反射炉を建築して、試験的に製鉄をやってみようと思う。どっちにしろ鉄の大量生産ができなきゃ鉄砲も大砲もないからな。蒸気機関もそれからだ」
「そうだ。あれもこれもやろうとすれば、失敗するぞ」
信之介が真面目に答えた。
「ありがとう。そうだな、じゃあお里は……椎茸の種コマって言うんだっけ? あれを使って椎茸栽培できる?」
「わかった。やってみる」
椎茸は10貫目(37.5kg)で銀1貫(16両)くらいの値段だ。前に調べた。
だから1本で約1.5kgのシイタケが採れると考えても、50cm間隔で原木をおいたとして、1坪9本で10アール(一反)で29,752本になる。
44,628kgで銀1,190貫だから19,041両。一町歩なら10倍。190,410両で、四公六民としても76,164両。二町歩なら15万両を超える。
タラレバだけど、商品作物としてのシイタケは高額商品に間違いない。
高炉の建設には大量の耐火レンガが必要になってくるから、波佐見の窯元に協力を要請して、シャモットから始めないといけないだろうな。
順番にやって耐火レンガを作れる窯を作る事が第一だ。
それからコークスを作るためのビーハイブ炉も作らなくてはならない。これは高炉ができてからでいいけど、つくれるものなら順次つくろう。
「じゃあ信之介は引き続き研究を続けてよ。雷管に、蒸気機関の設計ね。最初は規模の小さいものでいいから」
「わかった」
「一之進は今は薬草園の拡充と、あと薬? の研究をしてるようだけど、化学式はよくわからんけど、信之介と協力して研究してくれるか?」
「OK!」
■波佐見村
高炉と反射炉で使うレンガは1トンや2トンじゃ済まないだろう。予想もできないけど数十トンから百トン以上必要かもしれない。
「これはこれは御家老様、このようなむさ苦しいところにいかなる御用向きでしょうか」
波佐見村でも有数の窯元の親方である武村利左衛門は、にこやかに出迎えてくれた。
「これは痛み入る。若輩者ゆえいろいろと教えてほしいが、親方の力を貸してほしいのだ?」
「はて、御家老様がわしの力をでございますか。わしごときが藩の役に立てるなら願ってもないことですが、この通り、せがれに任せて隠居を考えておったところなのです」
なんでもそうだろうが、職人というのは力仕事でもあり、繊細な作業でもある。老いによって感覚が鈍れば一線を退かなくちゃならない。
みたところ、60歳前後だ。
「そうか。無理を頼むのはしのびないが、どうしても無理なら、誰か職人を教えてくれないか」
「さようでございますか。それならば……おおい! 嘉十! ちょっとこっちにこい」
利左衛門は一人の若者を大声で呼び寄せた。
「はい親方、なんでしょうか」
20代の精悍な顔立ちの男が飛んできた。
「嘉十よ、お役目を仰せつかった。お前はこれから御家老様の配下となって働くのだ」
「へ、へえ。……いったい何をすればいいのでしょうか」
「耐火レンガをつくってほしい」
「へ?」
次回 『耐火レンガと佐賀藩・唐津百姓一揆』

コメント