1986年5月26日(月) AM8:00 <風間悠真>
いやあ、昨日の図書館での勉強会は完全に失敗だったな。
予想はしていたが、収拾がつかん。
紳士協定(いや淑女協定、いや少女協定か?)で私一人だけが悠真の女、という行動は暗黙の了解でNGだったんだが、みんながやれば何も問題がないっていう事実が判明した。
要するに、わかったうえでのマウントの取り合いなんだよな。
月曜は美咲と登校の日。
自宅の前で待っていたら美咲が出てきた。
「おはよー」
「あ、悠真おはよー」
美咲はパタパタと駆け寄ってくると、当然のように悠真の横にきて腕を組んできた。柔らかい感触と、シャンプーの甘い香りがふわりと鼻をかすめる。
この距離感が、月曜日のルーティンだった。
ふにゃん。
女の子の体はどこだって柔らかい。
「昨日は大変だったな」
歩きながら俺が切り出すと、美咲は少しだけ頬を膨らませた。
「だって、しょうがないじゃない。凪咲だけじゃなくて礼子や純美まで悠真にベタベタするんだもん。私だけ何もしないわけにはいかないよ」
うん、いや。
最初にやったのお前だけどな。
悠真はそう思ったが、絶対に口にはださない。
「あー、まあ、そうだねえ」
反論、アドバイス、意見。
そんなものは女は求めていないのだ。
共感してほしいだけ。(極論!)
誰か一人が抜け駆けするのは協定違反だが、全員で一斉にアプローチするのは違反にならない。そんな新しいルールが、いつの間にかできあがっていたのだ。
悠真を中心とした競争は、確実に次の段階に進んでいる。
「まあ、気持ちは分かるけど、場所を考えてよ。図書館員に2回も怒られたじゃん」
悠真は苦笑いだ。
「うん……それはごめんなさい。でも、悠真が優しく教えてくれるのが悪いんだよ」
何が?
悠真はそう思ったが、責任転嫁はしても腕に絡む美咲の力はさらに強くなる。これが美咲なりの甘え方であり、独占欲の表現なのだろう。
「それよりさ、気づいた?」
美咲が不意に真面目なトーンで尋ねる。
「ん? 何が?」
「蓮くんの彼女と湊くんの彼女。えっと、和子ちゃんと麻衣子ちゃん? あの2人、昨日ずっと私たちのこと見てた」
やはり美咲も気づいていたか。
女の観察眼は鋭い。
特に悠真が絡むことに関しては、センサーの感度が異常に高くなるようだ。
同じ小学校じゃないので、美咲と凪咲と純美は南小出身の和子と麻衣子のことはあまり知らない。
「ああ、見てたな。何か気になることでもあったのか?」
悠真は知らないふりをして尋ねた。
「気になるっていうか……。なんて言うんだろう。値踏みするような、探るような視線? 私たちの関係が普通じゃないって、勘付いてるんだと思う」
美咲は明らかに怪しんでいる。自分たちが築き上げてきた特別な聖域に、土足で踏み込まれるのを嫌うような響きがあったのだ。
「普通じゃないのは事実だろ」
「そうだけど! それって私たちと悠真だけの問題じゃない? 無関係な人に口出しされたり、変に勘ぐられたりするの嫌なんだけど」
悠真にもその気持ちは理解できる。(いや、できるのか? できているのか?)
このハーレム体制は絶妙なバランスの上で成り立っているからだ。外部からの余計な刺激は均衡を崩す要因になりかねない。特に、和子や麻衣子のような洞察力の鋭い人間は厄介な存在だった。
「ほっとけばいいじゃん。俺たちがどんな関係だろうと、あいつらには関係ないだろ」
悠真がそう言うと、美咲は少しだけ安心したように息をついた。
「うん、そうだよね。悠真がそう言うなら安心した」
そうは言ったものの、悠真の内心は穏やかではなかった。
和子と麻衣子の探求心は簡単には収まらないだろう。
恋愛に興味津々で、2月に付き合い始めて3か月。付き合うってどういうこと? 何がどう違うの? そんな素朴な疑問から、あれしたいこれしたいと想像が膨らむ年代だ。
ある意味大人の世界(実際悠真の中身は大人だが)の雰囲気を持つ悠真の存在が、未知の世界に映るのは当然だろう。
彼女たちの「調査」が、蓮や湊との関係に影響を及ぼし始めていることにも、俺は気づいていた。友人たちの恋愛にまで悪影響を与えるのは本意ではない。どこかで対処する必要があるかもしれない。
まあいいや、知ったこっちゃない。
オレはそこまで余裕はないんだよ。
そんなことを考えているうちに、中学校の校門が見えてきた。
「あ、もう着いちゃう! そうだ悠真。今日、うちにこない? 数学教えてほしいんだ。パパは仕事で遅くなるし、ママも出かけてるから晩ごはん温めて食べなさいっていってたから……」
「え? ……ああ、うん。いいよ」
「ほんと? やった!」
美咲は満面の笑みで小さく飛び跳ねた。
腕に絡む力がさらに強まり、体が完全に密着する。その喜びようは、単に数学を教えてもらえることへの期待だけではない。両親が不在の自宅に2人きり。
そのシチュエーションが何を意味するのか、お互いに理解していた。
手コキの段階にある美咲が、さらにその先を求めてくる可能性は高い。
51脳は冷静に状況を分析し、リスクとリターンを|天秤《てんびん》にかける。
いや、天秤にかけるまでもない。13歳の肉体は、単純な欲求に忠実だった。
「じゃあ、また後でね」
そう言って美咲は少しだけ先を歩いて校門をくぐる。悠真も少し間を置いてから、後を追った。
週明けの教室は、中間テスト2日前ってだけで浮足立っている。
悠真が教室に入ると、先に席についていた凪咲がすっと視線を向けてきた。
その視線は悠真を通り越して美咲の背中に注がれている。美咲が自分の席に着き、勝ち誇ったような笑みを凪咲に向けたのを、俺は見逃さなかった。
凪咲は表情を変えずに受け流したが、明らかに静かなるバトルモードがスタートしている。
女同士の探り合いは、朝の挨拶よりも先に始まっていた。
教室の後ろの席では和子と麻衣子がひそひそと話をしていた。
悠真と美咲が別々に入ってきたにもかかわらず、2人の視線は何かを確認し合っている。昨日の図書館での一件以来、彼女たちの観察はよりしつこくなっていた。
「おはよう、悠真」
凪咲が席を立って悠真の席に向かう。
「ああ、おはよう」
「今朝は月曜日だもんね。美咲と一緒かあ。何か楽しそうだったね?」
言葉にトゲはないが、明らかに探りを入れている。
「そうか? いつもと変わらんよ」
悠真が短く答えると、凪咲は小さく微笑んだ。
「ふぅーん。ところでさ、今日の放課後なんだけど、数学で分からないところがあるんだ。ちょっとだけ時間もらえる?」
まじかよ。
美咲が抜け駆けしたと判断して、すぐに自分も同じ権利を主張する。
この反応の速さが凪咲の美咲とのツートップたる所以だろう。(文学的表現!)
「悪い、今日はちょっと都合が悪いんだよな」
「へえ、何で?」
オレは束縛女が嫌いだ。
人によりけりだろうが、かまってちゃんでもないからな。
いちいちどこで何をやっているかなんて言いたくないし、聞かれたくもない。
でもさすが凪咲はフットワークが軽い。
「あ、ごめんごめん。しょうがないよね。じゃあ、明日はいい?」
「明日? いいよ」
とりあえず明日はOKという約束をとる。
火曜日は悠真は凪咲と登校だから、学校で話せない会話もゆっくりできるからそのときに話せばいい。
そう判断したんだろう。
「ありがとう。楽しみにしてるね」
凪咲は満足そうにうなずき、自分の席に戻っていった。
これで火曜日も予定が埋まったことになる。
さて、今日と明日。
テストは水木だから勉強はこれで終わり。
他の4人とはデートで埋め合わせをしよう。
確か……菜々子と絵美の予定を余分にいれないといけない。
悠真の頭はテストよりもそっちがウェイトをしめていた。
次回予告 第88話 (仮)『更新される関係レベル』

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