1986年(昭和61年)5月3日(土)~5日(月)
連休前の金曜の朝、職員室は異様な雰囲気に包まれていた。
重苦しい空気が漂い、普段は賑やかな声が飛び交う給湯室からも、ひそひそと話す声しか聞こえてこない。
職員朝礼で、剣道部顧問の中尾先生が、顔を真っ赤にして報告を始めたからだ。
「……以上のような次第で、主将である川口以下、剣道部から3名、バレー部から3名の退部希望者が出ました!」
「え? バレー部? そんな話は知りません! 初耳です」
男子バレー部顧問の井口は寝耳に水だ。
中尾の報告を聞きながら、明らかに動揺した様子で立ち上がった。短髪の頭を掻きむしる仕草は、彼の混乱を物語っている。
「いや、それがですね、川口たちがたむろしているところに、比良山くんと山内くんもいたんですよ。私としては教師なので全員に指導する立場ですが、剣道部の顧問として川口に厳しい指導をしたわけです。しかし、その川口の発言の後に続くように、バレー部の彼らも辞めると言い出して……」
中尾は額の汗を拭いながら説明を続けた。
声はさらに上ずっている。
職員室内のざわめきがさらに大きくなった。
各部活の顧問たちが、自分の部にも同様の動きがないか、不安げな表情で互いの顔を見合わせたのだ。
幸い、剣道部と男子バレー部以外には、同様の報告は入っていない。 校長が立ち上がり、両手を広げて静粛を求めた。
「皆さん、落ち着いてください。まずは状況を整理しましょう」
白髪交じりの髪に、堂々とした風格を漂わせる校長の声に、室内は徐々に静かになっていった。
「中尾先生、川口君たちは具体的に何に不満を持っているのですか?」
校長の質問に、中尾は眉間にしわを寄せながら答えた。
「連休中の練習に対する不満です。でも校長、これまでも同じ練習メニュー、同じスケジュールでやってきたんです。急に『やめる』なんて言い出して…責任感のかけらもない。主将なのに」
悔しさと怒りを滲ませる中尾の声に、数人の教師がうなずいた。しかし、悠真の担任である女性教師・山口美佐子は、違った意見を持っているようだ。
「でも、生徒たちにも意見があるのではないでしょうか? 彼らの話も聞いてみるべきでは?」
その言葉に、中尾は苦々しい表情を浮かべる。
「山口先生、あなたにはわからないでしょうが、部活動というのは厳しさがあってこそ。甘やかしては育ちません」
山口は引かなかった。
「お言葉ですが中尾先生、私も軽音楽部の顧問です。部員は3人、それからとマネージャーが1人ですが、私はマネジメントはしますが、厳しくしなくても自発的に練習しています。それに厳しさと理不尽は違います。休日も朝7時からの練習で、彼らの自由時間はどれだけあるのでしょう?」
議論は白熱し、教師陣の間でも意見が割れ始めた。
「(まったく、これだから女は……)」
「何ですか? 中尾先生」
「いや、何でも。でもねえ、山口先生。あなた、顧問っていっても、軽音楽部なんて部活動、聞いたことありませんよ。去年の職員会議では賛成はしましたが、中体連もないでしょう? 実績なんて出しようがないじゃありませんか、郡の中体連でも上位の常連の剣道部と比べないでいただきたい」
「なっ!」
白熱した議論が続く。
その頃、悠真の教室ではこの『反乱』の噂でもちきりだった。
「マジで? 川口先輩たちが退部?」
「剣道部だけじゃなくてバレー部も?」
「しかも主将と副主将が?」
教室内は騒然としていた。この出来事は瞬く間に学校中に広がっていたのだ。
悠真は窓辺に立ち、裏庭を見つめている。
コンクリートで舗装された通路の脇には花壇があり、庭の土の部分は除草剤がまかれて、きれいに茶色の地面が露わになっていた。
どーでもいい。
川口も山内も比良山も。
ついでに修一や勇輝、正人も、どーでもいい。
あいつらの人生なんて、『ま』『じ』『で』どうでもいい。
勝手にやってくれ。
「どうするつもりなんだろ、あいつら」
祐介が悠真の隣に立ち、同じく校庭を見下ろしながら呟いた。
「さあね。でも、あいつらはどーでもいいけど、何かが変わるきっかけになるかもしれないな」
悠真が答えると、祐介は首を傾げた。
「変わるって、何が?」
「部活のあり方。去年オレは軽音つくるときに職員室で抗議したけど、そもそも強制的に参加させる必要あるのか? 好きなことを自由にやればいいんじゃないか? なんでやりたくないもの、無理矢理やらせんだ? 意味あんのか」
意味は、あるのかもしれない。
実際、社会にでれば、やりたいことをやって金を稼ぐなんて並大抵じゃない。
ほとんどが夢破れて妥協して生きていくんだ。
51脳搭載の悠真の頭は極めて冷静だが、13脳が反発しているのだろう。
「お前、そんなこと考えてたのか」
祐介の驚いた声に、悠真は少し照れたように微笑んだ。
「最近考え方が変わってきたんだよ」
変わってきた、というより、2つの脳がしょっちゅうケンカして混乱するのだ。
そこへ、美咲と凪咲が駆け寄ってきた。
「悠真、大変!」
「どうしたの?」
「女子バレー部の高橋先輩も退部するって言ったんだって!」
「えええ! ?」
美咲の言葉に、悠真は目を丸くした。
高橋明日香は女子バレー部の現キャプテンで、3年生。成績優秀、運動神経抜群の才女である。
卒業した山本由美子(セックスの一歩手前まで経験)とはまた違ったクールビューティーだ。
悠真はいったん自分のハーレム入りを画策したが、リスクとリワードを考えて中止している。
その彼女が退部を言い出すというのは、想像以上に事態が深刻化していることを示していた。
「高橋先輩まで? なんで?」
凪咲が答える。
「練習がきつすぎるから、勉強との両立が難しいって。テスト前も休みがないから勉強できないって、顧問に訴えたんだって。バレーは好きだけど、先輩、進学校目指しているから」
美咲も続けた。
「私たちも毎日疲れてるし、正直、こんなんじゃ勉強も恋愛も何もできないよ…」
途中で言葉を止め、赤くなる美咲。彼女の言いたかったことを察し、悠真も思わずドキッとする。多分、耳は真っ赤だろう。
(恋愛って……俺のことか?)
51脳がニヤリと笑った。しかし13脳はむしろ素直に喜びを感じている。
股間が、暑い。
間違った、厚い、いや熱いだ。
学生の本分は学業。
耳にタコができすぎて、腐るくらい聞いた陳腐な言葉だが、まあ、間違いではない。
ただ、学業だけではないのだ。
勉強だけではなく、人格形成において、中学生や高校生というのはもの凄く重要な時期である。
本来ならここで人付き合いや上下関係、小さいながらもコミュニティの中で生きる方法を学ぶのだから。
一概には言えない。
すべてがそうではない。
しかし勉強漬けの子供が、恋愛アレルギーだったり、一般に『コミュ障』と呼ばれる性格になりやすいと言われても、経験がないのだから一理ある。
あくまでも、一例ではあるが。
その時、校内放送が鳴り響いた。
その時、校内放送が鳴り響いた。
「全校生徒の皆さん、聞こえますか。校長の佐伯です」
教室内が静まり返る。
「本日、複数の部活動において退部希望者が出ているという報告を受けました。事態を重く受け止め、今日の授業終了後、放課後に臨時全校集会を開くことにします。各部活動の代表者は、部員の意見を取りまとめてきてください」
放送が終わると、教室内は再び騒がしくなった。ある者は喜び、ある者は不安げな表情を浮かべる。悠真は複雑な感情を抱えていた。
(やれやれ、めんどくさいな……)
51脳はため息をつく。だが、13脳はこの状況にどこかワクワクしていた。
「部活動改革? いや、革命? アナーキーだぜ!」
祐介が呟くように言った。
「おいおいおい……」
悠真の言葉に、美咲が不思議そうな顔をした。
「悠真は今回の件をどう思ってるの?」
悠真は少し考えてから答えた。
「部活動は自主的な活動であるべきだと思う。強制じゃなくて。テスト期間も休日も、自分の意志で参加するかどうか決められるべきじゃないかな。それに、やりたくないこと、イヤイヤやっても絶対に強くならないぜ。剣道部が強いのは、ただガキの頃からやってるやつが多いだけ」
確かに、西小出身者が剣道部は圧倒的に多い。
そのほとんどが有段者だ。
「私もそう思う!」
「美咲と同じ! 悠真、賛成してくれるの?」
悠真の言葉に、美咲と凪咲は目を輝かせる。
2人の笑顔に、悠真も思わず微笑んだが、心の中では、もう1つの思惑も働いていた。
(これで女の子たちと会える時間も増えるな……抜いてくれる回数も増えるぞ)
まったく、10代の男はサルだ。
うーん、当たらずとも遠からず。
常日頃13脳と51脳で考えている悠真であった。
ホントのところ、悠真はハーレム計画のためを思っているわけだが、幸いなことに今回の件では美咲たちと利害が一致している。
悠真の思惑はともかく、事態は思わぬ方向へ進んでいくのであった。
次回予告 第77話 (仮)『反乱③』

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