王国暦1047年11月12日(月)19:00=2025年9月7日 05:15:01 <田中健太>
アポロ・ルミナスと名乗った青年が消え去った後、工房は静まり返った。
魔導士たちは悪態をつきながら退散して、オレたちだけが残っている。
オレは目の前で起きた出来事をすぐには理解できなかった。非現実的な光景が、思考を完全に停止させている。
マルクスも、エリカもルナも同じように見えた。
「……みんな、大丈夫か」
我に返ったオレは、まず仲間の安否を確認した。
「ああ、何とかな。脇腹をやられたが、多分……骨は折れていない」
マルクスが壁に寄りかかって、苦痛に顔を歪めながら答える。
それでもかなり苦しそうだ。
エリカが脇腹に手を当てて症状を見ている。その隣でルナが、顔をしかめて焼け焦げたローブの肩を押さえていた。
「私も、軽い火傷だけだから平気。それより……」
ルナは工房の中央にある、無残に破壊された活版印刷機の残骸を見ていた。
ドワーフの都でエイトリの協力を得て作り上げた精密な歯車は砕けて、丹念に鋳造した活字は床に散らばっている。
頑丈なはずの鉄のフレームはねじ曲がって原型を留めていない。オレたちの知識と技術、そして夢の結晶だったものが、今はただの鉄クズの山になっていた。
「ひどい……」
エリカが唇を噛みしめた。
修復が仮にできたとしても、あいつらは手を変え品を変えて、またやってくるに違いない。
国家権力が、オレたちの技術を明確な敵と認識したんだ。
アポロと呼ばれていた男のおかげで殺されずにすんだけど、そいつ自体も怪しい。
あいつはオレを『研究対象』と呼んだ。
何だ研究対象って?
ふざけんな!
あの男の力はマグナスたち魔導師とは比べものにならなかった。
人知を超えた力を持つ男が、オレたちに一体何を望むのか。
目的が分からないのが最大の恐怖だ。
魔法省とアポロの脅威。
2つを相手にして、安全な場所なんてどこにある?
オレ1人の問題じゃない。
レイナやアン、そしてトム。
ウソから始まった関係だけど、今は本当の家族だと思っている。
それにエリカやルナ、マルクスは、同じ境遇を分かち合うかけがえのない仲間じゃないか。
オレの存在が彼ら全員を危険にさらしている。このままじゃ、いずれ誰かが命を落とす。
助かる方法は1つしかない。
全部話して、この世界から一時的に離れる――。
「……みんな、一度オレの家に集まろう。話がある」
オレは固い決意を込めて言った。
「ケント……?」
マルクスが不思議そうな顔でオレを見る。
表情からただ事じゃない何かを感じ取ったのだろう。
「工房は親方に任せるしかない。今はここから離れるのが先決だ」
オレたちは工房を後にした。
負傷したマルクスとルナに肩を貸し、静まり返った夜道を自宅へと急ぐ。
冷たい夜風が火照った頭を少しだけ冷やしてくれたが、胸の中の熱は少しも冷めなかった。
自宅の扉を開けると、リビングから明るい声が聞こえてきた。
「あ、お父さん、お帰りなさい!」
アンが駆け寄ってくる。
後ろから心配そうな顔をしたレイナとトムが続いた。
「あなた、どうしたの? マルクスさんとルナさんまで……怪我をしているじゃない!」
レイナの声が震えた。
オレたちのただならぬ様子に彼女はすぐに気づいたようだ。
「工房で、少しトラブルがあってな。大したことはない。それより、みんなリビングに座ってくれ。エリカ、マルクスたちの手当てを頼む」
オレは努めて冷静に指示を出した。
ここで動揺すればみんなを不安にさせるだけだ。
エリカが手早く治療を始める。
オレはリビングで全員の顔を見渡した。
レイナとアンとトム。
そしてエリカ、ルナ、マルクス。
オレにとって最も大切な人たちがいる。
全員の不安と疑問の視線がオレに集中した。
どこから話すべきか……オレはゆっくりと言葉を選ぶ。
「みんなに、ずっと隠していたことがある」
一呼吸おいて、本題に入った。
「まず、オレの名前はケント・ターナーじゃない。本当の名前はケンタ・タナカ、田中健太だ」
レイナが息をのむ。
アンとトムは、意味が分からずにきょとんとしていた。
「オレは記憶喪失なんかじゃない。本当のケント・ターナーがどこに行ったのかも知らない。オレは……この世界の人間じゃないんだ」
「あなた……何を言っているの?」
天地がひっくり返る発言だ。
エリカたちは黙ってうなずいているけど、レイナたちの混乱は計り知れない。
「信じられないのは当然だ。でも聞いてほしい。オレはエリカやルナ、マルクスと同じで、地球という別の世界から来た人間なんだ」
アンとトムは相変わらずで、レイナはさらに混乱した。
オレは自分が52歳の機械工学者だったことや、自分の意思でこの世界に来たこと、ケント・ターナーと間違えられて偽りの生活を始めた経緯を、包み隠さず話した。
レイナの顔から血の気が引いていく。アンは不安そうにレイナの服の裾を握りしめた。
「待てケント、いや健太、お前……」
マルクスが言いかけたのをエリカが止めた。
オレは転移させられたのではなく、自分の意思で来ている。
これは転生者3人にも言ってなかった。
「じゃあ……お父さんは、本当のお父さんじゃないの……?」
アンが涙声でたずねるが、その言葉がナイフとなってオレの胸に突き刺さった。
「アン。血は繋がっていない。だけど、オレがお前を、レイナを、そしてトムを大切に思う気持ちにウソはない。お前たちはオレの家族だ」
必死に言葉を考えて話す。
オレの目を見てレイナが何かを考えていた。
「……あの時の、光」
レイナがぽつりとつぶやいた。
「野盗に襲われて、私が手術を受けたときの……不思議な光。あれも、あなたの世界の道具だったの?」
「そうだ。LEDライトという照明器具だ。あの状況で手術を成功させるにはどうしても必要だった」
オレの言葉にエリカが続く。
「レイナさん。ケント……健太が言ってるのは全部本当です。私たちも同じ世界から来ました。だから、この世界の常識じゃ考えられない知識や技術を持っているんです」
ルナも、痛みをこらえながら口を開いた。
「工房を襲ったのは魔法省の連中です。私たちの印刷技術が……彼らの権威を脅かすから。今日の襲撃ではっきりしました。このままここにいたら、私たちだけでなく、あなたたち家族も危険にさらされます」
すべての事実が、バラバラだったパズルのピースをつなぎ合わせていく。
これまでの不可解な出来事のすべてが、オレが異世界人である一点の事実に収まっていった。
レイナは唇を固く結び、何かを決心したように顔を上げた。
「分かったわ。あなたの言うことを信じます。あなたはウソをつく人じゃない。ずっと一緒に暮らしてきたから、それだけは分かる」
「レイナ! 分かってくれるか?」
「だってあなた……ふふふ。あなたはタナカケンタかもしれない。でも、間違いなく私の夫のケント・ターナーです。ほら、あなた考え事したり真剣なとき、いつも右手の人差し指で眉間をかいていたでしょ? ほら、今も」
「え? そうだったか?」
本当のケントもオレと同じクセだったのだろうか。
「ありがとう、レイナ。分かってくれて、本当に嬉しい」
心の底から感謝の言葉が出た。
「おい、健太」
マルクスがまだ納得いかない顔で口を挟む。
「今、自分の意思で来たって言ったか? オレたちは訳も分からず飛ばされたんだ。お前は、自分でここに来る方法を知っていたのか?」
「その話は後にして」
エリカが言葉を遮った。
「今は、どうやって逃げるかを決めるのが先決よ。健太の言うとおり、この家はもう安全じゃない」
「エリカの言うとおりだ。安全な場所へ移動してから全部話す。約束する」
オレはマルクスの目を真っ直ぐ見て言った。彼は少し不満そうだったが、こくりとうなずいた。
「それで、どうするの? 私たちはどこへ行けばいいの?」
レイナの問いに、オレは最大の秘密を打ち明けた。
「オレのいた世界へ一時的に逃げるんだ。この世界には、地球……つまりオレがいた世界だけど、そことつながるゲートがある」
「ゲート……?」
「ああ。そこを通ればオレのいた世界……2025年の日本へ行ける。そこなら魔法省の追手も届かない」
次回予告 第17話 『消えるゲート』
魔法省に工房を襲撃された後、健太は家族と仲間に自分が異世界人であると告白する。
危険を回避するために、彼は自身の故郷「地球」へ全員で避難することを決意。
レイナたち家族も彼を信じ、運命を共にすると決めた。
はたして健太たちは無事地球へ脱出できるのか? そこで待ち受ける新たな試練とは?

コメント