第451話 『慶喜の政治的裁定と三権分立への道』

 慶応四年十月十四日(1868年11月27日) 二条城

 偽の長州藩士2名(真犯人)

  罪状:騒乱罪(首謀者)、放火罪、詐欺罪(身分詐称)、謀反罪(幕府転覆)

   処罰:死罪(斬首)

 見廻みまわり組隊士

  罪状:騒乱罪(料亭での集団暴行・刃傷沙汰)、職務怠慢(誤認)、武士の面目を汚した罪

   処罰:直接関与した隊士2名:切腹

    佐々木只三郎(与頭):引責辞任ならびに蟄居ちっきょ謹慎

 長州藩士(料亭にいた藩士たち)

  罪状:騒乱罪(料亭での集団暴行・刃傷沙汰)。ただし正当防衛の要素もあり(先に攻撃を受けた者たち)

   処罰:軽い処分または不問(正当防衛が認められる)

    藩による内部処分程度

 周布政之助

  罪状:管理監督責任:長州藩士の行動に対する責任

   直接的な犯罪行為はなし

    処罰:切腹(藩の名誉を守るための自主的処分)

     実質的には政治的責任を取る形


 周布政之助の切腹が京に衝撃を与えてから、数日が過ぎた。

 真犯人を捕らえた次郎は即座に身柄を新選組に引き渡したが、一方的に引き渡したわけではない。

「この者共は、日本を内乱に陥れんとした大罪人。全てが明らかにされるまで、我が大村藩の責において尋問に立ち会わせていただく」

 京都守護職の権威が失墜した今、次郎の申し入れを慶喜は拒否できなかったのである。

 事実上の共同尋問の要求であった。

 新選組による聴取が行われたが、数日経ってもまったく進展がない。

 共同尋問が決まってからの西本願寺の新選組屯所では、大村藩の密偵組織と共同で、息の詰まる心理戦が繰り広げられていた。

 実行犯の2人は別々の部屋に隔離され、次郎の部下たちが巧みな話術で彼らの心を揺さぶったのである。

「相棒は全て喋ったぞ」

「お前だけが罪を被るつもりか」

 物理的な拷問に頼らなくても、孤立と疑心暗鬼は人の心を砕く。


「ちっ……結局、何も出てこねえじゃねえか」

 尋問の様子を別室で聞いていた土方は、苦々しく吐き捨てた。

 彼の目にはこの数日間のやり取りが、成果のない時間の浪費にしか映らなかったのである。

 だが、山と積まれた調書を冷静に分析していた次郎の部下たちの見方は、まったく異なっていた。

「土方さん、成果はありますよ」

 大村藩隠密方(次郎付)の助三郎は、数枚の紙を土方の前に差し出した。

「二人の言にはいくつかの相通ずる点(共通点)として、我らのみが知り得る報せ(情報)との合致が見られます」

 助三郎は土方に提示した。


 ・左の眉に古い傷がある、四十代半ばの男。

 ・言葉には堺なまりが混じる。

 ・金の受け渡しは、京の寺町通にある小さな両替商。


 ボヤ騒ぎの初動捜査に大村藩は関わっていないが、次郎は黒幕を同一犯として、過去に遡って捜査していたのだ。

 単独の証言や証拠だけでは取るに足らない情報である。

 だが、それらは組み合わさり、ある1つの方向を指し示し始めていた。

「それで、この言をもとに、如何いかに調べを進めるんですか?」

「!」

 ひょこっと顔を出して助三郎に声をかけたのは、新選組壱番隊組長の沖田総司である。

「総司、まだ何にも分かっちゃいねえよ」

「だからですよ土方さん。壱番隊組長として、今後も最も危うき場に向かうのです。調べの進み具合を知っておくのは当然でしょう」

 年齢は25歳前後だが、妙に子どもっぽいところがある沖田である。

「まったく……で、どうなんだい、助さん」

 いつの間に打ち解けたのか、妙な信頼関係ができあがっている。

 土方には助三郎の今後の捜査方針に相当の興味があった。

 自分たちが拠り所としてきた剣や脅しとはまったく異なる、未知の力の存在を感じずにはいられなかったのである。


 ■数日後 二条城

 次郎は純顕と共に、『成果の乏しい』尋問結果を携え、二条城内にある徳川慶喜の私室を訪れた。

「犯人は金で雇われたのみで、黒幕については何も知りませんでした。直に指図した男もすでに行方をくらまし、これより先の調べは難しかと。公の調べは、実のところ手詰まりにございます」

 純顕は事実をありのままに報告した。

 部屋の空気が、さらに重くなる。

「然れど」

 と、続ける。

「我ら諦めたわけではございません。時をかけてでも必ずや突き止める所存です」

 黒幕逮捕への固い決意の表明であると同時に、幕府の捜査能力の限界を暗に告げる、痛烈な宣告でもあった。

 なにしろ新選組が掴めなかった指示役の情報を掴んだのである。

 慶喜は腕を組み、目を閉じる。

「あい分かった。中将殿(従四位下丹後守より権中将へ叙任)、後の事は新選組と共に調べを行うが良いと存ずる。然れど、事が起きたのは事実。騒乱の罪は消えぬ。加えて長州が周布に切腹を命じ、執り行われたのも真の事。この沙汰は余とて如何いかんともしがたい」

「中納言(慶喜)様」

 純顕がたまらず前に出た。

 慶喜の冷徹な判断に、どうしても異を唱えずにはいられなかったのである。

 処罰の是非を問うているのではない——純顕の発言には、長州への同情と政治的洞察が込められていたのだ。

 今回の騒乱は明らかに黒幕による謀であり、長州もまた巧妙に利用された被害者ではないか。真の解決には、彼らの名誉を回復させる政治的配慮こそが必要なのではないか、と。

「政における心配り(政治的配慮)、とな」

 慶喜は純顕の言葉を遮った。

「中将殿。そなたの言う事も分かる。然れど、長州の当事者は誰一人として腹を切っておらぬのだぞ」

 その言葉もまた真であった。

 見廻組は当事者が切腹し、長州藩は藩の責任として周布政之助が自ら命を絶った。

 しかしそれは、形式上とはいえ長州が自ら選んだ道である。

 幕府が藩の自治に介入し、頭ごなしに処分を下すことはできないために、見廻組の前例を見せたうえで、ある意味委ねたのだ。

 決して間違ってはいない。

「その決断を覆す事などできぬ。統治とは、時に非情なるものだ」

 次郎は、慶喜の言葉を黙って聞いていた。

 慶喜のロジックは法形式論としては完璧だったのである。


 ■翌日

「中納言様(慶喜)、肥後守様(松平容保)の守護職罷免を決定! 後任には、所司代様が守護職を兼務されるとの由!」

 近習からの報せを聞いた純顕と次郎は驚嘆した。

「なんと……。中納言様は、我らの進言を容れ、そこまでお考えであられたか」

 慶喜の身を切る決断に、純顕は感銘を受けていたのである。


 してやられた!


 次郎の動きが止まった。背筋に今まで感じたことのない種類の悪寒が走ったのである。

 慶喜という男を、その思考の深さを、完全に見誤っていた。

 一見、議会において最大の支持基盤である会津を切り捨てた非情な決断に見える。

 しかしその本質は、最小限の政治的コストで京都の統治権力を定敬一人に集中させる、極めて狡猾こうかつで高度な政治的判断なのだ。

 次郎を最も戦慄させたのは、慶喜の状況判断力である。

 黒幕が誰かに関係なく、これだけの政治判断を下したのだ。

 慶喜は、犯人の捜査の進捗など待たなかった。

 刑事事件としてではなく、純粋な政治問題として捉えているのである。

 どうすれば徳川にとって最も有利な形で収拾できるか、という視点だけで、この最適解を導き出したのだ。

如何いかがした次郎。顔色が悪いぞ」

 純顕の声に次郎は我に返った。

「殿。中納言様は真に恐るべきお方です。その政事手腕は見事というほかありません」

「然り。これで京も少しは落ち着こう」

 純顕は安堵あんどの表情を浮かべたが、次郎は遥か先の闇を見据えていた。

「然れど殿。あれは……然りとて、見事な手腕などではございません。土台が腐った家に、見事な漆を塗ったに過ぎませぬ」

「何? ……ふふ、腐った家とは幕府の事であろう? 言うではないか」

此度こたび、我らが真に突き止めねばならぬのは、誰が糸を引いておるのかにございましょう。然りながら斯程かほどに事が紛糾したのは、我が国の法とそれを執り行う官府が余りにも杜撰ずさんゆえにございます。元来、斯様かような騒ぎを公平に、皆が得心する形で裁く法が、我が国には備わっておらぬのです」

「……法が備わっておらぬか。お主の申す事は、もはや世の理そのものを覆すが如く聞こえるぞ」

「然に候」

「ふふ。して、如何致す?」


「三権の分立と新たな法を設けるのです」


 次回予告 第452話 (仮)『問題山積』 

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