慶応三年八月二十一日(1867年9月18日)
フランスとの協議を終えた次郎は、前回のカナダ首相のマクドナルドとB・C総督シーモアと慶勝の面談の調整をしていた。
その間にも各国要人からの面談要請は多かったが、オランダ・ロシア・アメリカの代表からの技術供与の要望に追われていたのである。
その結果、オランダには多段階(3段階)式膨脹蒸気機関(史実では1870年代登場・大村藩ではすでに実用化)と鋼鉄製の水管円筒ボイラー製造技術の供与が決まった。
ボイラーが鉄から鋼に変わると高圧、中圧、低圧と3本のシリンダー で次々に蒸気を膨張が可能になり、効率向上に役立つのだ。
燃料消費 が大幅に減ったので、給炭地を少なくできる。
ロシアにはアーク溶接・切断技術を提供である。
これは、広大な国土で鉄道や重工業の発展を目指すロシアにとって、製造工程の効率化と品質向上に不可欠な基盤技術となるだろう。
アメリカにはガソリン内燃機関の自動車製造技術を供与。
広大な市場と活発な産業を抱えるアメリカでは、この技術が新たな交通手段の確立と多岐にわたる産業分野の発展を牽引するだろう。
当然だが、最新の技術ではない。
それを前提として2~3ランクのダウングレードを施しての供与である。
オランダにしても当初はディーゼルエンジンや蒸気タービンエンジン(これはオフレコで話した)の要望が多かったが、さすがに、というわけだ。
その代わり、技術のロードマップをもとに、今後優先的に船舶関連技術の供与をする協定が結ばれたのである。
■日本国代表宿舎
次郎は、慶勝にカナダのジョン・A・マクドナルド首相、B・C総督フレデリック・シーモアを紹介し、会談に臨んだ。
「ようこそ。万博の開催中とはいえ、お忙しいなかお越しいただき、光栄の至りです」
慶勝が温かい笑顔でマクドナルドとシーモアを迎え、握手を促した。
日本人にとって初対面の相手と手を握り合う風習などなかったが、郷に入れば郷に従え、という。ここであえて相手の心情を悪くする理由はないのだ。
次郎から教えられずとも、慶勝は外国奉行や鋤雲からある程度の知識は得ている。
「こちらこそ、大変貴重な機会をいただき感謝しております」
マクドナルドが丁寧に応じ、シーモアも笑顔で対応する。
「我々は、日本の技術力に深い敬意を抱いております。特に万博での展示は、我々の想像を遥かに超えるものでした」
会談はホテルの一室で行われた。
日本側は慶勝、次郎、彦次郎、通訳として栗本鋤雲とお里が出席し、カナダ側はマクドナルドとシーモアに加え、通訳兼技術顧問のウィリアム・ヴァン・ホーンが同席していた。
「さて、次郎(蔵人)から事前に概要は聞いておりますが……その前に、わが国とあなた方との間のアラスカの国境に関して、イギリスと協定を結んだことはご存じか?」
慶勝の質問は至極当然のもので、鉄道や資源云々以前の問題である。
イギリスはカナダとB・Cを納得させると言ってはいたが、当事者が目の前にいるのなら、間違いが起きないに越した事はない。
つまりイギリスが説得に失敗してトラブルが生じても、日本側が粛々と測量をし、その後開発するためである。
マクドナルドとシーモアは顔を見合わせた後、マクドナルドが慎重に口を開いた。
「はい、承知しております。しかし、正直に申し上げれば、我々は事前に十分な相談を受けておりませんでした」
彼はさらに続ける。
「本国政府からは現時点でまったく知らされておりません。おそらく説得というくらいですから、近日中か相応の期間をへて事後通達がくるのでしょう。自治領とはいっても外交権はないですからね」
慶勝は頷きながら答えた。
「なるほど。それは我々も懸念していたことです。だからこそ私も、今回の直接の会談を設けたのです」
次郎が地図を広げながら説明に入ろうとすると、マクドナルドが制した。
「その……差し支えなければ、貴国とイギリス本国が交わした協定の内容を教えていただけませんか? どうせ後から知るのです。もちろん、差し支えなければで構いません」
次郎と慶勝は顔を見合わせたが、すぐに同意して協定の写しを用意させた。
「こちらです」
マクドナルドとシーモアの目の前に日英の協定書が広げられた。
1. 既存のロシア・イギリス間の合意を基本線とする
2. 不明確な箇所には共同測量隊を派遣する
3. 測量結果に基づいて最終的な境界線を確定する
4. 紛争解決の手続きもあらかじめ定めておく
その他の細則や日英の条約の部分もあったが、ここでは国境画定に関する事項のみ提示した。
「国境画定の基本線は、従来のロシア・イギリス間の合意を踏襲しています。具体的には、北緯54度40分から60度まで、そして東経141度の子午線です」
シーモアが地図を詳しく見ながら尋ねた。
「測量の精度についてはいかがでしょうか? これだけ広大な地域では、実際の境界線の確定は困難を極めると思われますが」
「その通りです。そのため、来年春から日英合同の測量隊を派遣することになっています。ただし」
次郎は一呼吸置いて続ける。
「測量作業が完了するまでの間も、我が国のアラスカでの開発活動は継続します。これは既に確立された我が国の主権に基づく正当な活動です」
マクドナルドの表情が少し緊張した。
「開発活動と申しますと?」
「主に資源調査と基盤整備です。港湾施設の建設、道路の整備、そして鉱物資源の本格的な探査を予定しています」
慶勝が重要な点を付け加えた。
「我々としては、境界線が最終確定される前に、近隣地域との友好関係を確立しておきたいと考えています。将来的な通商や人的交流を見据えてのことです」
シーモアが関心を示した。
「ブリティッシュ・コロンビアとしても、そのような関係は大変歓迎します。我々も太平洋岸での経済活動の活性化を望んでいます」
次郎はこの機会を逃さなかった。
「実は、我々のアラスカ開発の経験は、カナダの皆様にとっても有用な情報となるかもしれません。特に寒冷地での建設技術や、極地での資源探査の手法などは」
マクドナルドの目が輝いた。
「それは非常に興味深いお話です。我々も北部地域の開発には大きな関心を持っています」
慶勝が満足そうに頷いた。
「では、国境問題については相互理解が得られたということで、本題に入りましょう。改めて、貴国のご要望をお聞かせください」
正直なところ、資源の有無などわからないのだから、マクドナルドとシーモアの関心は国境線ではない。
事前連絡のない本国に立腹し、日本と直接交渉として鉄道を敷設したいのである。
マクドナルドは改めて地図を広げ、今度はカナダ全土を示した。
「実際のところ、本国の決定と我々の出す答えは同じでしょう。ですからトラブルは起きないはずです。仮に起きる恐れがあったとしても、説得します。その代わり……」
慶勝と次郎の両者を見て、彼は続ける。
「我々が最も重要視しているのは、カナダ大陸横断鉄道の建設です。東部のオンタリオから西部のブリティッシュ・コロンビアまで、約4,000キロメートルに及ぶ鉄道を計画しております」
ヴァン・ホーンが技術的な詳細を補足した。
「この鉄道建設には、いくつかの大きな技術的課題があります。第一に、ロッキー山脈の越え方。第二に、五大湖周辺の湿地帯での建設。第三に、極寒地での作業技術です」
シーモアが経済的側面を説明した。
「また、建設資金の調達も重要な課題です。我々は建設と並行して、沿線での資源開発による収益を期待しています。しかし、効率的な資源探査技術が不足しているのが現状です」
次郎は内心で興奮していた。
彼らが求めているのは、まさに前世の知識で最も貢献できる分野だったからである。
「興味深い計画ですね。我々も類似の経験があります」
次郎は慎重に言葉を選んだ。
「我が国でも、北海道での鉄道建設や炭鉱開発を行っています。厳しい自然条件での建設技術については、相当な知見を蓄積しています」
慶勝が政治的な観点を加えた。
「技術協力については前向きに検討いたします。ただし、我が国にとってもメリットのある形での協力でなければなりません」
マクドナルドが身を乗り出した。
「もちろんです。我々も一方的な支援を求めているわけではありません。相互利益に基づく長期的なパートナーシップを望んでいます」
次郎が具体的な提案を始めた。
「では、段階的なアプローチを提案いたします。第一段階として、我が国の技術者による現地調査。第二段階として、具体的な技術移転と設備提供。第三段階として、共同事業の展開です」
ヴァン・ホーンが詳細を尋ねた。
「現地調査では、具体的にどのような調査を行っていただけるのでしょうか?」
「地質調査、気象調査、そして最適な建設ルートの選定です。特に地質調査については、我が国独自の先進的な技術があります」
次郎はここで、前世の知識を活用する準備を整えた。
「我々の調査技術により、鉄道建設に最適なルートを見つけるだけでなく、沿線に眠る鉱物資源も発見できる可能性があります」
会議室の雰囲気が一変した。
マクドナルドとシーモアが明らかに期待しているのが分かる。
もし日本の技術により豊富な鉱物資源が発見されれば、鉄道建設の資金問題は一気に解決するかもしれないのだ。
それどころか、イギリス本国への依存をなくし、独立も夢ではない。
「具体的にはどのような資源の発見が期待できるのでしょうか?」
シーモアの質問に、次郎は準備していた資料を取り出した。
「これは我が国の地質学者(お里)が作成した、カナダの推定鉱物資源分布図です」
地図には、前世の知識に基づいて慎重に作成された鉱床の位置が示されていた。
ただし、『推定』『可能性』という表現を多用し、確実な予測ではないことを強調している。
「金、銀、銅、鉄鉱石……そして石炭の鉱床が各地に分布している可能性があります。特にこの地域」
次郎はクロンダイク川周辺を指差した。
「ここには大規模な金鉱床が存在する可能性が高いと推定されます」
マクドナルドが息をのんだ。
「もしそれが事実なら……(独立は早すぎかもしれないが、資金は潤沢になる)」
「鉄道建設の資金どころか、カナダ全体の経済発展の基盤となるでしょう」
慶勝が重要な条件を提示した。
「ただし、このような重要な技術協力については、いくつかの条件があります」
次回予告 第422話 (仮)『カナダとの密約』

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