第15話 『魔法vs.技術』

 王国暦1047年11月12日(月)

 11月の日は短い。

 工房での1日の仕事を終える頃には、空はすでに深い藍色に染まり、冷たい風が職人たちの襟元を通り抜けていく。

「マルクス、また明日な!」

「おう、お疲れ~。あ、ケント、どうだ一杯?」

「あー、そうだな……2人はどうする?」

 マルクスは金属加工ギルドのつながりでオレのギルドにいた。

 エリカは薬の処方箋でルナは薬品の成分表。それぞれ本や処方箋にするための下書きを持ってきて、職人たちと打ち合わせしている。ここで数日問題がなければ、印刷(出版)ギルドに引き渡される段取りになっていた。

 今後は印刷ギルドで印刷機の運用をする。

「いいね」

「私も」

 2人とも打ち合わせが終わって帰るところだった。




 親方と他の職人に挨拶して、4人で酒場へ歩き始める。

 ……あれから、オレの頭の中は権力者たちの顔でいっぱいだった。技術省の欲望や魔法省の傲慢、そしてアスカノミヤ親王殿下の野心。考えれば考えるほど、胃が重くなる。

 ふと、足を止めた。

「みんな、……何か変じゃないか?」

「変って何が?」

 マルクスが聞き返した。

「私も……なんだろうこの違和感」

 エリカがルナを見ると、ルナもうなずいている。

 こういうときの女の勘は当たる……。

「静かすぎないか?」

 オレは工房の方角を振り返った。

「まだ人が残っているはずだろう? なのに片付けをしている職人の物音もしない。まるで誰もいないみたいじゃないか?」

「言われてみれば……」

 マルクスも眉をひそめる。

「風向きは……オレたちが風下だ。オイルの匂いもしないぞ」

 Cランク冒険者のマルクスは、五感が鋭い。

 鼻をクンクンさせて違和感を語った。

 工房周辺の空間から、音と匂いが完全に消え失せている。まるで、そこだけが別の世界になってしまったかのようだ。

 ……嫌な予感がする。

「みんな、いったん戻ろう。嫌な予感がする!」

 もしかしたら……。

 オレはエリカとルナを見る。

「認識阻害結界……」

 ルナがオレに1つの可能性を言った。

 錬金術師ギルドは他と違って魔法省との関わりが深いうえ、魔導具製造ギルドも付き合いがある

 そのためルナは、マルクスやエリカに比べて魔法の知識があるのだ。名前からして生活魔法じゃない。

 嫌な予感が増す。

「何だそれ? とにかく戻ろう」

 オレたちは工房へと全力で駆けだした。

 近づくにつれて、肌がピリピリとする変な圧迫感を覚える。

 大きな嵐が来る直前の、空気が張り詰めた感じだ。

「おい! 大丈夫か!」

 直感はすぐに最悪の形で確信に変わった。

 工房の敷地の外れ、いつも見張り番が立っている場所に、人影が2つ、地面に転がっている。

 叫びながら駆け寄ったマルクスだったが、倒れていたのは顔なじみの職人たちだった。

「外傷はない。呼吸も正常。ただ眠っているだけ」

 元外科医のエリカが、素早く状態を確認して答えた。

「睡眠薬か? 何か飲まされたのか……?」

 命に別状はないのでホッと胸をなで下ろしたが、侵入者の存在に怒りと恐怖が込み上げてきた。

「ケント、これを見ろ」

 マルクスが地面すれすれの空間を指さす。

 見るとそこだけ、背景の闇が陽炎のように僅かに揺らいでいた。

「何だ……これ? 陽炎か?」

「やっぱり」

 ルナがつぶやいた。

 何だって? 空間なんとか魔法?

 そんなもんが存在すんのか?

 火魔法や水魔法なら聞いたことがある。

 でも……。

 注意深く耳をすませると、中から微かな破壊音が地面を伝わってきた。

 入ろうとしてもぶつかって入れない。

「くそ! 時間がない。何とかしないと……」

 オレはあたりを見回すと、工房の入り口脇に置いてある工具箱を見つけた。

 結界の外にあったのが幸運だ。

「こじ開けるぞ!」

 その中から一番頑丈な金属製のタガネとハンマーを取り出す。

「マルクス、手伝え!」

「おう!」

 オレは魔法は分からない。

 だから魔力がどうこうなんて考えても結論が出ないのは分かっている。

 でも、陽炎みたいにゆらゆらしているってことは、弱いのか?

 直感的にそう判断した。

 オレは陽炎と地面の間にタガネを力任せに突き立てる。

「マルクス! 叩け!」

 マルクスがハンマーを振り下ろした。

 硬い手応えと同時に、空間がガラスみたいにきしむ音がする。

 数回叩きつけると、ようやく結界の一部に人が通れるほどの亀裂が入った。

「よし! 入るぞ!」

 オレたち4人はその亀裂から中に入っていった。




「おい! 何やってんだ! 誰だお前ら!」

 黒いローブをまとった数人の男たちが印刷機を破壊している。

 歯車は砕かれ活字は床に散乱し、頑丈なフレームは見る影もなかった。

 ありえん……。

 ありえんだろ! ! ! ! !

「邪魔が入ったか。だが、もう遅い」

 顔に深い傷跡を持つ男が手をあげて振ると、部下たちが一斉に敵意を向けてきた。

「やめろ!」

 オレの叫びを合図に、戦闘が開始された。

「くそ! こいつらやっぱり魔法省の連中だ! あの制服、戦術魔導局の特殊部隊だぞ!」

 アルから聞いていた情報が、オレの口から飛び出した。

「させるかよ!」

 マルクスが叫びながら、オリハルコン製の剣を手に持って突進する。

 ドワーフの都で、エイトリから価値の分かる者に使ってほしいと贈られたもので、常に帯剣していたのだ。

 Cランク冒険者の動きは、素人のオレたちとは比べ物にならないほど速い。

 それでも魔導師の一人が鼻で笑って杖を軽く振るうと、マルクスの足元の床が盛り上がって、いとも簡単に跳ね飛ばした。

「ぐはっ!」

 壁に全身を強く叩きつけられ、そのまま床に崩れ落ちる。

 剣がむなしい音を立てて転がった。

「マルクス!」

 エリカが悲鳴を上げる。

「煙幕くらいにはなるでしょ!」

 ルナが懐から数本の試験管を取り出して、床に叩きつけた。

 化学物質が反応し、刺激臭のある分厚い煙が工房を満たす。

 野盗に襲われた後にルナが護身用に作っていたものだ。布で口を覆って、その隙に態勢を立て直すか逃げられればいい。

「小賢しい真似を」

 別の男が腕を振るうと突風が巻き起こって、煙は一瞬でかき消された。

 視界が晴れた先には杖を構えた魔導師たちが、まるで狩りを楽しむかのように立っている。そのうちの1人が放った小さな火の玉が、ルナの肩をかすめた。

「きゃっ!」

 ローブが焼け焦げ、ルナが苦痛に顔を歪めてうずくまる。

「ルナ! 大丈夫?」

 エリカがすぐに駆け寄り、彼女をかばって前に立った。

「この野郎!」

 オレは怒りで我を忘れ、近くに転がっていた歯車の残骸を掴んで投げつけた。

 だが、金属の塊は目の前の見えない壁に阻まれて床に落ちる。

 相手は戦闘のプロ集団だ。

 オレたちの抵抗は、圧倒的な魔法の力の前にことごとく打ち破られていく……。




 まずい、逃げないと……。

 殺されるぞ!




 オレたちは工房の中央の、壊された印刷機の前に追い詰められた。

 マルクスは脇腹を押さえて動けず、ルナはエリカに支えられている。

 もう誰も抵抗できない、何とか逃げないと……。




「これで終わりだ」

 マグナスと呼ばれるリーダー格の男が杖を構える。

 すると先端に圧縮された魔力がまばゆい光となって集束していった。

 空気が焼け付くようだ……あれを食らえば、誰も助からない。

 オレはレイナとアン、そしてトムの顔を思い浮かべた。

 守ると決めた家族と信頼する仲間。

 この異世界で手に入れた、かけがえのない者たち。

 それを、こんな理不尽な暴力で失うわけにはいかない。

 でもどうにもならない……全員が、迫りくる死を覚悟した。




「やれやれ。僕の研究対象に傷をつけられると、後々面倒なんだけど」

 !

 誰だ?

 場違いなほどのんびりとした声が工房に響いた。

 いつの間にか1人の青年が立っていて、銀色の髪を揺らして学者みたいなローブをまとっている。するとマグナスの光の塊が、青年の目の前で突然消えた。

「なっ……貴様、なぜここにいる! アポロ・ルミナス!」

 マグナスが驚愕きょうがくの声を上げる。

 どうやら2人は知り合いのようだが、青年は魔導師たちをちらっと見ると、心底つまらなそうに肩をすくめた。

「君たちには関係ないよ。それより、人の研究室で土足で暴れるのは感心しないな。すぐにここから立ち去ってもらおうか」

 研究室?

 いったい何を言っているんだこの男は。

 ここはオレたちの工房じゃないか。

「ふざけるな! 我々は魔法省の勅命を受けている! 邪魔をするなら、貴様から排除する!」

 マグナスが叫ぶと、部下たちが一斉に魔法を放った。

 炎のやり、氷のつぶて、風の刃。

 あらゆる属性の攻撃魔法が、銀髪の青年に殺到した。

 しかし青年はまったく動かない。

 彼が軽く指を鳴らすと、周囲の空間がぐにゃりと歪み、全ての魔法が虚空に吸い込まれて消滅した。

「……空間転移魔法だと? 馬鹿な、あれほど大規模な術式を、詠唱もなしに発動できるはずが……」

 マグナスの顔から、ついに余裕が消え失せた。

「はあ……下手くそ、いや、無能と言ったほうが早いか。君たちの知る魔法の常識で、僕を測らないでもらいたいな」

 青年アポロ・ルミナスはそう言うと、今度はマグナスに向かってゆっくりと歩き出す。

 アポロが微笑んだ次の瞬間、マグナスたちの体が、見えない力で宙に吊り上がった。

 彼らは必死にもがくが、金縛りにあったみたいに身動きが取れない。

 アポロは一切の攻撃を加えずに、ただ彼らを宙吊りにしたまま静かに言い放った。

「2度とこの工房と、ここにいる人間に手を出さないこと。いいね?」

「……わ、分かった……」

 マグナスは屈辱に顔を歪ませながら、かろうじてそれだけを絞り出した。

 アポロが満足げにうなずいて指をパチンと鳴らす。

 するとドスンという音と同時に魔導師たちの体が床に叩きつけられた。




 一方的に戦闘は終結した。

 オレたちは目の前で起きた超常現象を、ただぼう然と見つめるだけしかできない。

 アポロ・ルミナスと呼ばれた青年は、もだえ苦しむ魔導師たちには目もくれず、オレたちに振り返った。

 壊された印刷機やオレを、まるで珍しい観察対象を見るみたいにじっと見つめている。

「君が、ケント・ターナーだね。ふむ、面白い。実に興味深い。……それじゃあ、僕はこれで。また、君の観察に来るよ」

 そう言い残すと、アポロはふっとその場から消え失せた。

 後に残されたのは、何が起きたのか理解できずに、立ち尽くすオレたちだけだった。




 ……何だこれは。

 いったい何が起こったんだ?

 まったく理解ができないが、1つだけ分かった。

 この世界は普通じゃない。

 このままじゃ殺される。……逃げなければ。

 オレは重要な決断をした。




 次回予告 第16話 『決断の夜』

 仕事帰りのケントたちは工房の異変に気づき引き返す。そこでは魔法省の部隊が印刷機を破壊していた。

 抵抗もむなしく、圧倒的な魔法の力の前に絶体絶命の窮地に。

 その時、アポロと名乗る謎の青年が現れ、襲撃者たちをまたたく間に制圧する。

 人知を超えた出来事を目の当たりにし、この世界の異常さを悟ったケントは、仲間とこの場から逃げようと決意するのだった。

 次回、ケントが下した驚きの決断とは?

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