慶長四年十月十五日(西暦1599年12月2日) 大日本国議会
「第二に、身分の仕来りじゃ」
純正は話を続けた。
「肥前州では武士や町人、農民の別なく学び、求めればいかなる職で働いても良い。才ある者は身分を問わず登用する。商人でも農民でも、優秀であれば大臣にもなれる」
これにも議場がざわめいた。
身分制度は当時の社会の根幹をなす。
しかし、そうは言っても、もちろん21世紀と同じ状況ではない。
さすがにそれは不可能である。
代々武門の家系にあった者が、町人や農民に従って部下として働くのを、潔しとするはずがない。
純正は40年近くかけて、徐々に浸透させてきたのだ。
信長は能力主義で人材を登用して抜擢していたが、純正は社会制度として大々的に導入してきたのである。
「さように仰せでも……身の上(身分)の仕来りは世の中の法(秩序)にございますぞ」
「法とな? では聞こう。世の法とは何ぞや? 身の上によって人を分けねばならぬ道理があるのか?」
純正の言葉に長重は首を振った。
「それは……古来定まりし仕来りにて……」
「仕来りのう……。ならばその仕来りは誰が決めたのだ? 天が決めたのか? それとも人が決めたのか?」
純正は立ち上がり、議場を見渡して続ける。
「人が決めたのならば、人が変えても良かろう。天が決めたのならば、なぜ肥前州では身の上(身分)を問わず才ある者が重用され、かくも繁栄しておるのだ? 天の意に背いているとでも申すか? しかしてその肥前州の繁栄をうらやみ、自らも享受したいという……」
さらに純正は議場を見渡す。
「長重でなくともよい。オレを納得させてみろ。遠慮はいらん」
議場に緊張が走り、純正の挑戦的な言葉に、代表者たちは互いに顔を見合わせた。しばらくの沈黙の後、徳川州の家康が発言を願い出る。
「殿下、一言よろしいでしょうか」
純正と信長の返事を待って、家康は続ける。
家康はこのとき56歳。純正より6つ歳上であった。
「殿下の仰せはもっともにございます。されど、身分の仕来りには深い意味があると愚考します」
「ほう、聞こう」
純正は興味深そうに家康を見つめた。
「まず、身分とは役目を分かつためにございます。武士は国を守り、農民は食を作り、職人は物を作り、商人は物を売り買いして品物を世に流す。それぞれが己の役目に専念するからこそ、世の中が滞りなく回っているのではございませんか」
家康の論理は整然としていた。
「なるほど、役目を分かつ、か。ふむ、正論である。では問おう。その役目は生まれによって決まらねばならぬのか?」
純正は冷静に反論した。
この時代はいわゆる江戸時代ではない。
秀吉による刀狩りは行われていないが、警察と法によって治安が保たれているのだ。
そのため、武士を除いた特定の職(陸海軍・警察等)以外の者は、刀剣類を含めた武器を所持していない。しかもその刀剣も、現在と同じく厳しく管理されている。
「農民の子は農民、武士の子は必ず武士でなければならぬのか? もし農民の子に武芸の才があり、武士の子に商才があったとしても、生まれた身分に縛られねばならぬのか?」
家康は純正の言葉を飲み込み、じっくり考えて反論する。
「必定ではなく、むしろそれが理にかなっているゆえにございます。およそごく少数の神童と呼ばれる者のほかは、修練の年数によってその力が決まります」
「ほう?」
「およそ武門の子供は、物心ついたころより書に親しんで武芸を嗜みまする。四書五経はもとより、立ち居振る舞いから教えこまれるのでございます。小学に入る数え六つのころには、一人前とは言わずとも、一目で武家の子と分かります。それは農民や町人も同じにございましょう」
居並ぶ参加者たちは純正と家康の討論を、固唾をのんで見守っている。
家康の論理は確かに一理あった。
武士の子は幼少期から武芸と学問をたたき込まれ、農民の子は田畑の仕事を覚え、商人の子は商売の手法を身につける。
それぞれの家業に必要な技能を、長年にわたって習得するのが当然とされてきた。
純正は家康の言葉を静かに聞いていたが、やがて口を開く。
「なるほど、修練の年数か。確かにそれは重しだ。されど少将殿(家康)、貴殿の論には一つ大きな見落としがある」
「見落とし、でございますか?」
家康は眉をひそめた。
「然り。貴殿は『武門の子は武芸を嗜む』と申したが、では問おう。農民の子が武芸を学ぶ機会をこれまで与えられたか? 商人の子が四書五経を学ぶ機会があったか?」
純正の問いかけに、家康は言葉に詰まった。
「それは……身分が違えば……」
いや、ちょっと待て。
純正はふと考えこんだ。
大日本国ができて19年。
その間、少ない予算ながらも産業を育成し、街道の整備なども含めて公共事業もやってきた。足りない分は肥前国が出して返済してもらってきたのだ。
その甲斐あって、経済は徐々に上向いてきている。
教育は? 教育はどうしていたのだ?
「しばし待たれよ。中将殿(信長)、ただ今は織田州の大学はいかほどあるのですか? 小学は各村、中学は各郡に複数はあるのでしょうな? 少将殿(家康)、他の州はいかがか? 無論、身の上を問わず、すべての民が教育を受けてきたのでしょう?」
純正は全員を見回した。
議場は静まり返り、信長は苦い表情を浮かべている。家康をはじめとする他の代表者たちも同様に顔を見合わせていた。
「殿下……」
信長が重い口を開いた。
「織田州には岐阜と清洲に大学が二つ、小学は各村にあり、郡に複数の中学もある。されど……南近江、伊勢志摩他の県(国)には、そこまでの数はない」
「徳川州も同様でございます」
家康も渋々と答えた。
「各村に小学があるのは、肥前州のみかと……」
純正は深いため息をついた。
「十九年だ。大日本国ができて十九年がたつ。その間、オレは何度も教育の重きを説いてきた。予算も組んだ。街道整備や産業育成と並んで、教育こそが国の礎だと申してきたではないか」
純正は立ち上がり、議場を見渡した。
「では聞くが、その予算はどこに消えたのだ? 教育予算として計上された金子は、真に学校建設や教師の俸給に使われたのか?」
長重が青ざめた顔で答えた。
「それは……一部は他の用途に……」
「他の用途とは何だ?」
純正の声に厳しさが増した。
「城の修築や、家臣への加増などに……」
「なるほど」
純正は冷笑を浮かべた。
「教育よりも城の見栄えが大事であったのか? 民の先の暮らしよりも、家臣への恩賞が先であったのか?」
議場に重苦しい空気が流れる。
「殿下、お言葉ですが……」
浅井州の代表者、浅井長政が立ち上がった。
「教育の重きは心得ております。されど、真の難事として、各村に学校を建て、教師を雇うには数多の費えが要りまする。我が州の財政では……」
「もうよい……あい分かった」
純正は万座を見渡して押し黙った。
長い間、どのくらいの時間がたったであろうか。
やがて口を開く。
「オレは決めた。今からオレが言うことに従うか、従わないか。決めよ。従わなくても良し。そのかわりオレは何もせん。金も天から降ってくるわけではない。我が国の、民の血税だからの。一度しか言わんから、よく聞くのだ」
純正は、あえて肥前州ではなく、肥前国、と呼んだ。
その意味を理解したかのように、全員が純正に注目する。
次回予告 第879話 (仮)『純正の決断。戦国の再来か』

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