慶応二年十二月七日(1867年1月12日)レユニオン島
「いやー、いいねえ。熱帯、南国だねえ……」
次郎は上半身裸の半ズボンになって、どこから持ってきたのか作らせたのか、海水浴でよく見かける折りたたみの椅子に横たわり、日光浴を楽しんでいる。
現地で調達したココナッツをキンキンに冷やし、氷を入れたグラスに注いで飲んでいたのだ。
「兄上、藩の命に従い、日本を代表して万博に行くのに、かような有り様でよいのでしょうか」
横には隼人、廉之助、そして彦次郎がならんでいる。
俊之助もそこにいた。
俊之助は医者だがインドア派ではなく(別に固定観念はない)、むしろアウトドア派で、なんだか戦場ドクターの雰囲気を漂わせている。
師匠の一之進の影響なのか、それとも性格なのか。
次郎は、幼い俊之助が走り回ってビーカーを割っていた頃を思い出し、思わずクスッと笑ってしまった。
「隼人兄さん、そこが堅いんですよ。抜くときはしっかり抜く、こうでなくては」
「なにっ! 彦次郎、兄に向かって講釈をたれるとはいい度胸だ」
隼人が起き上がって彦次郎に向かって声をあげるが、次郎はニコニコしながらその様子を見守っている。
「おー、隼人ー言われてるぞー」
「やかましいっ」
ははははは、と笑いが起きた。
「まあ、隼人よ。此度はゆるりとせよ。彦次郎の言うとおり、羽根を伸ばすのも大事ぞ」
長い航海で、いったん海へ出てしまえば命の危険にさらされることもある。
そんな航海を続けているのだから、入港している間はリラックスして英気を養わなければならない。
次郎が伝えたいのは、まさにそのことだ。
ジャカルタでも平均気温は30度を超えており、慣れない気候に体調を崩す乗組員もいたからである。
「はあ……」
ちなみに大村海軍の艦艇には冷暖房が完備されていた。
「次郎、何やら楽しそうだな」
「あっ! これは甲吉郎様!」
サングラスをかけてリラックスしていた次郎は、起き上がって挨拶をした。
さすがの次郎も、藩主の嫡男である名代が訪れた以上、無視するわけにはいかない。
「いやいや、気にするな。わしも暑いので、上着を脱いだところじゃ」
手を振って笑う甲吉郎の姿は、次郎よりもさらにリラックスして見える。
甲吉郎はいつもの着物姿とは違い、軽装なのだ。
甲吉郎は、常に藩主の嫡男として優れた教育を受けている。
そのプレッシャーも影響して、適度にバランスを保たなければ精神的に参ってしまうのだろう。
甲吉郎はその点において非常に優れているようだった。
「次郎の言うとおり、お役目は確かに大事、されどそれを成すためには、休むべきは休まねばならん。遠慮するな隼人よ、わしが許す」
「ははっ」
横で聞いていた隼人はそう返事をして、彦次郎に目をやる。
彦次郎はニヤニヤしていた。
「やあ、次郎様。今日は暑いですろうに、なんだか楽しそうにしゆうがですね。あ、そうそう次郎様、この前いただいた免状は、期限とかないがですよね?」
聞き覚えのある、一度聞いたら忘れられない声である。
「おお、龍馬ではないか。いかがした?」
意外な来客に驚きながらも喜ぶ次郎である。
「いやあ次郎様、こりゃあ暑うてたまりませんぜ。この天気じゃ、まっこと蒸し風呂みたいなもんですき」
そう言いながら龍馬は手で顔をあおいだ。
「聞きますと、『知行』には冷蔵庫っちゅう珍しいもんがあって、えあこん、いうもんまであるとか。いやあ、先生、こりゃあ見事としか申し上げようがありませんき。あんまり冷えすぎて外に出てきたら、次郎様のお姿が見えましたき、つい声をかけさせてもろうたがです」
要するに涼みに来て、冷えすぎて外に出たら次郎たちを見つけて声をかけたのだ。
「そうか龍馬、まあ、ゆっくりしていくといい。そうだ、こちらは殿の御嫡男で……」
「あっ! 何やかこれ? うまいがですろうか?」
聞いちゃいない。
「うまい! いや違う、待たぬか龍馬。今、甲吉郎様のご紹介をしておるのに。こちらは殿の御嫡男、甲吉郎様におわずぞ」
「これは失礼しました!」
さすがの龍馬も居住まいをただし、純武に向き直った。
「よい、わしもかような格好じゃ、気にするでない」
笑顔で返す純武である。
「では、遠慮なく」
まったく、と次郎は息を吐いた。
自分も格式張ったことは嫌いで、フランクな付き合いを周りとしている次郎だが、龍馬は別格であった。
「ああ、あんたが龍馬さんか」
「ん、おんしは?」
「太田和彦次郎と申す」
「ああ、こりゃあ、次郎様の弟やったがですか。こりゃあ、失礼いたしました」
龍馬はさっと頭を下げつつ挨拶をした。
「ああ、よかよか。三男坊やけん、武家って言うても町人と変わらんけん」
「お、そうか」
あうんの呼吸なのだろうか。
次郎が言っていたとおり、龍馬と彦次郎はウマが合いそうである。
「龍馬、航海の調子はどうじゃ?」
「はい、おかげさまで順調にいっちょります。機関の具合も何の障りもなく、乗組みの者らもみな元気にしちょりますき」
「そうかそうか、それは良かった」
連れてきた手前、そうでなくてはならない。
次郎は内心ホッとした。
「それで次郎様、ちっくとお願いがあるがですけんど」
「ん、何だ?」
ニコニコ顔で答える次郎だが、いったい龍馬は何を頼むのだろうか。
「ほかの社中の連中も連れて来てもかまんろうか。みんな暑さでまっことへばっちゅうがよ」
「ああ、何だそんなことか。構わん……あ、あの、甲吉郎さま、よろしいでしょうか」
横で聞いてきた純武は苦笑いをする。
「良いも何も、お主が出した免状であろう? ここで断ればわしの面子も立たんし、藩の面子も立たぬではないか」
何の問題もないようだ。
オレのことなど気にするな、とでも言いたげだが、決して嫌味なところはない。
「は、それでは」
次郎はそういって亀山社中の仲間も『知行』に招き入れたのであった。
次回予告 第392話 (仮)『喜望峰沖の嵐』

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