第482話 『卒兵上京』

 慶応五(明治二)年六月十二日(1869年7月20日) 大阪湾

 日の出と共に号令が下された。

 『彼杵丸』の巨大なハッチがゆっくりと開き、次郎率いる大村海兵隊の精鋭たちが整然と淀川の岸辺に上陸していく。

 最新鋭の小銃や機関銃を装備した彼らの姿は、幕府や諸藩の兵士たちとは一線を画していた。

 その装備は、日本中のどの軍隊も持ち合わせていない。

 ダーンダーンダーン、ダラダッタッタッタッター。

 ダーンダーンダーン、ダラダッタッタッタッター。

 海兵隊は軍楽隊の演奏と共に淀川沿いを京へと向かって進んで行く。

 足並みは乱れることなく、統率の取れた動きは見る者を圧倒していった。 

 幕府の役人が何度も海兵隊の行く手を阻もうとしたが、次郎は耳を傾けない。

 彼らは口々に、京への進軍を中止するよう懇願したのだ。

「これは演習である。他意はない」

 次郎はその言葉を繰り返すだけだった。

 日中には京の入口である鳥羽に到着したのだが、ここでも幕府からの強硬な制止が入る。

「左衛門佐殿、これより先は洛中にございます。かような行いはいたずらに民心を乱す恐れもあるゆえ、直ちに兵を退かれたし」

 幕府の目付役が、青ざめた顔で叫んだ。

 しかし次郎は馬を止めなかった。

「恐れ多くも御所をお守り仕る六衛府督、加えて畿内の治安維持を司る弾正尹様の名代として、左衛門佐たるそれがしが兵を率いて演習を執り行うのだ。何ゆえに妨げる法やあらん」

 次郎の言葉が冷たく響き渡る。

 ぐうの音もでない。

 それを言われれば、何も言えないのだ。

 京都所司代や守護職は京都の治安維持を業務としており、権限を縮小された禁裏御守衛総督も、御所を守るための役職である。

 六衛府督に純顕が任官されたために共同で任務にあたっていたが、御所の警護においては六衛府の、洛中畿内の治安維持においては弾正台の権限が大きくなっていたのだ。

 ■二条城

「やはり卒兵……上京で、あるか」

「は。言葉どおりの意味かと存じます。されど題目(名目)はあくまで演習であり、それ以上でも以下の意もないとのこと」

 勝の報告を聞いている慶喜と、横で考えを巡らせている上野介であった。

「さりとて幕府に一言もなく兵を起こし、もって都を鎮守せんとは……。いささか度を越しておるのではありませぬか」

 上野介が発言するが、慶喜は黙って聞いている。

「さに候わず。六衛督も弾正台も幕府の官符ではありませぬ。ゆえに許しはそもそも要りませぬ」

 勝はそう言って擁護するが、慶喜はそれには反応せずに、さらに聞く。

「……旗はいかがなのだ? なんの意趣あってこれまで掲げてきた中黒の旗を、掲げておらんのだ」

「……」

 勝は黙っている。

 そのままストレートに言うべきか、それともオブラートに包むべきか。

 しかし、仮に包んだとしても、結局は露見してしまう。

「そのままの意味にございましょう。幕府の海軍ではない、と」

 慶喜は明らかに不機嫌で、険しい顔をしている。

『幕府の指揮下にはない』との大村藩の意志表示はもちろんだが、それ以上に諸外国に知れ渡ったことが一大事なのだ。

 日本がこれから近代国家として成長していくには、列強に認められる必要がある。

 すなわち、徳川幕府こそが日本の正式な政府であり、最終意思決定機関だという認識を持ってもらわなければならないのだ。

 しかし、その前提が根本から崩れてしまう。

 下手をすれば内戦状態とも取られかねないのだ。

 慶喜の顔には強い怒りが表れていた。

 諸外国からの信頼失墜はまさに国難である。幕府の権威が揺らげば、日本の国際的な立場が危うくなる。

「左衛門佐は、何を考えておるのだ」

 慶喜は忌々しげにつぶやく。

「中納言様(慶喜)のなさりように得心なさっておらぬのでしょう」

 勝がボソリとつぶやいた。

「何? 安房守よ、今何と申した?」

「中納言様のなさりように、得心なさっておらぬのでしょう、と申し上げました」

 勝の言葉に、慶喜は険しい表情のまま勝を鋭く見据えた。

「得心いたしておらぬと? なにゆえだ? 先の議会は得心したうえでの退座であった。加えてフランスからの借款やファンドの件も白紙に戻すと恫喝まがいの物言いと行いがあったのだぞ。何ゆえこたびの卒兵上洛とあいなるのだ?」

 確かに、それが理由で卒兵上京したのなら、もし戦端が開かれたならば大村藩に大義はない。慶喜や幕府の独断や強権を強く非難することはあっても、開戦の理由にはならないのだ。

 そのために慶喜の声には強い不満が表れている。

 しかし、勝はひるむことなく慶喜に返答した。 

「その儀ではございませぬ。直ちにこたびの卒兵上京の由とあいなったのは、朝廷への御沙汰にございましょう」

 朝廷の権限を制限し、山城一国と近江、大和の一部を禁裏御料とする慶喜の政策である。

 これによって朝廷の公家衆の牙は抜かれ、幕府に恭順する勢力一色となってしまったのだ。

 王政復古など夢物語である。

 次郎が描いている最終的な皇室や朝廷の位置づけには近い。

 だとしても、それが徳川幕府を強固にして存続させるための手段としてなされるなら、本末転倒なのだ。

 慶喜は勝の言葉に、苦虫を噛み潰したような顔をする。

「それがしは、日本を一つにまとめようとしておるのだ」

 幕府主導で内乱を避け、日本を統一近代国家とする大義に基づいていると示しているのだ。

 次郎の行動は国造りの大局を見誤ったものであり、自らはその正当性を主張している。

 慶喜は不満げだが、勝は静かに首を振った。

「中納言様(慶喜)は幕府が治める国家を望んでいらっしゃる。されど左衛門佐殿は、民のための国家を望んでおります。その根の考えの違いが、こたびの事態を招いたのでございましょう」

 勝の言葉は慶喜の核心を突いていた。

 認めたくはないがうすうすは感じていたのである。

 慶喜は幕府中心の体制であり、次郎はより民衆に根差した議会制国家を目指している。

 そのうえで、次郎がその『大義』の根本的な部分(誰のための国家か)に疑問を呈している事実を、勝の言葉によって明確に突きつけられたのだ。

 慶喜も議会が保守派と改革派の対立で機能不全に陥り、最終的には幕府の意向が強く反映されている状況を認識してはいる。

 勝がこの『形骸化』を指摘し、それが次郎の不満の根源であると言ったことで、自らの手法の問題点を否応なく認識させられたのだ。

 要するに、慶喜は勝の言葉によって自らの理想と現実、次郎の理想との間に横たわる根本的な問題点や認識の違いを、明確に突きつけられた、という状況を表しています。

 それは慶喜にとって不都合な真実であり、しかし避けて通れない課題なのであった。

「さようか……」

「は……」

「さりとて、いかがなさいますか? なにもせず、とはいきますまい」

 上野介が発言した直後であった。

「申し上げます! ただいま電信が入り、大村陸軍が鳥羽に入ったそうにございます!」

「 「 「!」 」 」

 来るべきときが来た。

 いよいよ大村陸軍が入洛するのである。

 いかがいたす?

 慶喜が上野介と勝の顔を見た。

「ここは何もせず、が最上の策かと存じます」

 長い沈黙のあと、勝が言い放った。

 次回予告 第483話 『演習と天皇と将軍』

 次郎率いる大村海兵隊は淀川を遡上し京へ進軍。

 鳥羽で幕府の制止を朝廷の官職を名目に退け、洛中へ入る。

 二条城では慶喜が勝海舟に次郎の真意を問う。

 勝は、次郎が民のための国家を望み、議会の形骸化に不満を抱くことを指摘。

 慶喜は自身の理想との隔たりを突きつけられる。

 その最中、大村陸軍の入洛が報じられ、慶喜は勝の『何もせず』との進言を聞く。

 次回、次郎は演習をするが、帝と将軍への謁見は叶うのか? 慶喜の動きはどうなる?

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