第29話 『壮大なる挑戦の始まり』

 王国暦 1047年12月02日(日)18:30 = 2025年09月07日 22:10:27.5 ケント自宅<田中健太>

 ……とは言ったけど、実際は自分でもよく分かっていない。

 だいそれた計画かな? ……それともただの無謀?

 オレの宣言のあと、リビングは水を打ったように静まり返った。

 マルクスもエリカも、ルナもレイナも、テーブルいっぱいに広げられた設計図をただ黙って見つめている。

 無理もない。

 昨日まで『家の増築』と言っていたのが、今や『要塞の建設』になっているんだから。

「……ケント」

 沈黙を破ったのはマルクスだった。腕を組んで図面を鋭い目でにらみつけている。

「これが『新しい拠点』ってやつか。確かに、魔法省の連中も手を出せないだろうけど……問題は山ほどあるぞ」

 彼は図面の一角を指でたたいた。

 工房区画と居住区画を囲む分厚い防壁、さらに外周を堀で囲む構造が描かれている。

「こんなもん、どこに作る気だ? 王都近郊は無理だし、森の奥に建てるなら資材の運搬だけで詰むぞ。道すらない」

「ああ、だから作る」

 オレはうなずいて答えた。

「まず木を切って土地をならす。木材は建材として再利用。石材も近くに岩盤地帯を見つけてある。資源の確保はできてるんだ」

「……なるほどな。けど誰がやるんだ? オレたちだけじゃ完成までに何年かかるかわかんねーし、旋盤とか作んないといけないじゃねーか」

「想定内だ。信頼できる人手を雇う。もちろん、きちんと報酬を払ってな」

 エリカが不安そうに眉を寄せた。

「ケント……その報酬って、いくらかかるの? これ、どう見ても普通の家じゃないわよ」

 全員の視線がオレに集まる。

 言いたくなかったけど避けては通れない。深呼吸して覚悟を決める。

「資材、人件費、その他もろもろ……総工費、金貨4千枚」

「……よ、よんせんまいっ! ?」

 リビングに響く絶叫。

 マルクスが口を開け、レイナが顔を真っ青にし、エリカは固まった。

 金貨4千枚。

 庶民が一生かかっても手にできない大金だ。夢どころか、あり得ない数字。

「……本気なの?」

 レイナが青ざめた声で問う。

「そんな大金、どこから?」

「そうよ。無理よ……絶対に」

 エリカは小さく首を振って、ギルドで見聞きした話を口にした。

 石けんが高級品だったことや露店を出すだけで銀貨が飛ぶこと。

 彼女の言葉が、この計画の途方もなさをさらに突きつけた。

 気まずい雰囲気がただよう。

 手元の金は金貨100枚を切っているし、全財産を投じても40分の1。

 みんな黙り込んで視線を落とした。

 でも……諦めるつもりはない。

「確かにムチャクチャな金額だよな。だけど方法はある」

「方法?」

 とマルクス。

「ああ。二正面作戦でいく」

 オレはテーブルに手を置いて仲間たちの目を順に見た。

「1つは、マルクスとオレで進める銃の試作開発。もう1つが、『ミニ科学都市』の建設だ。2つを同時に動かす」

「おいケント、話が飛んでるぞ。今は金の問題を話しているんだよ」

「金策も同時進行さ。エリカとレイナの石けん事業を足がかりにする」

 マルクスの突っ込みにオレはふふん、と笑った。

「でも、それだけじゃ……」

 とレイナが眉をひそめた。

「ああ、足りない。だから次の一手を打つんだよ。『高純度蒸留酒』を作る」

「蒸留酒?」

 エリカがきょとんとした顔をする。マルクスもレイナも首をかしげた。

「ああ。今この世界で流通してるのは、ほとんどが醸造酒だ。オレたちはそれを蒸留して、アルコール度数を高めた『スピリッツ』を作る。安酒を仕入れて、高級酒に仕立て直して売るんだよ」

 オレは指を立てて続けた。

「技術的にも簡単だし、利益率は高い。それに、もう1つ重要な使い道がある」

 エリカを見た。

「エリカ、高純度アルコールが何になる?」

「……消毒用!」

「正解だ」

 オレはうなずく。

「怪我の治療や手術で感染を防げるし、貴族には贅沢品として高く売れるだろうな。一石二鳥だ」

 エリカの表情に、希望の色が戻った。

 居間の重かった空気が、少しずつ熱を帯び始める。

「石けんの方は?」

 オレが尋ねると、彼女はうなずく。

「ギルドで調べたわ。高級石けんはオリーブ油が原料。私たちのは南方産と間違われたほど品質がいい。でも……原料が高いの。庶民には手が出せない」

 やっぱりな。

 ここは内陸部、感覚的にはドイツかオーストリアの山地っぽい。オリーブなんて育たない。

「じゃあ、牛脂でやるしかないな。地元で手に入る材料だ」

「牛脂……」

 エリカは顔をしかめた。

「安いけど、べとべとして固まらないし、ケモノの臭いが残るの。そんなの誰も買わないわ」

「べとつきと臭い、か……」

 オレは視線をルナに向ける。

「ルナ、この2つ、何とかできるか?」

「うん、できる。べたつきは『塩析』で解決できるし、臭いは木炭を使えば抑えられるよ」

 少し考え込んだルナが、静かに答えた。

「ほんとに! ? ルナ!」

 エリカがぱっと笑顔を見せた。

「よし、それなら決まりだ。……あ、そういえばルナ、水酸化ナトリウム、持ってきてたよな?」

「うん。3キロね」

 ルナはうなずいて親指を立てて言った。

「でもただの材料じゃないんだ~。これを基準にして、木灰から作る灰汁の濃さを測る『ものさし』を作るの。灰汁の品質が一定じゃないと、安定した石けんはできないから」

 なるほど、品質管理の基準か。

 ルナは続けた。

「それと、商人ギルドに提出する最高品質の石けんの試作品も、これを使って作る」

「なるほどな。じゃあ、その基準をもとにして量産用のレシピを作ってくれ。エリカ、レイナ、原価計算頼む」

「了解!」

「任せて!」

 2人は羽ペンを手に取ってルナの説明に耳を傾ける。

「完成品1キロを作るには、牛脂が約900グラム。良質な広葉樹の木灰が10リットル、塩析用の塩が1リットル、脱臭用の木炭も1リットル」

 ルナの説明に合わせて、エリカとレイナがすばやく計算を始めた。ちなみに度量衡は違うけど、レイナはそのまま計算して、エリカは地球基準に変換して計算する。




 数分後、エリカが顔を上げた。

「出たわ! 1キロあたりの製造原価!」

 レイナと答え合わせをして、2人同時にうなずく。

 全員が息をのんでメモを見つめた。

「結果……『白石けん』1キログラムの材料費、銀貨1.7グラム!」

 沈黙。

 そして次の瞬間、マルクスが吹き出した。

「おいおい、マジかよ……。その値段で、まともな石けんが本当に作れるのか?」

「ああ、作れるさ」

 オレは力強くうなずいた。

「ルナの知識と、オレたちの技術があればな。よし、決まりだ!」




 オレは拳を握った。




「まずはこの『白石けん』で、王都の市場をひっくり返すぞ!」




 次回予告 第30話 『夜襲』

ケントは拠点建設を発表するが、その総工費は金貨4,000枚。

 資金繰りのために『蒸留酒』と『石けん』の製造を提案。

 ルナの科学知識で高品質かつ市場価格の半額以下の原価で製造できると判明。

 一同はまず『白石けん』で市場を席巻することを決意する。

 次回、市場で四苦八苦しながらも、石けんを『治療』に使う実演を行う。

 おかげで噂はひろまるが、本当の戦いは闇の中にあった。

 魔法省の刺客マグナスが深夜の工房に迫る。だが、彼らはまだ知らない。

 ケントの科学の目が、その全てを捉えていることを……。

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