慶応三年五月二十五日(1867年6月27日)フランス・パリ
「大村藩の病院では、この方法を導入して以来、術後の感染症が80%以上減少しました」
俊之助は科学的根拠に基づき、データを示しながら説明した。
「概念は興味深いですが、目に見えないものが病気を引き起こすという証明は難しいのではありませんか?」
この疑問に対しても、俊之助は顕微鏡観察と一連の実験結果を示しながら丁寧に説明したのである。
「細菌は確かに小さいですが、適切な機器を使えば観察可能です。そして、重要なのは、特定の処理をすれば疫病の発生率が明確に減少する事実でしょう」
大成功のうちに終了した長与俊之助の講演会であったが、一方で、その2日後に開催された軍事デモンストレーションは、列強の意識を根底から覆したのであった。
「今日の展示も、大きな反響を呼ぶだろうな」
顕武はうなずいた。
「特に、皇紀26年式(Gew88)には注目が集まるでしょう。プロイセンの軍人たちが熱心に見学に来るとの情報も入っています」
「されど、実物を見せるのはあくまで完成品だけだ。内部構造の詳細は厳重に管理せよ」
会場にはすでに各国の軍事専門家や技術者が集まり始め、その中にはプロイセン、フランス、イギリス、ロシア、オランダの軍服を着た者も少なくなかった。
彼らの目は皆、大村藩の展示にくぎ付けになっている。
日本パビリオンの一角に設置された展示台には、ジャスポー銃から始まり、Gew71とGew84連発銃、そして最新の皇紀26年式(Gew88)小銃までが進化の順序に沿って並べられていた。
開場の時間になり、次郎は来場者に向けてあいさつを始める。
「本日は大村藩の軍事技術展示にお集まりいただき、誠にありがとうございます。我々は過去数十年にわたり、銃器の開発に力を注いできました。本日はその成果の一部をご覧いただきます」
通訳がフランス語、ドイツ語、英語に翻訳すると、来場者たちは一層身を乗り出した。
まず、ジャスポー銃(仮称)の実演が行われた。
次郎は銃の構造と特徴を簡潔に説明し、射撃手が実際に的を撃つ様子を見せたのである。
フランス:「ほう、わが国の誇るシャスポー銃を見事に再現したか! まさか極東の島国で、これほどまでに忠実に……その技術力には感嘆する。わが軍でも配備している最新鋭銃だが、日本がここまで追いつくとは驚きだ」
プロイセン(ドイツ):「ふむ、ドライゼ銃の欠点である気密性を改良した点は評価できる。射程も伸びたようだな。わが軍も小銃の改良は急務だ。この技術、注視しておく必要がありそうだ。東洋の島国がこれほどの物を造るとは、侮れぬ。早急に国交をむすばねば」
イギリス:「なるほど、フランスの最新鋭銃か。日本がこれを国産化できたとは意外だな。東洋の島国も侮れぬ。だが、わがエンフィールド銃も負けてはいない」
オーストリア:「シャスポー銃か……プロイセンのドライゼ銃には苦しんだが、これもまた厄介な代物になりそうだ。わが軍も早急に近代化しなければならん。国交を結ぶのは急務だな」
イタリア:「フランスの最新鋭銃か……日本がそれを再現するとは。我々も軍備の近代化を急がねばならない。やはり、国交が必要だ」
オランダ:「……いまさら驚きもしないがね。どうやら、他の国は初見のようだ。わが国はクルティウス商館長時代からの次郎殿との付き合いなのだ。輸入もしている。それよりも……」
ジャスポー銃はフランス軍が配備していたので、日本の展示に驚きはあったが、激震が走るほどでもなかった。
「これは旧式です。わが国では(正しくは大村藩では)すでに製造もしていませんし、今回は開発の歴史の観点から紹介しています」
次は金属薬莢のGew71(仮称・皇紀9年式)である。
フランス:「何だと! ? これは金属薬莢ではないか! シャスポーの紙薬莢のガス漏れを克服するために開発を急いでいたが……まさか日本が? ……警戒せねば」
プロイセン:「おお、これはわがプロイセンのモーゼル兄弟が開発中の技術に似ているではないか! 金属薬莢に後装式ボルトアクション……わが軍が目指す方向性だ。日本がここまで進んでいるとは、驚きだ。我々も急がねば」
イギリス:「金属薬莢式のライフルか! わが国のスナイドル銃も金属製だが、このボルトアクションはより洗練されている。日本は一体どこでこの技術を……これはただ事ではないぞ」
オーストリア:「これが、プロイセンやフランスが研究しているとうわさの金属薬莢式か! |普墺《ふおう》戦争の敗北は小銃の性能差も大きかった。日本がこのレベルの銃を造るとは、ぜひとも技術提携を検討したい! 今すぐ外務省に連絡して国交を!」
イタリア:「信じられん……紙薬莢の針打式銃に満足している場合ではない。この金属薬莢の能力は、我々の軍備を根底から変える。日本を軽視してはならない」
オランダ:「うーむ。ようやくライセンス生産の交渉までこぎ着けたが、これで列強の知るところとなったな」
オランダは大村藩から限定的ではあるが、商館時代にクルティウスと次郎が結んだ密約の延長線上で、技術供与を受けていたのだ。
輸入を継続し、信頼がさらに高まり、間違いないとなって、ようやくライセンス生産の運びになっていたのである。
つまり、この分野では一歩、半歩かもしれないが、オランダが抜きんでていた。
「こちらも旧式です。部隊によっては配備されている場合もありますが、基本は予備でほとんどが倉庫に眠っています」
次に実演したのはGew84(仮称・皇紀22年式)である。
フランス:「なんだ、あの弾倉は? あんな弾倉はみたことないぞ。装てん時に……なんだ、あれは? まさか、装てん速度をここまで向上させるとは……これは歩兵戦術そのものを変えかねない。シャスポー銃が時代遅れになる日も近いのか……」
プロイセン(ドイツ):「金属薬莢ですらわが国の先を行くのに、連発だと? 見たこともない奇妙な弾倉ではないか! わが国の何年先を行っているのだ?」
イギリス:「信じがたい……金属薬莢式の上に、管式……とでも言おうか、弾倉で連射性能を高めただと? 歩兵の火力が飛躍的に向上する。これは軍事バランスを大きく揺るがす技術だ。日本からの技術供与、いや、外務省は何をしているのだ、速やかに日本と国交を回復しなければ。大英帝国の明日はないぞ」
オーストリア:「これはもう、我々の軍備は完全に旧式になってしまったと認めざるを得ない。この連射能力は、我々の歩兵戦術の根本からの見直しを意味している。日本と交渉し、この銃を導入するべきだ!」
イタリア:「連射能力が格段に向上している! この銃があれば、我々の軍は飛躍的に強くなるだろう。日本に技術者を派遣し、その秘密を探るべきだ」
オランダ:「単発の銃のライセンスと並行して、この管状弾倉のライセンスも申請中だが、認可が下りない」
Gew71(仮称・皇紀9年式)はもともと弾倉を持たない単発であったが、8発入りの管状弾倉を取り入れて改良されていた。
日本の技術なら別なのだろうが、大村藩の技術である。
オランダに対しては、軍事技術に限らず初見でないものも多い。
「こちらも同様に旧式です。さきほどより配備数は多いですが、順次最新型へ移行しています」
最後に紹介した小銃がGew88(仮称・皇紀28年式)である。
フランス:「何だこの銃は? 使っている火薬が違うのか? 何だあれは、弾倉なのか? ! 煙が少ないだけでなく、射程も威力も段違いだ! これこそが未来の小銃……わが国のシャスポーはもはや博物館行きだ。これは、完全に軍事技術のパラダイムシフトではないか……日本は一体どうなっているのだ!」
プロイセン:「ば、馬鹿な……これほど煙の少ない火薬と、なんだあの箱のような弾倉は! ? ……これではわが国の、いや、欧州の軍事優位性などない。あらゆる手段を使って、この技術を手に入れねばならん!」
イギリス:「この銃は……! く……確かにわが軍の油断もあったろう。しかし……万全の状態で戦ったとして、勝てたかどうか……」
オーストリア:「わが軍は完全に後れを取ってしまった。もはや……日本に技術提携を強く申し入れ、軍全体をこれに換装せねば、国家の存亡に関わる!」
イタリア:「これは奇跡か、悪夢か……! これはおそらく……新たな火薬であろう。そして、この箱型弾倉の銃があれば、どんな敵も恐るるに足らないだろう。日本にこの技術の譲渡を要請し、軍備を近代化せねば!」
オランダ:「知ってはいたが、見るのは初めてだ……。間違いなく友好関係を続けねばならん」
20年以上先取りした軍事技術である。
列強の反応は当然であった。
極めつきは、昨年完成し、今年正式採用された、マキシム(仮称・皇紀27年式)機関銃である。
フランス:「いったい私は何を見ているんだ? 機関銃……エイガー機銃やガトリングガンは知っているが、全くの別物のバケモノだ。この連射能力は脅威でしかない。すぐにでも技術提携か、詳細な情報収集を行う必要があるな。この技術は、これからの戦争の形を変えるだろう」
プロイセン:「これはもはや、わが国の武器とは全く次元が違う。この兵器が実戦投入されれば、歩兵戦術は根本から覆る。国家の総力を挙げて、この技術を研究し、獲得せねばならない!」
イギリス:「なんと恐ろしい兵器だ。これ一挺で数百の兵士をほふれるだろう。悪魔の所業か。わが大英帝国の軍事ドクトリン、特に植民地での制圧戦において、絶大な効果を発揮するに違いない。技術供与の交渉を早急に進めねば。ええい! 待っては折れん、今すぐ外務省に連絡をとれ!」
オーストリア:「まさか、このような兵器があるとは……。わが国の軍事力が劣勢になるどころか、ゲームチェンジャーになりかねない」
イタリア:「我々の統一は成ったばかりだが、この兵器は世界地図を塗り替える可能性を秘めている。先進国に追いつくためにも、この技術は是が非でも手に入れたい。外交ルートを通じて、日本との接触を試みよ」
オランダ:「次郎殿……これは、やり過ぎです」
展示の最後を飾るのは、セーヌ川に係留しているディーゼルエレクトリック潜水艦『大鯨』と水雷艇『神雷』だった。
次郎は会場の参加者を川岸に案内し、説明を続けた。
「まず『大鯨』ですが、これは世界初の圧縮着火並電気推進機関方式潜水艦です。浮上航行時は圧縮着火機関を使用し、潜水中はあらかじめ充電しておいた電池からの電力で推進します」
「潜航時間と最大深度はどのくらいですか?」
「申し訳ありませんが、それはお答えできません。ただ、かなりの深度まで安全に潜れると申し上げておきましょう」
フランス海軍の技術者が挙手のうえで尋ねたが、次郎はほほ笑みながら答えた。
『大鯨』は長さ約20メートルの船体で、その艶やかな黒い外装は、水面に浮かぶ巨大な海獣のようだった。
船体上部のハッチが開き、乗組員が顔を出すと、見物人たちから歓声が上がる。
次に『神雷』の説明に移った。
「こちらは水雷艇『神雷』です。小型ながら高速で機動性に優れ、水雷を搭載して敵艦を攻撃します。最大速度は18.5ノット。短時間ならさらに速力を上げられます」
「水雷の性能について教えてください」
プロイセン海軍の将校が興味深そうに質問した。
「14インチの水雷を2発搭載しています。これは刺突水雷ではなく、自走式です。申し訳ありませんが、これも詳細は控えさせていただきます」
大鯨の魚雷も同様であったが、質疑応答の後、いよいよ実演の時間となった。
まず『神雷』がセーヌ川を高速で走行し、その機動性と速度を披露。|川面《かわも》を切り裂きながら進む姿に、観客たちは感嘆の声を上げた。
続いて『大鯨』が潜水のデモンストレーションをし、船体が完全に水中に没する様子を見せた。
安全上の都合で潜航時間は短く、速度も遅かったが、潜水から浮上するまでのデモンストレーションに観客からは大きな歓声があがったのである。
デモンストレーションが終わり、次郎が最後の挨拶をした。
「本日ご覧いただいたのは、我々大村藩が長年培ってきた技術です。これらは単に軍事のためではなく、科学技術の発展を目的として開発されています」
式典が終わり、各国の代表者たちが次々と次郎に接触してきた。
フランスの海軍代表は『共同開発の可能性』を、まだ国交のないプロイセンの将校は『技術交換』を持ちかけてきたのである。
イギリス海軍の技術者は『大鯨』に強い関心を示していたが、公式に接触はできなかった。
「あの潜水艦は、我々の通商路を脅かす可能性がある」
険しい表情でつぶやくイギリス人を、隼人が耳にして次郎に報告した。
「予想通りだ」
と次郎は答えた。
「彼らは我々の技術を過小評価していた。今回の展示で、大村藩、いや日本の技術力を認識させることができたのだ。これからが本当の外交戦になる」
会場を後にする途中、フランスの新聞記者が次郎に駆け寄ってきた。
「日本の軍事技術は予想をはるかに超えています。特に、無煙火薬と潜水艦は革命的です。これらはどこから得た技術なのでしょうか?」
「我々の頭脳と手から生まれたのです。日本は島国であり、外敵から自らを守るために常に創意工夫を重ねてきました。技術は国の独立を支える柱なのです」
次郎はほほ笑んで答えた。
嘘でもなんでもない。
厳密に言えば嘘なのかもしれないが、ここで説明する必要もない。
これで、一通りの展示とデモンストレーションが終わった。
閉幕まで継続的に実施されるが、日本は各国を歴訪し、次郎はその活動の場所を外交に移すときが来ていたのだ。
次回予告 第410話 (仮)『外交戦略』

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