慶応三年四月九日(1867年5月12日)フランス ブレスト
レユニオン島からリオデジャネイロを経由して、ようやく日本の遣欧艦隊はフランスに到着した。
しかし、すでに万博は一ヶ月前の4月1日に始まっている。
遅れはしたが、博覧会場の近くで航行のデモンストレーションをするために、水雷艇と潜水艦をセーヌ川の河口から遡上させなければならない。
幸いなことに『神雷』を除く水上艦艇は特に修理の必要がなく、点検整備のみであった。潜水艦『大鯨』と『神雷』の修理が完了後、えい航してセーヌ川の河口まで向かう予定である。
「おい、何だあれは? 潜水艦ではないか。あの小型の船は……水雷艇か? それにしては外装魚雷がないぞ。これは……全艦が装甲艦ではないか」
「先生、これは……何とも驚くべきものばかりです。さっそく研究対象といたしましょう!」
アンリ・デュピュイ・ド・ロームは弟子のルイ=エミール・ベルタンとともに入港してきた大村艦隊を眺めている。
彼はエコール・ポリテクニークを卒業し、フランス海軍において造船分野の重鎮として存在感を持っていたのだ。ベルタンもまた、同校を卒業して技術士官として勤務している。
目の前にあるのは、数ヶ月前のナポレオン三世の御前での諮問において、議題にあがった潜水艦なのだ。
「これは、何だ……。わがプロンジュールよりもかなり小さいぞ。動力は何であろうか? これで潜水ができるとは……」
「大佐、これは何でしょうか? 艦首に外装水雷がありません。それにこの、筒状の用途はもしや……」
海軍艦艇の設計者であるシャルル・ブルンは、海軍大佐であった。
潜水艦プロンジュールの共同設計者であるシメオン・ブルジョワに質問を投げかけている。
「Bonjour, Mesdames et Messieurs. Je m’appelle Jirozaemon Otaawa, commandant adjoint de la flotte navale japonaise. 」
(皆さん、こんにちは。日本海軍艦隊副司令官の太田和次郎左衛門と申します)
次郎は政府の上層部同士の折衝は幕府に任せ、もっぱら艦隊の点検整備、そして『大鯨』と『神雷』の修理に関わる具体的な交渉に入っていた。
「J’ai le plaisir de vous accueillir. Je suis le colonel Henri Dupuy de Rohm, officier technique de la marine impériale française. 」
(こちらこそ。フランス帝国海軍の技術士官、大佐のアンリ・デュピュイ・ド・ロームです)
次郎は笑顔でフランス側の代表たちに歩み寄った。
背後には隼人と廉之助、そしてフランス語の通訳が控えている。フランス語に定評のある栗本鋤雲は、幕府の通訳として市庁舎に随行していた。
「本日は、我々の艦艇の点検整備および修理にご協力をお願いしたく参りました」
次郎は、隼人をはじめとした随行員が頭を下げようとするのを手で制した。
最初のあいさつで握手し、依頼の話に入ると笑顔を崩さない。
「特に『大鯨』および『神雷』には、繊細な機構を有しておりますので、必要最小限の情報のみを共有いたします。軍事機密に関わる部分につき、ご理解賜りたく存じます」
アンリ・デュピュイ・ド・ロームは、興味深げにうなずきつつも、慎重な表情を崩さない。
フランス海軍の造船技術の重鎮でもあり、新しい技術や未知の艦艇に対して強い関心を持ちながらも、軍事機密や国際関係、さらには自国の技術的優位性を守る立場でもあるからだ。
軽率な態度や感情を表に出してはならない。
特にフランスは、イギリスなど他国との海軍力競争や植民地政策の中で、技術や情報の管理に非常に慎重な姿勢をとっていた。
そのため、彼の『慎重な表情』は、専門家としての冷静さと責任感、そして国家間の微妙な駆け引きへの配慮を表していると言えるだろう。
要するに、未知の技術に対して根掘り葉掘り聞いたならば、自国の技術の底が見透かされるからである。
これは日本に対しても同じだ。
どの程度の技術力を持ち、どの程度の戦力を保有しているのか。
自国の軍事技術レベルはトップシークレットなのだ。
「なるほど、極めて先進的な設計思想のようだ。だが、我々の工廠で修理する場合、最低限の構造情報は必要となる。どこまで開示していただけるのか?」
「我々の見学や記録も制限されるのでしょうか?」
ロームに続いてベルタンが一歩前に出て、低い声で尋ねてきた。
「はい。艦内への立ち入りは日本側の技術者が同行し、必要な場合のみ限定的に許可いたします。図面や記録の持ち出しもご遠慮いただきます」
シャルル・ブルンとシメオン・ブルジョワが顔を見合わせるが、先にブルジョワが口を開いた。
「あまりに制限されると、修理しようにもできません」
次郎は笑顔を崩さない。
「ご心配には及びません。皆様に修理の手伝いをしていただく必要はないのです」
当然である。
細かいことを言えば、見るだけなら仕方がないが、潜水艦の外殻の接合面や強度、素材などを知られるわけにはいかないのだ。
また、修理できるとも思っていない。
電池推進もディーゼルエンジンも、フランスでは実用化されていないからだ。
「修理はすべてわが国の技官が行いますので、貴国には修理機材と材料のご提供さえいただければ結構です。今回の皆様のご協力に感謝いたします。互いの信頼を損なわぬよう、最大限の配慮をもって対応いたします」
一瞬の静寂の後、デュピュイ・ド・ロームが柔らかな笑みを浮かべた。
「分かりました。技術者として、貴国の(未知の)技術に触れられぬのは残念だが、国際的な信義を重んじましょう。必要な範囲で最大限の協力をお約束します」
交渉は合意に至った。
「Excusez-moi, je voudrais vous poser une question. Quelle est la puissance de ce sous-marin ?」
(失礼、ではこれだけお伺いしたい。この潜水艦の動力は何ですか?)
フランス技官からの問い合わせに隼人と廉之助は顔を見合わせ、次郎に確認する。通訳が再度確認し、次郎に告げた。
しばらく考えた後に、次郎は隼人と廉之助に対して首を縦にふる。
「Moteur électrique et moteur diesel. 」
(電気モーターとディーゼルエンジンです)
「! ……? ?」
艦隊の整備は、慎重な相互確認のもと、静かに始まろうとしていた。
次回予告 第396話 (仮)『セーヌ川遡上と実演』

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