慶長四年十月十五日（西暦1599年12月2日） 大日本国議会
「まず第一に、家臣への恩賞はすべて給金とする。これは我が国と同じである。第二に、身の上によって生業が決まらぬ世とする。第三に教育の義務化である。何人たりとも例外はない。必ず中学までは卒業させる。農民の子と武門の子弟も変わらぬ教育を受けさせる。必ず、じゃ」
純正は眼光するどく万座を見回し、続けた。
ガラではないと思いつつも、やらねばならない、言わねばならないと心に決めたのである。給金については完全ではない。
島津や毛利はいまだ残っているが、国政を揺るがすほどの影響力はない。
第4と第5は産業の育成と技術革新へのさらなる投資であったが、各州の代表者がもっとも驚いたのは、純正の最後の言葉であった。
「詮ずる所（つまり）、良いか、良く聞くのだ。これまでの話は当然として、これより肥前州は、肥前国たらんとする。大日本国に属する肥前州ではなく、肥前国だ。しかして（そして）大日本国は肥前国の保護国とする。冊封でも属領でも何でもいいが、言わんとすることは、わかるな？」
純正の口調が今までとは全く違う。
関白太政大臣として、大日本国の総理としてトップの座にはあったが、それでも各州を尊重して、あくまで彼らと対等だと考えていたのだ。
場のざわつき方が尋常ではない。
「これを是とするならば良し。非ならば……これも、わかるな？」
広間は静まり返り、息をのむ音さえ聞こえるほどだった。
誰もが、この言葉の真意を測りかねている。
それは、長きに渡り肥前国の庇護のもと、大日本国の一州として繁栄を謳歌してきた大名たちに対する、事実上の最後通告に他ならなかったからだ。
純正の言葉は、その関係性を根底から覆し、小佐々家（肥前国）が絶対的な支配者として君臨すると宣言している。
従わなければ、戦か？
誰もがそれを思い浮かべた瞬間、雑然とした雰囲気の広間に近習の声が響き渡った。
「申し上げます！」
「何事か！ ？」
ざわめきを消し去るような近習の声に、代表者の誰かが怒鳴った。
使者は真っ直ぐに純正の顔を見ている。
「よい、申せ」
「は……織田……織田権少将（信忠）様、おんこと（死亡）にございます」
「何い！ ？」
その言葉に、信長と純正の顔色が変わる。
「上介（信忠）が、いかがしたと申すか」
信長の言葉に使者は息を整え、告げた。
「は……本日未の刻（14時ごろ）、織田権少将信忠様、領内を検分（視察）のおり、急に痛みを訴えられ落馬されて、そのまま薨去なされた由にございます」
「何と……これは、中将殿、お悔やみ申し上げます」
純正は突然のことで、本当に発する言葉もない。
有能で織田家を率い、信長も認め、純正も諫早留学中より知っていた信忠の訃報である。
さすがの信長もあ然としていたが、純正の言葉で我に返った。
「忝い」
そう言葉を返したが、心中穏やかであるはずがない。
すでに戦国の世は終わりを告げ、自分がやるべきことはないと隠居をしていたのだから、織田家の行く末を考えると、さすがの信長も途方にくれた。
その表現がもっとも適しているだろう。
長年、戦乱の世を駆け抜け、いかなる困難にも微動だにしなかった信長が、これほどまでに憔悴した姿を見せるのは、誰もが初めて目にする光景だった。
「皆の者、聞いたとおりだ。会合はこれにて仕舞いとする。折を見て再び沙汰をいたすゆえ、然るべき行いを為すように申し渡す」
■数日後 岐阜城下
織田家は信忠の葬儀を執り行った。
岐阜城下の崇福寺は、深い悲しみに包まれている。
信長は白の直垂を身に纏い、憔悴しきった顔で参列した。その目は窪み、頬はこけ、まるで別人のようである。
かつての鋭い眼光は失われ、ただ虚ろに、信忠の位牌を見つめていた。
「あれは、あれは真に中将殿（信長）か」
参列した純正は目を疑ったが、信長以外の何者でもない。
葬儀の間、信長はほとんど言葉を発しなかったが、その傍らには信忠の嫡男である織田信秀（史実の秀信、20歳）と、次男の織田信則（史実の秀則、19歳）が立っていた。
信秀は、父の面影を色濃く残す精悍な顔立ちをしていたが、今はその若さに似合わず、深い悲しみに沈んでいる。
信則は、兄の隣で、ただ静かに涙をこらえていた。
信長は、二人の孫の手をそっと握る。
「……そなたらが、織田の未来を、支えねばならぬ……」
掠れた声で信長が呟くと、信秀と信則は顔を上げ、祖父の顔を見つめた。
葬儀が終わり、信長は居城である安土城へと戻った。しかし、それ以来、信長はほとんど公の場に姿を見せなくなる。
日中も奥深くで過ごし、食事もほとんど喉を通らない。
持病の糖尿病は見る見るうちに悪化し、手足の痺れや痛みに加え、倦怠感と脱力感が信長を襲った。
心因性による影響は大きく、精神的な落ち込みが身体を蝕んでいくのが見て取れたのである。
小姓たちが献身的に世話を焼いたが、信長の心は晴れることがなかった。
夜には悪夢にうなされ、信忠の名を呼んで叫び声をあげることもあった。
かつての天下人とは似ても似つかぬ、見る影もない姿に、周囲の者たちはただただ心を痛めるばかりだった。
■諫早城
「さて、いかがなものか」
広間に閣僚を全員呼び寄せ、純正は思案にふけっていた。
信忠の死も大きな影響を与えている。
織田州は抗議勢力の急先鋒である一方で、肥前州以外ではもっとも発展し、もっとも豊かな州だったのだ。
大日本国参入前から肥前国とつきあい、先進的な国策を実施してきたためである。
しかし、その織田州でさえ、いまや予断を許さない状況となった。
「少将（信忠）様のご逝去は、まことに痛惜の極みでございます。しかして殿下、この先はいかにお考えなのでしょうか。中将（信長）様がご存命中は危うき事にはならぬと考えますが、万が一の事を考えますれば……」
「うむ」
直茂は、もし信長の身に何かあれば、若年の信秀や信則にはこの難局を乗り越えられないと考えていたのである。
「直茂の言わんとすることは分かっている。織田が反旗を翻すやも知れぬ、そうであろう？」
「は、ただ今はそれぞれの役目で州を支えておる三右衛門（奥田直政）や久太郎（堀秀政）、忠三郎（蒲生氏郷）らの遊学組がおりますゆえ……」
「ひとまずは安心であるが、ひとたび良からぬ奸臣佞臣の類いが入り込めば、ということじゃな？」
「は……」
「は……」
織田州をはじめ、各州には純正の方針に納得している（してきた）者が何人いるだろうか？ 旧態依然として改革が進んでいないとすれば、ほとんど反対勢力ではないだろうか。
しかし、今回は、断行しなければならない。
やはり、言い方は悪いかもしれないが、戦国時代の人間に令和の考えなど理解できないのだ。
純正はそう決断した。
「直茂、官兵衛、清良、庄兵衛、弥三郎……お主らの言うとおりになったの。オレの考えが甘かったようだ。戦に、なろうか？」
直茂が発言する。
「織田家の帰趨によりますが、もし反目するならば、浅井・徳川も反目いたすでしょう。武田はわかりませぬが、北条は減封の恨みがいまだ残っておれば、反目いたすかと」
「味方は……いかがだ？」
純正は目をつむり、息を吐く。
「は、まず能登の修理大夫（畠山義慶）様にございますが、まずはお味方かと存じます。殿下とは義兄弟の仲なれば、州は一国のみなれど、国力は中の上と発展しております」
能登の畠山氏は上杉との一戦において内乱が起き、その際に旧臣は粛正されて親義慶派が残った。
そのため中央集権化が進み、制度的には肥前国に近い形となっていたのである。
「他は、上杉は大日本国参入も遅く、発展もこれからでございますが、わが軍の強さは代が変わっても知っておるはずでございます。大宝寺や里見にいたっては、寄らば大樹の陰、改革の痛みはあれど、家を失う恐れのある戦はせぬかと」
「よし」
純正は一呼吸置いて陸海軍に命じた。
「まずオレは中将殿に会いに行く。あのおっさん、褐をいれてやらんといかん！」
場をなごますために言ったつもりの冗談であったが、誰も笑わなかった。
「臨戦態勢で臨め。密かに但馬と播磨の国境付近の備えをするのだ。海軍は淡路と吉原湊に艦隊を遣れ」
「 「ははっ」 」
風雲急を告げる大日本国。
次回予告 第880話 （仮）『武井十左衛門』
コメント