王国暦1047年9月10日(木)18:00 = 2025年9月6日(土)18:44:36<田中健太>
「いや、いや、いやあああああ! ぜーったい嫌あー! アンも一緒に行く!」
アンが泣きながらオレに抱きついて両手でグーでバンバンたたく。
10歳といえば小学校4年生だ。
オレの地球の息子はもちろん、娘ですら10歳のときにはそんなことはなかった。
単身赴任のときだ。
オレが(ケント)がいなかった3か月が本当に寂しかったんだろうな。
わんわん泣いている。
親としては嬉しくもあり、何とも言えない複雑な気持ちだ。
一緒にいるマルクスやエリカ、ルナもいたたまれない感じでいる。
オレは深呼吸をして、アンの頭を優しくなでた。
「アン、落ち着いて。お父さんの話を聞いて」
アンは涙でぐしゃぐしゃになった顔をオレの胸に押し付けながら、まだ小さくしゃくり上げている。
「ドワーフ州は遠いんだ。往復で1か月はかかる。アンには勉強もあるし——」
「勉強なんてどうでもいい! お父さんと一緒がいい!」
アンが再び激しく首を振った。
10歳とはいえ、3か月間の別れがどれほど辛かったかが痛いほど伝わってくる。
部屋の隅で、レイナも不安そうな表情を浮かべている。
彼女もまた、オレが再び消えてしまうことを恐れているのだろう。
マルクスが困ったような顔で口を開いた。
「健……ト、アンちゃんの気持ちも分からなくはないが——」
「でも現実的に考えて、10歳の子供を連れて1か月の旅は危険すぎると思う」
エリカが冷静に指摘して続ける。
「それに、ドワーフ州は人間の子供には過酷な環境……。高地で空気も薄いし、気候も厳しい」
「鍛冶の音も一日中響いているし、子供が過ごすには適さない場所だと聞いています」
ルナも心配そうに付け加えた。
オレはアンを膝の上に座らせ、その小さな肩を抱く。
レイナも近づいてきて、オレの袖をそっと握った。
「アン、みんなの言う通りなんだ。ドワーフ州は——」
「 嫌! 絶対嫌! お父さんがいなくなったら、また——」
アンの声が震えている。
また消えてしまうかもしれない。
そんな恐怖が彼女を支配しているのが分かった。レイナは黙ってアンの頭をなでている。
オレは胸が締め付けられる思いで、アンの涙を拭いてやった。
「分かった。じゃあ、こうしよう」
全員がオレを見つめる。
「アンもレイナも一緒に行こう。ただし、条件がある」
「ケント!」
エリカが驚いて声を上げたが、オレは手を上げて制した。
「聞いてくれ。確かに危険はある。でも、この子たちを一人で置いていく方が、もっと辛い」
アンとレイナが顔を上げ、希望に満ちた目でオレを見つめる。
「本当? 本当にお父さんと一緒に行ける?」
「ああ。でも約束してくれ。旅の間は絶対にオレの言うことを聞く。危険なときは素直に隠れる。そして——」
オレは深呼吸をして、アンの目をしっかりと見つめた。
「絶対に無茶をしない。約束できるか?」
「約束する!」
アンが勢いよくうなずき、レイナも小さく『はい』と答えた。
マルクスが心配そうに口を開いた。
「健太、本当に大丈夫なのか? ドワーフ州は——」
「分かってる。でも、この子と妻をまた1人にするくらいなら、一緒に危険を乗り越える方がいい」
オレはアンの頭をなでながら続けた。
「それに、みんながいてくれるなら心強い。マルクス、エリカ、ルナ——もしよろしければ、一緒に来てもらえないか?」
3人が3人とも驚いた顔をする。
「何言ってんだ! 当たり前じゃないか! なあ?」
「そうよ、それに面白そうだし!」
「うん、私も」
みんなまるで、何を分かりきったことを聞くんだ、とでも言いたげだ。
オレは胸が熱くなった。
みんな、オレたち家族のことを本当に大切に思ってくれている。
「ありがとう、みんな。本当に——」
「お父さん!」
アンがオレに飛び込んできた。今度は嬉し涙だ。
「みんなで冒険だね!」
レイナも安堵の表情を浮かべ、オレの腕にそっと寄り添った。
「あなた、私も一緒に行けて嬉しい」
彼女の声は小さかったが、もう絶対に離れない、そんな決意が込められているように見えた。
マルクスが手をたたく。
「よし、そうと決まれば前祝いだ! 明日は冒険者ギルドに行って護衛の手配と、食糧やなんだと忙しくなるぞ。ドワーフ州までは馬車でだいたい2週間だ。それに——」
「馬車の手配もしないといけないね」
「ああ。出発は明後日の早朝がいいだろう。魔法省が何やら嗅ぎ回っているみたいだからな」
「まじで! ?」
マルクスの言葉に耳を疑った。
何で魔法省が?
もしかしてこの印刷機の件か……?
急にきな臭いぞ。
「賛成」
エリカがうなずく。
「それじゃ私は護身用の装備と……薬を準備するね」
「俺は馬車と御者の手配をしよう。信頼できる奴を知ってる」
マルクスが引き受けてくれた。
「私も薬草と錬金術の道具を……まとめます。旅先で何があるか分かりませんから」
ルナも準備に取りかかる意欲を見せた。
アンが興奮して手を上げる。
「アンは何をすればいい?」
「アンは——」
オレは少し考えてから言った。
「お母さんと一緒に旅に必要な服や身の回りのものを準備してくれ。保存の利く食料も選んでもらえるかな」
「分かった! 頑張る!」
レイナも微笑んで頷いた。
「私も手伝うね」
夕日が部屋を橙色に染める中、新たな冒険への第一歩が踏み出された。
■翌日王国暦1047年9月11日(金)09:00 = 2025年9月6日(土)18:50:51 冒険者ギルド
「はい、ではドワーフ州の州都イワオカまでの6名の護衛の往復ですね。多めに見て移動期間は32日で計算しています。目的地での滞在費用(食費等)は別途で、早めに帰ってくれば移動護衛日数が減った場合、その分は返金されます。相場はこうなってますが、どうなさいますか?」
冒険者ギルドに登録しているマルクスが案内してくれた。
マルクスもCランクの冒険者なんだが、それは置いといて検討する。
Fランク見習いパーティー(隊長・攻撃支援魔法・回復魔法で3人)
2.5ルミナ(約18.7万円)
Eランク新人パーティー(同上)
3.5ルミナ(約26.2万円)
Dランク標準パーティー(同上)
4.9ルミナ(約36.7万円)
Cランク一人前パーティー(同上)
7.4ルミナ(約55.4万円)
Bランクベテランパーティー(同上)
12.3ルミナ(約92.1万円)
Aランク実力者パーティー(同上)
19.7ルミナ(約147.5万円)
Sランク伝説級パーティー(同上)
34.6ルミナ(約259.1万円)
「一応比較材料としてE~Fランクも載せてますけど、ギルドとしては許可していません。最低でDランク、でもドワーフ州となると街道の警備はほとんどされていませんから、Bランクをおすすめします」
安っ!
Sランクでも1人あたり月収80万?
いや、これ高いのか安いのか……。
オレの日当が3シールだからな。
「マルクス、どう思う?」
「うーん、まあ、オレがいるからDでもいいと思うが……ただレイナさんやアンちゃんのこと考えたら、Bランクだろうな」
「分かった! そうする」
「早っ! 即決かよ」
「幸いにして貯金があるからな。安全第一だ」
オレは迷わずBランクを選んだ。
受付の女性が書類を準備してくれる。
「それでは、Bランクベテランパーティーの『鋼鉄の盾』をご紹介いたします。隊長のガルドさんは元王国騎士団の方で、攻撃魔法のリーナさん、回復魔法のセラさんという3人パーティーです」
「元騎士団?」
「はい。10年間騎士団で活動された後、冒険者に転身されました。ドワーフ州への護衛経験も豊富で、評判も上々です」
マルクスがうなずく。
「『鋼鉄の盾』なら知ってる。堅実で信頼できるパーティーだ」
「それじゃあお願いします」
オレは契約書にサインをした。
12.3ルミナは 確かに大金だが、家族の安全には代えられない。
「出発は明日の早朝を予定しています。集合場所は王都南門、時刻は夜明けと共にということでよろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
手続きを終えて、ギルドを出た。
■魔法省魔導院
「報告します!」
「何だ?」
「ケント・ターナーがドワーフの州都、イワオカに向かうようです」
「何? 1人でか?」
「いえ、どうやら妻と娘。それから金属加工ギルドのマルクス、この男はCランク冒険者でもあるんですが、そいつと錬金術師のルナ。それと治癒師のエリカが一緒のようです」
「何? 何でそいつらが一緒にいるのだ? 失踪前はそんな名前は聞いた事がなかったではないか」
「そうです。失踪前にはそんな人間関係は確認されていませんでした」
「……3か月の間に何があったのだ?」
魔法省の上級官僚、ヴィクター・グレイモアは眉をひそめた。
「それと、印刷機の件はどうなっている?」
「はい。各ギルドに圧力をかけるまでもなく、出来るわけがないとつっぱねられたようです」
「当然だ、できるはずがない」
「しかし——」
「しかし? ……何だ」」
「ドワーフ州には我々の影響力が及びません。特にイワオカの鍛冶師たちは、王国の法律よりもドワーフの掟を優先します」
グレイモアの表情が険しくなった。
「ふん、まあ良い。監視を続けるのだ。……分かっておるな?」
「もちろんです」
部下は不敵な笑みを浮かべて部屋を出て行った。
次回予告 第6話 『旅立ちの朝』
アンのどうしてもとの願いで、健太は家族全員でのドワーフ州への旅を決断。
マルクス、エリカ、ルナも同行を申し出て、全員での冒険が始まる。
冒険者ギルドでBランクの護衛パーティー『鋼鉄の盾』を雇い、出発準備を整える。
一方、魔法省は健太の動向を監視し、印刷技術の拡散阻止に向けて不穏な動きを見せる。
家族の絆と仲間との結束を深めながら、新たな旅路への第一歩を踏み出した。
次回、魔物や野盗の跋扈するドワーフ州へ向かう一行だが……。


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