慶応三年七月十六日(1867年8月15日)
パリのフランス外務省別館では長時間の交渉が続いていたが、重厚な石造りの建物がより一層重い雰囲気を醸し出していた。
「我が国としては、特に火薬製造の技術、製鉄の技術、そして精密な機械細工の技術に関心がございます。600万ドルの資金に見合う技術の提供をお願いしたい」
フランス外務大臣リオネル・ド・ムスティエが具体的な要求を述べた。
本来なら軍事技術を喉から手が出るほど欲しかったに違いない。
しかし、露骨にそれを述べれば日本の反感を生みかねないのだ。
金を出すんだから当然だ、と大上段に構えれば、オランダやアメリカにこの話を奪われかねない。
フランス側も慎重に進めなければならない事情があったのだろう。
火薬製造は無煙火薬の技術。
精密細工の技術は広範囲にわたるが、製鉄に関しては平炉法とベッセマー法がすでに欧州では確立されている。
慶勝の隣には、通訳の栗本鋤雲、外国奉行の小出秀実、向山黄村、石川利政、そして財務担当の渋沢栄一が控えていた。
「基本的な技術の協力には同意いたします。しかし具体的にどんな技術をどの程度提供できるかは、技術の責任者との相談が必要です」
慶勝は慎重に答えた。
技術の責任者。要するに次郎である。
「蔵人(次郎)の意見なしでは、詳細は決められませぬ」
これは立場的に権限が同等で、相談が必要なわけでは当然ない。上下関係ははっきりしている。
何をどの程度提供できるのか? (してよいのか)である。
「資金は魅力的でございますが、我が国の技術上の優位を損なわぬ範囲での協力でなければなりませぬ」
渋沢栄一が財務的観点から慶勝に懸念を表明した。
600万ドルは、右から左に動かせる金額ではないだろう。
しかし、当時のフランスの国家予算(15億2,400万フラン=3億480万ドル)の約51分の1である。
栗本鋤雲が通訳しながら、小出秀実は外交面での注意点を記録していた。大村藩の技術は幕府にとって重要な資産であり、その扱いは慎重を要した。
「理解しております。では、技術の責任者を交えた詳しい協議を別途設けていただけますでしょうか」
ムスティエは合理的な提案をした。
「承知いたしました。適切な時期に改めて協議の場を設けましょう」
慶勝は同席の奉行衆に顔を向け、同意した。
同じ頃、パリ市内のカフェでは、勝海舟と矢田堀鴻が話し合っていた。
「勝殿、軍艦の調達に関しては改めて考えねばなりませんな」
矢田堀が切り出した。
もぐもぐとアイスクリームをほおばっている。
「さよう。外国から買うか、それとも大村藩から買うか……」
勝は考え込む。サクサクと、こちらもアイスクリームにスプーンを刺しながらだ。
「万博での大村藩の展示を拝見しましたが、知行と大成の性能は外国製に劣りませぬ。英国との戦争でも分かりましたが、フランス海軍筋もそう申しております。加えて水雷艇と潜水艦の技術は、むしろ外国を上回って……いや、外国にもないのではないでしょうか」
「さよう(そうだ)。この状況で、わざわざ外国から高い金を払って軍艦を買うゆえ(理由)はない」
矢田堀の発言に勝は断言した。
「定かなり(確かに)。大村藩からの購入なら、技術の蓄積も国内に残ります」
「それに、幕府と諸藩の関係を考えれば、大村藩の利は結局日本全体の利だ。外国に金を流すより、国内で回す方が賢明だろう」
「されど、あまりに大村藩だけを遇するのは……好ましくないのではありませぬか? 他の藩との兼ね合いもございますし、ほどほどに……」
矢田堀は懸念材料を口にするが、ふう、と勝はため息をつく。
「それでも、だ。公儀でも横須賀造船所をはじめ自力で軍艦を造り、修繕できるようせねばならん。買ったはいいが、修繕は大村で、などであってはならんのだ」
要するに幕臣しては大村の技術を幕府の技術としたい。
しかし現実には厳しいので、諸藩の反感・反論を覚悟してでも、大村との結びつきを強める必要があったのである。
夕刻、慶勝が宿舎に戻ると、次郎からの面談の申し入れが届いていた。
「蔵人が? 何用であろうか」
「火急の知らせがあるとのことです」
「分かった。すぐに会おう」
1時間後、慶勝の宿舎の応接間で2人は向き合っていた。
「大納言(慶勝)様、本日はお忙しい中お時間をいただき、ありがとうございます」
次郎は深々と頭を下げた。
「構わぬ。して、火急の知らせとは何事か?」
「実は、カナダ自治領とブリティッシュ・コロンビアから、我が国との直接的な関係構築の申し入れがございました」
慶勝の表情が変わる。
「カナダ? さような(そんな)国はいまだ知らぬが、いかなる申し出か。つぶさに(詳しく)申せ」
次郎はカナダとブリティッシュ・コロンビアの成り立ちや地理的位置を、持参した地図で示した。
さらに、昨日のマクドナルドとシーモアとの会談の詳細を報告したのである。特に、彼らが大陸横断鉄道敷設への技術支援を強く求めていると強調した。
「なるほど……我が国、いや大村藩の技術は引く手数多であるな」
「恐れ入りまする」
聞く人が聞けば皮肉に聞こえるのかもしれないが、慶勝の心中は誰にも分からない。
「して、彼の国の者らはつぶさには(具体的に)いかなる協力を求めているのか?」
「主に3つにございます。鉄道建設に関わる技術、特に製鉄と軌条(レール)加工の技術。さらに森林・農業資源の効率的な活用方法と、未開地の調査・開発の技術にございます」
「鉄道……。ふむ、それは大村藩で能うのか? 無論、公儀の職人も後学のために共に行くであろうが……」
慶勝は考え、ゆっくりと続ける。
「実はの、公儀としても、日本国内の鉄道敷設は重要な題目と考えておるのじゃ」
「然に候(そうですね)。各地を結ぶ鉄道網は、公儀による日本の統治にとって極めて有効でございましょう。されど、各藩がばらばらに敷設すれば、規格が統一されぬ恐れがございます」
次郎は重要な問題を指摘した。
しかし実際には大村藩でさえ、莫大な費用のために一時は頓挫した計画である。技術もなく金もない各藩ができるはずがない。
分かってはいたが、いずれにしても問題である。
「規格?」
「軌条(レール)の幅の取り決めにございます。狭軌、標準軌、広軌と種類があり、統一されていないと相互に乗り入れができませぬ。公儀のご指導により標準軌で統一できれば理想的です」
次郎はあえて、『公儀のご指導により』と言った。
「なるほど、それは重要であるな」
慶勝は十分に理解したのか、大きく首を縦に振っている。
「カナダからの要請は、我が国にとっても好機かもしれませぬ。川棚の製鉄設備は、アメリカ向けの軌条供給で満杯に稼働しておりましたが、南北戦争の終結で求め(需要)が減りつつあります。カナダからの注文があれば、設備を保ちながら技術の蓄積ができます」
「うむ」
「また、大量生産の技法を積み重ねれば、先の国内鉄道敷設にも生かせまする。高炉と転炉による続けての生産は、一度火を落とすと再び稼働するは難儀にございますが、求め(需要)が絶えねば無駄なく運用できます」
次郎の説明に、慶勝は深くうなずいた。
「蔵人よ、率直に聞くが、この提案をいかに思う?」
「御公儀にとって益あるものと考えます。理由は4つございます」
次郎は整理して説明した。
1.北米でのイギリスの影響力の低下。ならびに幕府の国際的地位の向上。
2.製鉄技術の継続的な発展が可能。
3.将来の国内鉄道敷設では、外国の介入を防いで幕府主導での敷設が可能。
4.アメリカとの関係向上で幕府外交の成果となる。
「ふむ……されど、ただ今のフランスとの交渉の兼ね合いは如何いたそう?」
「供する技術を分ければよいかと存じます。フランスには決められた限定的な技術、カナダには民間の工業技術と地質調査技術を中心に供する。無論、わが藩の技術者の考えもありますが、御公儀の管理の下で、適切に振り分けると良いでしょう」
「あい分かった。賢明な考えである。定めし(確かに)両者の求めるものは異なる」
カナダに対する技術供与は問題なかった。
しかし、軍事技術の供与は慎重に慎重を重ねなくてはならない。
提供する技術水準は統一しなければならないし、もし特定の国に特別な技術を提供するのであれば、軍事同盟相当が必要だろうと次郎は考えている。
その後数時間にわたって、フランスへの技術供与の内容について、次郎は隼人と廉之助を交えて協議したのであった。
次回予告 第419話 (仮)『多角的な関係構築』

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