第14話 『祝宴の夜と、忍び寄る権力の影』

 王国暦1047年11月5日(月) 12:00 = 2025年9月7日(日) 04:02:06<田中健太>

 工房に新しい朝が来た。

「おはようございます、親方!」

 トムの元気な声が、朝の静かな空気に響き渡る。

 孤児院育ちで身寄りのないトムの境遇もあって、オレは養子にして弟子にすることになったのだ。

 あの日、オレの家にやって来てからまだ数日しか経っていない。

 それなのに、トムはすっかり工房の一員として馴染んでいた。朝一番に来て工房の掃除を済ませ、道具の手入れも怠らない。その真面目な働きぶりは、他の職人たちにも良い影響を与えている。

「おはよう、トム。早いな。もう火は起こしてあるぞ」

 オレが声をかけると、トムは『はい!』と満面の笑みで答えた。

 親方からは事後承諾だったが、『お前が見込んだ男なら間違いないだろう』と二つ返事で受け入れてくれた。

 懐の深い親方で助かる。

 トムはまだ12歳だが、その手つきは驚くほど器用だった。

 特に細かい部品の研磨や整理を任せると、驚くほど上達が早い。

 孤児院での生活が、年齢以上の責任感と丁寧さを身につけさせたのかもしれないな。

 昼休みになると、レイナとアンが昼食を工房に届けてくれるのが日課になった。

「お父さん、トム兄ちゃん、お弁当持ってきたよ!」

 アンが籠を揺らしながら走ってくる。

 トムはその姿を認めると、頬を緩ませた。

「ありがとう、アン。レイナさ……お母さんも、いつもありがとう」

「いいのよ、トム。たくさん食べて、お仕事頑張ってね」

 レイナは本当の母親のような優しい眼差しでトムを見ている。

 アンもトムを実の兄のように慕っていた。オレたちはいつの間にか、本当の家族になっていた。

 初めはベータ宇宙の調査で、事故だと思って家族になった。

 健太=ケント・ターナーも本当なら偽者だ。

 オレは自分の探求欲のためにウソをついていたんだ。

 そんな罪悪感も、……ようやく薄らいできた。

 そして、運命の日が訪れた。




 王国暦1047年11月10日。

 トムが工房に来てから2週間が過ぎた日の午後だった。

 最後の歯車が噛み合い、最後のネジが締められる。

 巨大で、それでいて精密な機械の塊が、静かにその姿を現した。

「……できた」

 オレはぽつりとつぶやいた。

 工房にいた全員が、固唾を飲んで機械を見守っている。

「よし、試運転だ。トム、紙をセットしてくれ」

「は、はい!」

 緊張した面持ちで、トムが印刷台に真っ白な紙を置く。

 オレはゆっくりとハンドルを回した。

 ガチャン、ガチャン、と重々しくも滑らかな金属音が工房に響く。ローラーがインクを運び、活字が紙に押し付けられ、そして静かに離れていった……。

 刷り上がった1枚を手に取ると、そこには力強く美しい文字が並んでいた。

「成功だあ!」

 オレがそう叫んだ瞬間、工房は歓声に包まれた。

 職人たちが互いに肩を叩き合い、トムは目に涙を浮かべていた。

 その夜、オレの家でささやかな完成祝賀パーティーが開かれた。レイナが腕によりをかけて作ったご馳走がテーブルに並び、アンとトムのはしゃぐ声が家中に響いている。

 エリカたち3人も、そしてアルも駆けつけてくれた。

「ケント、改めておめでとう」

 エリカがワイングラスを片手に微笑む。

「いや、みんなの協力があったからだ。1人では絶対に無理だった」

 オレの言葉に、マルクスが豪快に笑った。

「謙遜するなよ、ケント。あんたの頭脳があったからこそだ」

 アルは貴族の仮面を脱ぎ捨てて、心からこの場の温かい空気と食事を楽しんでいる。

 トムは新しい服を着て、少し照れくさそうに、それでも幸せそうに笑っていた。新しい家族。信頼できる仲間。この異世界で、オレはかけがえのないものを手に入れた――。




 翌日から改良型活版印刷機が本格的に稼働を始めると、その性能はすぐに王都中の噂となった。ギルドの依頼で刷った簡単な通知書が、その発端だった。

「1時間で1,000枚のチラシが刷られたらしい」

「文字がまるで、寸分違わぬ写しだ。どんな達筆な書記官でも敵わない」

 その噂は、当然ながら王都の中枢にいる権力者たちの耳にも届いた。

 最初に動いたのは、魔法省だった。

 ある日、ギルマスが血相を変えてオレの工房に駆け込んできた。

「ケント、大変なことになった。魔法省から、お前の印刷機について警告が来た。『社会の秩序を著しく乱す危険な技術である』とな。これ以上の印刷物の発行を差し控えるように、とのお達しだ」

 まじか!

 予想はしてたけど、ベタ過ぎるぞ。

 何でもかんでも社会の秩序をどうこうって!

 むしろ生活と文化レベルの向上だろうが!

 魔法を絶対の権威とする魔法省にとって、誰でも簡単に本が読めるとなれば、それを可能にする技術は脅威でしかないんだろうな。知識の独占こそが、ヤツらの力の源泉だからだ。

 さらに、魔法省の動きとほぼ時を同じくして、もう1つの権力が接触してきた。

 技術省だ。

 壮麗な装飾の馬車で工房に乗り付けてきたのは、技術次官を名乗る線の細い男だった。

「あなたが、ケント・ターナー殿ですな。噂の印刷機、拝見しました。素晴らしい! これは王国の発展に不可欠な技術です。我が技術省が、あなたとあなたの技術を全面的に支援しましょう。予算も、人員も、望むままに提供します」

 男はにこやかにそう言ったけど、目の奥がギラギラしていた。

 分かりやすいっ!

 支援、という名の独占。

 あいつらはこの技術を自分たちの管理下に置いて独占するんだろう。

 魔法省の『圧力』と技術省の『誘惑』。

 2つの巨大な権力が、オレの作った一台の機械を巡って動き出した。

「どうするんだ、ケント」

「どうするも何も、これはオレ1人というより、『王都職人ギルド連合』の企画でしょ? それに……ちょっとオレにはツテがあります。ちょっとそっちを当たってみますから、ギルマスは連合との意見統一をしてください。まさか、分かりましたって明け渡すつもりはないんでしょう?」

「ま、まあ、それはそうだが」

 いつものギルマスらしくない。

 すっかり弱気になっている。

 無理もない。どう考えても一介のギルドが、国家権力に真正面から逆らえるはずがないんだ。

「だからツテを使うんです。とにかく、ギルマスは他の親方衆と話をつけてください。オレたちの技術は、オレたちで守る。その意思統一がまず必要です」

 オレはギルマスをなんとか説得して工房から追い返した。

 工房の職人たちも、不安そうな顔でオレを見ている。

「親方……大丈夫なんでしょうか」

「ああ、大丈夫だ。心配するな。お前たちはいつも通り仕事に集中してくれ」

 そう振る舞ってはみたものの、腹の中は煮えくり返っていた。

 魔法省も技術省も、やっていることはただの横暴じゃないか。この技術は、もっと人々のために使われるべきものだ。特定の権力者が富と力を独占するためにあるんじゃない。




 その日の夜、オレはアルに緊急の連絡を取った。

「ケントさん、話は聞きました。やはり、というべきでしょうか」

 アルはいつもの快活な様子とは違い、深刻な表情で切り出した。

「僕の父もこの事態を大変憂慮しています。そして、あなたに会いたいと」

「親王殿下が、オレに?」

 アスカノミヤ家。

 王族の中でも傍流に位置し、かつては権勢を誇ったものの、今は没落したと聞く。

 その当主が、なんでオレに?

「父は、あなたの技術こそが、この国の未来を左右すると考えています。そして一部の者たちに独占させるべきではない、と。あなたと、あなたの技術を守るための策があるそうです」

 アルの言葉は力強かった

 ……よし、乗るか!

 どうせジリ貧なんだ。

 ギルドの力だけでどうにかなる問題じゃない。




 翌日、オレはアルの案内で、壮麗ながらもどこか寂れた印象のあるアスカノミヤ家の屋敷を訪れた。

 通された謁見の間で待っていたのは、歳の頃は60代だろうか。

 痩身だが猛禽類のような鋭い目つきを持つ男だった。

 彼こそが、アスカノミヤ・モロタダ親王殿下。アルフレッドの父親だ。

「よくぞ来られた、ターナー殿。息子から話は聞いている」

 声は静かだが、腹の底に響くような威厳があった。

「君が作り出した印刷機。その価値を、魔法省も技術省も、そして国王陛下でさえも、本当の意味では理解しておらん。あれは単なる道具ではない。知識を、思想を、そして力を民衆の手に渡す劇薬だ」

 モロタダ親王はゆっくりと続けた。

「今のままでは、君の技術は潰されるか、あるいは戦争の道具にされるかのどちらかだ。どちらも、君の望む未来ではあるまい」

「……じゃあどうすれば」

「この技術を、王家直轄の事業とする」

 親王は、きっぱりと言い切った。

「私が国王陛下に進言する。この技術は国家の根幹をなすもの故、王家が直接管理し、保護すべきである、と。そして、その管理運営の一切を、我がアスカノミヤ家が執り行う。さすれば、魔法省も技術省も手出しはできん」

 それは、あまりに大胆な提案だった。

 でも確かに、それしか道はないのかもしれない。

 独占する人間が、王家に移っただけの違いだけど……。

「なぜ、そこまでしてオレを?」

「まあ、賢明な貴殿ならわかっていよう。……我がアスカノミヤ家の復権のためよ」

 親王は隠そうともせず、その野心を剥き出しにした。

「この事業を成功させれば、没落した我が家も息を吹き返す。これは取引だ、ターナー殿。君は我々の庇護下で、誰にも邪魔されず技術の研鑽に励めばよい。我々は、その技術をもって家を再興する。互いにとって、悪い話ではあるまい?」

 目の前の男は、魔法省や技術省の役人とは格が違う。

 でも、利害関係がはっきりしている。

 分かりやすいし、工房の仲間やレイナ、アン、そしてトムを守るためには、これしか選択肢はない。

「……分かりました。そのお話、お受けします。ただ、ギルドにも話を通さないといけないので、よろしいでしょうか」

 オレがそう答えると、モロタダ親王は満足げに口の端を吊り上げた。

「構わん。いずれにせよそれしかなかろう」




 ギルド連合のみんなは、オレのツテが王家だとわかると、二つ返事で了承した。




「陛下! この印刷技術は我が国の情報伝達を革新し、国力を飛躍的に高めるものであります! 速やかに国家事業として推進すべきです!」

 技術大臣が、玉座に座る国王に向かって声を張り上げた。

 その向かいでは、魔法省の大臣であるセレスティアが、冷ややかな表情で反論する。

「技術大臣の言葉はあまりに短絡的です。制御不能な情報の拡散は、いたずらに民衆を惑わせ、社会の秩序を乱します。何より、魔法の神秘性と国家の権威を損なう危険な代物です」

 2つの省庁の対立は、今に始まったことではない。

 しかし、今回の印刷技術の登場は、その対立を決定的なものにした。

 技術による革新を求める技術省と伝統と権威の維持を望む魔法省。

 国王はその間で、難しい判断を迫られていた。

 議論が白熱する中、モロタダ親王が静かに口を開いた。

「双方の意見、もっともなことです。であるからこそ、この技術は特定の省庁ではなく、王家が直接管理すべきものと考えます。さすれば、技術の有効活用と、情報の適切な管理を両立させることができましょう」

 アスカノミヤ家の介入は、議論をさらに複雑にした。

 国王は疲れたように眉間を押さえ、重々しく口を開いた。

「……しばし、時をくれ。いずれも国の未来を左右する判断だ。軽々しくは決められん」




 国王が結論を保留したことで、王宮の天秤は揺れ動く。

 その夜、魔法省の大臣執務室では、セレスティアが忌々しげに舌打ちをした。

「あの老獪な狐め……! このままでは、アスカノミヤの思う壺だ」

 政治闘争で不利になる。その焦りがセレスティアに非情な決断をさせた。

 彼女は卓上のベルを鳴らし、1人の男を呼びつける。

 部屋に入ってきたのは、軍人のように鍛え上げられた体躯を持つ、顔に深い傷跡のある男だった。戦術魔導局長マグナス。セレスティアの腹心であり、魔法省の最も汚れた仕事を請け負う男だ。

「マグナス、勅命だ」

 セレスティアは、氷のように冷たい声で命じた。

「職人の工房を襲撃しなさい。あの忌まわしき技術は破壊するか、我々が接収するのです。職人どもは……殺さない程度にな。ただし、我が魔法省の痕跡は一切残すでないぞ」

「御意」




 次回予告 第15話 『魔法vs.技術』

 ケントは画期的な活版印刷機を完成させる。

 その技術は王都で評判となるが、知識の独占を狙う魔法省と技術省から圧力を受ける。

 仲間と技術を守るため、健太は友人の父であるモロタダ親王に助けを求め、技術を王家の管理下に置くという取引に応じる。

 しかし、権力闘争に焦った魔法省は、工房を襲撃し技術を破壊するよう、非情な命令を下すのだった。

 次回、どうなる? 印刷機は破壊されるのか? 工房のみんなは?

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