王国暦1047年11月13日(火)13:00=2025年9月7日 18:00:15
ルナが言っていた仮説が正しいなら、ヤツらは無制限に魔法が使えることになる。
じゃあゲームでよくあるMPってないのか?
ポーションの意味がないよな。あれは不足した魔力を補うためのもんじゃないか。
それに魔法使い? 魔術師か魔導師か知らんけど、ヤツらとマグナスは明らかに違ってたし、アポロは歴然だ。
その……マナ? アルゴンを集める能力の違いなのか? それとも何か体内に魔法器官があって、心拍数とか心臓と同じで強さで魔力が決まる?
……まあ、難しいのは任せよう。オレの専門分野じゃない。
■工房
「おはようございます!」
ケントは努めて明るく、冷静に挨拶をした。
「おおケント! 無事だったか? お前、今まで何やってたんだ? 見てくれこの有り様を! やっと衛兵隊の検証が終わったところだぞ。オレは帰ったあとだったが、いったい……」
親方が心配して声をかけた。
普段はぶっきらぼうで放任主義的な部分もあるが、職人は家族だ、みたいな昔気質な性格でもある。
「親方、実は……」
ケントは親方に全部話した。
気になって仲間と一緒に工房に戻ったら、結界が張ってあって中に魔法省の特殊部隊がいたこと。
印刷機を破壊したのも彼らで、危うく殺されるところだったこと。
そこで別の魔法省の人間がきて助けられたこと。
身の危険にさらされたので自宅から離れて仲間と家族と一緒に避難していたことなどだ。
親方のヨハン・ファインハルトは、ケントの話を腕を組んで黙って聞いていた。
表情はみるみるうちに険しくなる。普段は微細な作業で凝らされた眉間のシワが、怒りで一層深く刻まれていった。
ケントが話し終えると、親方は重々しく口を開く。
「……魔法省だと? あいつら、職人の仕事場に土足で上がり込んできて、このザマか」
親方は吐き捨てるように言った。
長年の魔法省と技術省の確執は誰もが知っている。
100年前の戦争で魔法の有効性が実証されたのだ。
それ以降技術省の予算は削られっぱなしである。
ようやく新型印刷機で魔法省の鼻をあかせると、意気込んでいた矢先の大事件であった。
親方は工房の中を見渡して、床に散らばる活字の残骸を苦々しげに見る。
ケントたちが心血を注いで作り上げた印刷機は、見るも無惨な鉄屑の山と化していた。
魔法によって歪められた金属のフレームが、権力の理不尽さを物語っている。
「お前ら、よく無事だったな。本当に……ケント、お前はこれ以上前に出るな。ギルマスとも話し合わないといけないが、技術省に談判してこようと思う」
無駄だな、とケントは思った。
相談が必要だったとは言え、あの時技術省の傘下に入っていれば……。
いや、タラレバだ。
だとしても攻撃してきたかもしれない。
ケントはそう考えた。
「ありがとうございます」
ケントには行くべき場所があった。
■魔法省
「グレイモア、説明なさい。これは一体、どういうことかしら? まさか、私を愚弄するつもり?」
魔法省大臣のセレスティア・ヴァーミリオンが口を開いて問い詰めているのは、魔法省魔導院長のヴィクター・グレイモアである。
「騒ぎになっている工房の破壊事件……。幸い私たちの関与は今のところ疑われていないようですわね。印刷機の価値に気づいた強盗、破壊犯の線で衛兵隊は動いているようですの。あなた、一体何をなさったのかしら?」
ヴィクターはあっけに取られている。
命令したのはあなたじゃないか!
セレスティアは女性である。
名門ヴァーミリオン家に生まれ、男子がいなかったために類稀なる魔力と才能から期待されて当主となったのだ。
しかし男性上位の魔法社会。
そのままでは生き抜けない。
だから女性であることを隠してこれまで生きてきたのだ。
知っているのはごくわずかだが、今さらバラしても抹殺されるだけである。
「そ、それはセレスティア様が、我ら麾下のマグナスに直接命令を……いかに腹心とはいえ……」
「? はて、何のことやら……。確かにマグナスには命じましたの。ただそれを管理するのはあなたではございませんの?」
「そ、それは……」
「確かに『例の印刷機の件、よしなに取り計らうように』とは伝えましたわ。ですが、それはあくまであなたへの報告と連携を前提としたもの。まさか魔導院長であるあなたを飛び越えて、作戦の詳細まで指示するとお思い?」
セレスティアは、ヴィクターの狼狽した顔を面白そうに眺めている。
彼女はヴィクターの動揺を、まるで極上のワインでも味わうかのように楽しんでいた。
「……っ!」
ヴィクターは言葉を失った。
違う。命令はもっと具体的だったはずだ。
『印刷機を破壊し、職人を確保せよ』と。
しかし、その命令は2人きりの場で口頭でなされたもの。
証拠などどこにもない。
「管理下のマグナスが、アポロの介入を許し、肝心の職人を取り逃がすという失態を演じた。この責任は、一体誰にあるのかしら、ヴィクター? それに殺そうなどと……美しくない」
セレスティアの静かな問いが、ヴィクターの心臓に突き刺さる。
麾下の失態は、その長たる自分の責任であって反論の余地はない。
「……ではせめて、あのアポロをどうにかして頂きたい! あやつは魔法省魔導研究院の院長として、これまで無法の限りをつくしてきました。しかしさすがに今回はやりすぎです。ヤツが現れなければ、職人の排除は済んでおりました!」
「ふむ……なるほどアポロなのですのね。確かに面倒な存在ですわね。それでもそのアポロが現れる事態は想定していらっしゃらなかったの? ……まあいいでしょう。アポロの件は私が何とかいたしますわ。あなたはマグナスとともに次の作戦をお考えになって」
「は、ははっ」
■アスカノミヤ邸
「何だって? じゃあ、レイナさんやアンちゃん、トムは無事なんですか?」
技術省の政権内勢力が弱いのを知っていたケントは、アルフレッドとモーガンに会いに行ったのだ。
アルにとっては印刷機よりも彼女たちが大事らしい。
「無事だ。それからアル……フレッド王子殿下、印刷機の件はご心配なく。一度作ったのです。複製は可能です」
ケントの発言はアルよりも父親のモーガンに響いた。
「ケント殿、それは確かかね? 聞けば精密な加工のためにドワーフ州までいったと聞く」
「問題ありません。ただ何もせずに向こうにいた訳ではありませんから」
確かに遊んでいたわけではない。
ただそれよりもケントの発言の根拠は、地球から持ち込んだ様々な道具の存在であった。
「親王殿下、お願いがございます。今回の襲撃の犯人は魔法省です。こちらでも対策はしますが、王家から魔法省に圧力、いや、それとなく次がないように釘を刺していただけませんか?」
モーガンはケントの願いを聞いて考え込んでいる。
家門の復活のためにケントの技術を利用しようと考えていたが、そもそも王室内や政権内での発言力は強くないのだ。
「……わかった。できるだけのことはやろう。ケント殿、アルを頼むよ」
「はい」
■数日後 ルナの実験室
工房の一角が帆布で仕切られて、ルナの実験室になった。
地球から持ち帰ったガスクロマトグラフ質量分析計が、ケントが構築した水力発電システムで稼働している。
「発電安定。始めてください」
ケントの声に、ルナは装置を起動させた。エリカがサンプリング管を外へ伸ばす。
「外気サンプリング開始」
モニターに分析結果が描画される。
窒素、酸素の後、圧倒的な第3のピークが現れた。
「あった!」
ルナの声が震えた。
「アルゴン……地球と同じ。でも濃度が5%近く。地球の1%未満と比べて異常よ」
「これがマナの正体?」
ケントが尋ねた。
「まだ断定はできない。でも、この異常な濃度こそが魔法現象の原因である可能性は高いよ」
ルナは冷静さを保った。
「じゃあ仮説の第一段階が証明されたのね」
エリカが言った。
「次は因果関係の証明。アルゴンを除去したら魔法が使えなくなるか、高濃度にしたら特別な現象が起きるか。それを検証して初めて『マナ=アルゴン』と断定できる」
「ルナ、ちょっといいか?」
「何?」
検証結果に喜んでいるルナに、ケントとマルクスは声をかけた。
「銃を作ろうと思う。どんな銃を、どういうプロセスでつくるかはこれから考えるけど、火薬を作ってほしい。そらから雷汞も」
「火薬? ……それは……黒色火薬よね? 雷汞? ……雷酸水銀?」
2人は本音を言えば無煙火薬、現在の銃で使われているものを依頼したかったが、無理だとわかっている。
仮に無理じゃないとしても、難易度が高くて時間もかかる。
それに作れたとしても、金属薬莢やそれに耐えうる銃本体がつくれない。
「わかった。……危険だけど……さすがに電源のこともあるし。ライトやLRADにばっかり頼れないもんね。やってみる」
少しだけ考え込んだあと、ルナは答えた。
次回予告 第25話 『ドライゼ銃かシャープス銃か』
魔法省の襲撃を庇護者たちに報告し、味方固めに動く健太。
一方、魔法省では大臣セレスティアが腹心に全責任をなすりつけ、冷酷な支配者の顔を見せる。
そしてルナの科学実験が、ついに魔法の正体に繋がる大気中の「異常」を発見。
次回、反撃の心臓部となる黒色火薬と、それを点火する雷管の開発。
どの銃をどんなプロセスで製造すればもっとも効果的なのか? ケントたちの奮闘の陰で、魔法省が次に動くのは?

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