第13話 『正義の代償と王族の後ろ盾~悪徳商人撃退す!~』

 王国暦1047年10月26日(金) 18:00= 2025年9月7日(日) 02:24:36<田中健太>

 男が拳を振り上げてオレが身構えた、その時――。

「――何の騒ぎだ?」

 凛とした声が響いた。

 その声は落ち着き、有無を言わせぬ響きを持っていた。

 さっきまで商人の横暴を遠巻きに眺めていただけの野次馬たちの視線が、一斉に声の主へと注がれる。自然と、人垣の中心に一本の道が開けていった。

 その中心には1人の少年が立っている。

 歳は15、6といったところか。

 質素だが上質な服を着こなしているし、何よりもその立ち姿に、紛れもない育ちの良さが表れている。オレを殴ろうとしていた商人は、少年の胸元にある小さな紋章に気づくと、まるで幽霊でも見たかのようにサッと顔を青くした。

「で、でん……」

 商人が何かを言いかけると、少年は人差し指をそっと口元に当て、それを制した。その場の空気が、明らかに変わった。この少年は、ただ者じゃない。

「どうしたのだ? このような往来で」

「い、いえ、これはその、些細な揉め事でして……」

 さっきまでの威勢はどこへやら、商人は滝のように脂汗を流し、しどろもどろになっている。

「そうか。ならば、そこの少年への賃金は支払ったのだな?」

 少年の静かな問いに、商人の巨体がびくりと震える。その瞳には、隠しようもない恐怖の色が浮かんでいた。

「そ、それは……これから支払うところで……」

「では未払いだな。すぐに支払え」

 少年は有無を言わさない。

 商人はもはや抵抗を諦めて震える手で革袋から銀貨を取り出すと、少年に押し付けるように渡した。

 少年――トム、と呼ばれていたか――は、おずおずとそれを受け取る。

「ありがとうございます!」

 商人は人垣をかき分けて逃げるように去っていった。

 一件落着か、とオレが胸を撫で下ろしていると、トムがオレとその少年を交互に見比べて、その場を動こうとしない。

「どうした? 給料はもらっただろう」

「あ、あの……このおじさんも、僕を助けてくれようとしたんです!」

 トムがまっすぐにオレを指差す。

 少年の、全てを見透かすような澄んだ瞳が、今度はオレに向けられた。

「あなたが。……素晴らしい、正義感のある方ですね。失礼ですが、お名前を伺っても?」

「ケント・ターナーだ」

「なんと! あなたがあの、精密加工ギルドのケント・ターナー殿ですか!」

 まじかよ。

 驚いた。オレの名が、こんな若い少年にまで知られているとは。

「オレのことを知っているのか?」

「ええ。王都で今、最も腕の立つ職人の一人だと聞いております。私はアルフレッドと申します。以後、お見知り置きを」

 アルフレッドと名乗った少年は、深々と頭を下げた。その丁寧な物腰に、オレはかえって戸惑ってしまう。この少年、一体何者なんだ?




 ぐうううぅぅぅ……。

 その時、静かになった広場に、盛大な腹の音が響き渡った。音の発生源は、言うまでもなくトムだ。真っ赤になって、小さなお腹を必死に押さえている。

 ああもうダメだ。

 腹を空かせた子供を放っておけるほど、オレは無慈悲じゃない。

「……うちに来るか? 晩飯、食ってけよ」

 自分でも驚くほど、自然に言葉が出ていた。

「えっ!  いいんですか! ?」

 トムが目を輝かせたが、なぜかアルフレッドの声も重なった。

「え? いや、アルフレッド殿……君……もか? 何もないところだけど……」

「ぜひ! ターナー殿のような正義感あふれる方が、どのような暮らしをされているのか、非常に興味があります!」

 キラキラした目でそう言われては、断れるはずもなかった。

 ……うーん、何でこうなった?

 工房から自宅までは歩いて10分ほど。

 その短い道中で、トム――本名はトーマス・デューラーで、孤児院で暮らしていること――の身の上をざっと聞いた。アルフレッドについては、あまり教えてくれなかった。

 まあいいか。深く考えても仕方がない。

「ただいまー」

「おかえりなさいっ! お父さ……」

 玄関を開けると、元気よく飛び出してきたアンが、オレの後ろにいる二人を見て、サササッとレイナの背後に隠れた。

 エプロン姿のレイナが穏やかに……でも少し戸惑った表情でこちらを見ている。

「あら、お客様?」

「ああ、ちょっとな。レイナ、具合はどうだ?」

 昨日から自宅療養中だ。

「ええ、おかげさまで。もうすっかり元気よ」

 その言葉にオレは心から安心して、トムの肩に手を置いた。

「この子はトム。色々あってな。それから、こちらは……」

 オレがアルフレッドの方へ向き直ると、彼はにこやかに一歩前に出た。

「はじめまして。僕はアスカノミヤアリフミ(アスカノ宮アリフミ)、聖名アルフレッド・アシュビーと申します。アルとお呼びください」

 その名前が紡がれた瞬間、場の空気が凍りついた。

「え……あ……」

 レイナの顔から、すっと血の気が引いていくのが分かった。

 彼女の唇が小さく震えて、次の瞬間には手にしていた皿が乾いた音を立てて床に落ちて割れた。

 でも、レイナはそれに構うことなく両手で口を押さえると、その場に崩れるようにして深く頭を下げていた。

 アンは何が起きたか分からないまま、母親の真似をして小さな頭を下げている。




 なんだ? 何が起きたんだ?

 アスカノミヤ……? 聞き覚えのない名前だ。

 だけどひょっとして……この空気は、もっと、決定的に違う何かだ。

「え、あ、何だ? レイナ?」

 訳が分からないオレの目の前で、アルフレッドが『ああ、やっぱりこうなってしまいましたか』と、困ったように眉を下げた。

「あなた、この方は……この国の王室……アスカノミヤの第2王子、アスカノミヤアリフミ(アルフレッド・アシュビー)王殿下よ! さあ、あなたも!」




 えええええええええ!




 次回予告 第14話 『祝宴の夜と、忍び寄る権力の影』

 平穏な日常が戻ったかに見えた王都で、ケントは虐げられる少年トムを助ける。

 その場を収めたのは、アルフレッドと名乗る謎の少年だった。

 2人を自宅に招いたケントだが、アルフレッドが口にした名を聞いた瞬間、レイナは凍りつき平伏する。

 彼の正体は、王家の一族でアスカノミヤの第2王殿下だったのだ。

 混乱の中、始まったささやかな食卓は、身分を超えた温かい光に満ちていく。

 しかし、その裏で、ケントたちの技術を狙う権力の影が、すぐそこまで忍び寄っていた――。

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