第17話 『政権交代』

 令和9年7月下旬

 総理暗殺の衝撃が冷めやらぬ官邸の一室には、閉ざされたカーテンと沈んだ空気が漂っていた。

 岩西猛外務大臣は腕を組み、机の上の湯飲みに鋭い視線を向けたまま、何も言わない。

 久米義政官房長官は、総理代理として緊急対応に追われ疲れ切った顔で座っていた。

 他にも総務大臣の村川潤一郎、財務大臣の香川陽一、防衛大臣の中川亘が同席している。

「……次はオレかもしれない。尖閣で中国公船が居座ったとき、オレは経済交流を理由に強く抗議せず、『話合いで解決を』と言い続けた」

 椅子に沈み込む元外務大臣・河口三郎は、両手を震わせながら声を絞り出す。

 眼鏡の奥の目は恐怖で潤み、額から流れる汗がほおに伝っていた。

 河口に対する中批判はこの一件だけではない。しかし、日中経済フォーラムを潰さぬための判断だったと主張してきたのである。しかし、今では中国への迎合との見方が増えてきていた。
 
「馬鹿を言ってはいけない。大臣経験者がそんな顔を世間に見せたら余計に怪しまれる。それに……臨時代行は私だ。狙われるなら官房長官の私だろう」

 久米は沈んだ声音で応じた。

「指摘されるのは君ばかりじゃない」

 久米は官房長官として総理に進言し、中国人技能実習生の受入れ枠を拡大するよう推し進めてきたのだ。

 現実的に人手不足を補うためであったが、今では『中国資本のために国内労働を売った』と糾弾されている。市民団体から連日抗議が届いている現状であった。

「オレも変わらん」

 香川は財務大臣になる前、十数年前から中国企業による日本企業の買収を容認してきた。

 特に再生エネルギー関連や土地取引で『投資を止めなかった』と記録に残っている。

 実際には省内で異論もあったが、私は貿易摩擦を恐れて制限をかけなかったのだ。

 それが今、『国土を売り渡した』とSNS上で大勢を占めている。

 村川はそのでっぷりとした体を椅子に深く沈め、ぼそりとつぶやいた。

「自治体への中国系資本の寄付金や研究機関との提携計画、オレが後押ししたのはウソじゃない。名目は『地域活性化』だが、議会で野党に追及されるたびに説明を濁した。あれが記録に残っているんだよ。今の世論じゃ、それ自体が弾劾材料にされるんだ」

 岩西も続いて沈鬱な顔で口を開く。

「私はここ数年、中国との外相会談で安全保障分野まで『協調』を口にしてきた。友好の旗を振った私を、SNSは媚中外交の象徴と書き立てたんだ。中国筋からは厚遇されたが、命取りになりかねん」

 実際に中国側からキックバックがあったのかどうかは、操作してみないと分からない。

 しかし、そのあからさまな言動が国民には媚中と映り、反感を増大させていたのだ。

「選挙はグダグダだし、命まで狙われたらたまらん」

 誰が言ったのかつぶやいたのか、室内には沈黙が訪れた。




「……くだらん」

 その沈黙を破ったのは防衛大臣の中川亘だった。

 彼は椅子から立ち上がり、短く言い放つ。

「はあ……。くそですね。クソでしかない」

 全員が目を向けたが、それだけを告げると彼は書類も持たずに、誰とも目を合わせず扉へ向かう。

 中川は重い音を立てて扉を閉め、足音は遠ざかっていった。




 ■都内某所 選挙活動中

「柳井総理の命を奪ったのは、一発の凶弾だけではありません! 国民を貧困と絶望に突き落とし、その隙を外国勢力につけ込ませた、これまでの弱腰な政治であります!」

 |橘《たちばな》は自由保守党政権の経済政策と安全保障政策を、一本の線で結びつけて断罪した。

「強い経済なくして、強い国家なし! 我々はこの国から貧困をなくし、国民の尊厳を取り戻す! そして、日本の内側に巣食う敵を断固として一掃する!」

 その彼の言葉は、国民が抱いていた怒りや不安、そして恐怖の完璧な受皿となった。

 まずは減税とスパイ防止法。

 与党とは対照的に、明確なビジョンと力強い言葉を示す橘に、国民の期待は熱狂的な支持となって集中していったのである。




『橘しかいない』

『日本を変えられるのは彼だけだ』




 SNS上には橘と新生党賛美の声があふれかえる。

 もはや特定の政党への支持を超え、新しい指導者を求める国民全体の声となっていた。




 ■令和9年7月25日(2027年7月25日) 東京都内

 日本中が固唾をのんで見守る中、総選挙の開票作業が滞りなく進んでいた。

 テレビ各局は特別番組を組み、刻一刻と開票速報を伝えている。

 これまでのオールドメディアと呼ばれるテレビや新聞は、現与党の政権を持ち上げる偏向報道だと言われてきた。

 しかし、画面のテロップには『自保、歴史的大敗』『日本新生党大幅議席増!』の文字が踊っている。

 各政党の獲得議席数は以下のとおり。




 1.日本新生党→164(衆108+参56)

 2.国民新党→148(衆96+参52)

 3.日本伝統党→139(衆92+参47)

 4.自由保守党→127(衆86+参41)

 5.立憲革新党 → 80(衆52+参28)

 6.日本新風会→28(衆18+参10)

 7.創明党→16(衆10+参6)

 8.新時代党→15(衆11+参4)

 9.日本労働党→4(衆2+参2)

 10.沖縄の風→3(衆2+参1)

 11.社会進歩党→1(衆1+参0)

 12.無所属→3(衆2+参1)

 全728議席(衆465+参263)




 自由保守党の開票センターは重苦しい空気に沈んでいた。

 候補者たちは顔を真っ青にし、事務所の職員たちもこわばった顔つきだ。あるベテランの議員は、ぼう然とテレビの画面を見ていたが、やがて膝から崩れ落ちた。

 長年与党として日本の政治を牛耳ってきた自由保守党は、国民の怒りと不満の前に完膚なきまでに敗れ去ったのである。

 一方、日本新生党の開票センターは熱気に包まれていた。

 当選確実の報が流れるたびに、歓声と拍手が沸き起こる。橘孝太郎は、支持者からの大歓声とフラッシュの嵐を浴びながら、固く引き締まった表情でマイクの前に立った。

「この結果は、国民の皆様が、既存の政治に明確な審判を下した証であります。我々はこの重い負託を真摯に受け止め、全身全霊をかけて『強い日本』を取り戻すことを、ここに誓います」

 彼の言葉はテレビを通じて日本全国に届けられた。

 国民は、新しい時代の幕開けを予感し、その言葉に熱狂したのである。




 ■令和9年8月1日(2027年8月1日)

 臨時国会が召集され、衆参両院での首班指名選挙の結果、日本新生党党首の橘孝太郎が第105代内閣総理大臣に選出された。

 日本の歴史に新たな1ページが刻まれた瞬間である。




 総理:橘孝太郎(新生党)

 副総理兼総務相:高橋正義(国民新党)

 外相:井上直樹(日本伝統党)

 財務相:森川誠一(新生党)

 防衛相:中川亘(無所属・旧自保)

 法相:加藤真一(新生党)

 厚労相:田所隆一(国民新党)

 農水相:吉村雅信(日本伝統党)

 経産相:山本修司(新生党)

 国交相:石原義行(国民新党)

 環境相:鈴木太一(新時代党)

 官房長官:藤田健介(新生党)

 復興相:林佳子(日本伝統党)

 経済再生担当:中村健太郎(新風会)

 少子化担当:安藤美咲(新生党)

 経済安保担当/国家公安委員長:神崎明子(自由保守党)




 人事名簿を見たメディアはざわついた。

「旧与党・自由保守党から神崎明子氏の入閣!」

「総裁選まで争った人物を登用ですか?」

 橘は静かに応じる。

「関係ありません。国家観と政策能力で筋を通してきた政治家です。必要なのは信念と実力であり、党派ではない」

 その言葉が映像で流れると、世論の空気がさらに変わった。

 旧体制の中からも本物を拾い上げる。

 それが橘流の人事であると国民に深く印象づけられたのである。




 次回予告 第18話 (仮)『再びの尖閣』

コメント

タイトルとURLをコピーしました