西暦257年6月2日 弥馬壱国 都
「『資源の道』を、オレたちの手で造る」
修一が地図の上に引いた力強い線は、希望の光ではなく、むしろあまりに遠い理想の象徴に見えた。工房に集まった誰もが、その言葉の持つ途方もない重さに息をのむ。
「道、ですか……」
地質学者の佐伯が、乾いた唇をなめてつぶやいた。
「しかし中村先生、我々が経験したとおり、この時代の原生林と山々を切り拓いて道を作るのは無理ですよ。現代の重機があっても数年はかかる事業です。人力じゃ一体何十年かかるか分かりませんよ」
「それに、狗奴国が黙って見ているはずがありません」
SPROの近藤が厳しい表情で指摘を続ける。
「大規模な土木工事など始めれば、格好の的です。完成する前に、必ずや妨害工作部隊を送り込んでくるでしょう」
佐伯と近藤の言葉は、冷徹な事実だった。
陸路の建設は時間と労働力、そして安全保障の面であまりにも非現実的である。
せっかく見えたはずの活路は、議論が深まるほどに険しい壁となって目の前に立ちはだかったのだ。
工房は再び重苦しい沈黙に包まれる。
陸の道が駄目ならば、水の道を使えばよいのではないか」
沈黙を破ったのは、皆の顔を静かに見つめていた壱与である。
キリッと澄んだ声に全員の視線が集中した。
「水の道……?」
修一が問い返すと、壱与は地図の一点を指さした。博多湾と有明海に挟まれた筑紫の平野部である。
「古き言い伝えにあります。かつて、この国には人の手で開かれ、2つの海を結ぶ長大な『川の道』があったと」
壱与は、巫女たちに代々受け継がれてきた古い伝承を語り始めた。
「その道は大陸から渡ってきた賢人たちが、我らの祖先に治水の技を授け、共に築いたとされています。水門で流れを巧みに操り、季節を問わず多くの船が行き交う国の礎となる道だったとか……。ですが長い時がたち、その大いなる技は失われました。水門は朽ちて水路は土砂に埋もれ、荒れ果ててしまったのです」
壱与はそこで一度話を止め、少し声を潜めて続けた。
「今は広大な湿地が広がるばかり。大潮や長雨の折には、行き場を失った水がかつての道の跡に沿ってあふれ出します。それはもはや船が通る『道』ではありません。全てをなぎ倒し、家や畑を飲み込む抑えきれぬただの濁流です。人々はそれを『龍の通り道』と呼び、祟りとして恐れて決して近づきません」
壱与の言葉を借りれば、川はすでに恵みをもたらすどころか災害になっている。その昔繁栄していた姿は、もはやおとぎ話なのだ。
壱与の話に、佐伯が真っ当な疑問を投げかける。
「しかし壱与様、それが現在では制御不能な洪水を引き起こすのであれば、それを再び水路として改修するなんて……。陸路を開く以上に途方もない治水事業になるのでは?」
その疑問に工房にいる誰もがうなずくが、修一は地図を指しながらその疑問に答える。
「佐伯さんの言うとおりだ。これを完璧な運河に戻そうと思ったら、何十年あっても足りない。でもオレたちの目的は違う。次の大潮の日に船団を通過させればいい。それが出来たら定期的に運べる」
電気は文明人として必要不可欠であり、石炭は製鉄以外にも重要な資源となる。
現在、21世紀から持ち込んだ可搬式の発電機を使って水力・風力・太陽光発電を行っているが、発電量は1,036kWh/日だ。
修一たちとSPROのメンバーを含めた150名の生活・研究・防衛・通信をまかなえる規模ではあるが、天候だけは自由にならない。
安定的な電力供給にはどうしても石炭による火力発電が必要である。
修一は地図上の、博多湾と有明海をつなぐ最短距離の湿地帯に線を引いた。
「壱与の話が正しければ、大潮の時には自然の力で、この一帯に大量の水が流れ込む。オレたちは川を掘る必要はないんだ。水は勝手に来てくれる。オレたちの仕事は、その水の通り道にある『栓』を抜くことだ」
「栓……ですか?」
佐伯はきょとんとしながらも、自らの知識と修一の言葉をすり合わせている。
「はい。おそらく、かつての水門の残骸や、特にひどく土砂が堆積した場所が数か所あるはずです」
修一はそこがボトルネックになって、水が滞り、あふれて濁流になっていると言うのだ。
致命的な数か所を特定し、そこだけに集中して取り除く。
全区間を整備するのではなく、座礁する可能性のある最も浅い場所だけを掘り、障害物を破壊する。
それなら、次の大潮までの約2か月でやれる可能性がある。
これが修一の考えであった。
「なるほど……それなら十分に可能性はありますね」
地質学者である佐伯と考古学者の修一の言葉が、絶望的な土木事業のイメージを『外科手術的な精密作業』へと変えていく。やるべきことが、より明確で現実的な目標として見え始めたのだ。
炭を手に取り、壮大な輸送ルートを描き出す。
「筑豊の炭田で採掘した石炭を、まず遠賀川で下って博多湾に出る。そこから南下し、この『二日市水道』を抜けて有明海へ向かうんだ。それから川を遡ってこの都の近くまで運ぶ」
八方塞がりの状況に、一条の光が差し込んだ。だが、その光明も束の間、新たな2つの巨大な壁が浮かび上がる。
「いい計画だけど、問題が……」
と口を開いたのは、物資の管理を担当する比古那だった。
「せんせ、大量の石炭を運べる大きな川船がないよ。それに『二日市水道』のどこが『栓』になっているのか、今のオレたちには全く分からない」
船もなく道も不確かでは話にならない。
せっかく見えた希望が再び暗礁に乗り上げようとしていた。
「ならば、造るのです」
その場を支配する空気を、壱与の決然とした声が切り裂いた。彼女は玉座からすっくと立ち上がると、居並ぶ全員を強い瞳で見据える。
「船がないのならば、今から造ればよい。道が不確かならば調べ、探せば良い。座して滅びを待つなどできません」
壱与の宣言に、誰もが息をのんだ。
おお!
さすが壱与だ。
女王言葉もいつもの素振りも、そのギャップがより格好良く見せる。
修一はそんな壱与を見つめていた。
「弥馬壱国の女王、壱与の名において、国家総動員令を発令します! 国中の船大工、木工、鍛冶の職人を博多湾岸に集めなさい! この国の命運を賭けた計画を、2つに分けて同時に進めます!」
全員が壱与に視線を集中させている。
「まずは【二日市水道の調査と改修計画】です。この計画の総責任者は、全体の指揮を執り、古の知識にも通じる中村修一、そなたに命じたい。やってくれますか?」
「……はい!」
修一はその重責に身が引き締まるのを感じながら、力強く答えた。
俗な言い方をすれば壱与にいい格好をしたい。
それでも、責任感が上回っていた。
次に壱与は槍太に向き直る。
「もう1つは、【川船の量産と緊急輸送計画】。船を造り石炭を運ぶこの計画の要は、造船の知識と新たな技術を持つ、槍太、そなたに一任する」
「え……オレが、ですか! ?」
突然の大役に、槍太は目を丸くした。
壱与は弥馬壱国の女王であって、修一たちの主君ではない。
しかし運命共同体である。
壱与の真っすぐな視線を受けて、隣に立つ修一の覚悟に満ちた横顔を見た。
槍太はごくりと唾を飲み込む。
自分にできるのか。いや、やるしかない。
「……わかりました。やらせてください!」
固い決意を込めて深く頭を下げた。
ここに、弥馬壱国の未来を左右する2つの国家プロジェクトが、同時に産声を上げたのである。
1つは、失われた古代の水路を復活させる調査計画。
もう1つは、石炭輸送のために、新たな船を量産する建造計画。
狗奴国の脅威が迫る中、彼らに残された時間はあまりにも少ない。
国の存亡を賭けた、時間との壮絶な戦いが、今、始まろうとしていた。
次回予告 第57話 (仮)『国家総動員令』

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