第14話 『緊迫の尖閣』

 令和9年4月8日(2027年4月8日) 東シナ海 尖閣諸島周辺海域

 横須賀で編成式が執り行われていた、まさにその時。

 東シナ海の尖閣諸島、魚釣島周辺海域は一触即発の緊張に包まれていた。


 巡視船『あさづき』の船橋内の空気は張り詰め、田中は双眼鏡を構えて苦々しい表情で前方を見据えている。

 視線の先わずか数千メートルの距離には、世界最大級の武装海警船『海警2901』が巨体を誇示するように航行している。

 隣には僚船である5000トン級の『海警2501』が並走し、無言の圧力をかけてきていた。

「本庁、こちら『あさづき』。対象は依然として針路変更に応じず。領海内での居座りを継続中」

 田中の報告はもう何度目になるか分からない。若い航海士が固唾をのんでレーダー画面を監視している。額には脂汗がにじんでいた。

「警告を繰り返せ。ここは日本の領海だ。あんクソたちの行動が国際法に違反する危険な行為であると、記録に残し続けろ」

 電光掲示板に表示された中国語の警告文も、国際VHF無線での呼びかけも、彼らは完全に無視していた。

『あさづき』が距離を詰めようとすれば同じ分だけ距離を保ち、離れようとすれば威圧的に進路に割り込んでくる。

 熟練した操船技術による、計算され尽くした嫌がらせだった。


 ■午前11時15分

 中国海警局と日本の海上保安庁が対峙する緊張した海域に、石垣島から出漁してきた『第八幸丸』が姿を現した。

 平和な操業を求める、ごく普通の漁船である。

「漁船を安全な海域に誘導しろ。現在の位置は危険だ」

 田中が指示を出した直後、それまで一定の距離を保っていた海警2901が動いた。1万2千トンを超える巨体が針路を変更し、漁船の進路を遮ろうと接近を開始する。

「まずい! 面舵一杯! 漁船の前に割り込む」

 あさづきは最大速力で加速し、自らの船体を盾にするべく海面を切って進んでいく。速力では海警2901に劣らない。むしろ、機動性では上回っていた。

 しかし海警2901は速力で勝負する意図はない。

 圧倒的な船体そのものを利用していたのだ。


 まっすぐ漁船に向かって進んでいる。

 偶発的な接触ではない。明確な意図を持った、計画的な行動だった。

 速力において勝るあさづきは2901の前方に躍り出て、漁船を守るために自らの身を盾にしたが、2901は全く意に介さない。

 ここで針路を変更しなければ、あさづきの被害は計り知れない状況である。

「ギリギリまで待て!」

 衝突の衝撃を和らげ、かつ針路を変更させるため田中は舵をきる。

「総員、衝撃に備えろ」

 田中の指示から数秒後、鈍い衝撃音と金属のきしむ音が船橋に響いた。

 あさづきの船体が揺れ、乗組員は手すりや計器につかまって体を支えたのだ。艦内の警報音が鳴り響く。

 まさに意図的に引き起こされた衝突である。

 2010年の事件を想起させる、より組織的で計画的な主権侵害行為であった。


 船体を接触させて『あさづき』を妨害した『海警2901』は、ゆっくりと距離を取った。

 その間にもう一隻の『海警2501』が漁船に接近したが、漁船は機関の性能を活かして離脱に成功したようである。

 やがて、2隻の中国海警船は目的を達成したとばかりに領海の外へと去っていった。
 
 残されたのは左舷に損傷を負った『あさづき』の乗組員たちと、日本の主権に対してまた一つ、力による挑戦があった現実である。


 ■同日夕刻 東京・首相官邸危機管理センター

 総理執務室の空気は重く、柳井誠総理は正面の大型モニターに映し出された『あさづき』の損傷箇所の映像を見つめていた。

 官房長官、外務大臣、そして防衛大臣の中川亘が深刻な表情で控えている。

「これは明白な挑発行為です、総理」

 最初に口を開いたのは、防衛大臣の中川だった。

「巡視船は我が国の法執行機関です。それが我が国の領海内で意図的に衝突され、航行を妨害された。これは通常の警察力で対処可能な範囲を超えています。海上警備行動を発令し、国家の明確な意思を示すべきです」

「慎重に検討すべきです、中川さん」

 外務大臣の市川が冷静に割って入った。

「自衛隊を派遣すれば、中国は『日本の軍事挑発が事態をエスカレートさせた』と国際社会に主張するでしょう。それが奴らの狙いに間違いない。我々は挑発に応じるべきではありません」

 官房長官の久米が両者の意見を整理しながら発言する。

「国民世論は確実に反発するでしょう。2010年の衝突事件以上の反響が予想されます。弱腰と見られれば政権への信頼は失墜しますが、外交的リスクも慎重に考慮する必要があります」

 中国海軍の下部組織ともいえる準海軍の海警局に現行の海上保安庁で対処するには、武装強化が必須である。

 日本でいうところの海上自衛隊の地方隊レベルの武装、機関砲ではなく主砲を搭載し、海警2901レベルの兵力が必要なのだ。

 近年ようやく海上自衛隊と海上保安庁の合同訓練が実施されているが、十分とは言えない。

「そんなことはわかっている! これまで耐えに耐え、我慢に我慢を重ねてきたじゃありませんか! 外交的リスク? 中国はそれをわかったうえで挑発しているんですよ! 日本は何も出来ないと、張り子の虎だと!」


 三者の意見が交錯する中、柳井はモニターを見つめながら熟考していた。

 海上警備行動発令の場合のシナリオや中国海軍の対応、米国の反応と国内世論の動向。

 発令を見送った場合の主権侵害の既成事実化と同盟国からの信頼低下、現場職員の士気への影響など、限りがない。

「今回の衝突は、偶発的事故を装っている点が特に問題だ」

 柳井はようやく口を開いた。

「彼らは我々が『事故の可能性』と解釈するかもしれない点を計算している。そのグレーゾーンで我々が対応に苦慮する状況を見越しているのだ。だからこそ、ここで自衛隊を派遣すれば彼らの思惑通りになる。彼らは我々に最初の軍事行動を取らせたいのだ」

「では、また外交抗議だけで終わらせるのですか! ? 確かに領海内での無害航行権はあります。しかし無害と言えますか!」

 中川が食い下がる。

「現場の海上保安官は命を懸けて任務に当たっているのです」

「だからこそだ」

 柳井は静かだが強い意志を込めて中川を見据えた。

「だからこそ、我々が冷静さを失ってはならない。自衛隊派遣は最後の選択肢だ。まだその段階ではない」

 苦渋に満ちた判断だった。

 国家主権と全面的な軍事衝突のリスクを天びんにかけた、指導者としての重い決断である。

「中国政府には、これまでで最も強い言葉で抗議する。巡視船の修理費用の全額賠償と公式謝罪を要求する。しかし、海上警備行動の発令は見送る」

「これは私の最終決定だ」

 柳井はそう締めくくり、深く椅子に身を沈めた。


 遺憾、遺憾、遺憾!

 今回も遺憾砲だけか!

 賠償? 謝罪?

 あの中国がするとでも思っているのか花畑め!

 海上自衛官出身の中川は、言い表せない怒りと苦しみに拳を握った。


 ■同日夜 佐世保へ向かう洋上 護衛艦『飛龍』艦内

 横須賀での編成式を終え、母港佐世保へと帰路についていた『飛龍』の司令室は、重い沈黙に包まれていた。

 艦長の加来(一佐)、第一機動護衛隊司令の山口(海将補)、そして副長の鹿江(二佐)が、壁のモニターを見つめている。

 画面には損傷した巡視船『あさづき』の映像と、官邸からの政府見解がテロップで流れていた。


『政府は本件を極めて遺憾とし、中国政府に厳重抗議。海上警備行動の発令は現段階で見送る』


「また、同じ対応か」

 加来が静かにつぶやいた。

「司令官、これが我が国の現実なのでしょうか。同胞が攻撃されても外交抗議で終わりとは。我々の存在意義は何なのでしょう」

 鹿江も拳を握りしめながら悔しさを表した。

 山口は二人の言葉を受け止め、静かに口を開く。

「総理は総理なりの考えがあるはずだ。我々の知らない情報の中で、国益を判断していらっしゃるに違いない」

 一度言葉を区切ったが、心の中が加来や鹿江と同じなのは想像に難くない。

「しかし、判断が適切かどうかは別の問題だ。この一件は、我々が本当に対処すべき課題が海上だけではない事実を示している。真の戦場は、国民の意識と国会にあるのかもしれない」

 山口の予想通り、この政府決定は翌日の国会で激しい論争を巻き起こしていく。

 戦後82年。

 急速に脅威を増す中国に対し、日本国民の意識も少しずつ変わってきた。

 その一例が、些末な点かもしれないが、軍国主義を思い起こさせるとの理由でひらがな表示であった護衛艦の名称である。

 従来『ひりゅう』となるべき名称が、正式に『飛龍』となって存在している。

 第一護衛艦隊と『艦隊』の名称に変わり、少なからず隊員の士気向上に寄与しているのだ。

 金剛、摩耶、出雲、足柄等々。

 すべてが漢字表記となっていたのである。


 案の定、政府の決定は国会で凄まじい議論の嵐を巻き起こした。

 議場では、与党内の国防族議員や、より強硬な安全保障を主張する保守系野党から、厳しい声が飛びかう。

「国民の安全より中国への配慮を優先するのか!」

「主権侵害に遺憾表明だけで済ませる政府がどこにある!」

 政府の弱腰を糾弾する声が、議場に響き渡る。

 一方で、護憲を掲げるリベラル系の野党の主張はこうだ。

「そもそも、こんな事態を招いた政府の外交的失敗こそが問題だ」

「いたずらに軍事的緊張を高めるべきではない」

 全く異なる角度からの批判が浴びせられる。

 柳井政権は、一方からは『弱腰』と、もう一方からは『外交の失敗』と、全く異なる立場から厳しい批判にさらされる事態になった。

 国会は紛糾し、柳井内閣の支持率は急落。

 日本の安全保障の在り方を巡る国民的な大論争の火蓋が、切って落とされたのである。


 次回予告 第15話 (仮)『国会の嵐』

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