第24話 『五人の技術者、それぞれの戦場で』

 1591年2月19日(天正19年1月26日) ライデン

 フレデリック・ヘンドリックは(1584年1月29日~7歳/前世は51歳・伊藤英太郎)ネーデルランド総督の弟。前世は理工学者で外交官。

 オットー・ヘウル二ウスは(1577年9月8日 ~13歳/前世は36歳・菊池大輔)ライデン大学医学部教授の息子。前世は外科医。

 シャルル・ド・モンモランシーは(1550年6月5日~40歳/前世は68歳・佐藤健一)ホールン伯の息子。前世は農学者で農家。

 シャルロット・ド・モンモランシーは(1585年3月20日~5歳/前世は61歳・高橋美智子)シャルルの娘。双子の兄がいる。前世は銀行頭取。

 ウィレブロルド・スネルは(1580年6月13日~11歳/前世は27歳・佐々木悠人)ルドルフ(ヘブライ語・数学)の息子。前世は天文学博士。

 フレデリックとオットーの二人で始めた『コンパス・オブ・ディスティニー』は仲間を五人に増やし、着々と活動を続けていた。

 広告の効果はウィル以降現れなかったが、フレデリックは地道に続けていくつもりである。

 ■ライデン大学 天文台

 ウィルは新しい星図の作成に没頭していた。

 フレデリックと共同開発した精密な子午儀を使い、これまでにない正確さで星の位置を記録していく作業である。

「これが航海術の精度を大きく向上させるんだよ」

 ウィルは、ライデン大学の教授である父ルドルフに熱心に説明した。数学者の彼の父は、天文学の知識も豊富である。

 当時の学者は特定の分野に限らず、網羅的に研究する傾向があった。

 もっとも、そこまで掘り下げて研究されていなかった分野もあるだろうが、それにしても博学だ。

「従来の星図と比べて誤差が10分の1以下になれば、月距法による経度推定の精度も向上します」

「だが、経度の正確な測定には依然として時計が必要だろう?」

 ルドルフは息子の作業を眺めながら尋ねた。

「うん」

 やはり、これが転生者の特徴だろうか。

 フレデリックや他のメンバーと同様に、父親の前では違和感なく少年だ。

「完全な解決には船上で使える精密時計が必要だけど、それはもっと先の話。でも、この星図と月の運行表を組み合わせれば、月距法の精度を大幅に向上できると思います。緯度測定も正確になって、海図もより精密になるよ」

 彼は大きな星図を指差した。

「それから、フレデリックと僕は港ごとに正確な時計を設置する計画も検討しているんだ。出港時に時計を合わせて、航海中の推定位置の検証に使えば、航路の安全性は格段に高まるはずです」

「息子よ、それは……」

 ルドルフは言葉を探した。

「地図作りの革命になるかもしれないな」

 ウィルはうなずいた。父の言葉に、前世の記憶が重なる。

 地図作りの革命――いつの日か、ゲラルト・デ・クレーマー(ゲラルドゥス・メルカトル)やアブラハム・オルテリウスに匹敵する偉業と評価されるかもしれない。

 さらに今、この時代にそれを実現しようとしているのは、11歳の少年である。

 いや、27歳の天文学者の魂を宿した少年。

 父ルドルフには転生の事実を打ち明けているが、それでも時折不思議そうな目で息子を見つめてしまう。

「でもね、父さん。これはまだ始まりにすぎないんだよ」

 ウィルはアムステルダムの工房で、フレデリックと共に進めている光学機器の開発を思い出した。

 レンズを組み合わせた装置が完成すれば、人類の視界は一気に広がるはずだ。

 微小な世界にも、はるか遠くの星々にも、これまで誰も見たことのない光景が広がっているだろう。

 ■モンモランシー領

 モンモランシー家の領地では、シャルル・ド・モンモランシーが春の作付けに向けた準備に追われていた。彼の農業改革は地道だが、着実に進展している。

 父のフィリップ・ド・モンモランシーは健在だが、シャルルは嫡子としての役割を果たしつつ、大好きな農作業をしていたのだ。

 土壌分析のために開発した沈降分離法と浸透速度測定は、各農地の特性を明確に示していた。

 シャルルはガラス瓶に入った層状に分かれた土壌サンプルを前に、領地管理人のヘンドリック・ボスに説明を続ける。

「この層の厚さが砂の量を、この層が粘土の量を示している。これによって、どの畑にどの作物が適しているかが分かるのだ」

 さらに、彼は赤キャベツの煮汁を使った簡易的な酸性度測定で、西側の畑に石灰が必要な事実を発見。

 土壌特性に基づいた科学的輪作計画も完成させていた。

 深根性作物と浅根性作物の交互栽培、豆類の計画的導入による窒素固定など、現代的な農法を16世紀の技術で実現しようとする野心的な試みである。

 ジャガイモ・ヒマワリ・テンサイ・トウモロコシなどを効果的に栽培しているが、技術的な問題も多かった。

 金属加工技術が未発達のために、まともな農具がなく、動力も人力もしくは家畜である。化学肥料もなく、土壌分析にしても、どうしても原始的な域を出ない。

 病害虫対策や種子の入手と保存、|灌漑《かんがい》も手をつけるべき課題である。

 同時に、シャルルもまた農家の反発に直面していた。

『先祖代々の方法を変える必要はない』という年配農民たちの保守的姿勢は、科学的な説明では容易に揺るがない。

 特に、領地内で最も影響力のあるギルバート老がネックであった。

『若様の奇妙な考えは、神が定めた自然の秩序に反している』

 と公言したせいで、多くの農民たちが改革に対して徐々に距離を置いていったのだ。

 そんな中、希望の光は、若手農民のマティアス・ホーンにあった。

「私の小さな畑で試してみてもいいですか、シャルル様」

 彼の申し出は、シャルルに実証の機会を与えたのだ。

 マティアスの畑を『モデル農場』として、科学的農法の効果を目に見える形で示せれば、他の農民たちの心も動かせるかもしれない。

 ■アムステルダム 商業地区

 シャルロット・ド・モンモランシーは、塩の生産で得た資金を元手に、より大きな計画の実現に向けて動き始めていた。

 表向きは父シャルルが会長の『暁の方舟商会』だが、実質的な経営者はシャルロットである。他の仲間たちを財政面で支えるため、彼女は前世の知識を頼りに、新しい商業の仕組みを構築しようと試みていたのだ。

 彼女がまず着手したのは帳簿の記帳方法の見直しで、若い書記のトマスに丁寧に説明している。

「トマス、見てご覧なさい。この記帳方法では、全ての取引を二つの側面から記録するのよ。例えば、商品を売れば、お金が増える一方で、商品は減る。これを両方とも記録することで、どんなに複雑な商取引でも正確に把握できるようになるの」

 トマスは怪訝な顔で頁を見つめる。

「しかしお嬢様、こんな複雑な記帳方法、必要でしょうか? 今まで通りの方法でも……」

「今まで通りでは、商会の規模が大きくなった時に、必ず問題が生じるわ。それに、この方法を使えば、今どれだけの利益が出ているのか、一目瞭然になるのよ」

 シャルロットは根気強く説明を続けた。

 複式簿記はまだこの時代には浸透していない。

 ましてや、若い書記には理解が難しいのも無理はないのだ。それでも、シャルロットは諦めなかった。この記帳方法は、彼女の計画にとって重要な一歩となるからである。

 同時に、シャルロットは慎重に協力者を探していた。

『理解ある商人』と彼女が呼ぶ、新しい発想を受け入れるだけの柔軟性を持った人物たちだ。

 羊毛商人のヤコブ・フィッシャーと香辛料商のウィレム・ファン・デル・ドースは、彼女の奇妙なアイデアに興味を示し、少額ながら出資を申し出ている。

 彼らの理解は、シャルロットにとって大きな支えとなった。

 しかし、商人ギルドの反応は冷ややかである。

 特に、有力な商人協会の長老コルネリウス・ヴァン・デ・プートは、シャルロットのやり方を公然と批判した。

「女性が商業に口出しするなど、言語道断! ましてやこのような異様な記帳方法や、危険を分散させるなどという考えは、商人の精神を腐敗させるものだ!」

 コルネリウスは、シャルロットが提案する共同出資の仕組みを「異端」と断じた。

 複数の商人が資金を出し合い、リスクを共有するという概念は、この時代の商人たちには理解しがたいものなのだろう。

 一人ですべてのリスクを負い、大きな利益を得る、それが商人としての矜持だと彼らは考えていた。

「全く、時代遅れな……」

 シャルロットは内心でため息をついた。現代で当たり前のように行われているリスクヘッジの概念を、この時代に理解させるのは容易ではない。

 そんな中でも、若い貿易商アーレント・ケッセルだけは違った。

「シャルロットお嬢様の発想は実に興味深い。海洋交易は危険が大きい。だからこそ、複数の商人でリスクを分散させるというのは理にかなっている。私も賛同します」

 アーレントの言葉は、逆風の中にいるシャルロットにとって、一筋の光となった。

 シャルロットは内心で決意を新たにする。

 この時代の人々の理解を得るのは難しいかもしれない。それでも、前世の知識を活かし、新しい商業の仕組みをこの世界に根付かせる。

 それが、彼女の使命だと感じていた。

 ■コンパス会議

 五人が『コンパス・オブ・ディスティニー』の秘密基地に集結した。

「じゃっじゃーん!」

 フレデリックは完成したばかりのメートル原器を誇らしげに披露。

「これがオレたちの最初の具体的成果だ。精密測定なくして、本当の技術革新はありえないしな」

「そのおかげで、これだ! この精度の天文観測が実現すれば、航海術も一変する。いずれは経度の問題も解決できるだろう」

 ウィルも新しい星図の一部を広げた。

 各自が一ヶ月の成果と直面している壁を報告する中で、共通のパターンが見えてきた。

 革新的なアイデアが保守的な「権威」によって阻まれている現実。

 しかし、同時に若い世代の中に理解者と協力者を見出しつつあったのだ。

「まあ、反発はあると思ってたけどな。ある程度はオレやシャルルおじさんの貴族の権威で何とかなると思うけど、権威で押しつけても、結局もっと大きな反発が来る」

 フレデリックは『内側からの変革』戦略を改めて強調した。

「正面から対決するんじゃなく、実績を積み重ねて、若いヤツらの中に理解者を増やしていく。それがオレたちの道だ。オレたちが多数派になれば、何も言えなくなるさ」

 五人は次の一ヶ月の目標を設定し、お互いの分野での連携強化を約束する。

 フレデリックとウィルの光学機器が、オットーの医学研究を支えた。

 シャルロットの資金繰りが、それぞれの商品開発に貢献した。

 技術と知識の相互交流が、彼らの最大の武器となっていく。

「オレたちの活動が拡大するにつれ、連絡手段も重要になる。これは私たちだけの暗号だ。危険な状況でも安全に情報を伝えられる」

 会議の最後に、フレデリックは小さな木箱から5つの特殊な符号表を取り出して渡した。

「おー、まさに中二病だねえ~」

 シャルルがちゃかすと、シャルロットが笑いながら続く。

「ほんっと、男子ってそんなの好きよね」

 何度も言うが、中身は61歳のおばちゃん(おばあちゃん?)なのである。

 五人は新たな決意と結束を胸に、それぞれの戦場へと戻っていった。

 測定機器と書物の並ぶ秘密基地が、静かに時を刻み続けている。

 机の上には、フレデリックとアドリアンが共同開発した拡大観察装置が置かれ、微小な世界への窓として新たな可能性を示していた。

 次回予告 第25話 (仮)『暁の方舟商会の船出』

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