第34話 『新たな礎』

 王国暦1047年12月11日(火)15:00 = 地球暦 2025年09月07日(土)23:39:00 <田中健太(ケント)>

「殿下、アポロ殿、証人としての署名をお願いします」

 オレはテーブルに広げた誓約書を指差した。アルとアポロは無言でうなずく。

 誓約書にはセレスティアがオレたちへの不干渉を誓い、金貨5,000枚を支払うことが明記されていた。

 違反すれば王家による厳しい処罰が下される。

 アルが誓約書の内容を読み上げて確認を促が、セレスティアは真っ青な顔でその言葉を聞いていた。

 ヴィクターは床に座り込んだままだ。

 マルクスは拘束した他の捕虜を連れてきて様子を見ている。

「では、署名を」

 アルはペンをセレスティアに差し出した。

 セレスティアの手は震えている。

 インク壺からペン先が離れるたびに顔には悔しさがにじみ出ていた。震える手で自身の名前を書き記す。

「次にヴィクター魔導院長」

 アルに促され、ヴィクターも震える手で署名した。

 2人の署名が終わると、アルとアポロが証人として連名する。これで魔法省からの干渉はなくなるだろう。

 ……今のところはな。

 オレはヤツらを信用していない。表向き従っているようでも、いつどんな手で妨害してくるかわからないんだ。

「これで取引は成立だな」

 オレは満足げに誓約書を畳んだが、セレスティアは顔を歪めたまま何も言わない。

 ヴィクターは虚ろな目で宙を見つめている。

「大臣殿、今回の件はこれで水に流しましょう。2度と手出しはしないと誓うならば」

 セレスティアは憎悪のこもった目でオレをにらむ。

 やっぱりな。

 いつか復讐してやる、そんな目だ。

「分かったわ……でも覚えておきなさい。この屈辱は……必ず返してやる」

「大臣」

 アルが釘を刺した。

「いいかな? 2度とないように」

「……はは」

 セレスティアはそれだけ言い残し、ヴィクターを引きずりながら工房を出ていった。

 工房に残ったオレたちを、アルとアポロが無言で見つめている。

「ケント殿、すごいことになりましたね」

 アルは呆れたように口にしたが、表情は楽しげだ。

「まさかセレスティアを相手に、ここまで強気な交渉ができるとは」

 アポロも感心してうなずいた。

「これも全て殿下とアポロ殿のおかげです。証人になってくださって感謝します」

 オレは頭を下げて見せた。

「いえ、僕はただ事実を認めただけです。それにこの国の為にも、ケント殿の技術は必要ですから」

 アルは穏やかな表情で言った。彼の言葉には偽りがない。

「アポロ殿、今回の件では感謝する。でもいいのか? これから魔法省内で立場が悪くなるんじゃないか?」

「ははははは、心配はいらないよ。セレスの独裁に嫌気がさしていた者は多い。今回の件だって内心せいせいしているヤツらいつはずだ。まあ、かく言う僕もその1人だけどね。それより前々から話していた件だけど……」

 アポロは以前から地球の技術に興味津々で、研究の申し出をしてきていたのだ。

「まあ、世話になりっぱなしも悪いからな。いいよ。その代わり嘘はなしだぞ」

「おお! 分かっているよ。それにセレスがあのまま引き下がるとも思えない。ひとまずは共同戦線で、いいかな?」

「ああ」

「……さて、工房を壊されたばかりで金貨5,000枚だ。その金で何をするつもりだ?」

 アポロは興味津々といった様子で聞いてきた。

「まずは印刷機の作り直しだな」

 オレは迷うことなく答える。

「活版印刷機ですか……」

 アルは目を丸くした。

「ああ、壊されたからもう1回作る。今回の一件で印刷機に関しては王家直轄事業に決まるんじゃないか? 魔法省はありえないし、技術省だと心もとない」

「わかりました。父上を通じて陛下に奏上してみましょう。おっしゃるとおり、王家管轄がベストでしょう」

「よろしく頼む」

 公式な場では硬い口調のアルだったが、ここにはアポロと身内しかいない。

 アポロはとやかく言うヤツじゃなさそうだし、なによりアルがそう望んでのタメ口だ。

 数日後、オレたちは完成した新型印刷機をギルドへ持参した。

 何度かの試し刷りの後で権利を王家に譲渡する手続きをしたんだが、名目上はギルドからの報奨金でも、金主は王家だ。

 報奨金が金貨2,000枚。

 合計7,000枚になった。

 ■中央広場

「すごい! 傷口も膿んでないし、すっかりふさがって治ってる!」

 多少足を引きずってはいるが、座り込んで物乞いをしていた傷痍軍人が杖をつきながら歩いてみせた。

 中央広場は歓声に包まれる。

 エリカの無料治療が、また1人、苦しむ人を救ったのだ。

「エリカ先生、ありがとう! 本当にありがとう!」

 元傷痍軍人は目に涙を浮かべ、何度も頭を下げて感謝した。

 エリカは優しい笑顔でその手を握り返す。

「どういたしまして。きちんと清潔にして、無理はしないでくださいね」

 その光景を見ていた人々は、感動の渦に巻き込まれていた。

 エリカが配る白石けんの評判はさらに広がるだろう。レイナは広がる人だかりを見て、満足げに微笑んだ。

「エリカお姉ちゃん、ありがとう。もう痛くないよ」

 怪我をして泣いていた少年も笑顔をみせる。工事現場で手を怪我した職人も同じだ。

 <田中健太・ケント>

「ケント、これで白石けんが飛ぶように売れるわね!」

 レイナがオレに報告する。

「ああ、その様子だと無料治療の効果は確実に出ているみたいだね。これなら資金繰りも順調に進むな」

 オレはホッと一安心だ。

 臨時収入があったとはいえ、収入の柱は必要だ。

 石けん事業が成功すれば、安定した収益源になる。

「それで、次は富裕層向けの石けんを開発したいんだけど……」

 エリカは目を輝かせた。

「富裕層向けか。どんな石けんだ?」

「そうね……色と香りにこだわった高級品。名前は『翠石けん』なんてどうかしら?」

 エリカは目を閉じて、イメージを膨らませた。

「翠石けんか、いいじゃないか。君とルナの感性で作るといい。……商人ギルドのゲルハルトとは面識があるんだろう?」

「ゲルハルト? ……ああ、あの」

 エリカは最初に挨拶に行った男を思い出した。

 絶対ムリだと断言していた男だ。

「彼に頼めば、貴族や富裕層への強力な販路を確保できる」

 オレはゲルハルトとの交渉を思い描いた。彼は金にがめつい男だが、腕は確かだ。

「でも、あの人って最初から私たちを見下してたじゃない」

 エリカとルナはしかめっ面をしているが、売上の拡大と安定した収入のためには、避けては通れない。

「確かにそうだけど、商売は別だよ。利益が見込めるとわかれば態度が変わるに決まってる」

 オレは現実的に考えていた。

 ゲルハルトは金の匂いに敏感な男だ。白石けんの成功を見れば、必ず食いついてくる。

 最初にギルマスに紹介されたときから分かっていたことだ。
 
「分かった。やってみるわ。でも条件は厳しくするわよ」

 エリカは渋々承諾した。

「それでいい。向こうから頭を下げてくる状況を作ってから交渉に臨む」

 オレは戦略を練り始めた。

 あー、もう完全に専門分野外なんだけど、みんな生粋の学者で、オレが一番マシなもんだから仕方がない。

 どこかに信用できる商人はいないもんかな。

 だいたいなろう系じゃ商人や冒険者にかなりの強力者がいるもんなんだけどな……。

 まあ、ないものねだりしても仕方ない。

 そのうち見つかるだろう。

 あ、そうだ。

 冒険者のガルドに聞いてみよう。

 ギルドで買い取ってもらえなかったもんは直接商人に売っぱらってるって聞いたから、いい商人を紹介してくれるかもしれない。

「ガルドに聞いてみるのは良いアイデアね」

「そうだな。今度酒場で会ったときにでも聞いてみようか」

 オレは頭の中で計画を整理した。

 ひとまず拠点開発の資金はゲットしたんだ。

 建設費を支払っても金貨3,000枚の余裕がある。

 だから石けんビジネスや蒸留酒ビジネスは急がなくてもいい。

 それよりも質を重要視しながら武器の製造と防御計画を練ろう。

 次回予告 第35話 『銃の製造激短計画と地球へ再び』

 ケントは魔法大臣セレスティアとの誓約書締結により、魔法省からの不干渉と金貨5,000枚の賠償金を獲得。

 アルフレッド王子とアポロの証人署名で取引が成立するが、セレスティアは復讐を誓って去る。

 その後、破壊された印刷機を再製造し王家に献上、報奨金2,000枚を得て総資金7,000枚を確保。

 エリカの無料治療により白石けんが大ヒットし、富裕層向け「翠石けん」開発と商人ギルドのゲルハルトとの販路拡大交渉を計画する。

 次回、そうは言っても備えあれば憂い無し。

 銃の製造のための加工機械の設計と製造を繰り返し、迎えた地球時間の日の出だが……。

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