第33話 『取引』

 王国暦1047年12月11日(火)14:00 = 地球暦 2025年09月07日(土)23:38:35 <田中健太(ケント)>

 マグナスの弱々しい声が、静まり返った工房に響く。

 その内容は魔法省のヤツらの全員の動きを止めるのに十分だった。

「工房を破壊し……印刷機を奪えと……抵抗すれば、皆殺しにしろと……命じられました……」

 壊れた人形がネジを巻かれて再び動き出す。

 マグナスのうつろな目は、何かにおびえるように宙をさまよっていた。

「ああ、それは前回の襲撃だな。今回は未遂に終わったが、結局は同じことだ」

 首を縦にぐらんぐらんと揺らすマグナスを見て、ヴィクターの顔から血の気が引いていく。

 唇がかすかに震え、何かを弁解しようと口をパクパクさせるが、意味のある言葉にはならない。

「なっ、き、貴様、何を……私はそんな命令は……」

 その狼狽を、隣に立つセレスティアが鋭い視線で制した。

 彼女はまだ冷静さを装っている。

 が、その指先がわずかに震えているのをオレは見逃さない。彼女の計算が大きく狂ったのだ。

 アルは表情を変えない。

 ただ冷たい目で、この茶番劇の成り行きを静かに観察している。

 その隣でアポロは『面白くてたまらない』と言わんばかりの顔だ。

 オレは壁際に立てかけたLRADがマグナスの視界に入るように、ゆっくりと顔を近づける。

「まだ足りないな。その命令はヴィクター魔導院長だけの考えか?」

 オレの低い問いにマグナスの体がびくりと跳ねる。

 彼は恐怖に染まった目でヴィクターを見た。

 そして、その視線はゆっくりとセレスティアへと移る。答えは明白だ。

「答えろ。誰の差し金だ。ヴィクターの背後にいるのは誰だ」

 オレは言葉でさらに追い詰める。もう逃げ場はない。

 マグナスはかすかに首を横に振った。

 言えない、と抵抗している。

「言え。言えば助けてやる。言わなければ……」

 オレはLRADを指さす。

 その単純な仕草がマグナスの最後の抵抗を粉々に砕いた。

 観念したように目を閉じ、声をしぼり出す。

「……すべては……セレスティア様の……ご命令です……」

 工房の空気が凍り付いた。

 ヴィクターががっくりと膝から崩れ落ちそうになるのを、セレスティアがにらみつけて踏みとどまらせる。

 マグナスの自白は続いた。

「戯言を……」

 セレスティアが吐き捨てるが、説得力がない。

「この男は拷問で精神に異常をきたしている。そのような者の証言に、何の価値もありません」

「拷問?」

 オレはわざとらしく首をかしげる。

「おい、マルクス。オレたちは何かしたか?」

「さあ」

 マルクスは肩をすくめた。

「襲われたのを防いだだけだ。あんたら2人ともマグナスを……他の6人も同じだがよーく見てみろ。どこに拷問の痕がある? 手も腕も指も、足も胴体も顔も、どこに傷があるんだ?」

 セレスティアは言葉に詰まる。

 アルとアポロの視線が床に転がるマグナスへと注がれた。

 確かにマグナスの身体には打撲の痕1つない。服も破れていない。ただ、その瞳だけが虚ろに宙を見つめている。

 外傷は一切ないんだ。

 あるのは心の傷だけ。それこそが、こいつらが2度と逆らえない証拠になる。

「さあ、どうする大臣殿。言い訳はもう結構だろ」

 オレは冷たく言い放った。

 いい加減認めて、関わるのを止めてくれよ。

 それでいいってオレたちは言ってるんだぞ。まだ何かあるのか?

 セレスティアの顔が屈辱に歪む。

 彼女はギリっと奥歯を噛みしめた。こっちまで聞こえてきそうだ。

 無言の時間が流れた。

 アポロは口の端を吊り上げ、この状況を楽しんでいる。

「事実であれば、国を背負う高級官僚が臣民の財産を奪い、理由もなく傷つけ……いや、殺そうとした罪は思い。王立法廷にて徹底的に調べ上げ、罰を負わねばならんが、大臣、僕にそうさせたいのか?」

 黙って聞いていたアルが、初めて言葉を口にした。

 是非は明らかで、セレスティアが申し開きをしたとしても、変わりようがないと感じたのかもしれない。

 アルの言葉は決定打だった。

 王族に『法廷で』と言われれば、もう逃げ場はない。

 彼女は絞り出す声で言った。

「……何を望む」

 よし、乗ってきた。これで話ができる。

 オレは内心でガッツポーズを作って口を開いた。

「取引をしよう」

 そう答えると、アルが間に入る。

「取引? 取引とは? ケント・ターナー殿、マルクス・アイゼンハルト殿、それでよいのか?」

 アルの言葉遣いは他人行儀で仰々しいけど、公式な立場でここにいるから仕方ない。

 オレはアルに向き直った。

「ええ。オレたちの望みは、こいつらを裁くことじゃない。ただ、もうオレたちに手出しをするな。それだけです」

 法廷闘争なんて面倒なだけだ。

 そんなことに時間と労力を使うくらいなら、さっさとケリをつけたい。

「そのための、一番確実で手っ取り早い方法が、この取引だ」

 アルはしばらく何かを考えていたが、やがて小さくうなずいた。

「……分かった。そなたたちの意思を尊重しよう」

 アルの許可を得て、オレはセレスティアに向き直る。

 さあ、ここからが本番だ。

「大臣殿。オレからの要求は3つだ」

 オレは指を一本ずつ立てていく。

「1つ、オレたちとその関係者への一切の関与を禁ずる。2つ、オレたちが何をしようと関わるな」

 セレスティアは無言でオレをにらみつけている。

「最後に3つ目。今回の襲撃で壊された壁や設備の修理費用、それから慰謝料として、金貨5,000枚を支払え」

 その瞬間、セレスティアの眉が大きく跳ね上がった。

 ヴィクターも信じられないという顔でオレを見ている。

「なっ……! ふざけるな! なぜ我々がそのような大金を……! 5,000枚と言えば侯爵ランクの城1つの価値があるのだぞ!」

 食いついてきたな。予想通りの反応だ。

「ふざけているのはそっちだろ。あんたたちはオレたちの命を狙ったんだぞ。金貨5,000枚で命が買えるなら安いもんだ」

 セレスティアとヴィクターは怒りまくっているが、アポロは相変わらずだ。

「だとしても高すぎる! 建物はどれだけ高くても金貨50枚、未遂で殺人と同じとしても1人あたり200枚で合計1,450枚が妥当だろうが!」

 ヴィクターの具体的な数字に、オレは思わず鼻で笑った。

 こいつ、まだ交渉できる立場だと勘違いしているのか。

「妥当? 誰がそんな話をしている。これは賠償金じゃない。取引の代金だと言ったはずだ」

 オレはヴィクターを無視してセレスティアをまっすぐに見る。

 こっちが本丸だ。

「あんたたちが今後、オレたちに手を出さないと誓う保証金。それから、オレたちの口止め料だ。王子殿下の前で醜態をさらしたあんたたちの首の値段と考えれば、5,000枚でも安い」

「しかしケント殿、できる事とできない事がある。それに、それを考慮しないとしても、妥当性がなければ立会人として認めにくい」

 またアルが入ってきたが、もちろん君の言う通りだ。

「……殿下、それではお答えします。前回この者たちが破壊したのは、オレたちがドワーフ州まで行って作り上げた新型の印刷機。どれほどの価値があるでしょうか? それに建物の破壊は前回のみですが、2回殺されかけたのです。倍の賠償金があってしかるべきではないでしょうか?」

 ヴィクターが言う殺人未遂の賠償を2倍して、王侯貴族が独占している印刷技術と同等の品物の価値を加えている。

「ふむ。活版印刷の技術は王家が管理すべきか否かの議論がありましたね。新型の印刷機ともなれば価値は計り知れない」

 オレの説明にアルは腕を組んで考え込んでいたが、今まで黙っていたアポロが口を挟む。

「その通りです殿下。新型印刷機が優れていたのは数日の印刷物の評判からも明らかです。それならば金貨数千枚の値がついてもおかしくはない。ドワーフ州まで行った手間賃も考えれば、妥当な金額でしょう」

 アポロまでがそう言うと、セレスティアとヴィクターの顔から完全に余裕の表情が消えた。

 もはや反論の言葉もない。

 払えない、と言わないのは名門のプライドか、それとも払いたくないだけなのか。

 もし払えるなら相当な財力だ。

 ヴィクターの頭の中は完全に保身に走っているんだろうが、セレスティアはどうだ?

 もしここで拒否すれば、オレが言ったようにアルの導きで王立法廷での裁判になるだろう。

 大臣は罷免され、爵位や領土も没収されかねない。

 そうなれば復活は不可能だろう。

 反対に払ったならば、今の地位は保証される。

 保証されれば今後の蓄財や名声の回復は可能だ。

 工房が静まり返る。

 セレスティアは唇を噛みしめて悔しさに顔を歪めていた。

 プライドと地位、どちらが大事か。答えは決まっているはずだ。

「……分かった。その……条件を……飲もう」

 よし! これで第一段階はクリアだ。

「じゃあ誓約書にサインを貰おうか。王子殿下とアポロ殿に、証人として署名をいただく」

 次回予告 第34話 『新たな礎』

 ケントは科学兵器で心を折った捕虜に、王子アルフレッドらの前で黒幕が魔法大臣セレスティアだと自白させる。

 拷問だと抗弁するセレスティアを、外傷がない事実で論破。

 不干渉・活動の黙認・金貨5,000枚の支払いを取引条件として提示。

 王家の介入もあり、セレスティアは屈辱の内に要求を飲み、ケントは魔法省からの自由と莫大な資金を手にした。

 次回、安全が担保されたケントたちは新型印刷機の製造を優先。報奨金と賠償金をもとに拠点の開発を進めるが……。

 一方、セレスティアは諦めていなかった。

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