1986年(昭和61年)5月3日(土)~5日(月)
前日、5月2日(金)
やがて昼休みになり、さらなる情報が飛び交った。
「聞いた? 卓球部の3年生も退部届け出したって」
「誰? うそ! あの鶯谷先輩が?」
「ああ。朝練サボって顧問に怒られたんだってよ」
「でも、ぴよちゃん先輩って成績優秀じゃん。全国模試でもかなりの順位だったよな?」
鶯谷のウグイスの鳴き声なら『ホーホケキョ』なのだが、なぜかヒヨコのピヨピヨから悠真は『ぴよちゃん』先輩と呼んでいた。
その『ぴよちゃん』こと鶯谷英子先輩は、目立たないおさげのメガネ女子なんだが、実は隠れ美女なのだ。
悠真はクールビューティーの高橋と同様にハーレムにと画策したのだが、菜々子と絵美に発覚して頓挫している。
「それを顧問は『勉強なんて二の次だ』って言ったんだってさ」
「マジかよ!」
うわさ話で盛り上がっている悠真たちの近くに、菜々子と絵美が近づいてきた。
2人は卓球部だ。
「ねえ、悠真」
「どうした? 菜々子」
「今日の集会で、卓球部を代表して私が話さなきゃいけなくなったの」
「マジで? おー、すげーじゃん!」
菜々子の表情は緊張気味だ。しかめっ面をして不安そうに唇をかんでいる。
「鶯谷先輩がいないから、2年生の中から多数決で……」
「大丈夫だよ。ありのままを話せばいい。菜々子たちがどう思ってるのか、正直に伝えるだけでいいんだ」
悠真は菜々子の肩に手を置いて体を寄せて、耳元でささやいた。
すかさず凪咲と美咲が二人の様子を目で追う。
菜々子はホッとした表情を浮かべ、ほほ笑んだ。
顔が少し赤い。
「ありがとう、悠真。悠真が応援してくれると思うと、勇気が出る♡」
絵美も小さくうなずいている。
「私も……部活のあり方が、変わるといいな」
絵美の小さな声に、悠真は優しくほほ笑み返す。
「もう、聞いた? 剣道部と男子バレー部だけじゃなくて、卓球部とテニス部、それにバドミントン部まで反抗し始めたって。3年生を中心に、みんな部活の強制参加に不満があるみたい」
後から教室に入ってきた純美は、少しだけ興奮している。
「このままだと、明日からの連休中の練習も中止になるかも!」
そう言って、純美はうれしそうに笑った。
美咲と凪咲も目を輝かせる。
何とも言えない多少の罪悪感はある。
美咲も凪咲も純美も、バレーが嫌いなわけではない。
菜々子や絵美にしたってそうだ。
嫌いではない。
それでも、まさに願ってもない出来事だったのだ。部活に拘束される時間が減れば、悠真との時間が増えるのだから。
(これで全員と会う時間も確保しやすくなる……)
部活がどうなるかは正直どうでもいい。
結果的にハーレム計画が順調に進むので、悠真はひそかに喜んだ。
午後の全校集会。体育館には全校生徒が集まり、緊張感が漂っていた。校長が壇上に立ち、静かに話し始めた。
「皆さん、今回の件について、各部活動の代表から意見を聞きたいと思います」
最初に立ったのは剣道部の川口崇広。彼の姿に、体育館内が静まりかえった。
「オレたちは奴隷じゃありません」
川口の発言に、教師陣からはどよめきが生じた。しかし、彼は平然と話を続ける。
「朝は早くから、放課後も夜遅くまで、休日も、テスト期間中も。部活動に縛られて、自分の時間が全くないんです。勉強する時間も、友達と遊ぶ時間も、家族と過ごす時間も……」
川口の声は次第に熱を帯びていき、体育館内の生徒たちの表情も変わっていった。共感のまなざしが増えていく。
まったく、くそ野郎がどの口で言ってんだよ。
それが悠真の正直な感想だ。
こういう輩が、大人になって自分の過去の行いを棚に上げて、自由や人権を振りかざすんだよな。
これも、悠真の心の声である。
「部活動は強制なんですか? 自分の意志で参加する活動じゃないんですか? 嫌々参加しても、いい成績が出るとは思えません」
続いて女子バレー部の高橋明日香が立ち上がった。端正な顔立ちに|凛《りん》とした表情。彼女が話し出すと、体育館内は水を打ったように静かになった。
「私は女子バレー部のキャプテンとして、責任を持って部を率いてきたつもりです。でも、……部活動だけが学校生活ではありません」
高橋の冷静な語り口は、川口の熱さとは対照的だが、その言葉の重みは同じだった。
うん、そう。
先輩がそう言うならそうなんだろう。
悠真はうなずく。
「私は将来、薬学の道に進みたいんです。そのためにはもっと勉強の時間が必要。でも、今の部活ではそれが許されない」
いやあ、すごい。
中3でそこまで考えているとは。
悠真は先輩の発言に感心したが、その後何人もの部活の代表が立ってそれぞれの意見を述べた。
そして、いよいよ菜々子が卓球部の代表として壇上に立つ。
「卓球部では、特にテスト期間中も休みなく練習があります。それで勉強時間が十分に取れず、テストの結果が悪くなる人も……」
少し緊張した様子だが、菜々子は堂々と自分の言葉で語り続けた。
「部活動は大切ですが、勉強も大切。どちらも頑張りたいのに、今のやり方では難しいです」
そして、校長の視線が悠真に向けられた。
「軽音楽部はどうですか?」
え?
えええ?
オレ?
名前を呼ばれた悠真は、一瞬緊張したが、立ち上がって答えた。
「軽音楽部は……正直、恵まれていると思います」
その言葉に会場がざわついた。
「自主練習が中心で、顧問の山口先生も見守ってくれる。自分たちで練習時間を決めて、やりたいときに集まって、練習できる。オレ……僕たちにとって、部活動は本当に楽しいです」
悠真はゆっくりと言葉を選びながら続けた。
「でも、他の部活を見ていると、それが『当たり前』じゃないとわかかります。部活動は自分を高める場であり、自主的に参加するのが本来の姿ではないでしょうか?」
正確には、違う。
悠真たち軽音楽部には、その代償として学業との両立があった。
創部の際に条件として学校側から出されたのだ。
その証拠に、悠真も祐介も、学年で10位以内に入るほどの実力である。
しかし、この場でそれを言うべきではない。
話がややこしくなるからだ。
体育館内に静かな賛同の空気が広がった。
「テスト前には勉強の時間も必要だし、休日は家族や友人と過ごす時間も大切。部活動と他の活動のバランスが取れれば、より充実した学校生活になると思います」
悠真が席に戻ると、体育館内に大きな拍手がわき起こる。
校長は一度深く息を吸い、生徒たちを見渡した。
「皆さんの意見を真摯に受け止めます。教師陣とも協議し、部活動のあり方を見直す委員会を設置します。明日から連休になりますが、その間に各部の代表者を選出してください。連休明けに第一回の委員会を開きます」
ここまで言って、校長はもう一度間を置いて生徒全員を見渡した。
「そして、明日からのゴールデンウィーク期間中の部活動は、全て自由参加とします。希望する生徒だけが参加する形式で行います」
おおおおお!
校長のこの言葉に、体育館内には喜びの声が広がった。
全校集会が終わり、生徒たちが教室に戻る中、悠真の周りには美咲、凪咲、純美、礼子、菜々子、絵美が集まっていた。
「悠真、かっこ良かったよ!」
純美が目を輝かせている。美咲と凪咲もうれしそうな表情だ。
「よくぞ言ってくれました♡」
礼子も満面の笑みだ。
「そんなことないよ。みんなの気持ちを代弁しただけ」
悠真は照れ隠しに、手帳を取り出した。
「それより、GWの予定を最終確認しておこうか」
彼女たちの表情が一斉に明るくなる。
「ぶっちゃけ、サボりさえしなけりゃ、オレのバンド練習の都合はどーにでもなるよ。でもみんなは部活があるだろ? 佐世保にデートに行きたいけど、往復で6,000円以上かかるし。それに時間もかかるから、午前中や午後だけはもったいない。どうする?」
悠真の問いかけに、美咲がパッと顔を輝かせた。
「部活、自由参加になったんだよ? ほとんど休みみたいなもんだよ!」
「そうそう! もう毎日でも悠真と会えるじゃん! どこだって行けるよ!」
凪咲が興奮気味に続いた。
純美は少し控えめに、しかし期待を込めた瞳で悠真を見つめる。
「うん、部活、大変だったもんね……。これで少し楽になるかな」
礼子は柔らかな笑顔でうなずく。
「私は……うん、悠真がいいなら、何でもいいよ」
実際は悠真の独占計画を練っていた礼子である。
本当は悔しいはずだが、ここで異論を唱えれば、悠真の嫌いな『協調性のない女』になってしまう。
もっとも、それは悠真がハーレムを保つために適当につけた言い訳だったが(他に女がいても文句を言わない女という意味)、当の本人である悠真は絶対に公言しない。
菜々子と絵美も、うれしそうに悠真を見つめている。
「佐世保、行きた~い!」
絵美が少しだけ身を乗り出して言った。
菜々子も『うんうん!』と同意する。
悠真はこの状況に内心でニヤリとした。
くそ先輩の『反乱』で始まった部活動改革は、この上なく都合の良い追い風だったのだ。
これで、彼女たちと会う時間、そして親密度を高める機会が飛躍的に増える。
まさに、天恵とも言うべき状況だ。
よし、まずは佐世保だな。
イベント感もあるし、一日つぶせる。それに、前に凪咲と外泊したホテル新城もあるからな。悟君にも会えるし、バンドの件も話せる。一石何鳥だ?
誰と行く?
全員を連れて行くか?
いや、それはさすがに修羅場になるだろう。グループ分けか? それとも一人ずつ順番に……。
待て待て、1回で往復6,000円もかかるんだぞ。
全員一緒に済ませればコスパがいい。
ただでさえ大金なのに、6人分で36,000円なんて、中学生が簡単に出せるわけがない。それは美咲たちにとっても同じだ。
悠真は頭の中で、複雑なスケジュールと人間関係のパズルを組み立てていた。全員を満足させつつ、自分の野望も着実に進める。それが彼の目標なのだ。
「佐世保、行きたいよな。でも、全員で行くのは……ちょっと大変かもしれない。みんなそれぞれ行きたい場所とか、やりたい計画とかあるだろ?」
悠真はそう言いながら、手帳に目を落とすふりをして、彼女たちの反応をうかがった。
美咲が真っ先に反応した。
「えー、なんで? みんなで行っても楽しいじゃん!」
「そうだよ、悠真。みんなで行こうよ!」
純美も賛成する。しかし、凪咲は少し考えている。
「でも、みんなで行くと……(してもらえない! 抜いてもらえねえじゃねえか!)」
これが悠真の心の声だ。
気のせいかもしれないが、美咲の様子が少しだけ違っているのを悠真は感じた。
もしかして、あえてみんなでデートして、自分のポジションを確認しようとしているのか?
6人の中で自分が一番大切にされているかどうかを、目で確認したいっていう……。
め・ん・ど・くせえ……!
それが悠真の本音だったが、口が裂けても言えない。
「じゃ、じゃあGWは、そうだな……日曜日に全員で朝から佐世保でいいか? あとは、オレもバンド練習しないといけないから半日ずつね。みんなの部活の予定とオレの予定で調整しながらデートでいいか?」
結局、連休中の日曜日に6人全員合同デートで、それ以降は月に1回1人ずつ。たまたまだが、計算すると年に2回の佐世保デートになった。
他の日は1日かけても遠出はしない。今風(?)に言うと、お財布に優しいデートをしようって結論になったのだった。
次回予告 第78話 (仮)『修羅場?』

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