第10話 『異世界からの来訪者』

 王国暦1047年9月22日(月)06:00=2025年9月6日(土)20:32:59 <田中健太・52歳>

 女は言った。

「いや、それは後でいい。……あんた、一体何者だ?」

 静まり返った部屋にその問いが鋭く響く。

 朝の光が差し込む寝室で、アンの穏やかな寝息だけが響いていた。レイナは疲れ果てて椅子で眠っている。オレは深く息を吸った。

「それは……オレも聞きたい。あんたら……特にあんた。何となくだが、……違う。酒場で不思議な言葉を聞いた。あんたらの会話だ。~法だの白金だの鋼だの。あまり聞いたことのない言葉をしゃべっていたな」

 昨日はアンの病気が心配でテンパっていたけど、ようやく落ち着いたから聞いてみた。

 娘の命の恩人を疑うなんて気が引けたけど、正体をバラすにはリスクがありすぎる。

 ……。

 ……。

 ……。

「聞いているのはこっちなんだけどね」

 医者の女が言った。

 しばらく沈黙が続いたが、オレも考えた。

 仮にオレがここで異世界から来た人間だ、と答えたとしよう。3人はたぶん信じない。信じて誰かにそれを言ったとしても、たわ言を言ってるとしか思われないだろう。

 オレは工房の職人頭でそこそこ社会的地位はあるようだし。

 マルクスと比べてもオレが上だ。

 女は魔女って言われているくらいだから、信用されないだろう。銀髪美女は……まあ、大丈夫かな。

「オレは……この世界の人間じゃない」

 静かに告白した。

 医者の女の表情が変わる。

 驚いてるんじゃなく、 横の2人がうなずいているのを見て、確信に変わった表情だった。

「く、あはははは! やっぱりね! じゃないかな~とな思ったんだよね。インフォームドコンセントなんて言葉、この世界の人間が知るはずないし、そんな概念もない。ましてやペストなんて」

「え? どういうことだ? まさか、あんたたちも……」

 オレは訳がわからないが、急に親近感が湧いてきた。

「私たちもよ」

 女はルナとマルクスに目配せした。

「私はエリカ・ハーブマン。元々、現代日本の医師だった。専門は外科。薬学もね。32歳で過労死して、気がついたらこの世界にいた」

 この世界には珍しく、有能で治癒師ギルドと薬師ギルド両方に所属していたが、転生後の奇行(前世知識による諸々)で魔女扱いされていた。

 続いてルナが小さく手を上げる。

「私は理研……あ、理化学研究所です。あと、アルケミアです」

 15歳の孤児として転生して、運良く錬金術師ギルドのマスターに拾われて頭角を現したようだ。

「オレは冶金学者で鉄工所で働いていました。この世界では鍛冶屋として生きています」

 マルクスが組んでいた腕を下ろして言った。

 やきん学者?

 聞いた事ない種類の学者さんだな。きんってことは金属系か?

 ……。

 オレは言葉を失った。

 まさか、こんな形で同郷の人間と出会うとは。

「オレは田中健太。四菱電機って知ってるよね? そこの航空機エンジン設計部の部長待遇だった。機械工学者ってやつ。まあ、厳密には現在進行……ゴホン、じゃなくて機械工学者だった。気がついたらこの世界にいた」

 あっぶねえ、あっぶねえ!

 もうちょっとでゲートの話するところだった。

 あれは極秘だ。

 話すにしてももう少し、なにかこう、差し迫った理由がないと教えちゃだめだ。

「そう……じゃあ……転移者ね。私たちは転生組だから、少し違うけど」

 エリカが言った。

 転移……転生。

 よくわからんけど、いきなりまったく知らん世界に放り込まれた(オレは違うけど)のは同じか。

「四菱電機って超大手じゃない。すごいのね、部長さん」

 エリカの言葉にルナが目を輝かせて、マルクスにも笑みがこぼれている。

 孤独だった。

 それは地球でも似たようなもんだけど、この世界はまったくの異だ。

「そういうことなら、話は早い」

 エリカはパンと手を打った。

「まず、昨日の契約だけど、あれは破棄させてもらうわ」

「えっ……なんで? アンを助けてもらったんだぞ。対価はきちんと支払う」

「仲間から法外な治療費は取れないわよ。あんたの年収分はあるでしょ? 冗談じゃない」

 仲間?

 エリカはきっぱりと言い切った。その申し出はありがたい。でも、だからといってタダはだめだ。

「冗談じゃないのはこっちだ。あんたは命がけで娘を救ってくれた。その『仕事』に対して、正当な報酬を支払うのは当然の義務だ」

 これは技術者として、それとも父親としての矜持なのか?

 どっちにしても彼女の善意に甘えるわけにはいかない。オレとエリカの視線が、火花を散らすようにぶつかった。

「頑固な男ね。さすが部長待遇」

「あんたほどじゃない。さすが元医者だ」

 しばらくにらみ合った後、先に折れたのはエリカだった。

「……分かったわ。そこまで言うなら、……7シールでいいわよ」

 7シール……。

 オレの2日分の日当だけど、最初に支払った手付の10ルミナの……30分の1以下じゃないか!

 エリカは新しい提案を持ちかけてきた。

「治療費は、まあ保険がないからね。それから往診って自由診療なのよ。だからその金額。……その代わり……あんたの知識と技術を、私たちのために使って欲しい」

「技術協力……ってヤツか」

「そう。私たちも前世の知識を活かして色々やろうとしてきたけど、まーホントに! どうにもならない。それに専門外のことは限界があるの。航空機エンジンの設計部長なら、話が早いでしょ」

 エリカの医学・薬学知識。

 ルナの化学知識。

 マルクスの冶金技術と知識。

 それからオレの精密機械技術者の知識か。

 なるほど、これなら対等な取引じゃないか。

 いや、むしろオレにとって得な話かもしれない。

 オレ:「いいだろう。その条件受け入れよう。何だか冒険者パーティーみたいだな。例えればドラコンコエスト!」

 エリカ:「ドラコンコエスト?」

 マルクス:「知らないのか? 昭和の時代から続く名作だぞ」

 エリカ:「ふっる! そんな古いの知らない」

 オレ:「いや、シリーズもので11まで出てるぞ」

 ルナ:「……よくわかんない」

「ああ、そうだ今日は月曜日じゃないか。仕事はいいのか? オレはこれから工房に行って、今日は休もうと思うが」

 工房に行って親方に休みをもらおう。

 落ち着いたっていってもぶり返すかもしれないしな。

「私は関係ない。魔女だからね。ふふふ……。やることさえやりゃあ文句は言われない」

 自由人!

「オレも、今日はたまたま休みです」

 マルクスがそう言うとルナがいじけたようにぼやいた。

「私は……私だけ仕事……」

「じゃ、じゃあ今夜、あの酒場で集合はどうだ? 何時にする?」

 ……。

 オレは言いながら気づいた。夜は時報がないんだった。

「ま、まあ先についたもんは飯でも食いながら、な」

「さんせーい!」

 同郷人ってだけで、こんなにサックリ打ち解けて和やかになるのかね。

 ツンツン美女が少しだけやわらいで美女に、幼顔の銀髪美女がちゃんと20歳超えていた。マルクスは、まあ、いいや。

 ■魔法省魔導院

「なに? ケント・ターナーがもどってきただと?」

 魔法省魔導院の執務室で、男は部下の報告に驚きを隠せない。

「いつだ? いつ戻ってきたのだ?」

「はい、それが……2週間ほど前かと」

「馬鹿な! なぜすぐに知らせんのだ」

 怒った男は机を叩いて怒鳴り散らした。

「いえ、その……報告はしていたんですが……」

「黙れ! ……まあいい。どうやって戻ったかは知らんが……。おい、その戻ってきたターナーはどうなのだ? ちゃんと見張りはつけているんだろうな?」

「もちろんです」

「何かあればすぐに知らせるのだぞ」

「承知しました!」

 ■酒場

「それで、ケント……いや、田中さん。これからどうするつもりなの?」

 エリカが改めて問いかけてきた。

 パーティーを組んだから口調に仲間としての親しみがこもっているのかもしれない。

「ケントでいいよ。実は、ギルドで1つの計画を進めている」

 オレは、この異世界で再起を懸けたプロジェクトについて語り始めた。

 失踪したケント・ターナーの汚名をそそぐためと、この世界にない技術を生み出すために。

 本当の目的は異世界(ベータ宇宙)の真理を解き明かすのが目的だけど、そのために社会的地位はあったほうがいい。

「活版印刷機だ」

「印刷機?」

 3人が同時に聞き返す。 

「ああ。印刷機だ。文字が刻まれたハンコのようなものを組み合わせて版を作りて、インクを塗って紙に圧着させる。今の印刷機の元祖を改良するんだよ。そうすれば手で書き写すより遥かに速くて正確に、大量の書物を作れるようになる」

 オレの説明に、3人の目の色が変わった。

 こいつらなら、この技術が持つ意味を理解できるはずだ。

「知識の独占を終わらせる……。まあ、かっこよく言えばそういうことね」

 エリカが手を口に当てて低い声でつぶやいた。

「そうだ。知識が一部の権力者や富裕層だけじゃなくて、民衆に行き渡れば、この世界は大きく変わる」

 オレはそこまで話すと、一度言葉を切った。そして、胸に秘めていたさらに大きな野望を打ち明ける。

「でも印刷機は始まりに過ぎない。俺が本当に目指しているのは、その先にある……『産業革命』だ」

 本当は産業革命なんか、どうでもいい。

 いや、どうでもいいって訳じゃないけど、目的じゃなくて手段なんだ。

 このベータ宇宙(異世界)が何なのか?

 その誕生や原理を解明するための下地が必要で、金や地位はあるに越したことはない。

 それに、どうしても我慢できないのが臭いだ。

 トイレにしろ何にしろ、まずはオレたちの生活をちょっとでも地球レベルに戻したいんだよ。

「正気かい、ですか、あんた、いや……」

「タメでいいよ。地球年齢でもオレが一番上だけど、こんな境遇だ。それにあんたらが先輩だしな。これからみんなタメでいこうぜ」

 マルクスがモゴモゴ言ったので、オレはそう決めた。

「それに正気だ。この世界には魔力っていう便利なものがあるらしいじゃないか。でもそれに頼り切っているせいで、技術の発展が歪んでいる。俺たちの知識を使えば、その歪みを正して、一気に数百年分の技術革新を起こせるはずだ」

 らしい、と言ったのは、オレも話で聞いただけで実際に見たことはない。

 というのも魔法は誰でも使えるわけじゃなくて、王族や貴族、限られた人たちだけが使っている。

 だから普通の人達は魔導具を使っているし、地球で言う一般の技術が発展していない。

「面白そうじゃない! これで外科病院と薬院をつくれる! オリジナルの!」

「化学研究所もつくれる」

「製鉄所や研究所もつくれる」

 なんだ、みんなやりたいことあったのか。

 でも、できなかった。

 そういうことか。

 よし、これで印刷機の改良にメドがついたぞ。

 それにwin-winで楽しそうだな。

 次回予告 第11話 (仮)『』

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