第246話 『第一艦隊いざ筑前へ』

 九月六日 たつ一つ刻(0700) 肥前彼杵そのぎ七つ釜 小佐々弾正大弼だいひつ純正

 第一艦隊は肥前彼杵の七ツ釜を出港した。いぬ一つ刻(1900)に唐津呼子湊入港予定である。宗殿には壱岐の郷ノ浦で待っているだけでは仕方がないので、呼子の湊に変更して移動してもらう内容の文を書いた。

 前回の文の時に、戦時の情報は正確さと速さが命、と伝え、敬称なしと略式の通信文で送る旨了承をもらっている。これは武雄の後藤殿や五島の宇久殿も同じだ。配下の大名や国人には通達として送っている。




 ――発 弾正大弼(純正) 宛 讃岐守(宗義調)

 秘メ

 我 本日 戌一(1900) 呼子に 至るべし 合流変更 されたし 

 秘メ

 ◯六 辰一(0700)――




 宗殿が今どこにいるのかはわからない。しかし情報を間断なく送っていれば、最適な位置で合流できるはずだ。

 また、同様に各艦隊、軍司令部に予定の通信を送る。


 ――発 総司 宛 前司

 秘メ

 我 肥前彼杵 七ツ釜 出港す 戌一(1900) 唐津 呼子 至るべし ◯七 津屋崎 至るべし 

 秘メ

 ◯六 辰一(0700)――


 本来なら壱岐のごうノ浦まで行って合流したかった。しかし風は強まったものの、向かい風には変わりない。このまま進めば壱岐の郷ノ浦に到着するのは21時頃になるのだ。平戸出港時に信号にて唐津、呼子の湊へ入港予定と送った。

 さて、ここで戦況を整理しておこう。

 まず第一軍。

 九月五日、つまり昨日だが、岳山城下に到着して道雪軍と対峙たいじしているようだ。昨日の21時に通信が到着している。明日には援軍到着と伝えているので、なんとか二日持ちこたえてほしい。

 そして第二軍。
 
 第一軍を筑前岳山城に向かわせて、兵力は互角となった。やはり筑前と豊前は相手が悪い。苦戦が続くな。わが海軍の状況は伝わっているだろうから、なんとか城兵を押さえておいてほしい。

 第三軍は第四、第五と同様に順調だが油断はできない。すでに第三軍は由布院山城下に到着しているし、第四、第五と連携して行動するよう指令を出してある。別途通信が来てないので問題なく進軍するだろう。

 第四軍の筑紫惟門の死は痛い。経験豊富な将というのは、勉強しても生まれるものではないのだ。香春岳城の件といい、残念だ。しかし純家の成長は著しいな。子供だと思っていたが、平井殿や神代殿が上手くサポートしてくれているのだろうか。

 日田城経由で豊前に向かっている。戦わずに降伏させて、味方に組み入れることができるのが一番いい。そして失えば得る。吉弘鎮理(後の高橋紹運)とその配下の三原紹心の獲得は大きい。

 第五軍はまだ肥後を出ていないようだが、こちらも通信は来ていない。おそらく阿蘇や赤星などの残りの肥後国人衆との連携に手間どっているのだろう。基本的な戦略である『合同して豊後に向かい、国衆を調略しつつ臼杵へ向かうこと』は指示しているから問題はない。

 しかし、どうなのだろうか? 俺は初めて前線で指揮をとらずに軍を五つに分け、しかも同盟国に協力を仰いで海軍の兵も投入しての総力戦を行っている。

 北天草の国人衆は、南筑後の国人衆と同じく、肥後の有事に備えているが、これだけ大規模で広範囲に渡る戦は初めてだ。

 当然情報の伝達にも時間がかかり、そのため、各軍団長にある程度の裁量を与えて基本戦略に沿った独自戦略で戦を進めている。龍造寺との戦いとは、規模も何もかもが違う。あの時も海軍を使い、遠隔地で戦闘を行った。

 もっともオレは戦地にいたんだが、情報の伝達を素早く行い勝てた。しかし今回は、兵力も人員も戦いの場所も、段違いに規模が大きい。この傾向は今後ますます拡大するだろう。

 実戦において問題点を洗い出し、次の戦に備える。これをやっていかなければ勝ち進むことはできない。


 ■現状の小佐々軍の問題点もしくは課題点

 一つ、情報伝達の速度:わが軍は手旗信号、旗振り、火振り、灯火信号、伝馬制、飛脚制により、他の大名より数段早い情報伝達能力を持っている。しかし、これらは全て人力に頼ったものなので、いずれは真似されるであろう。

 もちろん街道の整備やそれに関わる技術、そして資金等の問題があるのですぐには真似されないだろうが、そうなることを見越してさらなる改善と技術革新が必要だ。情報伝達に時間がかかれば、各軍団や同盟国との連携や意思決定の遅延につながる。

 戦局を大きく変える可能性があるため、喫緊の課題として取り組まなければならないだろう。

 一つ、軍団創設ならびに肥大化による指揮統制の難しさ:複数の軍団を複数の地域で運用するとなれば、指揮統制の難しさや連携の調整に課題をもたらす可能性がある。適切な情報共有や効果的な指揮系統の確立が求められるな。

 これはやはり、国衆制度から中央集権に移行しなければならない課題だな。少しずつやってはいるが、せめて、軍に関しては統一化を早めたほうがいい。結果的に国衆の負担も減るのだがな。どうしても国衆と陸軍、海軍の混在というのは否めない。

 一つ、戦局の複雑さと戦略の調整:敵は大友だけといえど、筑前では道雪・臼杵、豊前では香春岳城にて吉弘鎮理、筑後と肥後においてはほぼ服属したが、豊後においてはまだ多くの敵性勢力がいるだろう。そのため戦局が複雑化している。

 戦場ごとに状況が変わるため適切な戦略・戦術を行使しなければならない。軍団長の裁量に任せてはいるが、各軍団の情報の収集・分析能力と戦略の柔軟性が求められるな。

 一つ、各軍団長の裁量:軍団長には基本戦略に沿った独自戦略で、戦闘を進めるように指示している。しかし軍団によって部隊の行動や統制がばらつく可能性があるので、明確な指導や統制が求められる。

 確かにこの点は、各軍団長によって分かれるところがある。越権行為をするかもしれないし、逆にその程度の事は自分で判断して行動しろ、という場面も出てくるかもしれない。

 もっともそういう判断ができる人材を選んで軍団長にしている。しかし今後軍団の数が増えてその規模が拡大していけば、各軍団内で、今の軍団長と同じ問題が発生するだろう。

 裁量権を与えているのに縛りたくはないが、ある程度の規制は必要かもしれない。『たられば』の感覚を可能な限りなくしていかなければならないな。

 出港してからも、戦国大名ってマジで大変だな、と考えながら過ごす。香春岳城落城の知らせが届いたのは、平戸の瀬戸を通過し、北西に舵を切ろうとしていたときであった。

 信号所から送られてきたのだ。


 ――発 総司 宛 二司 

 秘メ

 城の陥落 並びに 敵将 捕縛 その働きなれば 立派なり 大将の怪我 心配に候えど 後送して 療養せん 

 原田は 敵味方問わず 将兵 民を 労い 北上してくる 味方 第四軍を 待て

 秘メ

 ◯六 うま三(1200)――


 香春岳城の将兵の奮闘をたたえ、次の戦略を伝えた。

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