第21話 『測れるものだけが改良できる』

 1590年12月12日(天正十八年十一月十六日) オランダ ライデン

「うーん」

 フレデリックは考えていた。

 何を?

 産業革命時点、つまり18世紀末~19世紀半ばの技術力にまでオランダを爆進させるっていったって、一体何からやればいいのか?

 それを前回のコンパス会議(川沿いの廃屋で行われる会議、コンパス・オブ・ディスティニー)からずっと考えていたのだ。

 古びた木の椅子にもたれ、天井を見上げる。

 木の棒で窓を開き、川のせせらぎを聞きながら外を眺めるが、アイデアが出ない。

「産業革命っていってもなあ……」

 蒸気機関、紡績機、電信……だが、いざ1590年の現実に直面すると、どこから手をつけるべきか分からない。材料も道具も、何もかもが違いすぎる。

「いきなり機械を作ろうにも、ネジひとつ、歯車ひとつが、まともにそろわない。そもそも、部品をどうやって同じ大きさに作るんだ?」

 机の上には地元の職人が作った定規や分銅が並んでいる。しかし、どれも微妙に長さや重さが違う。これでは図面通りに作れるはずがない。

 都市や地域ごとに『足(voet・フート・英語のfoot)』や、『エル(elle・エルボーと同一語源で肩から手首の長さ)』などの基準が異なっていたのだ。

 例えば、アムステルダムの1エルとロッテルダムの1エルでは長さが違う。

 長さだけではなく、重さや、極端に言えば貨幣の違いもあった。

 職人それぞれで足の大きさや腕の長さに違いがあるから、差異があるのは当然である。

「……やっぱり、まずは『測る』ことからか?」

 フレデリックは自分の思考を整理しながら、羊皮紙の端にメモを書き始めた。

「長さ、重さ、時間……。基準がなければ、何も始まらない。逆に言えば、基準さえ作れれば、職人たちも同じものを作れるはずだ」

 しばらく考え込んだあと、何度もゆっくりとうなずく。

「よし、まずは度量衡の統一だ。精密な測定器具を作るところから始めよう」

 フレデリックは決意を新たに、机の上の分銅を手に取った。




「失礼します。誰かいらっしゃるかな?」

 フレデリックが腕を組んで考え込み、立ち上がってはグルグルと一ヶ所を回りながら考え事をしていると、聞き慣れない声がした。

 どうも表の看板『コンパス~』を見てきた人のようだ。

「はーい、どなたですか?」

 ヤンはフレデリックの守り役ではあるが、四六時中一緒にいるわけではない。コンパス会議の内容などは知らない。

 どうしても力を借りる必要があるときは頼ったが、今はシャルルがいる。そのせいか、心なしか寂しそうでもあった。

 小屋の中にはフレデリック一人しかいない。

「おや、君一人……ああ! フレデリック様ではありませんか。一体、ここで何を?」

「え、いや、まあ……何と言うか、社会勉強です」

「社会勉強? このようなところで? 市場や議会ではなく?」

 確かに、意味不明な答えだった。男の発言はもっともである。

「父上、それはもういいです。僕が聞きたいのは例の張り紙の件ですので」

「おお、そうであったな。失礼、私、ルドルフ・スネルと申しまして、ライデン大学でヘブライ語と数学の教授をしております。先日街で見かけた張り紙を見て、息子が『あー!』っと大声を出してしまったのです。そこで、どうしても会いたいと、この広告主に」

 ルドルフ……?

 ルドルフ・スネル……?

 ダメだ、思い浮かばない。

 フレデリックは今世と前世の記憶を振り絞ったが、誰なのかが思い浮かばないのだ。

「はじめまして、僕はウィレブロルド・スネル。転生者だよ」




「 「な!」 」




 すでに四人の転生者の存在が、他の転生者の可能性を示唆していた。しかし改めて言われると驚くのである。

「フレデリック殿下、ですよね、今世では」

「な、ウィルよ、一体お前は何を言っているのだ。失礼しました、殿下」

「いえ、構いませんスネル教授。そうだな……どうしようかな」

 フレデリックは考えている。

 ルドルフに全部話すべきかどうか。

 今、この転生の事実を知っているのは当事者の四人だけである。

「教授、少し二人だけにしてもらえませんか」

「え? ……ええ、構いませんが」

 ルドルフはそう言って小屋を出て行った。近くで話が終わるまで待っているのだろう。




「さて、ウィレブロルド……長いからウィルでいいかな」

「いいよ。それから前世が何歳だったかもナシね。オレは東大大学院の天文学博士だけど、フレデリックは、同じ理学……工学系かな?」

「……そのとおり、さすがだな。で、力になれるって?」

 この際、前世の年齢や経歴は関係ない。どちらが上か下かなど、どうでもいいのだ。

「測定の精度向上」

 ウィルは即座に答えた。目が輝いている。

「四分儀や八分儀の精度が悪すぎる。せいぜい、6分角程度だ」

「うん、確かにな」

「それでだ……」

 ウィルは自らの考えをとうとうと述べていった。




 1.天文学的な方法で基準を作る

 ・ウィルの知識を生かし、天体観測(例:恒星の子午線通過や昼夜の長さ)を利用して『1日=86,400秒』を定義。

 ・日時計や改良型の水時計、砂時計を使い、1日の時間をできるだけ細かく分割する。

 2.機械時計や水時計の改良

 ・フレデリックの工学知識で、当時の機械時計や水時計の精度を最大限に高める(歯車の精密加工、温度補正、摩擦低減など)。

 ・これにより、1分~数秒単位の計時が可能な時計を作る。完全な秒針は難しくても、分割の精度を上げていく。

 3.振り子の等時性を実験で導入

 ・ガリレオの「振り子の等時性」発見(1583年)をウィルが知っていたので、簡易な振り子実験装置を自作し、等時性を検証。

 ・「1秒振り子」の長さを理論値から逆算し、現地の重力加速度を推定して設計する。

 4.仮のメートルを定義

 ・「90度(四分円)=1,000万メートル」と仮定。

 ・実測した緯度差と距離をもとに、1メートルの物差しを作る(誤差は大きいが、当時としては画期的)。

 5.標準器の製作と普及

 ・取得した仮メートルをもとに、できるだけ熱膨張率の小さい金属(真ちゅうや鉄など)で標準棒を作成。

 ・この標準器をもとに、各地の職人に同じ長さの物差しを配布し、度量衡の統一を進める。

 正確な秒を得るには天体観測+改良時計+振り子の等時性の組み合わせが現実的だ。

 完璧な精度は無理でも、現代の知識で『当時としては圧倒的に高精度』な基準が作れる。

 まずは、『天体観測→時計改良→振り子実験→仮メートル定義→標準器製作』の順で進めるのが最も合理的だろう。




「てな感じさ。どう? これならできそうじゃない? 加工技術は16世紀でも、オレたちの知識はものすごいアドバンテージだよ。オレたちが普通に常識で知っている知識、つまり『こういうもんだから』が、『なぜそうなるのか?』の時代だからね」

「分かった。ウィル、正式にコンパス・オブ・ディスティニー加入を認めるよ。他の三人も異論はないと思う」

「コンパス、何?」

「オブ・ディスティニー、運命の羅針盤っていうオレたち転生者の会議の名前さ」

「中二病だな」

「ん? 何か言ったか?」

「いや、何も」

「それからウィル、お父さんにはちゃんと、それなりに話しておけよ。オレは兄貴には何も言っていないが、なんとなく兄貴は感づいているような気がする」

「分かってるよ。父さんも数学者なんだ。転生の原因や理屈は理解できないと思うけど、オレの話は理論的に理解はできると思うよ。理論的にはね。まあもっとも、オレたちにだって転生の謎なんか、分かりゃしないけどな」

「まあな」




 次回予告 第22話 (仮)『振り子時計とシャルルとシャルロット』

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