令和9年7月下旬
総理暗殺の衝撃が冷めやらぬ官邸の一室には、閉ざされたカーテンと沈んだ空気が漂っていた。
岩西猛外務大臣は腕を組み、机の上の湯飲みに鋭い視線を向けたまま、何も言わない。
久米義政官房長官は、総理代理として緊急対応に追われ疲れ切った顔で座っていた。
他にも総務大臣の村川潤一郎、財務大臣の香川陽一、防衛大臣の中川亘が同席している。
「……次はオレかもしれない。尖閣で中国公船が居座ったとき、オレは経済交流を理由に強く抗議せず、『話合いで解決を』と言い続けた」
椅子に沈み込む元外務大臣・河口三郎は、両手を震わせながら声を絞り出す。
眼鏡の奥の目は恐怖で潤み、額から流れる汗が頬に伝っていた。
河口に対する媚中批判はこの一件だけではない。しかし、日中経済フォーラムを潰さぬための判断だったと主張してきたのである。しかし、今では中国への迎合との見方が増えてきていた。
「馬鹿を言ってはいけない。大臣経験者がそんな顔を世間に見せたら余計に怪しまれる。それに……臨時代行は私だ。狙われるなら官房長官の私だろう」
久米は沈んだ声音で応じた。
「指摘されるのは君ばかりじゃない」
久米は官房長官として総理に進言し、中国人技能実習生の受入れ枠を拡大するよう推し進めてきたのだ。
現実的に人手不足を補うためであったが、今では『中国資本のために国内労働を売った』と糾弾されている。市民団体から連日抗議が届いている現状であった。
「オレも変わらん」
香川は財務大臣になる前、十数年前から中国企業による日本企業の買収を容認してきた。
特に再生エネルギー関連や土地取引で『投資を止めなかった』と記録に残っている。
実際には省内で異論もあったが、私は貿易摩擦を恐れて制限をかけなかったのだ。
それが今、『国土を売り渡した』とSNS上で大勢を占めている。
村川はそのでっぷりとした体を椅子に深く沈め、ぼそりとつぶやいた。
「自治体への中国系資本の寄付金や研究機関との提携計画、オレが後押ししたのはウソじゃない。名目は『地域活性化』だが、議会で野党に追及されるたびに説明を濁した。あれが記録に残っているんだよ。今の世論じゃ、それ自体が弾劾材料にされるんだ」
岩西も続いて沈鬱な顔で口を開く。
「私はここ数年、中国との外相会談で安全保障分野まで『協調』を口にしてきた。友好の旗を振った私を、SNSは媚中外交の象徴と書き立てたんだ。中国筋からは厚遇されたが、命取りになりかねん」
実際に中国側からキックバックがあったのかどうかは、操作してみないと分からない。
しかし、そのあからさまな言動が国民には媚中と映り、反感を増大させていたのだ。
「選挙はグダグダだし、命まで狙われたらたまらん」
誰が言ったのかつぶやいたのか、室内には沈黙が訪れた。
「……くだらん」
その沈黙を破ったのは防衛大臣の中川亘だった。
彼は椅子から立ち上がり、短く言い放つ。
「はあ……。くそですね。クソでしかない」
全員が目を向けたが、それだけを告げると彼は書類も持たずに、誰とも目を合わせず扉へ向かう。
中川は重い音を立てて扉を閉め、足音は遠ざかっていった。
■都内某所 選挙活動中
「柳井総理の命を奪ったのは、一発の凶弾だけではありません! 国民を貧困と絶望に突き落とし、その隙を外国勢力につけ込ませた、これまでの弱腰な政治であります!」
|橘《たちばな》は自由保守党政権の経済政策と安全保障政策を、一本の線で結びつけて断罪した。
「強い経済なくして、強い国家なし! 我々はこの国から貧困をなくし、国民の尊厳を取り戻す! そして、日本の内側に巣食う敵を断固として一掃する!」
その彼の言葉は、国民が抱いていた怒りや不安、そして恐怖の完璧な受皿となった。
まずは減税とスパイ防止法。
与党とは対照的に、明確なビジョンと力強い言葉を示す橘に、国民の期待は熱狂的な支持となって集中していったのである。
『橘しかいない』
『日本を変えられるのは彼だけだ』
SNS上には橘と新生党賛美の声があふれかえる。
もはや特定の政党への支持を超え、新しい指導者を求める国民全体の声となっていた。
■令和9年7月25日(2027年7月25日) 東京都内
日本中が固唾をのんで見守る中、総選挙の開票作業が滞りなく進んでいた。
テレビ各局は特別番組を組み、刻一刻と開票速報を伝えている。
これまでのオールドメディアと呼ばれるテレビや新聞は、現与党の政権を持ち上げる偏向報道だと言われてきた。
しかし、画面のテロップには『自保、歴史的大敗』『日本新生党大幅議席増!』の文字が踊っている。
各政党の獲得議席数は以下のとおり。
1.日本新生党→164(衆108+参56)
2.国民新党→148(衆96+参52)
3.日本伝統党→139(衆92+参47)
4.自由保守党→127(衆86+参41)
5.立憲革新党 → 80(衆52+参28)
6.日本新風会→28(衆18+参10)
7.創明党→16(衆10+参6)
8.新時代党→15(衆11+参4)
9.日本労働党→4(衆2+参2)
10.沖縄の風→3(衆2+参1)
11.社会進歩党→1(衆1+参0)
12.無所属→3(衆2+参1)
全728議席(衆465+参263)
自由保守党の開票センターは重苦しい空気に沈んでいた。
候補者たちは顔を真っ青にし、事務所の職員たちもこわばった顔つきだ。あるベテランの議員は、ぼう然とテレビの画面を見ていたが、やがて膝から崩れ落ちた。
長年与党として日本の政治を牛耳ってきた自由保守党は、国民の怒りと不満の前に完膚なきまでに敗れ去ったのである。
一方、日本新生党の開票センターは熱気に包まれていた。
当選確実の報が流れるたびに、歓声と拍手が沸き起こる。橘孝太郎は、支持者からの大歓声とフラッシュの嵐を浴びながら、固く引き締まった表情でマイクの前に立った。
「この結果は、国民の皆様が、既存の政治に明確な審判を下した証であります。我々はこの重い負託を真摯に受け止め、全身全霊をかけて『強い日本』を取り戻すことを、ここに誓います」
彼の言葉はテレビを通じて日本全国に届けられた。
国民は、新しい時代の幕開けを予感し、その言葉に熱狂したのである。
■令和9年8月1日(2027年8月1日)
臨時国会が召集され、衆参両院での首班指名選挙の結果、日本新生党党首の橘孝太郎が第105代内閣総理大臣に選出された。
日本の歴史に新たな1ページが刻まれた瞬間である。
総理:橘孝太郎(新生党)
副総理兼総務相:高橋正義(国民新党)
外相:井上直樹(日本伝統党)
財務相:森川誠一(新生党)
防衛相:中川亘(無所属・旧自保)
法相:加藤真一(新生党)
厚労相:田所隆一(国民新党)
農水相:吉村雅信(日本伝統党)
経産相:山本修司(新生党)
国交相:石原義行(国民新党)
環境相:鈴木太一(新時代党)
官房長官:藤田健介(新生党)
復興相:林佳子(日本伝統党)
経済再生担当:中村健太郎(新風会)
少子化担当:安藤美咲(新生党)
経済安保担当/国家公安委員長:神崎明子(自由保守党)
人事名簿を見たメディアはざわついた。
「旧与党・自由保守党から神崎明子氏の入閣!」
「総裁選まで争った人物を登用ですか?」
橘は静かに応じる。
「関係ありません。国家観と政策能力で筋を通してきた政治家です。必要なのは信念と実力であり、党派ではない」
その言葉が映像で流れると、世論の空気がさらに変わった。
旧体制の中からも本物を拾い上げる。
それが橘流の人事であると国民に深く印象づけられたのである。
次回予告 第18話 (仮)『再びの尖閣』

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