王国暦1047年12月11日(火)15:00 = 地球暦 2025年09月07日(土)23:39:00 <田中健太(ケント)>
「殿下、アポロ殿、証人としての署名をお願いします」
オレはテーブルに広げた誓約書を指差した。アルとアポロは無言でうなずく。
誓約書にはセレスティアがオレたちへの不干渉を誓い、金貨5,000枚を支払うと明記されていた。
違反すれば王家による厳しい処罰が下される。
アルが誓約書の内容を読み上げて確認を促し、セレスティアは真っ青な顔で聞いていた。
ヴィクターはまだ床に座り込んでいる。
「では、署名を」
アルはペンをセレスティアに差し出した。
ヤツの手は震えている。
ペンを走らせるたびに顔には悔しさがにじみ出ていた。震える手で自身の名前を書き記す。
「次にヴィクター魔導院長」
アルに促され、ヴィクターも震える手で署名した。
2人の署名が終わると、アルとアポロが証人として署名する。これで魔法省からの干渉はなくなるはずだ。
……今のところはな。
オレはヤツらを信用していない。表向き従っていても、いつどんな手で妨害してくるか分からないんだ。
「これで取引は成立だな」
オレは満足げに誓約書を畳んだが、セレスティアは顔を歪めたまま何も言わない。
ヴィクターはボーッと宙を見つめている。
「大臣、2度と手出しはしないと誓うなら、今回の件は水に流しましょう」
セレスティアは憎悪のこもった目でオレをにらむ。
やっぱりな。
いつか復讐してやる、そんな目だ。
「分かったわ……でも覚えておきなさい。この屈辱は……必ず返してやる」
「大臣」
アルが釘を刺した。
「いいかな? 2度とないように」
「……は」
セレスティアは捨て台詞をはいて、ヴィクターを引きずりながら工房を出ていった。
残ったオレたちを、アルとアポロが無言で見つめている。
「ケントさん、すごいことになりましたね」
アルはあきれて思わず口にしたが、表情は楽しげだ。
「まさかセレスを相手に、ここまで強気な交渉ができるとは」
アポロも感心してうなずいた。
「これも全て殿下とアポロ殿のおかげです。証人になってくださって感謝します」
オレは頭を下げた。
「いえ、僕はただ事実を認めただけです。この国の為にも、ケントさんの技術は必要ですから」
アルは穏やかな表情で言った。彼の言葉には偽りがない。
「アポロ殿、今回の件では感謝する。でもいいのか? これから魔法省内で立場が悪くなるぞ?」
「ははははは、心配はいらないよ。セレスの独裁に嫌気がさしていた者は多い。今回の件だって内心せいせいしているヤツもいるはずだ。まあ、かく言う僕もその1人だけどね。それより前々から話していた件だけど……」
アポロは以前から地球の技術に興味津々で、研究の申し出をしてきていたのだ。
「ああ、世話になりっぱなしも悪いからな。いいよ。その代わり嘘はなしだぞ」
「おお! 分かっているよ。それにセレスがあのまま引き下がるとも思えない。ひとまずは共同戦線で、いいかな?」
「ああ」
「……さて、工房を壊されたとはいっても金貨5,000枚だ。その金で何をするつもりだ?」
アポロは興味津々といった様子で聞いてきた。
「まずは印刷機の作り直しだな」
オレは迷わず答える。
「活版印刷機ですか……」
アルは目を丸くした。
「ああ、壊されたからもう1回作る。今回の一件で印刷機に関しては王家直轄事業に決まるんじゃないか? 魔法省はありえないし、技術省だと心もとない」
「分かりました。父上を通じて陛下に奏上してみましょう。おっしゃるとおり、王家管轄がベストでしょうね」
「よろしく頼む」
公式な場では硬い口調のアルだったが、ここにはアポロと身内しかいない。
アポロはとやかく言うヤツじゃなさそうだし、なによりアルがそう望んでのタメ口だ。
数日後、オレたちは完成した新型印刷機をギルドへ持参した。
何度かの試し刷りの後で権利を王家に譲渡する手続きをしたんだが、名目上はギルドからの報奨金だが、金主は王家だ。
報奨金は金貨2,000枚。
合計7,000枚になった。
■中央広場
「すごい! 傷口もうんでないし、すっかりふさがって治ってる!」
多少足を引きずってはいるが、座り込んで物乞いをしていた軍人が、杖をつきながら歩いてみせる。
中央広場は歓声に包まれた。
無料治療が、また1人苦しむ人を救ったのである。
「エリカ先生ありがとう! 本当にありがとう!」
軍人は目に涙を浮かべ、何度も頭を下げて感謝した。
エリカは笑顔でやさしくその手を握り返す。
「どういたしまして。きちんと清潔にして、無理はしないでくださいね」
群衆は感動の渦に巻き込まれていた。
白石けんの評判はさらに広がるはずだ。レイナは広がる人だかりを見て、満足げに微笑んだ。
「エリカお姉ちゃん、ありがとう。もう痛くないよ」
怪我をして泣いていた少年も笑顔を見せる。工事現場で手を怪我した職人も同じだ。
<田中健太・ケント>
「ケント、これで白石けんが飛ぶように売れるわね!」
レイナがオレに報告した。
「ああ、無料治療の効果は確実に出ているみたいだね。これなら資金繰りも順調に進むな」
オレはホッと一安心だ。
臨時収入があったとはいえ、収入の柱は必要だ。
石けん事業が成功すれば、安定した収益源になる。
「それで、次は富裕層向けの石けんを開発したいんだけど……」
エリカは目を輝かせた。
「富裕層向けか。どんな石けんだ?」
「そうね……色と香りにこだわった高級品。名前は『翠石けん』なんてどうかしら?」
エリカは目を閉じて、イメージを膨らませた。
「翠石けんか、いいじゃないか。君とルナの感性で作るといい。……商人ギルドのギルマスとは面識があるんだろ?」
「ゲルハルト? ……ああ、あの」
エリカは最初に挨拶に行った男を思い出した。
絶対無理だと断言していた男だ。
「ヤツに頼めば、貴族や富裕層への強力な販路を確保できる」
オレはゲルハルトとの交渉を思い描いた。金にがめつい男だが、腕は確かだ。
「でも、あの人って最初から私たちを見下してたじゃない」
エリカとルナはしかめっ面をしているが、売上の拡大と安定した収入の為には、避けては通れない。
「確かにそうだけど、商売は別だよ。利益が見込めると分かれば態度が変わるに決まってる」
オレは現実的に考えていた。
ゲルハルトは金の匂いに敏感な男だ。白石けんの成功を見れば、必ず食いついてくる。
最初にギルマスに紹介されたときから分かっていたことだ。
「分かった。やってみるわ。でも条件は厳しくするわよ」
エリカは渋々承諾した。
「それでいい。向こうから頭を下げてくる状況を作ってから交渉に臨むんだ」
オレは戦略を練り始めた。
あー、もう完全に専門分野外なんだけど、みんな生粋の学者で、オレが一番マシなもんだから仕方がない。
どこかに信用できる商人はいないもんかな。
だいたいなろう系じゃ商人や冒険者にかなりの協力者がいるもんなんだけどな……。
まあ、ないものねだりしても仕方ない。
そのうち見つかるだろう。
あ、そうだ。
冒険者のガルドに聞いてみようかな。
ギルドで買い取ってもらえなかったもんは直接商人に売っぱらってるって聞いたから、いい商人を紹介してくれるかもしれない。
オレは頭の中で計画を整理した。
ひとまず拠点開発の資金はゲットしたんだ。
建設費を支払っても金貨3,000枚の余裕がある。
だから石けんビジネスや蒸留酒ビジネスは急がなくてもいい。
それよりも質を重要視しながら武器の製造と防御計画を練ろう。
次回予告 第35話 『銃の製造激短期計画と地球へ再び』
ケントは魔法大臣セレスティアとの誓約書締結により、魔法省からの不干渉と金貨5,000枚の賠償金を獲得。
アルフレッド王子とアポロの証人署名で取引が成立するが、セレスティアは復讐を誓って去る。
その後、破壊された印刷機を再製造し王家に献上、報奨金2,000枚を得て総資金7,000枚を確保。
エリカの無料治療により白石けんが大ヒットし、富裕層向け「翠石けん」開発と商人ギルドのゲルハルトとの販路拡大交渉を計画する。
次回、そうは言っても備えあれば憂いなし。
銃製造用の加工機械の設計と製造を繰り返し、迎えた地球時間の日の出だが……。


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