第865話 『電信の実験とフレデリック・ヘンドリック』

 慶長四年二月五日(西暦1599年3月2日)科学技術省 技術開発研究所

 太田和源五郎秀政は夜明け前から実験準備に没頭していた。

 目の前には、改良を重ねた電信装置が置かれている。2本の銅線と新型電池、そして信号を記録するための装置が綿密に配置されていた。

「今日こそは……」

 源五郎は静かにつぶやきながら、最後の調整をする。

 これまでの実験では、城内において最長で百間(約182メートル)までしか送受信できなかったのだ。

 今日は導線の改良と電池の強化により、一気に500メートルの通信に挑戦するのである。その成功は、肥前国の通信技術史に大きな一歩を刻むだろう。

「支度はできたか?」

 忠右衛門が実験室に入ってきた。

 先日の純正との会話に刺激を受け、彼は妙に明るい表情をしている。

「は。絶縁を施せり導線も新たに仕立て直し、電池も重ね(増強)致しました」

 源五郎は自信に満ちた表情で答える。

「こたびは記録装置も併せ用いるのだな」

「は。電磁石の力の働きにて、紙面に凹凸をつける仕組みでございます。信号の中身、目にて確かめ能います」

 源五郎は新たに開発した記録機構を誇らしげに示した。短点と長点の組み合わせで文字を表現する符号体系と、それを紙に記録する技術の融合だった。




 ■同時刻 諫早城南門監視所

 源五郎の部下、川田兵衛ひょうえは受信装置の前に座り、緊張した面持ちで時間を見つめていた。彼の周囲には助手たちが控え、歴史的瞬間を見届けようと集まっている。

「もうすぐ定刻だ」

 兵衛が言うと、助手たちの緊張が高まる。これまでの実験では城内の近距離通信しか成功していない。

 500メートルはこれまでで最も野心的な試みなのだ。

「始まります」

 時計の針が定刻を指し、全員が息を詰めて装置を見つめた。




 ■技術開発研究所

「送信開始」

 源五郎の声と共に、助手が送信機を操作し始めた。短点と長点を組み合わせた符号が、電気信号に変換され導線を通じて送られていく。

「電……信……実……験……成……功……を……祈……る」

 助手が一文字ずつ送信しながら読み上げた。源五郎は緊張した面持ちで、信号の流れを確認している。




 ■南門監視所

 突如、受信機の針が動き始めた。

 兵衛は針の動きを凝視し、その動きに応じた短点と長点のパターンを記憶しながら、それを文字に変換して声に出して読み上げる。

「電……信……実……験……成……功……を……祈……る」

 メッセージの終了を確認すると、室内が一瞬静まりかえった後、歓声が湧き起こった。

「成功だ!」

「500メートル通信に成功せり!」

 同時に、設置されていた記録装置の紙テープにも、針の動きに対応した凹凸が自動的に刻まれていた。

 兵衛は興奮した手でその紙のテープを取り、光にかざして確認する。

 文字を記号化した短点と長点のパターンが、明瞭な凹凸として残されていた。

「返信するぞ!」

 兵衛は送信機のレバーを操作し、返信を始めた。




 ■技術開発所

「来た!」

 源五郎の前の受信機が動き始める。助手たちが固唾をのんで見守る中、彼は慎重に符号を読み取っていった。

「実……験……見……事……成……功……次……は……佐……世……保……へ」

 返信メッセージを完全に受け取った瞬間、源五郎は声を上げて喜んだ。記録装置の紙テープにも、明確に信号が記録されていた。

「いよしっ! やった! これで理論が証明された!」

 初の長距離通信実験の成功に興奮する一同。

 感極まって泣き出す者もいる。

 これは実用的な遠距離通信への大きな第一歩なのだ。




 ■正午 純正の執務室

「500メートルでの双方向通信に成功し、さらに信号の記録にも成功しました」

 源五郎が興奮した様子で報告する。純正は満足げにうなずきながら、紙テープに刻まれたへこみを指でなぞった。

 肥前国ではメートル法が普及しているが、互換性を持たせるために尺貫法は禁じていない。

「素晴らしい。いよいよ実用段階に入ったわけだな」

「はい。これまでの城内での小規模実験から一気に500メートルへの飛躍を果たしました」

「うむ」

「この成果を踏まえ、次は佐世保との通信を目指します。約14里半(約56.5km)の距離ですが、我らのただ今の電池と技術では、信号の強度が距離と共に弱まり、3キロメートルほど離れると判読不能になってしまいます」

 純正は地図を広げ、諫早から佐世保への最短ルートを指でなぞった。

「となると、人手による中継が必要になるな」

「はい。現在の方法では、20か所の中継所を設置し、各地点で人が信号を受信して読み取り、それを再び送信する必要があります。これでは時間もかかり、誤りも生じやすくなります」

 実用化、とは言ったが、まだまだである。

 3kmは飛躍的な進歩だが、日本全国に電信網を張り巡らせるとなると、信号の減衰問題の解決は必須であった。

「信号が弱まる問題か……そもそも、なぜ信号は弱まるのだ?」

「導線の抵抗のためです。電気が流れる際に熱として失われ、距離が長くなるほど減衰が大きくなります」

 もちろん、信号減衰の原因は導体の抵抗だけではない。

 だけではないが、主要な原因が抵抗による熱エネルギーの損失だ。

「ならば、弱くなった信号を元の強さに戻す装置が必要だな。人の手を介さず、自動的に信号を受け取り、増幅して先に送る……」

「まさに、我らが考えていた方向です」

 源五郎は目を輝かせた。

「然様な装置ができれば、中継所の数を大幅に減らせるだけでなく、通信速度も向上し、誤りも減るでしょう」

「うむ。では、その装置の開発を急げ。まずは手動中継による通信網の整備を始め、並行して信号増幅装置の研究を進めるのだ。この5年間の休戦期間を最大限に活用せねばならん」

 まず、有人中継所の設置とケーブル敷設、その後中継所に継電器を置いて差し替える手順だ。

「かしこまりました。明日からすぐに中継所の建設計画に着手します」

「それから源五よ」

「は、何でしょう」

「ここにはオレとお前しかおらんのだ。オレも源五と呼ぶし、お前もオレを昔みたいに平ちんと呼べ」

「そ、それはあまりに……」

「あのなあ、この歳、この身分になると気兼ねなく直言する者がおらんのだ。直茂も言うときは言うが、あれは家臣としてじゃ。友人として、従兄弟として、思うところあれば、どんどん言ってほしい」

「は。……いや、分かったよ」

「頼むぞ」

「うん」




 ■同日 科学技術省

 忠右衛門は、研究室で蒸気機関の開発責任者の国友三郎と田中重太郎に尋ねた。

「進み具合はいかがか」

 純正から以前聞いた蒸気を冷やして水に戻す復水器と、複数のシリンダーで段階的に力を取り出す仕組みの概念図が、まだ荒削りな形で机に広がっている。

「殿下のお考えは類まれなるものにございますが、|実《げ》に(実際に)作るとなれば、多くの障り(問題)がございます」

 国友が頭をかきながら答えた。

「ことに、高き圧と低き圧の円筒をいかに組み合わすか、加えて蒸気をいかにして無駄なく運ぶかが難儀にござります」

 田中が粗い図面を指さした。

「我らの思案では、まず蒸気を高き圧の円筒にて用い、その後低き圧の円筒にて再び用いるのが根元の考えにござりますが……」

「いまだ、つぶさなる(具体的な)図は遠きところにあるかのう」

 忠右衛門は理解を示しながらうなずいた。

 同じ技術者である。

 管理職となって、肝いりの電信でさえ息子の源五郎が主体となって開発しているが、技術者の考えや思いは痛いほど分かるのだ。

「急ぐべからず、まずは地固めじゃ。基となる試み(こころみ)を重ね、理を深めよう。殿下のお考えは道のりを示したに過ぎぬ。これを形にするは我らの務めじゃ」

「はっ。まずは小さき復水器の試みより始め、蒸気の動きと効(ききめ)について基礎の情報を集めております」

 国友が報告した。

「うむ。地道な試みと見定めを重ねていけば、いずれ道は拓(ひら)けるであろう」

 そう忠右衛門は2人を励ました。




 別室では、半藤と杉浦が発電機の改良作業に取り組んでいる。

「今日の発電機の調整はいかに?」

「火花の起こりを抑える巻き方にて成果が出ておりまする。揺るぎなき流れが得られるようになりました」

 忠右衛門が尋ねると、半藤が満足げに報告した。

「それはまことに見事じゃ。源五郎の電信の試みも今日成就したそうじゃ」

「はっ、聞き及びました。彼らの術と我らの起こす術は密接に関わり合っておりますれば、その成就は我らの励みにもなり申す」

「より揺るぎなき力を供給できれば、電信の働きも向上いたします」

 忠右衛門は満足げにうなずいた。




 電信、蒸気機関、そして電灯。

 3つの技術が互いに影響し合いながら発展していけば、肥前国の力はさらに高まるだろう。




 ■夕刻 純正の私室

「オランダのフレデリック・ヘンドリックか……」

 純正は書斎に戻り、今朝読んだポルトガル商人からの報告書を再び手に取った。

 報告書の中に記されていた名前、『フレデリック・ヘンドリック』が気になっていたのである。




 オラニエ公の一族なのに、メートル法の標準化や精密時計の開発、そして電気研究に携わっているのはおかしい。

 精密時計のクロノメーターは18世紀に入ってからだし、メートル法も18世紀末からだ。

 電気にいたっては19世紀末だぞ。

 ありえん、オレは戦国時代に転生して、死に物狂いで生きるためにやってきた。

 まさか、誰かオレの他に、転生者がいるんだろうか。

 もし遠い国のオランダで、オレと同じで前世の知識を持つ者がいるとすれば、それは脅威でもあり、また味方にもなりうる存在だぞ。

 ……そうだ、オランダへ(イギリス・フランスも)送った使節が、そろそろ戻ってくる頃だ。

 彼らに聞いたらどんな人間か分かるだろう。




 純正は地図が描かれた紙を広げ、オランダの位置を確認した。

 肥前国とは遠く離れているが、両国が技術を競い合い、あるいは協力すれば、世界はどう変わるだろうか。

「電信で世界がつながる日も、遠くはないだろう」

 純正が電信の技術を研究しているなら、フレデリックもやっていてもおかしくはない。




 次回予告 第866話 『佐世保への線』

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