第8話 『ドワーフの都』

 王国暦1047年9月20日(金)10:00 = 2025年9月6日(土)20:21:16<田中健太>

「さて、今後の計画なんだけど」

 オレは馬車の乗り合いの組み合わせを翌日から変えた。

 野営するときは家族と一緒だが、昼間移動するときは前の馬車にリーナとセラを載せて、後ろの馬車にオレたち4人が乗る。

 言わば移動中の会議みたいにしたわけだ。

「新しい印刷機をつくるのはもちろんだけど、その先を考えなくちゃならない」

 正直、自分でも何でこうなったのか分からない。

 深入りする前にさっさと地球に帰りゃあ良かったんだ。

 この3人にしても、助けられたんじゃなくて、助けた。

 レイナやアンにしても、オレはケント・ターナーじゃなくて田中健太だ。

 命をかけて『何か』をやる必要なんてない。

 でも……何だろうな。危険と分かっていても、忘れられないドキドキ感やワクワク感。

 52歳じゃとても味わえないような感覚を、今オレは感じているんだ。

 それに、最初にゴブリンに遭遇したときにパニクったから、祠の場所が分からない。

 あの場所に戻らないと、祠に行けないんだ。

 つまり、祠の存在を3人に教えなきゃならない。

 じゃないと、今さら何だよ! ってなるだろう。

 まあいい、オレは腹を決めたんだ。

「うーん、まずは身の安全だろうな。オレたちはともかく、ケントは家族と一緒に護衛してもらった方がいい。王都に戻ったらすぐに王都警備隊に連絡して、それから職人ギルド連合にも連絡して守ってもらう」

 マルクスが現実論を言った。

 自分たちも危険な目にあっているのに、いいやつだ。

 さっきの前言撤回、ごめん。

「そうね」

「うん」

 エリカもルナも同意する。

「ありがとう。オレたちのことはそうするとして、みんなも気をつけろよ。……で、その後だよ。トイレだの風呂だの、生活改善して住みやすくするって言ったよな?」

 マルクスもエリカもルナも、うんうん、と聞いている。

「あれって、具体的には何だ? 最終的に何を目指すんだ? 渡した木くずは役に立ったか?」

「ケント……そういうのは女子に聞くもんじゃないよ」

「うん……」

 オレは渡すとき、『あーこれ、ばら撒けば臭い消えるよ』程度にしか言わなかった。あうんの呼吸ってやつで、2人とも黙って受け取ったはずだ。

 なのに?

 まあ、効果があったとしよう。

 オレん家では抜群だったからな。

「あとは風呂とか口臭対策とか、エリカはそれも言ってたよな」

 オレの質問にエリカは少し考えるそぶりを見せて、専門家の顔つきでうなずいた。

「うん。私が考えてるのは、まず公衆衛生っていう考え方を広めること。具体的には、上下水道の整備からね。安全な水がいつでも使えて、汚れた水をきちんと処理できるようになるだけで、この世界の病気は驚くほど減るはず。薬も大切だけど、そもそも病気にならない環境を作る方が、ずっと根本的な解決になると思わない?」

 口調は穏やかだけど、確かな意志を感じる。

「石鹸も歯磨き粉もその一環。この世界にもあるけど、まだ一部の富裕層が使う高級品でしょ。もっと安くて殺菌効果の高い石鹸を量産できれば、感染症は大きく減らせるはずよ。それに、簡単な歯磨きで虫歯や歯周病で苦しむ人をなくせる。健康って、日々の小さな習慣から作られるものだから」

「なるほどな……」

 オレが感心していると、それまで黙って聞いていたルナが、腕を組んでそっぽを向きながら口を開いた。

「……。石鹸も歯磨き粉も、理論上は難しくない。油脂とアルカリの鹸化反応だし、歯磨き粉だって適切な研磨剤と殺菌作用のある植物を配合すればいいだけ。あなたの知識があれば、もっと効率的な製造法も考えられるでしょうけど……まあ、それを形にするのが私の役目ね。試してみたい配合なら、いくつか頭の中にあるのは当然よ」

 ……おい?

 ツンデレ?

 いやこいつだけは良くわからん。

 妹系でもないしロリでもないし、かと言ってエリカみたいに大人の女性かっていうと、違う。

 うむむ……。

 控えめなツンデレ?

 素直じゃないが、その瞳は好奇心で輝いている。ルナの言葉に、マルクスが技術者の顔で食いついた。

「そっか、それを量産するなら専用の設備が必要になるな! あと、安定した品質の材料を確保する技術もだ。そのへんはオレの専門分野だから任せてくれ!」

 若者らしい熱意がほとばしっている。

 日用雑貨が安価に出回るようになったら環境は激変するよね。

 まあ、多分そのへんのギルドからの反発もあるだろうから、根回しはしないといけないけど。

「すごいな。みんな、そこまで考えていたのか」

 心からの言葉が漏れると、エリカが静かにオレを見つめた。

「でも、その全部を実現するためには、絶対に必要なものがあるの」

 彼女はオレの目をまっすぐに見て言った。

「情報よ。正しい知識を正確に、そして広く多くの人に伝える手段。石鹸の作り方や正しい手の洗い方に、歯の磨き方。その全部を普及させるための……」

「……印刷機、か」

 オレの言葉に、3人は同時にうなずいた。

 そうだ。

 オレが作ろうとしているものは、ただの機械じゃない。

 この世界を変えるって言えばおおげさだけど、実際そうなるだろう。

 だから狙われるんだ。

「……ねえ、いっそのこと……」

 エリカが言い出して止めた。

「何だ? どうした?」

「いっそのこと、王都から脱出してどっかに引っ越さない? ドワーフの都は極端だけど、そうすれば、ちょっとはあいつらから逃げられると思うんだけど」

「冗談だろエリカ!」

 マルクスだ。

「逃げるのか? せっかくこれから世界を変えようって時に、尻尾を巻いて逃げるなんてオレは嫌だぜ!」

「……殺されるかもしれなくても?」

 マルクスは一瞬言葉に詰まったが、すぐに顔を上げて決意の宿った目でエリカをまっすぐに見返す。

「そりゃ、死ぬのは怖いさ! 誰だってそうだろ! でも、何もしないで後悔しながら生きる方がオレはもっと怖い! ケントの技術とオレたちの知識があれば、本当に世界を変えられるんだ。その可能性を目の前にしてただ怖がってるだけなんて、死んでるのと同じだ!」

 おー。

 ヒーローだねえ。

 英雄だねえ。

 勇者様だねえ。

 ……えーっと、マルクスが勇者でオレが賢者? それからルナが攻撃・支援魔法で、エリカが回復魔法?

「……感情論ね。無駄死には、最も非合理的な選択よ」

 ルナが冷ややかに呟いた。

「でも、逃亡も悪手。私たちの目的は技術の普及。権力の中枢である王都を捨てて、辺境でこそこそやるなんて本末転倒。それに、どこへ行こうと、魔法省の監視網から完全に逃れるのは不可能に近い。私たちが選ぶべきは、逃げることでも死ぬことでもなく、勝つための最善策を講じること」

 うーん、やっぱりツンデレなのか?

 いや、まだデレを見てない。

 マルクスの熱意とルナの冷静な分析。どっちも間違いじゃない。

 でも、オレ的にはNO! だ。

 なぜなら祠から離れるから。

 今ですら王都から2~3キロは離れているんだ。

 これ以上離れたらまずい。

「みんなの言う通りだ」

 オレは、3人の顔を順に見ながら言った。

「エリカ、心配してくれてありがとう。その気持ちはすごく嬉しい。でも、オレは行けない。王都には、レイナとアンがいるからな」

 そうだ。

 あの2人を置いていくなんて、考えられない。

「あいつらの脅しに屈して隠れて暮らすなんて、2人には見せられないだろ。胸を張って生きていけるようにしてやりたいんだよ。そのためには、ここで戦うしかない」

 オレがそう言うと、エリカは少し驚いたように目を見開いて、ふっと微笑んだ。

「……そうね。ごめんなさい。私が間違ってた」

 こんなやり取りを毎日続けた。

 今後の計画や何を開発して何からやるかってね。

 ■王国暦1047年9月26日(土)10:00 = 2025年9月6日(土)21:21:16

「おーい、見えてきたぞ! イワオカだ!」

 ガルドの大きな声が前方から聞こえてきた。

 オレたちは一斉に窓の外に顔を出した。

 目の前に巨大な岩山がそびえ立っている。

 その山肌をくり抜いて作られた巨大な門が、オレたちを威圧するように口を開けていた。

 門の両脇には、巨大な斧を担いだドワーフの石像が仁王立ちしている。

 何じゃこりゃあ!

「すげえ……」

 マルクスが感嘆の声を漏らす。

 馬車が門をくぐると、中は別世界だった。

 次回予告 第9話 『エイトリとミスリルとオリハルコン』

 印刷機の部品の製造を頼むために、ドワーフ州の州都であるイワオカへ移動するケントたち一行だったが、道中で今後の作戦を練る。

 公衆衛生の改善や計画を練る中で、エリカは危険回避のために引っ越しを提案する。

 一理あるがマルクスは反対し、ルナはいかに守っていかに勝つかを考えるべきだと主張。

 ケントとしても、引っ越してしまってはゲートから離れてしまう事実と、家族を守らなくてはとの責任感から、王都にとどまることを決心する。

 一行は結束を新たに、目的地ドワーフの都へ到着した。

 次回、偏屈なエンリルを説得できるか? ファンタジー世界定番の金属発見と、一行を付け回す怪しい影が……。

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