慶長四年七月二十六日(西暦1599年9月15日) 諫早城<小佐々純正>
あー、眠……。
オレはコーヒーを飲み干しておかわりを頼み、立ち上がって伸びをする。それから頭の上で手を組んで、左右に体を伸ばした。
次に、前屈して腕を前にやろうとする。
あれ……?
あれれ……?
どうした、オレ。
前屈しても指先が床につかない。……どころか、ちょっと……きつい。
やべえ、とうとう来たか。
朝から一気に憂鬱になった。
そう言えば、最後の戦場にたったん(たったの)、いつやったろう(だっただろう)?
遠乗りもせんようになった(しなくなった)し、弓も……。
移動は馬車か蒸気自動車か機関車、蒸気船やしな(だしな)。
まじで運動不足やな(だな)。
「殿下、フレデリック殿が謁見を願い出ております」
「お、おう……早いな」
純正は落ち込んだテンションを無理やり上げて、返事をした。
それに加えて、昨日の今日で、早朝からの来訪が意外だったのである。
「通してくれ」
時間をおかずにフレデリックが入室してきた。
昨日の公式行事の華やかな装いとは違い、シンプルな服装だが、それでも貴族としての気品は失われていない。
「ご無礼をお許しください。早朝からの訪問、失礼とは思いましたが、ぜひとも個人的にお話ししたいと考えまして」
純正は少しうなずき、側近たちに退室を指示した。
「構いませんよ。どうぞ、お座りください。長い航海でお疲れでしょう。アムステルダムからここまで、大変な旅だったのではありませんか」
フレデリックは席に着き、少しだけほほ笑む。
「はい、特に喜望峰を回る航路は困難を極めました。ポルトガルの商船とすれ違うたびに緊張したものです」
「? それはどういう……?」
純正の問いに、フレデリックは少しの間考え込んだが、複雑な表情をしている。
「難しい、と申しましょうか……」
どう見ても言葉を選んでいる。
お互いが転生者だと確信はしていても、腹の探り合いなのだ。
フレデリックが乗ってきた蒸気船は、確かに外輪式の旧式であるが、その他の分野では肥前国よりも進んでいるかもしれない。
軍事面で言えば、肥前国では雷管が数年前に実用化され、紙薬きょう(ドライゼ)ではあるが、後装式が配備されている。
対してオランダは?
もしかすると、金属薬きょう?
不安は拭えないのだ。
実際、史実においてスクリュープロペラ自体は、蒸気船黎明期よりその発想があった。
開発もされていたが、実用化、普及が遅れただけである。
「おおむね友好関係にありますね。ポルトガルはスペインと縁戚関係にありますが、肥前国と同盟を結んでスペインとは距離をおいて隆盛を誇っています。ですから英仏など、友好を望んでいる国が多い」
実際我が国も、とフレデリックは前置きして続ける。
「父であるウィレムから兄マウリッツまで、ポルトガルとは友好関係を築いてきました。スペインの凋落は著しく、そのおかげで南北も分裂せず、こんなにも早く独立できたのです」
『分裂せず』『こんなにも早く』
そのフレーズが、フレデリックが転生者である裏付けとなっている。
「しかしながら、わがネーデルラントの急激な台頭に対して、ポルトガル、つまりセバスティアン1世陛下がどういった考えをお持ちなのか。もし、私が『ただの』ポルトガルの国王なら? と考えると、懸念材料もあるからです」
純正はフレデリックの言葉を受けて、静かに問いかける。
「懸念材料とは、具体的には何でしょうか?」
「簡潔に申し上げれば、勢力均衡の変化です。ポルトガルは肥前国との友好関係と同盟を築いた結果、スペインの影響力から脱しました。これは賢明な選択と言えるでしょう」
事実、スペインは肥前国に敗北し、国家事業であるアジア・太平洋地域での利権を得ずに撤退した。
欧州ではアルマダでイギリスに敗戦し、今また新大陸ではアステカ・インカの残党に利権を取り戻されつつあるのだ。
フレデリックは少し身を乗り出し、周囲に誰もいないかを確認してから、声を落として話し始める。
「しかし、今や……国力を別とすれば、わがネーデルラントはポルトガルを明らかに抜いています。国家基盤は盤石とはいえませんが、少なくとも対等だとの自負はあります」
純正はゆっくりとうなずいた。
「そのうえで、我が国と貴国が結びつけば、大西洋と太平洋の2つの海域で強大な力を持つ可能性が出てきます。ポルトガルの立場から見れば、これは脅威に映るかもしれません」
純正にはフレデリックの懸念が理解できた。国家間の力関係は、常に微妙なバランスの上に成り立っているのだ。
「確かにそのとおりですね。しかし、我々の目的は覇権ではなく、平和的な発展にあると伝えれば、セバスティアン陛下にも理解されるでしょう」
「そうありたいものです」
フレデリックは懐から小さな包みを取り出した。
「これは、我が国の技術の結晶の1つです。お見せしたいと思って」
慎重に布を解くと、中には金色に輝く精巧な懐中時計が現れた。純正は興味深そうに手に取る。
「なんと見事な細工……」
表面には繊細な装飾が施され、裏には「Tempus Fugit」(時は飛ぶように過ぎる)とラテン語で刻まれていた。
カバーを開くと、数字とともに月の満ち欠けや星の位置まで表示する複雑な文字盤が現れる。
「これは、わがオラニエアカデミーで開発したクロノメーターの1つです。海上で正確な経度を測定するために不可欠なもので、航海技術を一変させました」
純正は時計を注意深く観察した。
精緻な歯車の動きは、従来の時計とは明らかに次元が違う。これほどの精密機械を作れるならば、ネーデルラントの工作技術は相当高いレベルに達しているのは間違いない。
「このアストロノミカルウォッチ(天文時計)はすばらしい技術です。我が国でも時計の研究は進めていますが、実にすばらしい」
純正は正直に感想を述べた。
肥前国の時計も精巧であったが、オランダの技術はそれに匹敵するほどである。
「これこそが、私がお話ししたかった内容の1つです」
フレデリックは真剣な表情で続けた。
「我々の国は異なる道を歩み、違った技術を発展させてきています。肥前国は蒸気機関や船舶技術で先行し、我々は時計や光学機器、精密機械の分野で進歩しました。もし、これらの知識を共有できれば……」
「双方にとって大きな飛躍になりますね」
純正は時計を大切にフレデリックに返しながら答えた。
「そして、我々が協力すれば、ポルトガルを含めた世界全体の発展にも寄与できるでしょう」
フレデリックは安心した。
「まさに、そのとおりです。我々は敵対するためではなく、協力するために遠路はるばる来たのです」
彼は再び懐から別の小さな物体を取り出した。それは金属の筒に複数のレンズが組み込まれた装置だった。
「これは最新の望遠鏡です。天体観測だけでなく、海上での監視にも役立ちます」
純正は興味深げにそれを手に取り、窓の外に向けてのぞき込んだ。鮮明に遠くの景色が見える。
「これは……いい望遠鏡ですね」
純正が驚いたのは、時計や望遠鏡の精度ではない。
これを『10年で』作りあげた技術力に、である。
もし、同じ時期に転生していたらどうなっていただろう?
悪意をもって技術革新を進めたのならば?
そう考えたら心中穏やかではない。
「そして、これは」
フレデリックは懐から小さな磁針を取り出した。
「改良型の羅針盤です。より正確な方位を示し、地磁気の変化にも対応できます」
オランダの技術が肥前国とは別の路線で発展を遂げていたのは明らかだった。
「フレデリック殿、あなたがこれらを見せてくれたのは、単なる技術の披露以上の意味があるのでしょう?」
純正の鋭い問いかけに、フレデリックは静かにうなずいた。
「はい。私は、肥前国とネーデルラントとの間に、強固な技術同盟を築きたいのです」
「技術同盟?」
「そうです。互いの得意分野の知識を交換し、共同で研究開発を進める。それにより、両国はさらに発展し、世界の平和と進歩に貢献できるのではないでしょうか」
純正は窓辺に歩み寄り、朝の光に照らされる諫早の街を見渡した。
「興味深い提案です。しかし、その同盟がポルトガルやイングランド、フランスにどう映るかも考えなければなりません」
「だからこそ」
フレデリックは熱を込めて続けた。
「軍事同盟を結ぶのではなく、技術と学術の交流を主な目的とします。私たちの目的は覇権ではなく、共存と発展です。それを示せば問題ないのでは?」
「……それが可能であれば、理想的でしょう」
純正はフレデリックに向き直った。朝の陽光が部屋に差し込み、二人の間に影を落としている。
「しかし、です。フレデリック殿。理想と現実は常に一致するわけではありません。我々がどれほど平和的な意図を持っていようとも、他国がそれをどう解釈するかは別の問題です」
純正はおかわりのコーヒーを飲み、フレデリックにコーヒーを勧めて、さらに続ける。
「特に、ポルトガル。彼らは長年我が国と友好関係を結び、多くの技術交流をしてきました。彼らにしてみれば、我々が突然、新興国ネーデルラントと密接な関係を結べば、少なからず懸念を抱くかもしれません」
純正の声は穏やかだったが、その言葉には現実的な厳しさが含まれていた。
「ええ、それは十分に理解しております」
フレデリックは真剣な表情で応じた。
「だからこそ、この技術・学術同盟は開かれたものであるべきです。秘密裏ではなく、ポルトガルにも目的と内容を明確に伝え、参加を呼びかけるべきでしょう。我々の協力が特定の国を排除するのではなく、人類全体の知識・技術進歩への貢献であると示せば、理解が得られるのではないでしょうか」
「人類全体の進歩……」
純正は静かに繰り返した。
その言葉は、転生して以来、漠然と抱き続けてきた理想でもあった。だが、それを現実の世界で実現する難しさも、純正は誰よりも知っている。
『世界政府』もしくは『国際連合(仮称)』の樹立を願ってはいるが、遠い道のりなのだ。果たして、純正の存命中にできるかどうか。
「すばらしい理想ですが、道のりは険しいでしょう。技術や知識は、そのまま国力、そして軍事力に直結します。我が国としても、全ての技術を公開しているわけではありません」
純正はそう言いながらも、フレデリックの真摯な目に、うそ偽りのない理想を感じ取っていた。
彼もまた、自分と同じように、この時代の閉塞感を打ち破り、より良い世界を築こうと願っているのかもしれない。2人でなら実現できるのではないか? と。
「承知しております。しかし殿下、互いの知識を共有すれば、単なる足し算ではない相乗効果が生まれると確信しております」
確かに、と純正は考えた。
考えた後に、フレデリックに静かに聞いたのである。
「ところで、あえて言葉にはしていませんが、貴殿は私と同じ転生者。しかし、貴国にはあなたのほかに、数人の転生者がいるのではありませんか?」
「……はい。合計で私も含めて108名の転生者がおります」
「なるほど。合点がいきました。そうですね、いいでしょう。貴殿が言う『技術・学術同盟』に、我が国も参加しましょう」
純正の脳裏にある種の予感がよぎり、そう答えたのであった。
次回予告 第874話 (仮)『世界技術・学術同盟』

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