第399話 『音と映像の革命』

 慶応三年五月十日(1867年6月12日)

 朝から快晴に恵まれたパリの空の下、万博会場では日本パビリオンの公開初日を迎え、正面入口には早朝から長蛇の列が形成されている。

 四月一日の万博開幕から一ヶ月以上がたち、すでに各国の展示が注目を集める中、待望の日本展示に各国からの見学者が詰めかけているのだ。

「準備に時間はかかったが、この人気はうれしい誤算だな」

「はい、三万キロの航海を終え、感慨深いです」

 次郎の問いかけに隼人は感無量で答えた。




「さあ、準備は万全だ。始めよう!」

 次郎の号令で、スタッフたちが動き出した。

「Mesdames et Messieurs, bienvenue au pavillon du Japon à l’Exposition Universelle de Paris.」

(紳士淑女の皆様、パリ万国博覧会の日本パビリオンへようこそ)

 蓄音機から流れる音楽に、会場内の人々が足を止める。フランス語による歓迎のあいさつに続き、三味線と尺八の調べが響き渡った。

 反応はさらに大きくなり、その独特な響きにヨーロッパの聴衆は魅了されていく。

「Incroyable ! Comment cela fonctionne-t-il ?」

(信じられない! どんな仕組みなんだ?)

 技術者らしき人物が廉之助に詰め寄る。音を記録し再生する仕組みについて、根掘り葉掘り質問を投げかけてきたのだ。

「申し訳ありませんが、詳細な説明は差し控えさせていただきます」

 廉之助は丁重に、しかし毅然きぜんとした態度で応じた。その横で、ジャンが真剣な面持ちで蓄音機を観察している。

「面白いだろう?」

 次郎が声をかけると、ジャンは目を輝かせた。

「はい! 振動を針で記録するなんて、すごい発想です。10年前にエドゥアール=レオン・スコット・ド・マルタンヴィル が音を記録する技術を発明したと聞いていましたが、まさかこんなにはっきりと再生できるなんて……」

 その鋭い観察眼に、次郎は思わず苦笑する。単なる好奇心ではない、科学的な探究心を感じさせる少年だった。

 それに実名をあげて蓄音機の先駆的発明を説明したのだ。

 明らかに隼人や廉之助と同じ部類である。

 パビリオンの隅では、お里が写真撮影の実演をしていた。従来の技術より鮮明な画像と素早い現像処理に、見学者たちは驚きの声を上げている。

 携帯可能なカメラはもちろん、脚立で撮影するカメラですら、ヨーロッパの10~20年先を行く技術だった。

「お里、そろそろ次の実演の準備を」

 次郎の声に、お里は軽くうなずいた。

「はーい。でも、ジロちゃん。この調子なら大丈夫よ。みんな、すっごく興味持ってくれてるもの」

 実際、写真技術の展示だけでも、フランスの技術者たちは熱心に質問を重ねていた。

 湿板写真に代わる新技術の詳細や、現像方法の改良点など、どれも核心を突く質問ばかりである。

「兄上、エコール・ポリテクニークの技術者たちが、また来場されています」

 隼人の報告に、次郎は眉をひそめた。

「何人だ?」

「数えきれません。入れ替わり立ち替わり、何十人も来ています。今回は写真技術の専門家も同行しているようです」

 次郎はふう、と息を吐く。

 まあ、軍事技術ではないから別にいいのだが。

 実演するだけで技術の詳細は説明しない。

 クルップ砲にしても口径や射程は記載されていたが、その製造過程や高炉の仕組みなど、事細かに書かれている武器などないからだ。

 それに写真の技術は……。

 偵察のための航空写真や、スパイ活動に使うくらいしか用途がないのではないか。

「まあいい。『大鯨』や『神雷』ではないのだ、失礼にならない程度に応じればよい」

「分かりました」




「……君、……きみきみ。そこの君」

「え? 僕の事?」

「そう、君だよ」

 知らない人にはついて行くな、とはよく言うが、知らない人に根掘り葉掘り聞かれても、答えてはいけない。

 ジャンが大村藩ブースの手伝いをしながら忙しく走り回っていると、数人のフランス人男性に呼び止められたのだ。

「え? ……あの、オジさんたち、なんですか?」

「ああ、ごめんごめん、怪しい者じゃないよ。ちょっと聞きたいことがあってね。君は見たところ、我々と同じフランス人だろう? この日本のブースで何をやっているのかね? もし、何らかの理由で捕まって、理不尽な仕打ちを受けているなら……」

 ジャンはきょとんとして、何を言ってんだこのおっさん、という目で見ながら返事をする。

「いや、別に……。何もありませんよ。お願いを聞いてもらって、そのお返しに手伝っているだけだけど」

「お願い?」

 男性の一人がピクンと表情を変えて詰め寄った。

「どんなお願いを?」

 軍服を着ていないからといって、フランス軍関係者やエコール・ポリテクニークの人間ではないとは言いきれない。

「秘密です」

 ジャンはきっぱりと言い切った。

「僕は大村藩の皆さんと約束しているんです。教えてもらった内容は一切話さないって」

 男性たちは顔を見合わせた。

(教えてもらった?)

 実際は核心に迫る技術は何一つ知らないジャンであるが、フランス陣営にはそうは映っていない。

「でも君、フランス人なのに日本人の手伝いをするなんて変じゃないかい? もし、何か困っているなら……」

「困ってなんかいませんよ!」

 ジャンの声が少し高くなった。

「むしろ僕の方が、皆さんにお世話になってるんです。すごく面白い技術がいっぱいあって、勉強になります」

(面白い技術? 勉強になる?)

 そのとき、お里の声が響いた。

「ジャーンー? ああいた! 次の実演の準備を手伝ってくれる?」

「はーい、すぐ行きます!」

 ジャンは男性たちに軽く会釈すると、お里の元へ駆け寄っていった。男性たちは困惑した表情で、少年の背中を見送るしかなかったのである。




 昼の部の実演は大成功に終わった。

 蓄音機の実演はもちろんカメラによる撮影会が人気を博し、写真ブースには長蛇の列ができたのである。

 日が落ちると、シャン・ド・マルスの会場は別の表情を見せ始めた。

「では、電灯の実演を始めましょう」

 次郎の声に応じて、隼人と廉之助が準備を整える。

 夜風に揺れる提灯の明かりが、日本パビリオンの周囲を柔らかく照らしていた。

 見学者たちが固唾をのんで見守る中、ガラス球の中で柔らかな光がともっていく。

「Quel désordre !」

(なんてこった!)

 白熱電球から放たれる温かみのある光は、提灯の揺らめく明かりとは全く異なる。安定した明るさが、夜の闇を静かに押し返していった。

「C’est différent de l’arc électrique!」

(アーク灯とは違う!)

 歓声が上がる中、ジャンは目を輝かせていた。
 
 興奮で高ぶった声だったが、電気が熱で光る原理について、すでに理解を示していたのだ。

「これなら建物の中でも使えますね! 炎も煙も出ないし、火事の心配もない」

「そうだ」

 次郎は静かにうなずいた。

「しかし、これはまだ始まりにすぎないぞ」

 その言葉通り、パビリオンの軒先に次々と白熱電球が点灯していく。柔らかな光の連なりは、まるで夜空の星々のようだった。




 エコール・ポリテクニークの技術者たちは、息をのんで見つめている。
 
 彼らの表情には驚きと共に、えもいわれぬ恐怖を感じているようであった。




 次回予告 第400話 (仮)『移動と計算の革命』

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