王国暦1047年12月11日(火)16:00 = 地球暦 2025年09月07日(土)23:39:25 <田中健太(ケント)>
「はあ……。みんな、まずはお疲れ様! これでひとまずは安全だ」
オレが切り出すと、みんなの顔から少しだけ力が抜けた。
「ケントが一番大変だったんじゃない?」
エリカが気遣って言ったが、まだ不安を感じているようだ。
「まあな。でもこれで時間と金が手に入ったんだ。100%安全なんてないから、早速今後の計画を具体的に詰めよう」
オレはテーブルの上に紙を広げて計画の概要を書き出していく。
「総資金は金貨7,000枚。『科学防衛都市』の建設費が概算で4,000枚。差し引いても手元には3,000枚残る。当面の運転資金としては十分すぎる額だ」
全員がゴクリと喉を鳴らした。
金貨3,000枚は庶民が一生かかっても手にできない大金らしい。
オレはピンとこないが、レイナはもちろんマルクスやエリカ、ルナまでもがビビっている。
金貨は1枚が1ルミナで、金の含有量はどのくらいだ?
それが3,000枚……。
地球換算で……分からん! 今度調べてもらおう。
「石けん事業は順調だね。エリカの無料治療のおかげで評判はうなぎ登りだし。レイナ、今後の見通しは?」
「ええ。この勢いなら数日のうちには生産が追いつかなくなる。増産体制を整えなきゃならないわ。それと『翠石けん』の件だけど……」
レイナが商人ギルドマスターのゲルハルトの名前を出すと、エリカとルナは少し顔をしかめた。
「言いたいことは分かる。だけど焦る必要はないさ。こっちが有利な状況を作ってから、ゆっくり交渉すればいい」
オレは2人を安心させるように言った。
商人ギルドマスターのゲルハルトはギルマスである前に商会の会長でもある。
やり手だが敵も多いんだ。
利権をチラつかせれば第2第3の商会が名乗りを上げてくる。
それまで待てばいい。
「石けん事業と、これから始める蒸留酒事業を安定した収益源にするためだ。最優先事項は別にある」
オレは紙に大きく『自衛力確保』と書いた。
「……銃だよ。ヤツらが約束を破るかもしれないし、オレたちはいつも一緒にいるわけじゃない。スタンガンみたいに、最低でも護身用の銃は必要じゃないか?」
みんなが真剣になってオレに注目する。
大人のオレたちはともかく、アンやトムに持たせたくはない。重大な課題のひとつだ。
「マルクス、現段階で工作機械の完成はいつごろ? それによって銃の完成時期が変わってくる」
マルクスは腕を組んで工房の隅に置かれた発電機に目をやった。
「ケントの設計と、地球から持ち込んだ工具のおかげで、技術的な問題はないと思う。アポロの鋼材だって加工できるし。でも時間はかかるな。発電機が1台しかないから、旋盤を作って、できた旋盤で次の機械の部品を削り出す流れになるよね。特にベアリングみたいな精密部品をゼロから作るのはきっついぞ」
「で、結局どのくらい?」
「どう急いでも8か月はかかるかな」
マルクスは冷静だ。
「……だよな。オレもそう思う。オレたち2人がそう思うんなら間違いないか。……そこで考えたんだけど、次の日の出にもう1回地球に戻ろうと思う」
マルクス、エリカ、ルナを見た後に、最後にレイナを見た。
彼女にとって地球は未知の世界。
でも不安や心配はなさそうだ。オレを全面的に信用してくれているし、トムとアンは子どもらしく好奇心旺盛だからな。
心配はない。
本当にいい家族だ。
「なるほど! 時間短縮のための追加調達か。狙いはベアリングと、並行作業用の追加の発電機とモーターだな?」
マルクスはすぐに合点がいった風にうなずいた。
「その通り。キーパーツの製作工程を完全に省略する。そうすれば全工程を8か月から3か月に短縮できるはずだ」
オレはみんなの顔を見渡してはっきりと言い切った。
これがオレたちの安全を確保する唯一の手段なんだ。
エリカもルナも、計画の効率性を理解して静かにうなずいている。
「じゃあ、地球時間の日の出までざっくり1か月あるけど、それまでどうする?」
「時間を無駄にするつもりはない。地球の部品がなくても進められる作業に集中する」
オレはマルクスの問いに即答した。
まずは工作機械の土台となるベッド部分の鋳造だ。数百キロの鉄塊を溶かして型に流し込む大仕事で、これは異世界の技術でも、マルクスの指揮があれば十分に進められる。
一番時間がかかる工程を先に片付けておくんだ。
「マルクス、旋盤とフライス盤のベッドを頼む。オレはその間に、持ち帰るベアリングやモーターの規格に合わせて、詳細設計を完璧に仕上げる。部品が届けばすぐに組み立てられる状態まで準備を進めるんだ」
オレが指示を出すと全員の表情が引き締まった。
やるべきことが明確になって工房に再び活気が戻り始める。
「ケント、私は何をすればいいの?」
とエリカ。
「私は火薬と雷こうの続き?」
これはルナだ。
「私は……みんなの手伝いね」
年齢はルナより上だがエリカより年下のレイナが一番落ち着いて見える。
「ねえお父さん! アンは~?」
「親方! 僕は何をすればいいんですか?」
アンもトムも何かの役に立ちたくてうずうずしていた。
■王国暦1048年1月14日(月)12:36:00= 地球暦 2025年09月08日(日)05:18:00 <田中健太(ケント)>
オレたちはすべての準備を終えて洞窟のドアの前に立っている。
全員を見回して、うん、とうなずいてドアをあけた。
まばゆいばかりの光がうっそうとした森に差し込む。
「さあ! 行こう!」
オレの号令と一緒にみんなが次々に部屋に入っていった。
「はああ……。やっぱりここは地球なんだな」
全員がベータ宇宙(異世界)から地球へ戻って(来て)、リビングに集合した途端にマルクスが声をあげた。
「ああ、地球だ」
未だに信じられないし、論理もクソもないが、起こっていること全部が現実だ。
「ふう……みんな、やることはたくさんあるけど、まずは腹ごしらえしないか?」
「あー、そうだな、腹減った! で、何食うんだ?」
マルクスが即答した。
……そう言われると、確かに。
でも店に行く時間も惜しい。
オレはスマホを取り出した。
「デリバリーでいいんじゃない?」
エリカの発言に、ルナがうんうん、とうなずいている。
「そうだな……じゃあSuper Eats(スーパー・イーツ)でいいか? まあ何でもあるだろ?」
正直オレは、あんまり使ったことがなかった。
だけど子どもがいるし、無難なところで済ませた方がいい。
「でりばりー?」
アンが不思議そうに首を傾げる。
スマホやPCで注文すれば、店の人がここまで食事を届けてくれる便利な仕組みなんだよって説明したら、働き者なんだねって言われた。子どもの感性ってすごい。
異世界では考えられないシステムに、トムもアンも目を丸くしている。レイナも感心したようにうなずいた。
マルクスは即座に『カツ丼大盛り!』と叫んだ。
エリカとルナは顔を見合わせて、相談してピザのメニューを指差す。
レイナはトムとアンと一緒に画面を覗き込んで、『お子様セット』のハンバーグの写真に目を輝かせるアンに微笑んでいる。
トムは少し照れているみたいだが、結局は同じものを頼んだ。
オレは、シンプルに牛丼を頼んだ。
会社に行って早期退職金の申込みと、今の社宅マンションの購入申込みをしなくちゃならない。
同期で取締役人事部長の須藤に会いたくはないが、背に腹は代えられない。
状況が変わったんだ。
退職金の減額……確か総額1億1千万とか言ってたな……。
1億程度で承諾すれば、ヤツの人事考査にもプラスに働くはずだ。なんせオレは、会社に多大な貢献をしたけど社内の権力闘争のあおりを受けて左遷されたんだからな。
こうなった以上オレをそうしたクソ上層部に未練はない。
でもこれで、ヤツに対するクソ上層部の受けも良くなるだろう。
須藤にとってはいい条件のはず。
あとは……医療機器だな。
エリカの同期、山城院長がどう動くか。
次回予告 第36話 『地球での交渉戦』
銃製造計画を開始したケントたちだが、工作機械の完成に8か月を要することが判明。
時間的リスクを回避するため、ケントは製造期間を3か月に短縮するキーパーツ調達を決意し、再び地球へ戻る。
約1か月の準備期間を経て地球に到着した一行は、これから始まる交渉を前に、まずはデリバリーで腹ごしらえをすることにした。
次回、前回放置した形となった山城院長との医療品の交渉が始まる。会社との退職金交渉やマンション購入、同期が経営する警備会社へと、やることは山積みであった。


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