第12話 『癒えぬ傷と王都の喧騒~出没!悪徳商人~』

 王国暦1047年10月10日(水)05:00 = 2025年9月6日(土)23:39:11<田中健太>

 夜が明け、森の木々の隙間から朝日が差し込んできた時、オレたちの長い夜は終わりを告げた。

 でも戦いが終わったわけではない。

 むしろ、本当の戦いは始まったばかりだった。

「ケント、悪いけど少しだけ仮眠を取るわ」

 疲れ切ったエリカが、ふらつきながら立ち上がる。無理もない。

 何しろあの極限状況で手術を成功させたのだから。

 馬車の荷台では、レイナが浅い呼吸を繰り返している。アンがその隣で、母親の手を握ったまま、こくりこくりと舟を漕いでいた。




 オレたちの王都への帰路は、これ以上ないほど過酷なものとなった。

 ガルドは馬を歩くよりも遅い速度で進ませて、地面のわずかな凹凸さえも避けるように御者が手綱をさばく。荷台が少しでも揺れるたびに、レイナが苦痛に顔を歪めるからだ。

「……う……」

「お母さん……?」

 うめき声に、アンがはっと顔を上げる。その不安げな瞳に、オレは胸が締め付けられる思いだった。

 エリカが仮眠に入る前、オレは彼女から電子体温計の使い方と、今後の対応について厳しく言いつけられていた。

 ――いい、ケント。私が眠っている間も、一時間おきに必ず熱を測って。もし39度を超えたら、躊躇なく、すぐに私を起こすのよ。それから、清潔な布を冷たい水で濡らして、彼女の額や首筋を冷やし続けて。いい、必ずよ――。

 オレは恐る恐る体温計をレイナの脇に挟む。

「38度5分……。まだ、大丈夫か」

 ホッと一安心だが、予断は許さない。

 貴重な消毒液をガーゼに染み込ませて、教わった通りにレイナの傷を覆う包帯を慎重に交換していく。




 3日目の昼過ぎ、レイナの容態が急変した。

「エリカ! レイナの様子が!」

 ルナの悲鳴に緊張が走る。レイナはひどくうなされて呼吸が荒くなっていた。

「熱が……39度を超えている!」

 体温計が示した数字に、エリカの顔色が変わる。これが感染症の恐怖か。オレの背筋を冷たい汗が伝う。

「ケント! 水! ルナ、冷たい布を用意して!」

 エリカの指示が飛ぶが、やれることは限られている。

 地球なら抗生物質を一錠飲ませれば済む話が、この世界では命取りになる。

 オレたちはただ、レイナ自身の生命力を信じ、祈ることしかできなかった。




 そして、悪夢のような旅路の果てに、ようやくオレたちは王都の高い城壁を視界に捉えた。

「着いた……王都だ!」




 ■王国暦1047年10月19日(金) 12:00= 2025年9月7日(日) 01:12:06<田中健太>

 ガルドのその声は、安堵と疲労でかすれていた。

 門をくぐり、久しぶりに浴びる街の喧騒が、今は何よりも心強く感じられた。

 オレたちは脇目もふらず、エリカの治療院へと馬車を走らせた。

 そこは、彼女がこの世界で築き上げた城だった。

 決して広くはないが、清潔に整えられて、薬草棚や蒸留器、そしてこの世界基準での最新の医療器具が整然と並べられている。

「先生、お帰りなさい! ……まあ、大変!」

 出迎えた助手らしき女性に、エリカは間髪入れずに指示を飛ばす。

「すぐにベッドの用意を! それから解熱効果のある薬草を煎じて! 今回は『感染症』の疑いが濃厚よ。私が教えた手順通り、関わった器具は全て、使用後に徹底的に煮沸消毒!」

「はい、承知しております! すぐに準備いたします!」

 助手はエリカの言葉に一切動じることなく、テキパキと動き出した。『感染症』『煮沸消毒』――それらは、この治療院で働く者だけが知る、師の絶対的な教えであり、日々の常識らしい。




 数時間後、エリカの懸命な処置のおかげで、レイナの熱は少しずつ下がり始めた。

 荒かった呼吸も今は穏やかな寝息に変わっている。

「……峠は越した。あとは、このまま快方に向かってくれるのを待つだけね」

 エリカの言葉に、アンがその場で泣き崩れた。

 レイナの容態は心配だったが、そうも言ってられない。

 安定したのを見届けて、オレはギルドへと向かった。

 あとは頼む、エリカ。

 終わったらすぐ戻るからな。




 精密加工ギルド・ギルド長のマイスター・クロノス・ギアハートに、ドワーフの都イワオカで部品が完成したこと、そして帰路で野盗に襲われ、レイナが負傷したことを手短に報告する。

 クロノスはオレの報告を聞く。

「そうか……大変だったな、ケント。こちらからも見舞いにいくよ。ただし、レイナ殿のことは気の毒だが、君は仕事を果たしてもらおう。部品は無事なのだな」

「ええ、それは問題ありません」

「よろしい。では早速工房で組み立て作業にかかってくれ。期待しているぞ」

 クロノスはレイナの話を聞いて同情してくれたが、それはそれ。

 ギルド長としての役割を果たさなくちゃいけない。

 それが理解できるからこそ、オレは一礼してギルドを後にして、そのまま工房へ足を向けた。

 それから数日は家と工房とエリカの治療院の往復が始まった。




 やがてレイナが退院して全快したころ……。

 ん? どうした?

 なんだか人だかりができているぞ。

 人だかりの中心では、12歳ほどの男の子が大柄な男ともめていた。

 汚れた作業着を着て、顔には涙の跡がある。

 大人の男は商人風の身なりで腹が出ていた。

「だから約束した給料をください! 朝から晩まで働いたんです!」

 男の子は必死に訴えている。

 声が震えているが、諦めていない。

「うるさい! 雇ってやっただけでもありがたいと思え!」

 男は子供の頭を平手でたたいた。

 子供はよろめいたが、男の服にしがみついて離れない。

「お願いします! お金が必要なんです!」

「知るか! ガキが生意気な口を利くな!」

 男はその子を突き飛ばした。

 男の子は地面に倒れたが、すぐに立ち上がる。

 周りの大人たちは見て見ぬふりをしていた。

 何だこりゃ?

 児童虐待もはなはだしい。

 労働基準法違反だぞ!

 オレは胸が熱くなった。これは見過ごせない。

「ちょっと待ってください。約束した給料は払わないといけないと思いますよ」

 オレは人だかりをかき分けて前に出たが、男はオレをにらみつけた。

「何だお前は? 関係ない奴は引っ込んでろ!」

 うわ!

 オレは胸を押されてよろめいてしまった。

 相手は大男で体格差は歴然としている。でも、大人として子供は守らないといかん。

「関係なくはありません。約束は守るべきです」

「うるさい! ガキの味方をするなら、お前が金を出せ!」

 なんてベタな。

 異世界あるあるじゃねえか。

 男が拳を振り上げてオレが身構えたその時――。




 次回予告 第13話 『正義の代償と王族の後ろ盾~悪徳商人撃退す!~』

 野盗の襲撃によって矢に倒れたレイナ。

 一行は死闘の末に王都へ帰還する。エリカの治療院でレイナは一命を取り留め、ケントは印刷機の改良作業を再開。

 平穏な日常が戻ったかに見えたが、街角で虐げられる少年を見過ごせず助けに入ったケントは、商人風の男に絡まれ窮地に陥ってしまう。

 男が拳を振り上げたその時に、いったい何が起こった?

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