1986年(昭和61年)5月4日(日)
晴れ。爽やかな風が吹き抜ける初夏の日曜日だった。
始発の船に乗るため、悠真は7時に港へと向かった。いつもなら眠い時間だが、今日は不思議と目覚めが良かった。期待と不安が入り混じったような独特の感覚だ。
待合所に着くと、既に美咲、凪咲、純美の3人がベンチに座って待っていた。
「おはよう~!」
美咲が元気よく手を振る。
小花柄のワンピースに白い薄手のカーディガンという出で立ちだ。
凪咲はデニムスカートにパステルブルーのTシャツ、純美はチェック柄のスカートにピンクのブラウスを着ていた。
3人とも、いつも以上に可愛らしい。
(やばい、みんな気合い入ってる……)
悠真は喉の奥が乾く思いだった。
「菜々子たちは?」
悠真の問いに、美咲が答える。
「まだだよ。バスで来るっていってたから、フェリーの時間までにはくると思うけど」
悠真と同じ西小出身の美咲と凪咲、そして純美は、以前悠真と一緒に佐世保にいったことがある。対して南小出身の菜々子と絵美、そして礼子は初なのだ。
親公認の仲となっている美咲達3人は、車で送ってもらったから到着が早い。
悠真は、というと自転車だ。
祖父に買ってもらった自転車は、交通費削減にも役立っている。
その時、バスの到着をエンジン音が知らせてきた。
あるあるだが、フェリー乗り場は終点だ。
そして折り返しの始発点でもある。
菜々子と恵美が息を切らせながら駆けてきた。
「ごめんなさい、遅れちゃった!」
菜々子は黄色のブラウスに白いスカート、恵美はシンプルなワンピースという装いだ。
「礼子は?」
凪咲が尋ねた。
彼女の指先が、リップを塗ったばかりのように微かに光っている。
美咲への対抗なのかわからないが、母親からクリスマスにもらったキスミーシャインリップの色だろうか。
「礼子は……あ、来た来た!」
悠真は咄嗟に、港に入る国道に入ってきた軽自動車を見た。
礼子の母親が送って来てくれたのだ。
うーん、礼子の母親はスナックやってたろう?
営業終わってから寝てないのか?
それとも仮眠して送ってくれたのか?
どっちにしても、かなりの気合いの入れ用だな。
あ、思い出した。
『こんないい男いないから、大事にしなさい』
家で礼子にそう言っていたのを思い出した。
んむむ。
6人の女の子たちと1人の男の子。
奇妙な組み合わせのグループが、港の待合所に集まった。
礼子はピンクのワンピースに白いカーディガン、首元にはスカーフを巻いている。他の5人とは一味違う、大人っぽい雰囲気だ。
車のドアが閉まると、礼子の母親が窓から顔を出した。
「悠真君! 礼子のこと、よろしくね」
明るい声で言いながらも、その目は悠真を見定めるように鋭かった。
「はい、もちろんです!」
悠真は直立不動になって、なぜか敬礼してしまう。そんな悠真をみて母親は微笑み、運転する軽自動車は、そのまま港を離れていった。
「おはよう、悠真……みんなも」
礼子はそう言いながら、他の女の子たちを見回した。彼女の目は、僅かながら状況を観察しているようだった。
この時点で、既にある種の緊張感が生まれている。
「みんな、結構はやいじゃん」
悠真は話題を変えようと言った。
「うん、楽しみだからね!」
美咲の声は明るく弾んでいた。
「そうそう、初めての佐世保だもん」
菜々子も嬉しそうに頷く。
「切符、買ってくるね」
悠真がそう言いかけた時、凪咲が腕を掴んだ。
「私も行く!」
その動きを見た美咲が、すかさず反対側の腕を掴んだ。
「私も手伝うよ!」
二人の間に挟まれた悠真は、苦笑いを浮かべた。
(うん、待ちがいなく修羅場の予感……3人でさえ……)
デジャヴが悠真を襲い、チケットカウンターに向かう姿を、残された4人がじっと見つめていた。
■AM6:40~
揺れる船の甲板で、悠真は海風を浴びながら深いため息をついた。
「すごーい! 海がキラキラしてる!」
菜々子の歓声が響く。初めての船旅に、卓球部の2人は興奮していた。
美咲と凪咲は船の先端で、誰が一番遠くまで見えるか競っている。純美と礼子はベンチで静かに会話をしていた。
悠真はこの瞬間の平和を噛みしめている。
(これからどうなるか……)
51脳がシミュレーションを始める。
修学旅行の夜のようなドキドキする感覚。だがそれは、楽しい気持ちばかりではない。
6人の女の子をどう扱えばいいのか。
全員に平等に接しないと、誰かが傷つく。
かといって、平等すぎると誰も満足しない。
この微妙なバランスを、どう取るべきか。
「ねえ、悠真~」
恵美の小さな声が、悠真の思考を中断させた。
「どうしたの?」
「これ、あげる」
恵美はそう言って、小さなハンカチを差し出した。
「え?」
「手作りなの……」
白いハンカチの端には、「Y」のイニシャルが青い糸で刺繍されていた。
「ありがとう、恵美。大切にするよ」
悠真が礼を言うと、恵美は嬉しそうに微笑んだ。
手作りのプレゼントは重い。
いったい誰が言い出したんだろうか。
何であれ、気のある女子から手作りのプレゼントもらったら、そりゃあもう! 家宝だよ! 家に帰って神棚に祀るくらいの事件だ。
令和の時代はどうかしらんが、昭和生まれのオレはそうなんだ。
いや、今、現在進行系で昭和か。
それを勘違いして中学時代は爆死したなあ。
女から男と、男から女は違うんだ。
それすらわからないウブな男だったんだよね、オレ。
いやいや、昔話はいい。現在進行系なんだよ。
しかし、その一部始終を見ていた他の女の子たちの視線が、一斉に恵美に集まった。
(ああ、始まった……)
美咲と凪咲が急いで戻ってくる。
「悠真、これ食べる?」
美咲がポケットからキャラメルを取り出した。
「私も持ってきたよ!」
凪咲はチョコレートの小箱を差し出す。
そこに純美と礼子も合流し、
「私も何か買ってくればよかった……」
純美がつぶやく。
「心配しないで。私、みんなの分も用意してるから」
礼子はそう言って、バッグからおにぎりを取り出した。
「朝早かったから、何か食べた方がいいと思って」
手作りおにぎりが6つ。全員分ある。
凪咲と美咲は不満げな表情を隠せなかった。
(なんという計算高さ……いや、こういうのを世間ではあざとかわいいと言うのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。好きな男に自分に振り向いて欲しいと思うことは、悪くはない。逆もしかりだ)
51脳は礼子の戦略に感心した。
全員に行き渡る心配りをしながら、最大の功績を自分のものにする。見事な計算だ。
おにぎりを受け取った悠真は、礼子に感謝の言葉を言った。
「ありがとう、礼子。みんなの分まで作ってくれて」
「いいのよ。悠真が喜んでくれるなら」
礼子の余裕ある笑顔に、他の5人は複雑な表情を浮かべた。
(これは戦争だ……)
悠真は冷や汗を流しながら、状況を見守っていた。
次回予告 第79話(仮)『修羅場! 6人と悠真の大冒険? その2』

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