第19話 『ヨニクロとスーパー銭湯』

 王国暦1047年11月13日(火)02:23:36=2025年9月7日 08:00:00

「エリカ、その山城って男に、すぐに連絡を取れるか?」

 オレの言葉にエリカはハッと我に返った。

「連絡先なんて……もう何年も会っていない。携帯電話も、ないよ」

 希望の直後に困惑と残念さが入り混じったような表情だ。

 力なく首を振る。

 そうか、そうだった。エリカたちの時間は、あの事故の日で止まっている。

 オレは自分のスマホを手渡した。

「電話番号は覚えているか? 病院の代表番号でもいい。とにかく今すぐ連絡を取るんだ」

「……分かった。やってみる」

 ……いや、ちょっと待て。

 昏睡こんすい状態のエリカが電話をかけたって、おかしいだろ?

「大丈夫、任せて。えーっとね……」

 エリカは何を思ったかネットで病院を検索して直接電話した。

「もしもし、お忙しいところ恐れ入ります。私、山城院長の大学時代の同期で橋爪明菜と申します。先生につないでいただきたいのですが」

「かしこまりました。橋爪明菜様でいらっしゃいますね。申し訳ございませんが、院長は現在診療中でございます。私的なお電話の場合は、診療時間外にお掛け直しいただくか、院長の携帯電話に直接ご連絡いただけますでしょうか」

「あーそうですか。分かりました。改めます」

 エリカは残念そうにため息をついたが、すぐに立ち直った。

「行った方が早い! いくよみんな!」

 おい!

「いや、ちょっと待て、待て。時間は限られているんだ。社宅の件は平日だからみんなの気持ちも分かる。ただ、このまんまじゃ行けないだろう?」

 オレは全員の、自分も含めてだが、格好を見回した。

 明らかに中世コスプレ衣装だ。

 オレはまず、ネットで近くのヨニクロを探して準備した。何度も使っているが、営業時間の確認だ。まさか日曜に定休はないだろう。

 とりあえず店に行くまでは……この服でも何とかなる。

 他の客も何かのコスプレとしか思わないはずだ。




 ■王国暦1047年11月13日(火)03:23:36=2025年9月7日 09:00:00 ヨニクロ

 オレとマルクスとトムは10分で終わった。

 男は早い!

 でも案の定……。

 長い!

 これはエリカとルナに限らない。

 レイナとアンだってそうだ。

 世界共通時代共通宇宙共通の原理なんだろうか。

「まあ、仕方ないか……」

 エリカが言うには診療中だから急いだって意味がないらしい。

 行くなら昼休みだ。

 オレは諦めの境地で、店の隅にある椅子に腰掛けた。

 トムは初めて見る自動販売機に興味津々で、マルクスはオレが貸したスマホで何かを検索している。日没までの時間は刻一刻と減っていくが、焦る気持ちを抑えて、オレはじっくり考えた。

 店内では、レイナとアンが目を輝かせながら服を選んでいる。

 久しぶりの地球だ。

 1日しかたっていなくても、3人にとっては何年もの隔たりがある。

 それでも機能性や素材を確かめる姿は、さすが元研究者と元医者だ。

「お父さん、見て! この服、キラキラしてる!」

 アンがスパンコールの付いた子供服を胸に当てて走ってくる。

 レイナも普段は着ないデザインのワンピースを手に、少し照れくさそうにオレを見た。彼女たちの楽しそうな姿を見ると、急かすのがためらわれる。




 ■王国暦1047年11月13日(火)04:23:36=2025年9月7日 10:00:00 同上 

「よし、全員そろったな。時間が惜しい。移動しながら今後の作戦を詰めるぞ」

 とオレは全員に向けて指示を出そうとしたんだが……。

 妙に背中がむずがゆい。

 いや、背中だけじゃない。

 新しい服の生地が肌に馴染まないのか。首筋や腕まで、どうにも落ち着かない。オレは無意識に首筋をかいた。

「どうしたの、ケント。なんだかそわそわしてるけど」

 エリカが不思議そうな顔でオレを見る。

「いや、何でもない。ただ、少し……」

 言葉を濁してごまかすように服の襟元を少しだけ引っ張った。

 うわっ……。

 何だこれ。

 汗とホコリが混じってかすかに酸っぱい。

 当然だ。

 普段から毎日風呂には入れなかった。

 体を拭くくらいで、しかもさっきまで魔法省の襲撃にあって逃げてきたばかりなんだ。

 今までは気づかなかったのか、こっちに来て急に気になったのもあるかもしれない。

 そのオレの一連の仕草をエリカとルナは見逃さなかった。

 2人は顔を見合わせて、察したようにくすりと笑う。

「ケント、お昼休みまで、まだ時間は十分あるよ」

 エリカが言った。

「そうだね。このまま院長先生に会うのは、ちょっと失礼かもしれない」

 ルナが続ける。

 2人の言いたいことはすぐに分かった。地球人としての衛生観念が、この状態を許さない。

「……風呂、入るか」

 オレがつぶやくと、2人は待ってましたとばかりにうなずいた。

「近くにスーパー銭湯がある」

 オレは常連だったのを思い出した。

「すーぱーせんとう?」

 レイナが不思議そうに首をかしげる。

 アンとトムも、初めて聞く言葉にきょとんとしていた。

「行けば分かる。とにかく、全員で行くぞ」

 こうしてオレたちの次の目的地は、病院ではなくスーパー銭湯に決まった。




 ■王国暦1047年11月13日(火)04:53:36=2025年9月7日 10:30:00 某スーパー銭湯

 自動ドアが開いた瞬間、レイナとアン、トムは目を丸くした。

 広々としたエントランスに清潔な下駄箱。

 そしてタッチパネル式の発券機……見るものすべてが物珍しい。

「すごい……お城みたい……」

 アンがぽつりとつぶやいた。

 受付で人数分の料金を払って、オレたちは男湯と女湯に分かれる。

「いいか、お湯の中で騒ぐなよ。体を洗ってから入るんだぞ。エリカ、ルナ、レイナとアンを頼む」

「オッケー」

「分かった」

 オレはアンに念を押し、マルクスとトムと一緒に脱衣所へ入った。

 広い浴場の扉を開けると、湯気がもうもうと立ち込めていた。

 洗い場で備え付けのボディソープの豊かな泡立ちに感慨深くなりながら、洗い流していく。

「あぁ〜……」

 湯船に入ると思わず声が出た。

 おっさんみたい、いや、おっさんなんだがな。

 手足を思い切り伸ばして、全身を熱い湯に沈める。

 骨の髄までじんと温かさが染み渡っていった。

 生き返るとは、まさにこの感覚だ。隣でマルクスとトムも、至福の表情で湯に浸かっている。

「親方、これ、最高ですね!」

「ああ。地球の、いや日本の風呂は世界一だ」

 露天風呂、ジェットバス、サウナ。

 近代的な温浴施設のフルコースを心ゆくまで堪能した。タイムリミットが日没までの現実を、ほんのひとときだけ忘れる。

 1時間後、休憩スペースで落ち合ったオレたちは全員がさっぱりしていた。

 肌はつやつやで、髪からはシャンプーの良い香りがする。

 レイナはもちろんだが、エリカもルナも、すっぴんでも美人だ。

 アンも、間違いなく美人になるだろう。

「よし、身も心も綺麗になったところで、作戦開始だ」

 オレはコーヒー牛乳を一気に飲み干して立ち上がった。

「改めて二手に分かれる。オレとエリカは病院へ。院長との交渉にあたる」

「分かった」

 エリカがうなずく。

「マルクス、ルナ、トム。3人は秋葉原とアメ横に向かって、物資の調達を頼む」

「了解した。必要なものはリストアップしてある」

 マルクスが自信ありげに言った。

「レイナとアンは……」

 どう考えても一緒に来たいビームをオレに送っている。

 見ず知らずの世界。

 マルクスたち3人も知り合いだが、やはりオレと一緒がいいんだろう。

 それでもオレは、2人にマルクスたちと一緒に行くように伝えた。

 病院での交渉は人数が少ない方が都合がいい。なにしろ昏睡しているはずの人が院長に会いに行くのだ。ただでさえレイナとアンは見た目が外国人だから目立つ。




 こうしてオレたちは、スーパー銭湯の前で2つのグループに分かれた。タイムリミットは刻一刻と迫っている。

「じゃあ、夕方に社宅で合流だ。くれぐれも気をつけて」

 オレはエリカをレガシィに乗せて病院へと向かった。

 さっぱりとした体と、これから始まる交渉への覚悟を胸に。




 次回予告 第20話 『目覚めた彼女の最初の仕事は、元カレへの「脅迫」でした』

 エリカたち3人が死亡ではなく昏睡だと知った健太たち一行は、病院へ向かう前にまずは服装を整える。銭湯で休息を取り、ついに二手に分かれて行動を開始する。

 病院での困難な交渉はどうなる? 健太とエリカが考えた最善の策とは?

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