慶応三年五月十日(1867年6月12日)
朝から快晴に恵まれたパリの空の下、万博会場では日本パビリオンの公開初日を迎え、正面入口には早朝から長蛇の列が形成されている。
四月一日の万博開幕から一ヶ月以上がたち、すでに各国の展示が注目を集める中、待望の日本展示に各国からの見学者が詰めかけているのだ。
「準備に時間はかかったが、この人気はうれしい誤算だな」
「はい、三万キロの航海を終え、感慨深いです」
次郎の問いかけに隼人は感無量で答えた。
「さあ、準備は万全だ。始めよう!」
次郎の号令で、スタッフたちが動き出した。
「Mesdames et Messieurs, bienvenue au pavillon du Japon à l’Exposition Universelle de Paris.」
(紳士淑女の皆様、パリ万国博覧会の日本パビリオンへようこそ)
蓄音機から流れる音楽に、会場内の人々が足を止める。フランス語による歓迎のあいさつに続き、三味線と尺八の調べが響き渡った。
反応はさらに大きくなり、その独特な響きにヨーロッパの聴衆は魅了されていく。
「Incroyable ! Comment cela fonctionne-t-il ?」
(信じられない! どんな仕組みなんだ?)
技術者らしき人物が廉之助に詰め寄る。音を記録し再生する仕組みについて、根掘り葉掘り質問を投げかけてきたのだ。
「申し訳ありませんが、詳細な説明は差し控えさせていただきます」
廉之助は丁重に、しかし毅然とした態度で応じた。その横で、ジャンが真剣な面持ちで蓄音機を観察している。
「面白いだろう?」
次郎が声をかけると、ジャンは目を輝かせた。
「はい! 振動を針で記録するなんて、すごい発想です。10年前にエドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィル が音を記録する技術を発明したと聞いていましたが、まさかこんなにはっきりと再生できるなんて……」
その鋭い観察眼に、次郎は思わず苦笑する。単なる好奇心ではない、科学的な探究心を感じさせる少年だった。
それに実名をあげて蓄音機の先駆的発明を説明したのだ。
明らかに隼人や廉之助と同じ部類である。
パビリオンの隅では、お里が写真撮影の実演をしていた。従来の技術より鮮明な画像と素早い現像処理に、見学者たちは驚きの声を上げている。
携帯可能なカメラはもちろん、脚立で撮影するカメラですら、ヨーロッパの10~20年先を行く技術だった。
「お里、そろそろ次の実演の準備を」
次郎の声に、お里は軽くうなずいた。
「はーい。でも、ジロちゃん。この調子なら大丈夫よ。みんな、すっごく興味持ってくれてるもの」
実際、写真技術の展示だけでも、フランスの技術者たちは熱心に質問を重ねていた。
湿板写真に代わる新技術の詳細や、現像方法の改良点など、どれも核心を突く質問ばかりである。
「兄上、エコール・ポリテクニークの技術者たちが、また来場されています」
隼人の報告に、次郎は眉をひそめた。
「何人だ?」
「数えきれません。入れ替わり立ち替わり、何十人も来ています。今回は写真技術の専門家も同行しているようです」
次郎はふう、と息を吐く。
まあ、軍事技術ではないから別にいいのだが。
実演するだけで技術の詳細は説明しない。
クルップ砲にしても口径や射程は記載されていたが、その製造過程や高炉の仕組みなど、事細かに書かれている武器などないからだ。
それに写真の技術は……。
偵察のための航空写真や、スパイ活動に使うくらいしか用途がないのではないか。
「まあいい。『大鯨』や『神雷』ではないのだ、失礼にならない程度に応じればよい」
「分かりました」
「……君、……きみきみ。そこの君」
「え? 僕の事?」
「そう、君だよ」
知らない人にはついて行くな、とはよく言うが、知らない人に根掘り葉掘り聞かれても、答えてはいけない。
ジャンが大村藩ブースの手伝いをしながら忙しく走り回っていると、数人のフランス人男性に呼び止められたのだ。
「え? ……あの、オジさんたち、なんですか?」
「ああ、ごめんごめん、怪しい者じゃないよ。ちょっと聞きたいことがあってね。君は見たところ、我々と同じフランス人だろう? この日本のブースで何をやっているのかね? もし、何らかの理由で捕まって、理不尽な仕打ちを受けているなら……」
ジャンはきょとんとして、何を言ってんだこのおっさん、という目で見ながら返事をする。
「いや、別に……。何もありませんよ。お願いを聞いてもらって、そのお返しに手伝っているだけだけど」
「お願い?」
男性の一人がピクンと表情を変えて詰め寄った。
「どんなお願いを?」
軍服を着ていないからといって、フランス軍関係者やエコール・ポリテクニークの人間ではないとは言いきれない。
「秘密です」
ジャンはきっぱりと言い切った。
「僕は大村藩の皆さんと約束しているんです。教えてもらった内容は一切話さないって」
男性たちは顔を見合わせた。
(教えてもらった?)
実際は核心に迫る技術は何一つ知らないジャンであるが、フランス陣営にはそうは映っていない。
「でも君、フランス人なのに日本人の手伝いをするなんて変じゃないかい? もし、何か困っているなら……」
「困ってなんかいませんよ!」
ジャンの声が少し高くなった。
「むしろ僕の方が、皆さんにお世話になってるんです。すごく面白い技術がいっぱいあって、勉強になります」
(面白い技術? 勉強になる?)
そのとき、お里の声が響いた。
「ジャーンー? ああいた! 次の実演の準備を手伝ってくれる?」
「はーい、すぐ行きます!」
ジャンは男性たちに軽く会釈すると、お里の元へ駆け寄っていった。男性たちは困惑した表情で、少年の背中を見送るしかなかったのである。
昼の部の実演は大成功に終わった。
蓄音機の実演はもちろんカメラによる撮影会が人気を博し、写真ブースには長蛇の列ができたのである。
日が落ちると、シャン・ド・マルスの会場は別の表情を見せ始めた。
「では、電灯の実演を始めましょう」
次郎の声に応じて、隼人と廉之助が準備を整える。
夜風に揺れる提灯の明かりが、日本パビリオンの周囲を柔らかく照らしていた。
見学者たちが固唾をのんで見守る中、ガラス球の中で柔らかな光がともっていく。
「Quel désordre !」
(なんてこった!)
白熱電球から放たれる温かみのある光は、提灯の揺らめく明かりとは全く異なる。安定した明るさが、夜の闇を静かに押し返していった。
「C’est différent de l’arc électrique!」
(アーク灯とは違う!)
歓声が上がる中、ジャンは目を輝かせていた。
興奮で高ぶった声だったが、電気が熱で光る原理について、すでに理解を示していたのだ。
「これなら建物の中でも使えますね! 炎も煙も出ないし、火事の心配もない」
「そうだ」
次郎は静かにうなずいた。
「しかし、これはまだ始まりにすぎないぞ」
その言葉通り、パビリオンの軒先に次々と白熱電球が点灯していく。柔らかな光の連なりは、まるで夜空の星々のようだった。
エコール・ポリテクニークの技術者たちは、息をのんで見つめている。
彼らの表情には驚きと共に、えもいわれぬ恐怖を感じているようであった。
次回予告 第400話 (仮)『移動と計算の革命』

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